Neetel Inside 文芸新都
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 俺の遊撃隊はシグナスの槍兵隊と共に、山を登っていた。これも調練の内の一つである。足並みは常に小走りで、頂上に到達するまで休憩は無い。しかも戦場と同じ装備である。馬には馬甲を装備させ、人には具足と武器を持たせてある。シグナスの槍兵隊は、それに加えて木の大盾も持たせていた。選んだ山は険しく、足場も悪い。これだけならばまだ良いのだが、天候が悪いと最悪である。しかし今日は、晴天だった。
 この調練は元々、俺の遊撃隊のみがやっていたものだった。最初の内は脱落者を出す事もあったが、今ではそれもない。俺はこの調練を、戦の前の総仕上げとしてやろうとしたのだが、急にシグナスが共に行かせてくれ、と頼んできた。俺には別に断る理由はなかったので、その申し出には承諾した。それで今回は、シグナスの槍兵隊も一緒だった。
 しかし、騎馬と歩兵である。調練内容はもちろん、その求める成果も違うはずだ。俺の遊撃隊は馬の乗りこなしが大事である。平地での馬の操作は難しい事ではない。だが、それが山になると急激に難易度が上がる。馬上での体重移動や手綱捌きはもちろんの事、馬の体力や性格を知っていなければ、休憩無しで山を登る事など出来ないのだ。馬が潰れたら、騎手が馬を引っ張って山を登り切らなければならない。
 シグナスがこの調練に参加させてくれ、と言った理由は単純なものだった。メッサーナ軍至強と言われた俺の軍が、どんな調練をしているのかを兵に体験させようとしたのである。これ以外にも瞬烈な調練はいくらでもあるのだが、実際に体験させる、かつ厳しいものとなると、この山登りぐらいなものだった。
 シグナスらしい。俺はそう思った。あいつは、何の前触れもなく厳しい調練を兵にさせるのが嫌だったのだろう。
 これまでのシグナスの調練は、ぬるいものが多かった。とはいっても、これはあくまで俺の見方で、メッサーナ軍では並レベルといった所だ。だが、その並レベルの調練では駄目だという事が分かった。ピドナ陥落戦での官軍の強さと、サウスに対する俺の敗北。これらが、あいつの中の何かを変えたのかもしれない。
 すでに季節は夏を過ぎ、秋に入っていた。山の木々は鮮やかな紅葉を見せているが、兵達がそれを楽しむ余裕はない。まだ山の中腹辺りだが、すでにシグナスの槍兵隊は息を乱していた。
 これ以上、シグナスの槍兵隊に合わせていると、俺の遊撃隊の調練の意味がなくなる。足並みも通常の三分の二程度まで落としているのだ。
「俺の事は気にせず、先に行ってくれ、ロアーヌ」
「しかしな」
「元々、騎馬と歩兵だ。無理があるのは分かっていた。だが、必ず頂上まで登る」
「わかった。無理はするな」
 俺がそう言うと、シグナスは微笑みながら頷いた。
 それから、俺はすぐに馬腹を蹴った。先頭へと駆け戻るのである。俺の馬は特別良いという訳ではないが、特に不満はなかった。メッサーナは馬の生産に適している土地ではない。しかし、それでも俺の騎馬隊の馬は良馬で揃えられている。馬の生産地として有名なのは北だが、それを言った所でどうにかなるわけでもなかった。
 先頭に辿り着いた。
「足並みを通常速度に切り替える。頂上を目指すぞ」
 遊撃隊の足並みが通常速度に切り替わると、シグナスの槍兵隊の姿はすぐに見えなくなった。
 二時間ほどして、俺の遊撃隊は頂上に辿り着いた。
 俺は馬を進めて、見晴らしの良い場所に立った。景色を眺める。すでに何度も見た景色だが、この景色はいつ見ても良い。対面にはいくつか山があり、空には遮るものは何も無い。これが曇りだったり霧の濃い時になると、対面の山が一つだけになる。残りの全ては、霧によって遮られてしまうのである。今日は晴天だった。
 俺は、晴天よりも霧の濃い時の景色の方が好きだった。霧に遮られた山々とは別に、ただ一つだけ姿を残す山。これが好きなのだ。俺は軍人だ。いつ死んでもおかしくない場所に俺は身を置いている。生きている時は、今見ている山々と同じように、人々の中に姿を残す事が出来る。しかし、死んだら、霧に覆われて姿を消す山のようになってしまう人間は少なくない。つまり、人々の記憶から消えていくのだ。俺はそうじゃなく、死して尚、人々に記憶に残っていたい。死ぬのなら、そういう風に死にたいのだ。だから、俺は濃い霧の中に一つだけ姿を残す山に、一種の幻想を抱いていた。
 まだ、死ねない。俺はそう思った。あの山のような存在に、俺はまだなっていないのだ。だから、まだ死ねない。
 それから二時間ほどして、シグナスの槍兵隊が頂上に到達した。シグナスは少しばかり息を乱しているだけだったが、他の兵は形相が変わっている。副官のウィルという男も、肩で息をしながら、水を喉に流し込んでいた。
 シグナスが傍にやってきた。
「こんな調練をやってれば、精強な軍にもなるか」
「さぁな。サウスも同じような事をやっているかもしれん」
「しかし、実際にやらせてみて良かったぜ。見ろよ、俺の兵はだらしがない」
 シグナスが苦笑する。中には大の字で寝そべっている兵も居た。
 ふと、シグナスが対面の景色に目をやった。
「ほう、こいつは」
 目を細めながら、シグナスが呟いた。
「良いな。特に今は季節が良い。紅葉で、どの山も綺麗だ」
「さらには晴天だ」
「ロアーヌ、お前、晴天のこの景色が好きじゃないんだろ」
「何故、そう思う?」
「何となくだ」
 俺は口元を緩めて、微かに笑った。
「死ぬのなら、こういう所で死にたいな」
 シグナスが言った。目は細めたままだ。
「あの山々は、みんなだ。みんなが、俺を見ている。その中で、俺は死にたい」
 そういう考えもあるのか。俺はそう思いながら、山々の方へと目をやった。太陽に照らされた紅葉が美しい。
「俺達が立っているこの山が、お前か」
「あぁ。ちと大仰過ぎるかな」
 言って、シグナスは声をあげて笑った。
「シグナス将軍」
 副官のウィルが、駆け寄って来た。まだ息は乱したままのようだ。
「半数の兵が脱落しています。やはり、いきなりのこの調練は」
「違うぞ、ウィル。調練が厳しいんじゃない。兵達がだらしないのだ。その証拠に、ロアーヌの騎馬隊は誰一人として脱落していない。俺もお前もだ。だから、脱落した兵がだらしない」
「ロアーヌ将軍の騎馬隊と、我らの槍兵隊は目的が違います」
 この男、中々言うではないか。俺はそう思った。上官に面と向かって自分の意見を言える部下はそう多くない。少なくとも、俺の遊撃隊には一人も居ない人間だ。だからではないが、俺はシグナスが羨ましい、と感じていた。
「強くなる必要があるんだ、ウィル」
「それは分かりますが、これは急ごしらえすぎるのでは」
「一理ある。だが、戦の時が近いのだ。それにウィル、不満をこぼした兵は居たか? 辛すぎる。もう無理だ。そう言った兵は居たのか」
 ウィルが黙り込む。
「居なかっただろう。そして、脱落した兵は悔しさで身を震わせているはずだ。俺は、そういう人間を配下にしたのだ。お前の言っている事は一理ある。だが、正論ではない。お前の言っている事は、ただの甘やかしだ。お前はそうやって、兵の人気を得ようと思っているだけだ」
「シグナス将軍」
「お前は違う、と言うだろう。だが、兵にはそういう風に見られるぞ。ウィル副官は俺達をかばっている。しかし、同時にそれは強くなろうという想いも踏みにじっている。兵は、そう感じるだろう。だから、お前が今やっている事は、ただ小賢しいだけの偽善だ」
 ウィルが俯いた。何か声を掛けようかと思ったが、やめておいた。今、俺が何か言った所で、それはウィルの傷を抉るだけだろう。
「お前の兵を想う気持ちも分かる。だが、甘やかしと思いやりは紙一重だ。分かったなら、もう行け。下山するぞ」
 ウィルが俯いたまま、去っていった。その背中を、シグナスはじっと見つめている。
「良い副官なんだがな。戦では粘り強さも見せるし、慎重な采配もする。だが、果敢さがない。それが、甘やかしに繋がっているのだ」
「俺には、ウィルはその欠点を自覚している、という風に見えたが」
「どうだかな。少なくとも、克服するには何らかの切欠が必要だろう」
 ウィルの背中を見つめたまま、シグナスが言った。
 こういう関係を築けるのが羨ましい。俺はそう思った。俺が兵から慕われている関係とは、また違う。何がどう違うのかは、俺には分からない。
「しかし、この景色は良いな、ロアーヌ」
 シグナスは目を細めて、山々を眺めていた。

       

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