Neetel Inside 文芸新都
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 休みの日。俺は家で書物を読み漁っていた。軍学を身に付けるためである。
 剣術がいくら優れていようとも、それは個々の力に過ぎない。二十人程ならば、同時に相手をしても負けない、という気持ちはあるが、その倍の四十人では分からない。さらにその倍の八十人ならば、確実に死ぬ。そして戦は、何百、何千、戦役レベルになると何十万という規模になる。そこでの個々の力など、たかが知れているのだ。だからこそ、軍学である。
 軍学は数々の失敗と成功が礎となって、出来あがったものだ。人の命の集大成と言っても良い。そして、軍学無き者は簡単に死する。これは父の言葉で、俺も同じように思っている。
 父は病で死んだが、俺は父から多くの事を学んだ。剣術もそうだし、国の歴史もそうだ。その中でも俺は、人を見る目を養われた。この国では、実力が無い者が簡単に上に立てる。これはつまり、上に立っているから能力がある、とは言えないという事だ。無論、本当に能力がある者が上に立つ事もある。だが、そういう者達はすぐに地方に飛ばされていた。役職や扶持(給料)はそのままで、発言力や権力をもぎ取られるのである。地方からの声は、いくつもの役人の頭上を越えていかなければならない。つまり、王の耳に届く事は無いのだ。最悪の場合、改変までさせられて冤罪をかけられたりもする。
 まさしく、腐っていた。だがそれでも、稀に腐っていない人間が居る。軍随一の槍の名手、シグナスはその一人だ。シグナスとは同僚であり、良い友人である。このような関係になれたのも、父のおかげだろう。
 戦がしたい。これはシグナスの口癖だった。俺にもこの思いはある。軍人なのだ。当然である。だが、この国のために戦いたくはない。軍人がこのような感情を持つのはいけない事だとは思うが、あまりにも国が腐り過ぎている。
「ロアーヌ様、馬の手入れを終えました」
 従者のランドが部屋に入って来て言った。ランドの体格は貧相で、俺と並んで立つと大人と子供だった。
「わかった」
「夕飯の買出しに行ってきます」
「あぁ」
 ランドは必要最低限の事しか言わない。こういう所が俺は好きだった。シグナスによく言われる事だが、俺はあまり喋らない。何でもかんでも言葉にするというのは、どうも好きではないのだ。そして、他人にもそれを望んでしまう。
 書物を読み終えた。学ぶという事は不思議なもので、知識として頭の中に取り込むと、すぐに実践したくなる。しかし、軍学だった。それに加えて身分は小隊長だ。せいぜいやれても、百名前後の局地戦ぐらいだろう。
「つまらない、か」
 独り言だった。シグナスはこの所、つまらない、つまらない、とうるさい。しかし、気持ちはよく分かった。そんな自分に苦笑する。
 庭に出た。日の光がまだ高い。夏である。蝉の大合唱の中、俺は木剣を取った。剣の修練を積むのだ。
 この木剣は俺専用のもので、先端に鉛を取りつけていた。これは本物の鉄剣よりも重く、扱いが難しい。だが、これで調練を積んだ後に本物の剣を持つと、これが嘘のように軽く感じるのだ。そして、自在に扱える。普通の木剣で調練を積み、次に鉄剣、という順序を踏むと、逆に四苦八苦する。俺の部隊は、無論の事ながらに鉛付きの木剣で調練を行っている。他の部隊は、普通の木剣だ。
 真面目に調練を行っているのは、俺とシグナスの部隊ぐらいだろう。他の将軍の部隊は知らないが、少なくとも俺の上司となる、タンメル将軍配下の部隊はそうだ。
 タンメルはでっぷりとした肥満体で、糸のように細い目が異様に卑しかった。考えなくても分かる事だが、賄賂で将軍にあがった男である。武器の扱いなど、出来るはずもなかった。そんな男が将軍にあがっていて、顎で指図をしてくる。最悪の場合、賄賂まで請求してくるのだ。それが、今のこの国の現状だった。
 汗で上半身が濡れていた。上着を脱ぐ。日に焼け、肌は茶色に染まっていた。筋骨隆々の肉体。こんな所で俺は埋もれてしまって良いのか。そう思いながら、俺は剣を振った。この剣術は、何のために磨くのだ。俺は何もない男だ。何のために生きているのかさえもわからない男だ。
 剣を振り続けた。俺は軍人なのだ。軍人は命令に従うだけだ。何故、戦うのか。どういう敵を相手にするのか。それは上の人間が考える事で、軍人が考えるべき事ではない。
 息があがっていた。肩が上下する。いつもより、多く剣を振った。そう思った。それだけ、苛まれる思いがあったと言う事なのか。思いを紛らわせるために、剣を振った。そんな思いもある。
「東、メッサーナか」
 反乱の噂が立っている地方である。ここ、都のシュライクから見れば、遥か東の田舎地方だった。しかしそれでも、反乱の噂が流れている。正直な所、かなり気になっている。何か行動を起こして、どうこうしたい、という事ではなく、どういう人間が集まっているのか。そして、どういう人間が上に立っているのか。これが気になる。
 だが、何も出来なかった。小隊長なのだ。将軍にでもなれば、自分の手の者、つまり間者(スパイ)を抱える事も出来る。そして、その間者を使って、東を探らせる事が出来る。だが、俺は小隊長だった。
 いっその事、軍を捨ててやろう、と思う時もあった。それは酒を飲んでいる時で、酒を飲むと、どうでも良い、という気分になってくる。軍を捨てて、都を出る。そして、東に行って俺の力を買ってもらう。思う存分に暴れまわって、官軍(正規軍)を蹴散らしてやるのだ。酒の中で、俺はこんな妄想を思い描く。
「まだまだ俺もガキだな。絵空事に心が躍るとは」
 生活がある。それに東の反乱の話は、あくまで噂に過ぎない。ひょっとしたら、国が異心を持っている者をあぶり出すために流した噂かもしれないのだ。もしそうだとして行動を起こせば、軍人ではなく囚人になってしまう。
「ロアーヌ様、戻りました」
 ランドの声だった。玄関からである。
「こちらでしたか」
 庭に顔を向けたランドが、一礼した。
「ランド、飯は後で良い。湯をわかしてくれないか。身体を洗いたい」
「はい」
 それだけ言って、ランドは風呂へと足を運んで行った。
 今日は一段と汗をかいた。この後、風呂に入って飯を食う。寝て起きれば、仕事だ。何の思いも無い、仕事だ。
 眠る前に、酒を飲もう。そう思った。あの妄想を思い描きたい。そうすれば、現実になるかもしれない。そう考えると、俺は酒が楽しみになった。

       

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