Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 ある旅人が、遥か地平線の彼方に行けば、闘牛という娯楽があると言っていた事がある。これは、牛と闘牛士と呼ばれる者が一対一で向き合い、突っ込んでくる牛を一枚の布であしらうというものらしい。
 これを聞いた時、俺は牛の事をとんだ間抜けだと思った。所詮は畜生か。そうも思った。
 だが、今の俺は、その畜生以下だった。
 踊らされた。軍の力では完全に勝っていた。どんな奇策を弄されようとも、必ず打ち破れる。それほどの戦力差だった。円陣を組んだサウスは俺の騎馬隊の恰好の的で、槍兵が前に出てこようとも、そんなもの居ないも同然だった。その背後で騎兵が弓を構えていたが、それすら射させないように俺は間断なく攻撃を加えた。
 陣は、ボロボロだったはずなのだ。もう何も出来ない。立っているのがやっとの状態。そこまで俺はサウスを追い込んだ。最後に首を取って締めよう。そう思い、俺は隊を一つにまとめた。だが、これがいけなかった。
 俺は牛で、サウスは闘牛士だ。この今起きた事を一言で説明するなら、こういう事だ。
 隊を一つにまとめて突撃したら、サウスの陣が二つに割れた。勢いを乗せて駆けていたから、急な方向転換は出来るはずもなく、俺はそのまま駆け抜けた。その時は何が起きたのかハッキリとは分からなかった。
 次の刹那、側に居た兵が何人も倒れた。背には矢が突き立っており、サウスの陣は一つにまとまっていた。
「また、俺のせいで」
 呻いていた。矢はまだ飛んできている。俺はそれを払いのけ、天に向かって叫んだ。
「何故、勝てないっ。俺とサウスの力量差は、それほどのものなのかっ」
 兵の質では勝った。おそらく、戦法も途中までは勝っていた。しかし、最後の最後でやられた。
 腹の底から叫び声をあげた。そうやって、気持ちを切り替えようと思った。前を見ろ。立ち直れ。自分に言い聞かせる。
 俺が今すべき事は悔やむ事ではない。まずは兵に指示を出せ。これが、俺の今すべき事のはずだ。
「立ち止まるな、駆けろっ。弓の的を散らせっ」
 俺がそう叫ぶと、残った兵はすぐに隊ごとにまとまり、それぞれの方向へと駆け始めた。サウスは円陣だから、素早い動きはできない。俺は、その円陣を囲うように隊を駆け回らせた。時には突っ込む振りもさせる。そうやって、矢を射させるのだ。まずは矢を射尽くさせる。その後で、一気に叩き潰す。
 シグナスの槍兵隊が、サウスの戟兵と弓兵に苦しめられている。あれでは、俺と連携する事など出来ないだろう。サウスはシグナスをきっちりと抑えた上で、俺との勝負にも勝った。
 将軍としての力量差なのか。それとも、経験の差なのか。サウスと対峙すると、何か全身を舐めるように見られている感覚に陥る。どこかに隙は無いのか。どこかに綻びは出来ていないのか。サウスは、それを注意深く観察しているのかもしれない。
 サウス軍の矢の勢いは衰えなかった。こちらは一度、崩されてしまったために、攻めの姿勢が弱まっている。兵の気持ちに、怯えが芽生えてしまったのだ。これを持ち直すのは難しい。サウスが派手に動いてくれれば、また別なのだが、そのサウスは亀のように縮こまっている。
 不気味だった。また、何かをしようとしている。そう思ってしまう。耐えて耐えて耐え抜いて、その後にどんでん返しを巻き起こす。その思いが、俺の心にも芽生えている。
 たた縮こまるサウス軍に手を出せないまま、時が過ぎていく。どうする、突っ込むか。戦で逡巡は禁物だ。決めたら、すぐに行動に移さなければならない。
 そう考えている内に、シーザー軍とクリス軍の状況が変化していた。
 シーザーが誘引に引っ掛かっている。ごく少数の敵の騎馬隊を全軍で追いかけ回しているのだ。そのせいで、クリスは残りの敵軍に包囲されていた。
「ロアーヌ、まだサウスは崩せないのかっ」
 シグナスの声だった。声色に焦りが見える。おそらく、敵の弓兵と戟兵の組み合わせに苦しんでいるのだろう。槍兵にとって、戟兵は天敵だ。さらに頼みの綱のシグナスは弓兵から集中砲火を浴びている。
 突っ込むしかない。だが、失敗すれば今の状況が逆転してしまう。俺がサウスに追い立てられる。そういう事になってしまうのだ。
「くそっ」
 決め切れない。
 その瞬間だった。後方で鐘が鳴った。次第にその鐘の音が大きくなっていく。
 退却の鐘だった。戦場に目を配る。クリス軍が崩されているのが見えた。さらにシーザー軍は誘引のせいで陣形がバラバラだ。このまま戦い続ければ、メッサーナ軍は壊滅的打撃を受けるだろう。ならば、退却は道理だ。だが。
 急に悔悟の念がわき上がって来た。何故、サウスをあそこまで追い込んでおきながら、俺は隊をまとめたのだ。あのままサウス軍を小突き続けていれば、この退却はなかったのではないのか。もう少しだけ、ほんの少しで良い。その失敗を取り戻すためにも、俺に時をくれ。
 しかし、鐘は鳴り続けている。
「シグナス、退却だっ」
 後悔を振り払うように、俺は叫んだ。
「あぁ、分かってるっ」
 シグナスが苦しそうに叫んだ。槍を風車のように回して矢を弾き飛ばしつつ、前進している。
「ロアーヌ」
 サウスの声。
「また俺の勝ちだ」
 瞬間、頭に血が昇った。
「まだ勝負は終わっていないぞ、サウスっ」
「やめろ、ロアーヌ、退却命令が出ているんだぞっ」
 シグナスの声。
「しかし、コイツだけはっ」
「次の機会に回せ、また兵を無駄死にさせたいのかっ」
 言われて、俺は歯を食い縛った。
「お前らしくもない。冷静になれ。サウスにこだわるなっ」
 シグナスが弓兵を蹴散らす。
「逃げるぞ、急げっ」
 一度だけ、俺は言葉にならない叫び声をあげた。それで怒りや悔悟を振り払う。
「退却するっ」
 俺はサウスの方には顔を向けず、馬腹を蹴った。

       

表紙
Tweet

Neetsha