Neetel Inside 文芸新都
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 耐えた。とにかく耐えた。飛び出しそうになる自分を、何度も抑え込んだ。
 サウスが俺を呼んでいる。かかって来い。そう言っている。
 俺とサウスが共に優れた武人ならば、惹かれ合って当然だった。それは男と女の絆によく似ており、どこか見えない部分で強く結び付いている。俺はサウスに一度負けた。これが、その結び付きをさらに強めているのかもしれない。
 自分の心臓の鼓動が聞こえていた。呼吸は落ち着いている。心臓の鼓動だけが激しい。こんな経験は初めてだった。あのシグナスと打ち合った時でさえ、こんな事にはならなかった。
 恐れているのか。初めて、俺が負けた相手。俺の中でサウスは、とてつもなく大きな存在になっているのではないのか。
 一騎討ちならば勝てる。戦ではなく、一騎討ちなら。剣なら誰にも負けない。こうやって落ち着こうとしている自分が、情けなかった。
「ロアーヌ将軍」
 一人の兵が言ったが、無視した。攻撃はまだなのか、そう言いたいのだろう。兵も、気を急いている。
 ジッと待った。確かにサウスの戦ぶりは目を見張るものがある。だが、どこかに穴が出来るはずだ。その穴が出来た瞬間に、突っ込む。それまでは待つしかない。無闇に突っ込めば、逆にこちらの足元を掬われかねないのだ。
 シグナス、シーザー、クリスの三軍が、サウス一人に苦戦していた。サウスは副軍を上手く使っていて、三軍に連携を取らせないようにしている。ならば、その副軍を崩せば良いのだろうが、これは難しいだろう。軍には中核というものがあり、そこを突けば大概は崩れるのだが、副軍の核は見えなかった。つまり、突出した部分がないという事なのだ。副軍全てが、均一に強い。これは厄介である。
 ルイスが後方で懸命に全体の指揮を取っているが、苦しそうだった。サウスの戦が上手いのだ。シーザーを主軸にすれば、槍兵が対応しに出てくるし、シグナスを主軸にすれば戟兵が対応しに出てくる。兵科はジャンケンの三竦みとよく似ており、それぞれ得手・不得手があった。あくまではこれは基本であって、この得手・不得手をひっくり返す術はいくらでもある。だが、サウスがそれをさせていない。サウス自身が全軍の指揮を執っており、それも三面、四面同時指揮を当たり前のようにやっているのだ。
 このまま、やり合いを続けていれば負ける。だから、どこかでこの流れを断ち切らなければならない。そして、その流れを断ち切る事が出来るのは、俺の遊撃隊だけのはずだ。メッサーナ軍最強と言われている、俺のスズメバチ。
 そう思ったが、俺は耐え続けた。まだ、穴が出来ていない。穴が出来るまで、俺は耐えるしかない。サウスは俺を呼び続けている。早く来い。八つ裂きにしてやる。そう言っている。
 頼む、シグナス。ピドナでお前と酒を飲んだ夜の事は、しっかりと覚えている。『お前と俺で力を合わせれば、サウスに勝てるかもしれん』お前はそう言ったのだ。
「ロアーヌ将軍」
 また、兵が声をかけてきた。我慢の限界か。なら、俺も言葉をかける必要がある。
「お前達は最強の騎馬隊だ。これはメッサーナだけではない、天下という意味だ。今までやってきた調練を思い出せ。シグナスの槍兵隊と共に山登りをした事を思い出せ。本当にお前達が最強ならば、待てるはずだ。ここぞという時まで、待てるはずだ」
 あの山登りで、シグナスと共に頂上の景色を眺めた。俺は、霧の中に浮かぶ、ただ一つの山になりたかった。シグナスは、俺達が立っていた山になりたいと言った。それぞれ、考えや想いは違う。しかし、見ているモノは同じだ。
 サウスに勝つ。
 その瞬間だった。サウス軍が、僅かに浮ついた。それは巨岩をほんの数ミリ動かした程度のものだったが、確かに浮ついている。
 シグナスが、麾下五百と共に最前線で暴れていた。ほんの小さな、僅かな一穴をシグナスが作った。
「突撃態勢。先頭を俺が駆ける。縦一列になって付いて来い。スズメバチ、突っ切るっ」
 剣を抜き放ち、馬腹を蹴った。風が顔を打つ。吼えた。
「サウス、俺はここだっ」


 シグナスには手が付けられなかった。あいつと麾下五百が、俺の軍を押しまくっている。何度も包み込んで潰そうとしたが、跳ね返されるだけだった。
 俺自身が麾下と共に出向くしかない。しかし、戦死の可能性がある。あの槍使いとまともに打ち合える奴など、この世に居るのか。
 そう思った瞬間だった。
 何かが、足の指先から頭のてっぺんまでを突き抜けた。殺気、いや、鋭気か。それが、外から伝わって来た。
 顔を向けた。すると、鳥肌が立った。
「剣のロアーヌ」
 言うと同時に、俺の軍が完全に二つに断ち割られた。数秒、ぼーっとしていた。何が起きたのか分からなかった。瞬烈過ぎるその突撃は、鮮やかに俺の軍を切り裂いた。美しい。そう思った程だ。
「立て直せっ」
 ハッとした。自分の叫び声で、我に返った。
「シグナスとロアーヌを一緒にさせるな、手に負えんぞっ」
 すぐに右手をあげ、旗を振らせた。ウィンセに、シーザーとクリスの相手をさせる。少々、荷が重いだろうが、やってもらうしかない。俺が槍のシグナスと剣のロアーヌを抑える。
「戟兵、前に出ろっ。弓兵は短弓に持ち替えて、集中射撃。シグナスに的を絞れ。奴を封じれば、あとは有象無象だっ」
 俺の弓兵隊には、長弓と短弓の二つを装備させていた。長弓は遠距離での攻防戦で使い、短弓は今のような乱戦で使う。元々、短弓は南の密林戦で使う装備だったが、持って来させて良かった。乱戦では弓兵は使えないという常識も覆せる。そして、この時のために兵には短弓の調練もやらせていた。これは俺の切り札の一つだ。
「騎兵、槍兵は円陣を組めっ。ロアーヌの騎馬隊に向かって、少しずつ前進する。騎兵は弓の用意っ」
 旗を振らせた。すぐに兵が陣形を変える。槍兵が騎兵の前に出る形で、円陣を組んだ。騎兵は武器を弓に持ち替えている。騎兵に弓という組み合わせは北の軍の戦術で、南ではあまり使えるものではなかった。だが、ここは南ではない。
「来い、ロアーヌっ」
 スズメバチの遊軍が、戦場を飛んでいる。馬蹄が、あの嫌な羽音を模しているようだ。
 瞬間、一匹だったはずのスズメバチが、何匹にも分かれた。毒針を構えている。そう思った瞬間、同時に全てのスズメバチが突っ込んできた。
 全方位からの猛烈な攻撃。反撃。そう思ったが、何も出来なかった。全方位から間断なく、それも強烈に一撃を叩き込んでくる。反撃しようと思ったら、もうそこには何も居ない。そして、別の方向からまたスズメバチがやってくる。
 亀のように丸くなるしかなかった。そうやって、やり過ごす。それしか、出来る事がない。
 強すぎる。なんだ、この軍は。本当に千五百程度の軍なのか。あまりにも強すぎる。これにシグナスが加わったら、どうなるのだ。ここまで考えると、胃から酸っぱいものが衝き上げて来た。シグナスとロアーヌを一緒にしたら負ける。いや、負けるだけならば良い。戦死の可能性まである。
 ウィンセが思う以上に奮戦していた。これが唯一の救いだろう。あまり長くは見れていないが、シーザー軍が妙に逸っている。というより、踊らされていた。ウィンセが上手く挑発したのか。前の戦で、シーザーはウィンセに因縁があるはずだ。
 スズメバチに何度も突かれ、俺の陣はボロボロになっていた。だが、ここからだ。ここで、ロアーヌがどう出てくるのか。このまま何匹ものスズメバチで小突かれ続ければ、俺は負ける。潰走するしかない。だが、再び一匹になって打ち砕こうとすれば、それは俺の活路となる。そして、この打ち砕きは芸術だろう。小突いてボロボロにして、大きな一撃で打ち砕く。これは芸術以外の何物でもない。そして、この芸術は指揮官を魅了させる。そういう魔力も持っている。
 ロアーヌは、そういう芸術が好きなはずだ。
「俺は、南方の雄だ。南で、奮戦してきた歴戦の将軍だ」
 どれだけ追い込まれようが、活路を見出す。そうやって、俺は勝ち続けてきた。
 まだ、小突かれ続けている。だが、俺は陣を整えなかった。誘うのだ。あとほんの一撃で、俺の陣は崩壊するぞ。ほら、かかってこい。そう誘い続ける。
 待った。とにかく待った。もう駄目だ、と何度も思ったが、それでも待った。
 すると、活路が見えた。ロアーヌが隊を一つにまとめたのだ。
 これほどの喜びがあるのか。俺はそう思った。やはり、まだ俺には運がある。そして、ロアーヌは俺の思った通りの男だった。
 一匹のスズメバチ。突っ込んでくる。
「割れろぉっ」
 叫んだ。ほぼ崩壊しかかった陣が、綺麗に真っ二つに割れた。一匹のスズメバチが無人の野を駆け抜ける。次いで、二つに割れた陣が一つにまとまった。弓を持った騎兵が一斉に前に出る。スズメバチは反転しようとしている。
「一斉射撃っ」
 矢の嵐が、スズメバチを撃ち落とす。

       

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