Neetel Inside 文芸新都
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 シグナスが妻を娶った。真夏の日の出来事である。
 相手は酒屋の娘で、切っ掛けはシグナスの一目惚れだったらしい。確かに美しい女ではあったが、俺には数多く居る女の一人という風にしか見えなかった。もっとも、俺は女に対して心を動かしたという事はない。そして、これからもそれは変わらないだろう。
 今、俺という人間は、いつ死んでもおかしくない場所に身を置いている。こういう時には、自分という存在以外の大事なものなど作らない事だ。例外として言えるのは、戦友ぐらいなものだろう。
 だが、シグナスの考えは違っていた。大事なものがあるからこそ、戦える。生きたいと思える。あいつはそう言っていた。そして、シグナスは妻という大事なものを手に入れた。これからまた時が経てば、子を成す事もあるだろう。そうなれば、あいつはまた強くなるのか。
 人間の種類が違う。俺は、シグナスと自分を比べて、常々そう思う。だが、それは嫌ではなかった。むしろ、良いと言っていいだろう。俺の足りない部分を、シグナスが補っているのだ。おそらく、その逆もある。だからではないが、こういう関係は、実に心地良い。
 ピドナは、再び戦の匂いを立ちのぼらせていた。前線に、南方の雄のサウスがやって来たのである。詳しい内部情報は分からないが、フランツの手の者も一緒に来ているという情報も入っていた。
 南方の雄、サウス。この名を聞く度に、俺はあの敗戦を思い出してしまう。初めて負けた相手。これが、大きいのかもしれない。
 もし、一騎討ちだったら。そう思う時もあったが、無意味な事だった。戦なのだ。一人で戦って、一人で勝つという事は有り得ない。軍という、一つにまとまった集団同士でぶつかり合い、雌雄を決する。これが、戦だ。一騎討ちは、その戦の中のほんの一つの要素に過ぎない。
 次こそは。俺はそう思っていた。戦で、次こそ勝つ。だが、俺一人では無理だろう。シグナス、いや、シグナスだけではない。シーザーやヨハンらと力を合わせて、俺はサウスに勝ってみせる。
 俺はピドナの郊外で、遊撃隊の調練を行っていた。今回は模擬戦で、相手は獅子軍のシーザーである。シーザーの騎馬隊は、相手を圧し潰す事を得意とした騎馬隊だ。数は八千で、俺の騎馬隊は千五百だから、兵力で言えば実に五倍以上の相手という事になる。だが、俺は負けるとは思わなかった。むしろ、勝つ。それだけの調練を、俺は兵に課してきたのだ。
 虎縞模様の具足。スズメバチと評された俺の遊撃隊。サウスに負けて、これはただの皮肉となった。だから、今度はその皮肉を自信へと変えなければならない。これは俺の中での、一つのけじめだ。
 ピドナの郊外は広大な原野である。両軍は、そこに陣を敷いて向かい合っていた。ギラギラとした陽の光を、具足が照り返している。
「相手は獅子軍のシーザーだ。数は八千。これは調練だが、各々、実戦のつもりでやれ」
 俺の言葉に、兵達が低い声で返事をした。
「良いか、一兵たりとも脱落するな。それでいて、シーザー軍を壊滅させる」
 シーザーは甘い相手ではない。むしろ、手強いと言っても良いだろう。並の官軍如きなら、轢き殺し戦法一発で片を付ける力も持っている。もっとも、その轢き殺しをするための地ならしを歩兵がやらなければならないが、とにかく攻撃力だけを見るならば、シーザー軍は圧倒的なものを持っているのだ。
「こちらは千五百だ。だが、それを不利とは思うな。俺達はスズメバチだ。間断なく、攻め続ける」
 サウスに負けてから調練を重ね、今では最大で十五隊まで小隊を作れるようになっていた。これは常に十五隊というわけではなく、戦の状況に合わせて十隊になったり五隊になったりする。すなわち、変幻自在の動きが出来るのだ。大きな指示は俺が出さなくてはならないが、細かい指示なら小隊長も出せる。だから、軍としての隙は極端に小さくなったと言っていいだろう。
 あとは、俺自身の隙を無くす事だ。だから、戦の経験を積む。調練も、その経験の一つとして、自分の中に取り込んでいってみせる。
「全員、武器を構えろっ」
 兵達が無言で、武器を構えた。熱気。夏の日差しで、周囲が陽炎に包まれている。
 旗が振られた。開戦の合図である。
 俺は隊を三つに分けた。右翼・中央・左翼の三隊で、シーザー軍へと向けて一気に駆ける。対するシーザーは、横陣である。魚鱗のように一つに固まれば、スズメバチの恰好の餌になる。だから、横陣で対処しようとしているのだろう。
 構わず駆けた。横陣は突破攻撃に弱い。シーザーは前軍・後軍の二段で構えているが、そんなものでは俺の騎馬隊を受け切る事など出来ない。
 ぶつかった。紙の如く、貫いた。シーザー軍が慌てている。これほどの突破力とは思っていなかったのだろう。特にシーザー軍は八千で、こちらは千五百である。数の優位という慢心が、さらにそれを引き立てている。
 シーザーが陣形を変えてきた。鶴翼である。千五百という数をまだ侮っているのか、俺の軍を押し包もうとしてきている。
 甘い。俺はそう思った。そして、すぐに三隊を十五隊に分けた。包み込もうとしてくるシーザー軍を、内から破壊し尽くしてやるのだ。
 駆け回った。手当たり次第、シーザー軍を蹴散らしていく。十分に暴れてから、シーザー軍の中から抜け出た。そして、十五隊を一つにまとめる。俺の軍は、まだ誰一人として脱落していない。対するシーザー軍は、まるで穴だらけのチーズのように、陣形が乱れ切っていた。数も八千から四千にまで減っている。
「手応えが無さ過ぎる。出来もしない守りなどするもんじゃないぞ。お前は攻めの専売特許だろう」
 声をあげた。これに呼応して、シーザー軍が殺気立つ。
 剣を天に突き上げ、手招きした。かかってこい。そう挑発したのだ。
「ロアーヌ、ぶっ殺してやらぁっ」
 シーザーの怒号。原野中に轟いた。次いで、シーザー軍の兵達が喚き上げる。
 シーザー軍が陣形を組み直した。一本の矢を模した、完全攻撃型の陣形。この陣形で、シーザーは幾度となく敵大将の首を取って来ている。守りを完全に捨てた、シーザーらしい陣形だ。
「来い、猪」
 剣を振り下ろし、横に払う。
 シーザーが吼えた。先頭。駆けてくる。
「ここからだぞ。まともに受けようと思うな。まずはいなす。それと、シーザーには近付くな」
 剣を構えた。隊を十五に分けて、それぞれの間隔を大き目に空ける。
 激突。強風によって、顔面が弾き飛ばされたような感覚だった。凄まじい圧力である。もしこれが八千であったら、轢き殺されていただろう。もっとも、八千だった場合はこちらも攻めに回る。しかし、それでも五分五分の勝負がやっとかもしれない。それほどの圧力だ。
 戦車と向き合っていた。押し返そうとすると、倍の力で押し戻される。いなそうとすれば、力で押し潰される。
「やるじゃないか、シーザー」
 剣を横に払った。麾下を後ろに下げたのだ。シーザー。目の前。駆けてくる。
「それはこっちの台詞だ。千五百で俺の騎馬隊の突撃を受け切るとはなっ」
 偃月刀が飛んできた。剣で弾く。反撃を。そう思った刹那、シーザーと馳せ違った。俺の軍を貫いたのだ。
 二隊が踏み潰されていた。残るは十三隊。
 舌打ちした。一兵も失わずにシーザー軍を壊滅させるつもりだった。だが、それが出来なかった。
「さすがに獅子軍のシーザーだ。だが、これ以上はやらせん」
「ほざけ」
 目が合う。火花を散らした。
 再び激突。熱気が闘志と混じり合う。
 次は貫かせない。貫かせれば貫かせるほど、シーザー軍は調子付く。だから、ここで何としてでも止める。
「シーザー、シグナスとの稽古で、どれほど腕をあげたか見てやる」
「上から目線で話をすんじゃねぇっ」
 偃月刀。弾く。今までのシーザーなら、この次で首が取れていた。だが、今回は違う。細かい動作が、隙を上手く消していた。
 一合、二合とやり合った。偃月刀の射程が鬱陶しいが、懐に飛び込めば勝てる。
 六合目。シーザーの顔が歪んだ。重圧が圧し掛かったのか。
「良い線だったが、まだ完成には至っていないな」
 言って、俺はシーザーを馬から落とした。シーザー軍は、それで浮足立った。指揮官を失ったのだ。俺の騎馬隊が、ここぞとばかりに逆襲に出る。
「やっぱ強いな、お前」
 立ち上がりながら、シーザーが言った。
「攻撃力なら、獅子軍には勝てんかもしれん」
「軍じゃねぇよ。剣の話だ」
「戦は、一人でやるものではない」
 俺はそう言って、西へと目をこらした。
 次はサウスだ。俺は、そう思った。

       

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