Neetel Inside 文芸新都
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 将軍の居室で、俺とシグナスは立たされていた。これから叱責が始まるのだ。
 新兵の調練中の出来事だった。シグナスが新兵の一人を殴り殺そうとしたのである。俺は慌てて止めに入ったが、シグナスの目は怒りで血走っていた。
 怒りの理由は賄賂だった。調練が厳しすぎる。金をやるから、自分には甘くしろ。新兵はそう言ったのである。まず、シグナスは新兵を怒鳴った。そして、賄賂の卑劣さを語った。だが、新兵は賄賂の金額を増して、これで、どうだ。と言った。これが不味かった。シグナスは完全に怒り、新兵を殴り殺そうとしだしたのだ。
 俺がシグナスを羽交い締めにして、怒りをなだめている間に、大隊長を呼ばれた。周りの新兵が呼んだのだ。そして、事情を説明された。賄賂の事も話された。
 そして、タンメル将軍の居室である。タンメルは賄賂で成り上がった将軍だ。叱責で済むなら良いが、降格もあり得る。最悪の場合は、軍から追放されるだろう。しかし、最も有り得るのはそのどれでもなく、賄賂の請求だった。
 しばらくして、タンメルが部屋に入って来た。相変わらずの肥満体である。具足が重いのか、すでに息があがっていた。
「ほう、シグナスとはお前のことかぁ」
 喘ぐようにタンメルが言った。頬が脂ぎっている。
「将軍の中で私は、名前と顔も一致しませんか」
 シグナスが厳しい口調で言った。やめろ。俺は眼で言った。下手に物を言えば、本当に軍を追放される。だがシグナスは、タンメルの細い目を睨みつけたままだ。
「反抗的な奴だな。なんだお前は」
「私は物事の道理を説いただけです。間違った事をしたとは思っておりません。軍は強くなければなりません。軍は兵です。兵を鍛えるという事は、軍を鍛える事と同義です。将軍はそれを間違っていると」
「うるさい。喋るな。暑苦しいわ。私はそんな事はどうでも良いんだ、シグナス」
 手で顔を仰ぎながら、タンメルは言った。シグナスが口をつぐんでいる。
「軍を追放されたくないだろ?」
 糸のように細い目を、タンメルは光らせた。卑しい光だ。
「私は間違った事をしたとは思っておりません」
「それは二の次だ。いや、お前の心得次第で、間違った事ではなくなるな」
「シグナス」
 思わず名を呼んでいた。シグナスが殺気を放っていたのだ。タンメルは露骨に賄賂を請求してきている。金を出せば、今回の件は不問にしてやる、と言っているのだ。この態度に、シグナスの腹は煮えたぎっているのだろう。だが、ここは何としてでも抑えておくべきだ。
「よく考えろ」
 これが今言える限界だった。
「さすがにロアーヌは分かっておるな」
 タンメルには良いように聞こえたらしい。舌打ちしたい気分だが、抑えた。
 その時、不意にタンメルの細い目が光った。卑しい光。
「だが、ロアーヌ。お前も新兵を殴り殺そうとした、という事を聞いておるのだが?」
 この男。
「何を言われます、将軍」
「シグナス、お前は黙っておれ。これはロアーヌの話だ。お前はお前で考えないといけない事があるだろ?」
「しかし」
「ロアーヌ、軍を追放されたくないよな?」
 ニヤリと、粘っこい笑みをタンメルが浮かべて来た。正視に耐えず、俺は視線をそらした。
 拳を握り締めた。どこまで腐っているのだ。こんな男が、将軍なのか。そして俺とシグナスは、この男の下で働いている。腐りきっている。こんな軍で、こんな国で働く事に意味があるのか。野に帰り、畑を耕し、生計を立てる。そんな暮らしの方がまだマシではないのか。だが、その実りも国に絞り取られる。こんな男に、絞り取られる。
「どうなんだ? ん?」
 だが、俺は軍人だ。そして俺は、軍人しか出来ない男だ。
「将軍、後日に届け物を致します」
 言っていた。しかし、情けなさは無かった。何故なら、俺の中で一つの決意が芽生えたからだ。いつか、この国をぶち壊す。確かに俺は軍人だ。だが、人間でもあり、男でもある。男なら、自分の信念に従うべきだ。
 メッサーナ反乱の噂を、もっと調べてみる。真偽を確かめるのだ。真ならば、軍を抜けてメッサーナに亡命する。偽ならば、独自の方法で国をぶち壊してやる。それが出来ずとも、タンメルだけは殺す。俺には莫大な金も権力も無い。だがそれでも、これは俺の中で燃え上がる炎のように出来た思いだった。
「ロアーヌ、貴様」
 シグナスが睨みつけてくる。それを俺は睨み返した。思いを込めて、睨み返した。これで伝わるはずだ。シグナスは、心の機微をよく読み取る。あとは、シグナス自身がどう動くかだけだ。
「さすがにロアーヌだのう。よく分かってるな。フヒヒヒ」
 もう、タンメルの方は見なかった。あとはシグナス。お前がどう動くかだ。
「私も」
 シグナス。声が震えていた。
「私も、後日、と、届け物を致します」
 俺は目を閉じていた。泣いている。悔しさで、シグナスは泣いている。清廉潔白で、実直で、純粋な男だ。賄賂など、縁がない男だ。こんな男が、損をする。痛い目を見る。そして、タンメルのような腐った人間が得をする。ふざけた世の中だ。だが、俺もシグナスも、そんな世の中で生きていかなければならない。
「フヒヒヒ。そうかぁ。そうだよなぁ。フヒ」
 タンメルが立ち上がった。満面の笑みを顔に浮かべている。糸のように細い目が卑しい。
「じゃぁ、もうお前達に用は無いぞ。ほれ、出ていけ」
 タンメルが虫を追い払うように手を振った。
 一度だけ、息を吐いた。軽く頭を下げる。そして、シグナスの背に手を置き、一緒に退出した。
 まだ、シグナスは涙を流していた。

       

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