Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 まだ、旗は立てられている。
 ロアーヌとレオンハルトの旗だ。両軍はぶつかっては離れ、離れてはぶつかる、という事を幾度となく繰り返していた。そして、その内の一回は、ロアーヌがかなり奥深くまで食い込んだ。その時、一瞬だけレオンハルトの旗が傾いた。
 ロアーヌは、武神の首に肉薄したのだ。
 私の弓騎兵が参戦できれば。私の弓だけでも、それなりの支援が出来る。ただ、そうするには、この目の前の男を倒さねばならない。
「しぶとい、これがレオンハルトの副官か」
 はっきり言って、そこらの将軍よりもよっぽど能力のある男だった。数万の騎兵と歩兵を巧みに指揮し、私の弓騎兵をかき回してくる。中でも騎馬隊の指揮は果断で、かつ勢いもあった。そんな騎馬と比べれば、歩兵はついでのようなものだ。こういった面を考えると、力押しを好む男なのだろう。ただ、シーザーのように無配慮という訳ではない。細かい部分も見れており、隙は見えないのだ。
 負ける敵ではない。ただ、勝てるという訳でもない。何かで、ほんの小さな何かで、勝敗が決まる。言ってしまえば、そういう事だ。決定的なのは、後続のアクトとヨハンが追い付いてくる事だが、それを恃みにしようとは思わなかった。そういう考えで、追撃をかけた訳ではないのだ。
 とにかく、目の前の男を倒す事だった。私の弓騎兵で、私の力で、倒す。
 原野を駆け回る。男は歩兵を使って、私の駆けようとするルートをしきりに潰そうとしてくる。それを何度も弓矢で散らしたが、焼け石に水だった。射倒せる兵の数が、かなり限られているのだ。相手の歩兵は、弓矢を防ぐ調練を相当に積んでいる。
 だが、私の狙いは歩兵ではなく、騎馬だ。あの騎馬隊の中に、レオンハルトの副官は居る。
 立ちはだかる歩兵の合間を、縫うように駆けた。前方から、相手の騎馬隊も近付いてくる。このまま、正面からぶつかってやる。
 先頭の敵の顔が見えた瞬間、全隊で弓矢を放った。敵が次々に落馬した。そのまま構わず突っ込んでくる所を、掠めるようにかわす。最後尾の弓騎兵が、何人か斬って落とされる。
 小競り合いが続く。そう思い、反転しようとした瞬間、目の前に歩兵。岩陰から突然、出てきた恰好だった。方向転換。合図を出したが、横から抉られた。
 隊が乱れる。密集しろ。そう指示しようとした瞬間だった。相手の騎馬隊が後方から矢のように突っ込んできた。統制の取れていない隊が、次々と蹴散らされていく。これでは密集できない。
「散れっ、的を絞らせるなっ」
 叫び、愛馬ホークの手綱を引いた。反転する。同時に弓矢を構えた。
 相手の騎馬隊が、一つの隊に狙いを絞った。殲滅させるつもりだ。その敵の先頭に向けて、矢を放つ。敵兵が馬上から吹き飛んだ。
 それでも構わず、疾駆している。もう一度、弓矢で。そう思った時、歩兵が射撃ルートに立ちはだかって来た。それを散らす。その間に、追い回されている弓騎兵が、次々に脱落していった。
 近距離に持ち込まれると、脆さが目立つ。その調練は十分に積んだはずだったが、戦えるというだけで得意ではないのだ。
 ホークの腹を腿で絞り上げた。迫って来る歩兵をかわしながら、相手の騎馬隊の横につく。そこに向かって、部下と共に矢を射込んだ。それでようやく、追われていた弓騎兵は敵の騎馬隊を振り切った。
 敵の騎馬隊が、こちらに狙いを変えた。なんと、弓矢を構えている。
「本家とやり合うというのかっ」
 燃え盛った。
 両軍の弓矢。無数の風切り音が、戦場に轟いた。次々に敵味方の兵が落馬する。
 岩。そこで両軍が割れ、風切り音が止んだ。飛び出す。その時には、もう弓矢を放っていた。弓を構えていた敵が吹き飛ぶ。
 さらに併走しながら、相手の弓矢に応酬した。進む先に歩兵。槍を構えている。それに向かって矢を放った瞬間だった。
 身体が横に弾き飛ばされた。地面。鐙(あぶみ)に足が引っ掛かっていた。ホークに引きずられている。同時に肩に激痛。
「流れ矢かっ」
 具足を貫き、突き刺さっていた。
「将軍っ」
 部下が私の周囲を固める。手を差し出してきた。それに掴まり、ホークに跨り直した。落馬しなかっただけ、良しとするべきなのか。いや、それだけでなく、ホークは荒れている地面の上を走らなかった。
 ただ、もう自由に弓は引けない。ここぞという場面に限られる。それでも、運が良かったとするべきなのか。
 敵の攻撃が激烈になっていた。私が落馬しかかった事を見逃さなかった、という事だ。味方も動揺して、攻撃の手が緩くなってしまっている。
 これを打開するには、やはり指揮官を直接、仕留めるしかない。
 だが、至難の業だ。レオンハルトの副官は先頭に立つタイプではなく、後方で指揮を執るタイプの指揮官だ。これを引きずり出すのは難しい。性格的欠陥もない。
 そんな思案をしていると、後方から馬蹄が聞こえてきた。振り返る。
「ヨハンっ」
 後続軍の一つ、ヨハンの騎馬隊だった。アクトの槍兵隊を置いて、単身で疾駆してきたのか。
 さらに馬蹄が聞こえる。ロアーヌとレオンハルトが激戦を繰り広げている、さらに後方。
「馬鹿な」
 背筋を冷たい汗が伝うのが分かった。
「敵の、援軍」
 騎馬隊だった。二千は居る。
 ロアーヌがまずい。このままでは、挟撃される。レオンハルトと、あの援軍に挟撃される。いかにロアーヌと言えども、挟撃されれば死地に立たされる事になるだろう。ただでさえ、レオンハルトとは兵力差があるのだ。
 信じられなかった。なんというタイミングなのか。レオンハルトは、ここまで読んで兵を動かしていたのか。それとも、あの援軍の指揮官の判断なのか。
 急がなければ。レオンハルトの副官を、仕留める。もう一刻の猶予もない。
「ヨハン、歩兵は任せた」
 右手をあげ、合図を出した。すぐに騎馬隊が歩兵を蹴散らし始める。
 まずは、あの副官を引っ張り出す。引っ張り出すには、それなりの餌が必要だ。
「私がその餌となる」
 メッサーナ軍総大将。さらに手負い。これ以上にない程の餌だ。
 部下を追い抜き、軍の先頭に立った。敵兵が、驚いている。
「私は鷹の目、バロンだっ」
 出て来い。出てきた瞬間、私の矢で撃ち貫いてやる。
 スズメバチの旗は、まだ風に舞っている。敵の援軍が、そのスズメバチに食らいつこうとしていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha