Neetel Inside 文芸新都
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 無我夢中だった。自分が今、どこに居るのかすらも、分からなくなりそうだった。手が、いや、全身が震えている。ただ、恐怖で震えている訳ではない。
 俺の槍が、人の身体を貫いた。つまり俺は、人を殺したのだ。
 いや、相手が先に俺を殺そうと攻撃してきた。その攻撃を掻い潜ってやり過ごそうとしたら、また攻撃してきた。相手は必死の形相だった。というより、殺意や怨念が表情として現れていた。
 やらなければ、俺がやられる。そう思った時、俺の槍が相手の身体を貫いていた。
 ただの一撃で、ただの一突きで相手は動かなくなり、馬から落ちた。落ちた直後、敵味方の馬に踏み潰され、相手の身体は訳のわからない状態になっていた。
 そこからは何も覚えていない。ただ、必死だった。馬から落ちれば、それで終わる。そう思っただけだ。そして、敵もその事を知っている。あとは生き残る為に武器を振るった。殺したとか何だのは、もう後回しだった。
 そして、気付いたら、敵陣を抜け出ていた。全身は血で赤く染まっていた。ただ、怪我は負っていない。この血は、全て敵兵のものだろう。すでに周囲に敵はおらず、スズメバチ隊はどこか別の所へ向かっているようだ。
 ふと、真横にジャミルが居る事に気付いた。そういえば、戦闘中もずっと側に居たような気がする。
 俺の視線に気付いたのか、ジャミルが微かに頷いた。風と馬蹄の音で、会話はできそうもない。
 これが戦なのか。俺が槍で貫いた敵は、まさに必死の形相だった。気迫は凄まじいもので、動きも調練で経験したものとはまるで違っていた。ただ、何が違っていたのかは分からない。とにかく、俺も必死だったのだ。
 ふと視線を前に移すと、一番隊の旗が揺れていた。敵陣突入の合図だ。
 父は、ロアーヌは平気なのか。さっきの戦闘は全く見れていないが、父だけが戦場で孤立していたような気がする。
 刹那、敵味方の喊声。それで、思案が吹き飛んだ。
 槍を構え、そのまま勢いで駆け抜けた。ほとんど敵にぶつかる事なく、駆け抜けた。どうやら敵陣のど真ん中を突っ切ったようだ。敵を倒すのが目的ではなく、陣を乱す事が目的だったのか。
「八番隊、迂回するっ」
 ジャミルの声が聞こえた。それで、僅かだが戦に慣れてきている、と俺は思った。
 すぐに脚で自分の意志を馬に伝えた。馬が身体の向きを変えて走り出す。さっきは、馬が群れで動く習性で、味方と共に動いていただけだった。
 スズメバチ隊が二手に分かれた。真ん中に槍兵隊が居る。その槍兵隊を囲むように、敵軍がめまぐるしく動いていた。スズメバチ隊が崩した陣は、もう元に戻っている。
 何度も敵陣の中を突っ切った。だが、敵は崩れては元に戻る、という事を繰り返していた。その間、槍兵隊の兵が次々に倒されていく。だが、どうする事も出来なかった。俺は兵として、やれる事はやっているのだ。
 ジャミルは、愚直に突っ込む指示だけを出している。父はどうするのか。

 退いた方が良い。この大将軍の本隊は、絶対に崩れない。俺のスズメバチ隊の動きを完全に把握している。というより、読み切っている。外面から見ると、何度も崩しているように見えているが、攻撃をしているこちらに言わせれば、まるで手応えがないのだ。のれんに腕押しという言葉が、まさにしっくり来る。その証拠に、敵はほとんど犠牲を出していない。
「レオンハルト、武神の名は伊達ではない、という事なのか」
 バロンがこれに気付いてくれなければ、槍兵隊もろとも全滅という事になりかねない。とにかく端から見れば、よく崩している、という形に見えるのだ。そして、敵がしぶとい。実際に戦闘している俺はともかく、バロンがこれにいつ気付くのか。
 本陣が奇襲を受けたのが痛い。軽騎兵と騎馬隊に散々に陣を荒らされ、そこに本隊の猛攻を受けた。俺のスズメバチが味方本陣から離れていたのは良かったが、敵軍の動きが予想以上に良かった。特に軽騎兵は、十二分に仕事を果たしたと言っていいだろう。騙し討ちからの奇襲で、その犠牲は無いに等しい。戦果で言えば、これ以上にないものだ。
 騎馬隊の動きも良かった。何より、指揮官の武が卓越していた。何合と一騎討ちでやり合ったが、首は取れなかった。それなりの傷は負わせたつもりだが、深手ではないだろう。自惚れではないが、俺とあそこまでやれた男は、シグナス以来である。
 思えば、あの指揮官のせいで、スズメバチ隊の動きが遅れたのだ。あそこで一合で勝負がついていれば、もっと違った形に持ち込めたはずだ。
 全てが、じり貧だった。すでに方々で火が放たれ、それが全体に拡がりつつある。風がないのが救いだが、それでも長くは保たないだろう。
 そんな中で、槍兵隊のアクトがハリネズミの陣形で踏ん張っている。いや、それ以外に出来る事がないのだ。ハリネズミを解いた瞬間、全てが瓦解する。すでに、そういう状態にまで追い込まれてしまっている。
 大将軍の本隊が、槍兵隊にジワジワと食い込んでいく。さらに別働隊として、騎馬隊が原野を駆け回っていた。
 あの騎馬隊が攻撃に動いたら、俺は槍兵隊を見捨てる。そうしないと、共に全滅する事になるからだ。
 その時、バロンの旗が振られた。撤退の合図である。
 次の瞬間、大将軍の本隊の圧力が急激に跳ね上がった。同時に槍兵隊の陣が砕け散る。撤退。その一瞬の気の緩みに、突っ掛けられた形だった。
「アクト、兵をまとめ直せっ」
 叫んだが、もうどうにもならなかった。大将軍の本隊が槍兵隊を飲み込んでいく。
「タイクーン、アクトの元へ駆けるぞっ」
 判断すると同時に、号令を出していた。アクトだけでも救う。
 旗本である一番隊のみで、アクトの元へと向かった。アクトは馬から落とされ、徒歩で槍を振るっている。その背後、敵兵。剣を構えている。
 その敵兵を一刀両断し、アクトの腕を掴んだ。そのまま力任せに持ち上げ、タイクーンの上に乗せた。
「ロアーヌ将軍」
「お前は指揮官だ。ここで死ぬ事は許さん」
「降ろしてください。俺を乗せたままでは、逃げ切れません」
「タイクーンはそんなヤワな馬ではない」
 言ったが、アクトの言った事は的を得ている。大将軍から逃げ切れるのか。
 即座に旗本が俺の周囲を固め、そのまま矢の如く敵陣を駆け抜けた。その間、逃げ遅れている槍兵隊の兵が、次々に突き倒されていく。
 その刹那、前方に騎馬隊が現れた。
「我が名はエルマン。剣のロアーヌと槍兵隊指揮官のアクト。貴様ら両名の首をいただくっ」
 筋骨隆々の男が、戟を天に掲げて声をあげた。
「レオンハルトめ、やはりただでは逃がしてはくれんか」
 剣を握り締めるも、正直やり合いたくなかった。後ろにアクトが居る。アクトを庇いながらの戦闘では、俺はもちろん、タイクーンも力を出し切れないだろう。それだけじゃなく、一合か二合で斬らなければ、敵軍の波に飲み込まれてしまう。つまり、時間がない。
「父上ぇっ」
 若い声がした。エルマンが背後を振り返る。俺もそこに目を凝らした。
 虎縞模様の具足。
「八番隊。ジャミルとレンかっ」
 スズメバチの八番隊が、エルマンの騎馬隊を縦にカチ割った。エルマンが僅かに逡巡を見せる。
「タイクーン、駆けるぞっ」
 見逃さなかった。八番隊が作った退路に向けて、俺と旗本は一心不乱に駆けた。

       

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