Neetel Inside 文芸新都
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 シグナスが、シーザーに稽古をつけていた。
「四回は死んでるぜ、シーザー」
 ひとしきり打ち合った後、シグナスが槍を持ち直しながら言った。かなり激しい攻防戦だと思えたが、シグナスはほとんど息を乱していない。一方のシーザーは、額に汗を浮かばせて荒い呼吸を繰り返していた。病み上がりで体力が落ちているのだろう。攻め方も、どこか鈍重だった。
 シーザーは砦防衛戦で、重傷を負っていた。槍でわき腹を突かれたのである。俺は今までにわき腹を負傷した者を何人も見てきたが、そのほとんどが死んでしまっていた。シーザーが命を繋ぎ止めたのは、運が良かったと言う他ないだろう。
 シーザーを負かした敵は、たかが一兵卒だという話だった。体格も小柄だったという。その敵に負けた。これは、シーザーの誇りを粉々に打ち砕いたはずだ。シーザーは普段から荒々しい男だが、その荒々しさは誇りと自信の裏返しだったのだ。
 案の定、シーザーは病床で意気消沈していた。それは本当に生気が抜けているといった感じで、普段の荒々しさは完全に消えていた。それを、シグナスが元気付けた。どういう方法を取ったのかは分からないが、シグナスは人を勇気付けたり、背中を押すといった事が上手い。今回のシーザーも、それで立ち直ったようなものだった。
 そして、稽古だった。シーザーは自分の弱さ、というより、欠点を認めたのである。守りが脆い。攻めばかりで、守りを知らない。この欠点を、克服しようと考えたのだ。そこで師として、シグナスが選ばれた。
 俺はそのシグナスに付き合わされているといった恰好で、稽古はほとんど見ているだけだった。
「四回も死んでるのかよ、冗談じゃねぇよな?」
 肩で息をしながら、シーザーが言った。手の甲で額の汗をぬぐっている。
「当たり前だろ。お前が病み上がりでなければ、実際にこの棒で打ってやってる所だ」
 シグナスは槍の代わりに木の棒を持っていた。その昔、使っていたのは槍ではなく、棒だったという話を聞いた事がある。
「何が悪いのかさっぱり分からねぇ。絶えず攻撃はしているつもりなんだがな」
「それが駄目なんだよ。攻防は一体だ。攻めだけで勝てるのは、せいぜい相手の腕が中の中ぐらいまでだな。これ以上の腕の持ち主となると、勝つのは難しい。ましてや達人レベルになれば、お前は死ぬぜ」
「攻撃は最大の防御だろうが」
「それは一理ある。だが、相手の攻撃を利用して反撃する事も出来る。カウンターって技術なんだが。お前はこのカウンターで四回、死んでる」
 シグナスがそう言うと、シーザーは舌打ちした。
「ロアーヌ、お前は見ていてどうだった。何回、シーザーを殺せた?」
 シグナスがこちらに顔を向けて言ってきた。
「三回だな」
 シグナスより一回少ない。これは武器の取り回し易さと、射程の差である。シーザーの武器は偃月刀を模した木剣で、射程は槍とそう変わらない。剣だと、槍の二分の一程度の射程になるのだ。その代わりに、剣は取り回しが楽だ。それに加えて、武器には相性があった。相性で言えば、槍と偃月刀は悪くない。
「どうすりゃ良い?」
「稽古の時だけ、防御だけをするようにしてみろよ。俺はお前にとって、避けにくい所、受けにくい所をその都度、打ってやる」
「攻められねぇじゃねぇか」
「欠点を克服するんだろ?」
「まぁ、そうだが。しかし、お前、そんな偉そうな事を言うほど、強いのかよ」
 シーザーが吐き捨てるように言ったのを聞いて、俺は苦笑した。相当、鬱憤が溜まっているのだろう。稽古を開始してから、シグナスにはシーザーの攻撃が一撃も当っていない。そればかりでなく、シグナスは息も乱していないのだ。攻めが大好きなシーザーにとって、これほど腹立たしい事は無いのかもしれない。
「お前が病み上がりじゃなきゃ、実際に打ってやれるんだが」
「ロアーヌとお前の勝負を見せろ」
 シーザーが不意に言った。それを聞いて、俺は心臓の鼓動が少しだけ跳ね上がった。
「剣のロアーヌと槍のシグナス。共に都で音を鳴らしてたんだろう。あいにく俺は病み上がりで、体力もがっくりと落ちてる。だからじゃないが、強者同士の勝負を見て学びてぇ」
 少しだけ、場を静寂が支配した。風の音が、耳の中で渦巻く。
 風が止んだ。
「俺は別に良いがな」
 そう言って、シグナスは俺の方を見て来た。
 剣と槍で立ち合う。これは、八年ぶりだった。十六歳の時以来である。あの時のシグナスは、不良どもを束ねるやんちゃ坊主で、俺は官軍に属して一年目の兵卒だった。
 剣と剣。槍と槍。こういった形で立ち合う事は何度もやってきた。だが、互いに得手とする武器で立ち合うのは、十六歳の時が最後の事だった。お互いに、立ち合う事を避けていたという気がする。俺にとってシグナスは、最も立ち合いたい相手であり、最も立ち合いたくない相手だった。
「俺も構わん」
 俺は、そう言っていた。
 今までは切っ掛けがなかった。どちらが言い出すわけでもなかった。お互いに同志であり、親友だった。そこに強さは関係無かったのだ。だが、親友だからこそ、お互いの強さを確認したい。
「なら、頼むわ。こいつは良い勉強になりそうだぜ」
 シーザーは何の事もないかのように言った。まぁ、当然だろう。端から見れば、俺とシグナスは今までに何度も立ち合いをしていたように見えるはずだ。
 俺は腰元に手を伸ばし、木剣を鞘から抜いた。そして、歩き出す。
「剣と槍、か」
 シグナスはそう言いつつ、木の棒を構えた。だがそれは、もう槍にしか見えなかった。それほど、気が充溢している。
「ガキの頃は自分を無敵だと思ってた。だが、お前には勝てなかった」
 それは俺も同じだ。言葉には、しなかった。
「やろうぜ、ロアーヌ」
 シグナスのこの言葉に、俺は黙って頷いた。木剣を構える。気を放った。シグナスの槍と、ぶつかる。
 もう、シグナスしか見えなくなった。シグナス以外の全ては、蚊帳の外である。これは、シグナスも同じだろう。
 動かなかった。気と気がぶつかり合い、互いに攻撃の瞬間を掴み取ろうとしている。頬を、一筋の汗が流れた。それはそのまま顎へと伝い、やがて雫となって地面に落ちた。
 気が、限界まで高まった。
 閃光。シグナスと俺の位置が、入れ換わっていた。息が乱れている。剣をグッと握り締めた。槍。飛んできた。身をよじる。反撃。そう思った瞬間、鋭い刃が横を突き抜けた。シグナスの気だった。気を、槍へと変えて突き出してきたのだ。
 右足を前に出す。そして同時に、気を放った。下から抉るように放った俺の気に、シグナスは僅かに上体を反らした。剣。振り下ろす。槍の柄で受けられた。その柄が、腹に向けて飛んでくる。鞘で受けた。左手が、僅かに痺れた。
 気と剣と槍が、何度もぶつかり合った。互いが互いに僅かな隙を探り、その隙を幾度となく突いていく。だが、そのどれもが有効打とはならなかった。反撃が、反撃でなくなる。攻撃が防御となり、防御は反撃となる。
 八年前の勝負とは、全く異質なものだった。あの時には、どこか若さがあった。少年独特の青さと言っても良い。自分が行けると思った所に、ただがむしゃらに剣を打ち込んでいたのだ。だが、今はそれが出来ない。いや、シグナスがそれをさせないのだ。むしろ、呼び込もうとしている。呼び込んで、首を取ろうとしている。
 全てが読み合いだった。気を放つ瞬間、剣と槍のぶつかる場所、反撃の機会。全てが読み合いの、命のやり取りだ。
 閃光。また、シグナスと俺の位置が入れ換わった。
 肩が上下していた。汗が幾筋も頬を伝い、顎から滴り落ちて行く。
 強い。この男は、間違い無く強い。この天下で、最強の槍使いだ。俺は、この男に勝てるのか。首を取れるのか。
 気が高まっていく。次の閃光で、殺す。
「やめろ」
 何かが弾けた。そして、目の前が真っ白になった。そう思ったら、視界はすぐに元に戻った。
 声がした方向に顔を向ける。ランスだった。俺とシグナスの周囲は、いつのまにか兵達で一杯になっている。
「味方同士で殺し合いをしてどうするのだ。私は武術の事はよく分からないが、ただならぬ空気だったぞ、二人とも」
 俺は大きく息をついた。
 ランスの言う通りだった。俺は、シグナスを殺そうと思った。そう思わせる程の、腕の持ち主だった。おそらく、シグナスも同じ事を思っただろう。
「恐れ入ったぜ。格が違うってのは、まさにこの事か」
 シーザーのこの言葉を聞いて、俺はシグナスの顔を見た。さっきまで殺そうと思った男だ。どこか、心に後ろめたさがある。
「俺とお前は親友だぜ、ロアーヌ」
 シグナスはそう言って、二コリと笑った。
「当たり前だ」
 言いつつ、俺は木剣を鞘に収めた。シグナスの槍は、すでに木の棒に戻っていた。

       

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