Neetel Inside 文芸新都
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 西の砦に向かって、二万の官軍が進軍中。
 砦に駐屯しているルイスからの伝令だった。ヨハンと、今後の方針について話し合っていた時の出来事である。
 やけに動きが早い。私が最初に思ったのは、これだった。今までの官軍は、何をするにしても腰が重かった。しかし今回は、その重さが微塵も感じられず、むしろ迅速と評すべき早さだった。
 砦が落ちてから、まだ七日も経っていない。それに加え、あの砦は都から見れば遥か東の田舎地方の、ほんの小さな砦に過ぎないのである。それなのに、この動きの早さだった。もしかしたら、国の巨大な権力が動いたのかもしれない。私は、そう思った。
 あの砦は、国にとって重要なものなのだろうか。二万の兵を出してまで、奪い返すほどの価値があるのか。
 砦攻略戦は、見事なものだった。実際に戦を見ていないので、本当の意味での見事さはわからないが、報告書を見る限りでは、まさに見事だと言う他なかった。
 ロアーヌとシグナスの二人が、実によく活躍していた。ロアーヌの遊撃隊は敵本陣を貫き、シグナスはその土台を作った。この二人が居なければ、攻略戦はもっと苦戦していただろう。敵の指揮官を討ったのはシーザーだったが、私はそれよりも、あの二人の力を評価していた。
 砦攻略戦は鮮やかな勝利を収めた。しかし、そこに二万の官軍が迫って来ている。
 あれから矢継ぎ早で伝令が駆けこんできており、官軍二万の詳細な内容も明らかになってきていた。
 敵の指揮官の名は、タンメル。ロアーヌとシグナスの、元上官である。タンメルの軍事能力は皆無で、自身も武器の扱いなどは一切出来ないらしい。要は、軍人である事が不思議な男だ、という事である。そんな男が、砦を攻めようとしている。これは正直、かなり不気味だった。
 戦の勝ち負けではなく、出陣の意図が読めない。私はそう思っていた。軍を動かすには、それなりの金が必要だ。金だけではなく、兵糧なども必要になってくる。そこまでするのだから、何としてでも戦に勝つ、という前提を持って、軍を動かすのが普通だった。しかし、今回の官軍の動きは、戦に勝つ、という気概が感じられない。それは指揮官のタンメルもだが、連れている兵も弱兵や新兵ばかりだというのだ。
 国は富に溢れている。だが、それは今だけの話であって、これからもそうだとは言えない。すでに、源泉は枯れつつあるのだ。それなのに、国は軍を動かした。だが、勝つつもりはない。だからこそ、不気味だった。
 そうは言っても、我々には勝つしか取るべき道はないだろう。負ければ、そこで終わる。今が一番、苦しい時だった。勢力をある程度、拡大させる事ができれば、じっくりと腰を据えるという選択肢もある。しかし、今は、その勢力を拡大している最中なのだ。だから、負けられない。
 しかしそれでも、官軍の、いや、国の意図だけは知っておきたかった。これは不安だとか、心配だというものではなく、単純な好奇心だった。不気味さの中に埋もれている、真の意図。それは、一体なんなのか。
「ヨハン、お前はどう思う?」
 腕を組みながら、私は言った。国が軍を動かす意図。ヨハンなら、わかるかもしれない。
「国を浄化しようとしている。私には、そう思えます」
「浄化?」
 私の中の好奇心が、一回り大きくなった。
「タンメルを使って、腐敗を一挙にどうにかしよう、という腹なのでしょう」
「ふむ?」
 どういう事なのだろうか。ちょっと自分で考えてみたが、答えは出なかった。
「これまで国は平穏でした。そして、少しずつ腐っていった。これは言い換えれば、平穏だからこそ、腐ったとも言えます」
 私は黙って頷いた。
「今の国の実権は、王ではなく、宰相が握っています。そして、国が腐り始めたのは、先々代の宰相辺りからでしょうか」
「そうだな。本格的な腐敗は、その辺りからだ」
「政治は一度、決まってしまうと、それを変更するのは難しい事だと思います。これは、メッサーナを統治しているランス様なら、お分かりだと思いますが。今の宰相もそれは同じで、腐敗を取り除く事に苦労しているのですよ」
「今の宰相はフランツだったか。一度だけ、対面した事がある」
 その時の印象は、底の見えない傑物、とでも言うべきものだった。一言、一言が心の芯を貫いてくる。はっきり言って、私とは合わなかった。
「フランツは国を建て直したい、と考えているわけか」
「はい。ですが、平穏時ではそれは難しいのです」
 確かにそうだった。国を建て直すには、役人を一挙に粛清するだとか、軍を一から再編する、などのような、過激すぎる方法が必要だった。しかし、これを平穏時にやるということは、宰相という役職を、自らドブに捨て去るようなものだ。政敵からの反発が、激しすぎる。
 だが、平穏じゃなければどうなのか。例えば、反乱である。小規模なものでは、力は弱い。しかし、大規模なものではどうなのか。戦時中という緊張感に包まれた状況の中で、果たして腐った役人達がのさばる事が出来るのだろうか。軍は至弱のままで、暢気に構えている事が出来るのだろうか。
「我々を利用する気なのでしょう」
 私が答えを掴みかかっている事に気付いたのか、ヨハンはそれだけ言った。
 私達を利用する。国の意図、いや、フランツの意図は、まさにこれだった。
 反乱を利用して、国を建て直そうとしているのだ。タンメルは使い捨ての駒である。負けて逃げ帰ってくれば、軍律によって処断する。これで、能力の無い軍人は緊張感を持つ。これは戦死でも構わないだろう。要は、タンメルが負ければ良いのだ。タンメルが戦死したら、次の無能な将軍を出せば良い。
 タンメルが負けたら、次にタンメルを将軍に取り計らった役人を洗い出して、処断する。そうすれば、腐った役人達も緊張感を持つ事になる。そして、タンメルが勝ってしまった場合でも、今の国の状態が反乱を招いた、などと言えば、範囲は限られるだろうが、役人や軍の再編も可能だ。
 二重の手だった。タンメルが勝とうが負けようが、フランツの思い通りになる。そして我々は、勝つしかない。そして勝ってしまえば、フランツの策はさらに先に進む。
「フランツめ、やはり傑物か」
「どうでしょうか。まぁ、この考え自体は悪くはないとは思いますが」
 ヨハンが二コリと笑った。
「フランツは、大事な所を見落としています。それは、我々の力ですよ」
「ふむ?」
「今、我らが国に劣っている部分は、兵力と物資です。そしてこれは、勢力を拡大させれば、補えます」
「うむ。人材は我らが圧倒的に上を行っているであろう。しかし、ヨハン。こんな事を言うのもなんだが、私はあまり心配はしていないのだ」
 そう言うと、ヨハンは眼を丸くさせた。私が弱気になっていると思って、元気付けようとしてくれたのだろう。アテが外れた、といった表情だ。
「フランツは傑物だろう。少なくとも、私はそう思う。しかし一人だ。一人でやれる事など、たかが知れている。私自身は凡才だが、私の周りには優秀な人間が多くいるのだ」
「ランス様らしい、と言うべきですか」
 ヨハンが苦笑する。
「そう言うな。お前はフランツの意図を読んだ。この事から、今はフランツに勝っている。私はそう思う。だからではないが、タンメルにも勝とうではないか」
「二万の軍勢ですが」
 ヨハンが言いかけたと同時に、伝令が駆け込んできた。
 砦の五千の兵力で、タンメルを打ち破る。援軍は要らない。伝令がそう言ったのを聞いて、私は声をあげて笑った。ロアーヌとシグナス、それとシーザーの意見だろう。そう思うと、どこか愉快だった。
「四倍の兵力だというのに。まぁ、ルイスが居るから大丈夫でしょうか」
 ヨハンは、溜め息をついていた。
「そう心配するな。勝算があるのだろう。一応、援軍は出す、と伝えてくれ。ヨハンの胃が持ちそうにないからな」
「ランス様は、楽観的すぎます。負ければ、次は無いのですよ」
 その通りだ。そして、負けるつもりもない。私は、部下を信用しているだけだ。それに、上に立つ者がオロオロとしている姿は、どうにも情けない。だから、これで良い。
「まぁ、それが良い所でもありますが」
 伝令が駆け去っていく姿を見ながら、ヨハンは呟いていた。

       

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