Neetel Inside 文芸新都
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 分銅が飛んできた。首を横に倒し、それをかわす。サウスの武器、鎖鎌である。
 サウスは飛ばした分銅を手繰り寄せ、再び頭上でビュンビュンと振り回し始めた。
 やられた。今、俺の頭の中にはこれだけが浮かんでいた。完全にやられた。集団戦、個人戦共に、サウスにやられた。
 どうするか。まずはこの敵中から脱するべきだが、脱した先に活路はあるのか。右翼、左翼がサウス軍に取り囲まれているのだ。まずは、これをどうにかするべきだ。だから、最初に兵の指揮を。
 違う。そんな暇はない。俺自身が脱出するのが先だ。そして、俺の百名の麾下。だが、脱出した先に活路が。
「くそっ」
 右腕を振り下ろす。感覚がなかった。それ所か、鉛のように重く感じている。これではサウスの言う通り、右腕は本当に使い物にならないだろう。舌打ちしながら、剣を左手に持ち替えた。
 瞬間、サウスの分銅。剣で弾く。微かに痺れが全身を包み込んだ。
「ロアーヌ将軍」
 百名の麾下が、迷っている。突き進んで敵中から脱するか、俺を救うために戻るか。俺の指示を待っている。
 麾下を呼び戻してしまえば、全員で討ち死にしてしまうかもしれない。だが、俺一人で、しかも左腕一本で、サウスと渡り合えるのか。それに敵はサウスだけではない。
 思考中、敵の剣が左から振り下ろされてきた。刃の腹で受ける。火花。間髪入れず、敵の胸を貫く。
 せめて、右腕が動けば。右腕さえ動けば、この程度の危機など、何程のものでもないはずだ。
「くそっ」
 その刹那、分銅。さらに右から槍。
 敵の同時攻撃。右腕。違う、左腕しか使えない。
 吼えた。すると、身体が瞬間的に反応した。槍が具足を削り、分銅が頬を掠める。
「やるではないか」
 サウスがニヤリと笑い、再び頭上で分銅を振り回し始めた。
 指示を出せ。兵は俺の指示を待っている。逡巡するな。そして、自分の命を惜しむな。
「先に行け、お前達」
 叫んだ。
「最後尾は俺が引き受ける。俺はいつ、どんな時でも殿(しんがり)だ。さぁ、行けっ」
「しかし」
「命令だ、行けぇっ」
 俺が叫ぶと、麾下達が弾かれたように喊声をあげた。百名が、真っ直ぐに駆け抜ける。サウスの旗本が懸命に遮ろうとしているが、麾下百名は一本の矢のようにそれを貫き、突き破っていく。俺はその最後尾に付き、次々と覆いかぶさって来る敵を剣で斬り続けた。だが、一太刀で殺せない。途中で刃が止まってしまうのだ。左腕では、思うように剣が振り切れない。
「鍛練が足りなかった。剣のロアーヌと謳われ、どこかで慢心していたか」
 声に出していた。
 敵。剣を振る。だが、止められた。そこに分銅。不意打ちだった。駄目だ。避けきれない。
 その刹那、何かが俺の前に出てきた。騎兵。そう思った瞬間、グチャリ、という嫌な音がした。
「馬鹿な」
 麾下の一人が、俺の身代りになっていた。頭蓋を割られている。さらに身体に槍が突き立っていた。言うまでもない。即死である。
「何をやっている」
 戸惑う俺に、次々に敵が襲いかかって来る。さらにサウスの鎖鎌。
 麾下が俺の周囲を囲んだ。
「何を」
「将軍が死ねば、我らも死にます。将軍の命は、我らの命です」
「やめろ」
「敵陣から抜け出ます」
 そう言った麾下に俺は両脇を支えられ、共に敵陣を駆け抜けた。その間、俺を守る兵が次々に脱落していく。そして、脱落する度に、新しい兵がすぐに補助にやってきた。
 敵陣を抜けた。その瞬間、自分でも嫌になるほど冷静になるのが分かった。麾下は三十名しか残っていなかった。つまり、七十名が死んだのだ。しかも、俺のためにだ。
 唇を噛んだ。だが、悔やんでいる暇などない。そう思った俺は、すぐに取り囲まれている右翼・左翼に指示を出した。旗本はここに居る。ここに向けて、敵陣を貫きながら懸命に駆けて来い。そういう指示を出した。
 その間、サウス軍は陣を整え、攻勢の構えを取ろうとしていた。
 軍は生き物だ。指揮官の心情によって、その動きは大きく変わる。サウス軍の兵達は、明らかに血気逸っていた。対する俺の軍は、この情況をどう切り抜けるのか、という事で切羽詰まっている。
 このままでは負ける。そして、まともにぶつかるのは下策だ。というより、戦闘続行が下策だ。
 目を閉じる。戦闘続行は下策。ならば、取る道はただ一つしかない。
 目を開いた。
「退却っ。逃げるぞ、退却っ」
 旗を振らせた。そして、馬首を返す。
「もう、誰一人として死ぬな、退却っ」
 俺の軍が、一斉に反転して駆け出す。すぐに、サウス軍も追撃に入って来た。
 逃げ切れるか。そして、ヨハンと攻城部隊の五百。どこかで戦は見ていたはずだ。だから、もう逃げている。いや、逃げていてくれ。
 ひとしきり、駆け続けた。背後から矢の追撃を何度もかけられたが、幸い犠牲者は出さずに済んでいた。だが、何人かの兵は負傷している。
 不意に、前方から土煙が見えた。馬蹄と喊声も聞こえてくる。
「シーザー軍」
 獅子の旗が見えた。シーザーの旗印である。
 それを見止めたサウス軍は、一斉に反転して駆け去った。追撃を諦めたのだ。だが、その駆け去り方は、まさに勝者の軍だった。
「何が、虎縞模様の具足だ。何が、スズメバチだ。何が、剣のロアーヌだ」
 呟く。シーザーが駆けてくるのが見えた。
 まだ、右腕は痺れたままだった。

       

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