Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。抱くは大志
第七章 結束

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 雪が積もっていた。ピドナは原野に囲まれた城郭都市だから、雪に悩まされる事はほとんどない。だが、ランスの居るメッサーナはそうではないだろう。メッサーナの周囲は山岳で、冬の寒さは並ではないのだ。雪も人の背丈ほどは積もるし、雪崩などの自然災害も少なくない。
 ピドナがメッサーナ領となってから、三週間が経過していた。俺は部下の槍兵隊と共に、ピドナ防備の任についている。内政はヨハンとルイスがやっていて、こちらの方はいくらか安定してきていた。
 ピドナは賑やかな町だった。メッサーナも賑やかなのだが、やはり辺境である。ピドナとは民の数が違うし、何より交易が少なかった。ピドナは都を中心に交易が盛んで、東地方では最大規模を誇る町である。
 そのせいか、ピドナは物が豊富だった。肉一つを取っても、猪や羊、牛や兎と何種類もあるのだ。メッサーナは、羊を牧場で養っているから、羊肉が多い。それに野菜も、寒さに強いものが中心だった。
 食べ物もそうなのだが、ピドナには綺麗な女が多く居た。というより、着飾り方を知っている。メッサーナの女は良く言えば純朴、悪く言えば田舎娘ばかりだった。ロアーヌは女などには興味はないのだろうが、俺はどちらかと言うと好色である。だから、俺はメッサーナよりもピドナの方が好きだった。まだ駐屯を始めて三週間しか経っていないが、この賑やかな雰囲気はどこか馴染みやすい。それに女の愛想も良かった。
 この所、ロアーヌは塞ぎ込んでいた。あいつはそれを表面には出していないし、周囲の人間も気付いていないが、俺には分かった。たぶん、サウスに負けた事が関係している。俺は現場を見ていないので詳しい事は知らないが、結果は大敗という話だった。
 励ましてやりたい。俺はそう思ったが、ロアーヌは気難しい男である。プライドも高いし、他人に心配してもらう、という事を、恥だと思っている節もある。だから、方法は選ばなければならない。もちろん、あいつの部下達はこの事を知っている。なんだかんだで、あいつは部下に慕われているのだ。
 サウス戦について、詳しい事を知りたいと思ったが、本人に聞いても話したがらないのは明白だった。だから、俺はロアーヌの部下達から色々と話を聞いた。
 旗本を半数以上、死なせていた。しかも、ロアーヌの不注意が原因である。
 サウスの首を取るため、あいつは軍の指揮を放棄してまで敵本陣に向けて突き進んだ。深追いに気付いた時には、利き腕の自由を奪われ、軍は半壊状態だったという。
 難しい問題だった。どう励ましてやれば良いのか。おそらく、あいつは自分が原因だったという事を知っている。それに、次にどうすれば良いのかも考えただろう。後は、気持ちの切り替えだった。自分のせいで、部下を死なせた。この思いが、あいつを縛っているのかもしれない。
「ウィル、お前は落ち込んだらどうする?」
 降り積もった雪を踏みしめながら、俺は口を開いた。ウィルは俺の副官である。ウィルには慎重すぎるという欠点があるが、同時に、これは、と思うような粘り強さも持っていた。
「さぁ、どうでしょうか。私は落ち込む時は、ガックリと落ち込みますから」
「ギリギリまで耐えるのか?」
「耐える、という表現は違うと思います。待っていれば、どこかで転機が回って来る。そう考えているだけです」
「なるほどな。そりゃ、粘り強くもなるか」
「? しかし、珍しいですね。シグナス将軍も、落ち込む事があるのですか」
「残念だったな、俺じゃない」
 俺とウィルが歩いている所は、食物を中心に扱っている市だった。このまま奥へと行くと酒が売ってあり、この酒がまた美味い。俺は、これを買うつもりだった。
「ロアーヌ将軍ですか?」
「まぁな。とりあえず、酒でも買っていって一緒に飲もうかと思ってるんだが」
「シグナス将軍のそういう所が凄い。私はロアーヌ将軍を目の前にすると、何を喋って良いのか分からなくなります。うかつな事を言うと、首を斬られそうで」
「お前のそういう所が駄目だ。まずはやってみる。戦も同じだぞ。だが、やる前に色々と考えるのだ。そして、これだ、と思ったら、後は何も考えずにそれをやれば良い」
「はぁ」
「いや、悪かった。俺はお前にそういう所を求めてはいないのだ。慎重だというのも長所の一つだしな。要は、考え過ぎるなって事だ」
 ロアーヌについて相談しようかと思ったのに、いつの間にか逆に俺がウィルを励ます事になっている。それに気付いて、俺は思わず苦笑した。
「私はシグナス将軍が羨ましいですよ。指揮は果敢だし、兵達はみんなシグナス将軍を好いています」
「俺は特別な事は何もしてないんだがな」
「やってます。苦しい事は率先してやるし、兵が危機に晒されたら出来る限り手を差し伸べます。私には真似できません」
「お前はそういう事をやる必要がないだけだ。そういうのは俺がやる。お前は、俺にない部分をたくさん持ってるんだぜ。せっかちな俺と違って落ち着いているし、戦の情況もよく見れてる。だから、気落ちするな。人には役割ってもんがある」
「はい」
 ウィルが二コリと笑った。
「さてと。俺は酒を買って、ロアーヌを励ましてやるとするか。ウィル、お前はどうする?」
「私はピドナの活気を見に来ましたので、しばらくは市を周ってみようと思います」
「田舎者だなぁ、お前」
「私は将軍と違って、この国の町はメッサーナしか知らないのです。だから、こういう賑やかな都会は歩いているだけで楽しいのですよ」
「ピドナが都会だぁ? お前、都に行ったら腰を抜かすぞ」
 俺がそう言うと、ウィルは笑った。
「今度、連れて行ってください」
 そんなウィルに対して、俺は苦笑した。どこか、人懐こい。都ではあまり見ない人種だった。
 それから俺はウィルと別れて、酒屋を目指した。この酒屋は華やかな通りから少し外れた所にあって、ぱっと見は汚いボロ家である。だが、何とも言えない甘美な香りが家の中から漏れていて、俺はその匂いを頼りにして道を辿っていた。
「まるで犬だな」
 苦笑する。だが、その香りに違わぬ美味い酒なのだ。
 酒屋に着いた。相変わらず、汚いボロ家である。方々でガタが来ていて、雪の重みで家が潰れないか心配だ。
 玄関の引き戸を開ける。
「親父、居るか」
 声を上げた。返事がない。その代わりに、小走りでこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「すみません、父は裏の方に行っていて」
 若い女だった。くっきりとした鼻梁。穏やそうな目。俺は、何故かそれに吸い込まれそうになった。美しい女である。適度に着飾って、適度に純朴だ。年齢は二十代前半といった所だろう。
「そうか」
 それしか言う事がなくなった。というより、言葉が出なかった。
「名は?」
 妙な沈黙をかき消すかのように、俺は口を開いた。
「父の、ですか?」
「あ、いや、すまん。君のだ」
「私はサラと言います」
「良い名だ。父と言ったな。君はこの酒屋の主人の娘か、サラ?」
「はい。えっと」
「シグナス」
「槍の?」
「さぁな」
 言って、俺は笑った。軍人だという事を明かす必要はない。それに、戦を嫌う女も少なくないのだ。ここまで考えて、俺はこの女に嫌われたくないのだ、と思った。
「酒を買おうかと思ってな」
「はい。ありがとうございます」
 サラが、二コリと笑った。俺は、また吸い込まれそうになった。これがまた心地よい。
「あの棚の上の酒にしてくれ。友人と飲むから、大き目の瓶で頼む」
 俺が指差すと、サラは笑顔のまま返事をして、酒瓶を持ってきた。持ってくるまでの仕草も上品で、俺は思わずサラに見入っていた。
「サラ、君はもう結婚しているのか?」
 勘定を渡しながら、俺はサラに尋ねた。自然に聞いたつもりだったが、どこか声がうわずっている。それに、言った後で唐突かもしれない、とも思った。俺は女に対してはそんなに緊張しないタチなのだが、今回はどこか勝手が違うようだ。そんな自分に、戸惑いも覚えた。
「いいえ。シグナスさんは?」
「俺は花嫁募集中ってとこだ」
「あら、良い人が見つかるといいですね」
「君にもな。じゃ、ありがとう。また来るよ」
 そう言って、俺は酒屋を出た。
 惚れたか。俺はそう思った。長らく、女に惚れるという事は無かったという気がする。美しい、抱きたい。そういう思いはずっと持ち続けたが、共に過ごしてみたい、と思ったのは久しい。
「まぁ、まずはロアーヌだ」
 自然と、俺の顔は綻んでいた。

       

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