Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。抱くは大志
第四章 思想

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 東の砦が奪われた。奪ったのは、メッサーナの軍という事だった。
 しかし、国内に乱れや反響は少なかった。これは当たり前と言えば当たり前だった。メッサーナと言えば、遥か東の田舎地方だ。その田舎地方で、小さな砦が一つ奪われた。要は、これだけの話なのだ。しかし、私はそう簡単なものとは見ていなかった。
 反乱である。まず、今回の件を、私はこう位置付けた。
 私は、国の宰相(総理大臣)だった。すでに年齢は五十代に入ろうとしているが、未だに疲れは知らないと言って良い。
 宰相と言えば、政治の最高責任者だが、私は軍権も握っていた。無論、私の一存で全ての軍を動かす事などは出来はしないが、ほとんどの事は一人でやれる。動かせないのは、王直属の近衛軍ぐらいのものである。
 巨大な権力を私は握っている。だが、その上に王が居た。そして、私はこの王を、長きに渡って補佐してきたのだ。いや、数百年に渡る歴史を持つこの国を補佐してきた。そう言えるだけの自負が、私にはあった。
 しかし、国は腐っていた。これは先々代の宰相からで、改革するには何らかの多大な措置が必要だった。それは役人の粛清であったり、軍の見直しだったりする。だが、そのどれもが、実現するには大きなリスクがあった。細々とした方法では、腐りが取れなくなっているのだ。一挙に、全てをやり変える。そういう大胆な方法でしか、腐りを無くす事が出来ないのである。
 しかし、今まではこの大胆な方法が取れなかった。それは平穏だったからだ。だが、その平穏が今、乱れようとしている。東の地で、小さな、本当に小さなものではあるが、反乱が起きたのだ。
 数ヶ月前、軍から二人の小隊長が都から姿を消した、という情報が入っていた。
 名は、ロアーヌとシグナス。それぞれ剣と槍の名手で、軍内には二人に敵う者は居なかったと言う。そして二人は、将軍であるタンメルの配下だった。
 タンメルは、無能と言っても良い男だった。武器の扱いは兵卒にも劣るし、軍学も無きに等しい。だが、将軍だった。金で成り上がった将軍である。そして今の官軍には、こういう男が溢れ返っているのだ。賄賂の証拠を掴んで罰するという事も出来るには出来るのだが、それをやるには今の状況は芳しくなかった。上位層の連中だけならまだしも、兵卒レベルにまで賄賂が横行しているのである。それにタンメル一人を罰した所で、焼け石に水だった。
 賄賂を罰するよりも、能力が地位に追い付いていない事を罰するべきだ。私は、そう思った。
 今は、能力の有無に関わらず、賄賂が横行している。これは言い換えれば、金さえあれば上に立てるという事だ。現状は、これが良くない。能力が地位に追い付いていない事を罰するようにすれば、金を使って上に立てたとしても、いずれ地位を降ろされるか、罰せられる、と人は思うようになるだろう。そして、能力さえあれば、人の上に立てる。地位も追い付いてくる。そう思うようにもなる。
 平穏時は、能力がない人間が上に立っていても、国は回っていた。だから、金で全てが解決できた。しかし、戦時下という、緊張に包まれた状態になれば、金よりも能力がものを言うようになる。
 そういう意味では、東の地での反乱は、国を改革するに十分に役に立ってくれそうだった。ただ、まだ反乱と呼ぶには小さすぎる。
 国を改革するには、どこかで痛みを伴わなければならない。その痛みを伴う時期が、私は今だという気がしている。
 メッサーナは、おそらく国をひっくり返そうとしているのだろう。新たな王を抱き、国を新生する。そう考えているはずだ。しかし、それはさせない。この国には、歴史がある。数百年という歴史があるのだ。それを白紙に戻して、国を新生するなど、馬鹿げている。数百年の歴史は、そんな軽いものではない。私は、そう思っていた。
「フランツ様、タンメル将軍が参られました」
 従者の一人が、部屋に入って来て言った。従者と王だけは私の事を名で呼ぶが、他の者は宰相と呼んでいた。
「入れて良いぞ」
「はい」
 しばらくして、タンメルが入って来た。相変わらず醜く肥っていて、目は糸のように細い。阿りの入った笑みを、タンメルは浮かべている。
「これはこれは、宰相様自らが私めをお呼びになるとは。フヒヒ。さては、大将軍昇任の時ですかな、フヒ」
 将軍達の頂点には、大将軍が居た。今の将軍という地位は、能力の無い者で溢れ返っているが、大将軍は違った。今の大将軍はまさに歴戦の勇士とも呼べる者で、軍内でも屈指の実力者である。ただし、老齢だった。
「タンメル、少し話をしようではないか」
「それはもう。フヒヒ。ちゃんと袖の下もありますよ。大将軍ですかぁ。私にはちと荷が重いかもしれませんな。なぁんて。フヒ」
 タンメルは、私に呼び出された事を出世の件だと信じ込んでいるようだ。
「お前の部下に、ロアーヌとシグナスという者が居なかったか?」
「おう、そんなアホどもも居ましたなぁ。あれはただの若僧ですよ、宰相様。ちょっとばかり、剣と槍が扱える。それだけです。金も持ってません。フヒ」
「ふむ。その若僧達が、東に向かった。その事は知っているか?」
「ほえぇ? 知りませんなぁ。まぁ、どうでも良い事ではありませんか。それで、大将軍昇任はいつです?」
 ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、タンメルは袋をチラチラと見せてくる。金銀が入っている袋だろう。
「いや、大事な事だ。ちゃんと話を聞け」
 眼に、少し力を入れた。タンメルがすっと眼をそらす。まだ、ニヤニヤと笑っている。ただし、どこか引きつっていた。
「タンメル、ロアーヌとシグナスが東に行き、メッサーナの軍に入ったらしいのだ。そして、今は将軍となっている」
「フ、フヒヒ。そうですかぁ。で、大将軍は」
「その二人が中心となって、東の砦を奪ったそうだ。砦の指揮官は首も取られている」
 タンメルの笑みが、消えて来た。
「この二人は、お前の部下だ」
「さ、さぁ、どうでしたかな。フヒ。私の部下でしたっけ? あれぇ?」
「何をとぼけている。お前の部下だろう」
「あ、あのぉ、大将軍の件はまたの機会で、ちょっと用事がありまして」
「宰相の私から命令を受けるより、大事な用か?」
「あ、いや、その」
「東の砦を奪い返してこい。出陣は七日後。お前に預ける軍勢は二万。ちょうど、お前の配下の人数だ。メッサーナ軍の砦には五千程度の兵しかおらん。本拠地に一万四千が居るとの事だが、まぁ、全ては出てくるまい。つまり、兵力はお前に分がある」
 私のこの言葉を聞いて、タンメルの顔から生気が消え去った。勝つ自信がない。それがはっきりと分かった。そして私も必ず、何があっても、こいつは負ける、と思っている。
「軍務放棄は死罪。逃亡も死罪。敗戦も内容によっては死罪だ。良いか、お前自身が出向くのだ。部下を行かせるな。ただし、共に行く事は許可する」
「か、金ならあります」
「要らぬな。ロアーヌとシグナスは、ただの若僧なのだろう? ちょっと行ってひねり潰すだけだ」
「金で、金でなんとか」
「要らんと言っている。それと言い忘れたが、お前に監視をつける。逃げ出さないようにな。話は以上だ」
 タンメルは顔を青くさせて、首をしきりに横に振っていた。言葉を時々発しているが、早口で聞き取れなかった。いや、聞き取ろうともしなかった。
「つまみ出せ」
 そう言って、私は眼を閉じた。
 タンメルの呻き声が聞こえた。

       

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