Neetel Inside 文芸新都
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 振り返らなかった。ただ、前だけを見た。いや、レオンハルトだけを見ていた。
 身体の奥底から、力が湧いてくる。その勢いは留まる事を知らず、無限に闘い続ける事が出来るのではないか、と思える程だった。
 俺が指揮を執る一番隊以外のスズメバチは、敵中を離脱させた。というより、一番隊と八番隊以外は壊滅状態だった。唯一、まともだった八番隊には、離脱と共にレンを保護するように伝えてある。
 そして、レオンハルトを討つ事以外の全てを、俺は頭の中から追い払った。それは自分の命ですら、例外ではない。死のうとは思っていなかった。ただ、命を捨てる覚悟をしただけの事だ。
 その覚悟をした時、全ての感覚が鋭利になった。上手く言えないが、周囲の状況が手に取るように分かり、敵の動きが遅く見えた。それはタイクーンに伝わり、味方に伝わり、敵兵に伝わった。
 剣だった。スズメバチ一番隊が、一本の剣になっていた。立ちはだかる全てを斬り裂き、薙ぎ払う。一直線にレオンハルトを目指し、剣は駆け抜ける。
 無人の野だった。最初こそ、剣を止めようと敵が前に出てきたが、それらは一瞬の内に肉塊となった。二度、三度とそれは続き、やがて敵は自ら道を空けるようになった。
 その道は、天下への道だった。シグナスと共に見た、夢。たった一つの、夢。それが、天下だった。その天下が、近付いていく。
 剣を天に突き上げた。シグナス、共に闘おう。お前と俺で、天下を取ろう。
 剣の切っ先。真っ直ぐに、突き付けた。武神が、静かに佇んでいる。

 兵が怯えているのが分かった。僅か百騎にも満たない騎馬隊に、数千の兵が怯えている。ただし、普通の騎馬隊ではない。鬼神が率いる、騎馬隊だった。
 ロアーヌは、人を捨てた。というより、人を超越した。自らの命を力に変える事によって、人を超えたのだ。
 闘神シグナスの死に際と、よく似ている。あのシグナスは、死の直前で人を超えた。たった独りで、数百人という敵と渡り合ったのだ。
 儂は自分でも驚くほど、冷静だった。それでいて尚、ロアーヌと、鬼神と、刃を交えたい、と思っていた。
 いくら老いても、戦人は戦人という事なのだろう。初陣を飾った時から、死に場所は戦場と決めてきた。決めてきた上で、生き残った。それは運が良かった、という事もあっただろう。だが、それだけではない。儂を殺せるだけの男が、居なかった。
 今までは、居なかった。だが、ロアーヌはどうか。儂を殺し得るだけの力を、持っているのではないか。
 ロアーヌは、儂の全てをぶつけるに相応しい男だ。儂は、自らの全てを、命を含めた全てを、ロアーヌにぶつける。
「弓兵隊、目の前のスズメバチにありったけの矢を射込め。他の兵は退がっていろっ」
 何よりも優先するのは、スズメバチの戦力を削ぐ事だった。矢で、ロアーヌ以外を射落とす。というより、ロアーヌに矢は当たらないだろう。今のロアーヌは無敵だ。儂以外に、あれを殺せる者は居ない。ただ、他の兵は射落とせる。
 容赦しようとは微塵も思わなかった。むしろ、最後の最後まで、儂は気を抜かない。やれるだけの事を、全てやる。そうした上で、ロアーヌと対峙する。これは、戦人としての礼節だった。
 大量の矢が射込まれた。スズメバチに向かって、数千という矢が降り注ぐ。それでも、ロアーヌは儂から眼をそらさなかった。それ所か、自分に当たりそうな矢を払い落してもいる。見えているのだろう。矢も含めた全てが、見えている。
 次々とスズメバチが射落とされていく。それに準じて、儂とロアーヌの距離も縮まっていく。
「もっとだ。もっと射込め。最後の一騎になるまで、矢を撃ち続けろっ」
 五十、三十。尚もスズメバチは減っていく。二十を切った時、儂は旗本と共に馬腹を蹴っていた。同時に矢が止まる。
「旗本は十騎一組となり、スズメバチの兵一人を討てっ。相手には鬼神が憑いている。油断せず、十人で連携して仕留めよっ」
 その後、儂の支援に回れ。そう言おうと思ったが、武人の血がそれを抑えた。武人として、戦人として、一対一であの男と刃を交える。
 ロアーヌは、儂だけを見ている。
 剣を構えた。一対一の勝負。
 気が溢れていく。ロアーヌの顔。表情を読み取る寸前、一閃。金属音。同時に、とてつもない何かが、身体の芯を貫いた。
 口端から、何かが流れ出た。血。血が、顎から滴っている。
 剣と剣がぶつかっただけだった。どこも斬られていない。それなのに、血が流れ出た。つまり、剣気だけで身体の中を破壊されたのだ。
 信じられない、とは思わなかった。これが、ロアーヌなのだ。命を力に変えた、ロアーヌの実力なのだ。
 燃えた。自分でも何が起こったのか分からない程、心が燃えた。
 雄叫びをあげていた。ロアーヌが反転している。その間に、旗本が次々とスズメバチを討ち果たしていく。
「来いっ」
 声をあげると同時に、剣を強く握り締めた。気を、いや、命を込めた。
 ぶつかる。馳せ違わなかった。剣と剣で押し合う。同時に、気でも押し合った。さっきは押し潰された。だが、今度は違う。
「この強さ、儂はお前を待っていたっ」
「俺はもう何も要らない。レオンハルト、お前の首以外、もう何も要らないっ」
 自分の命さえも。ロアーヌの眼が、そう言っている。
「ならば、力ずくで奪ってみろ、剣のロアーヌっ」
 互いの気が爆発すると同時に、剣も弾けた。

       

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