Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 林の中に身を隠していた。兵の表情は硬いが、怯えてはいない。決死隊に自ら志願した者達なのだ。だから、怯える事はない。あとは間諜部隊が兵糧庫を探し当てるのを待つだけである。
 ロアーヌとシーザーの騎馬隊がサウス軍をかき乱した。特にシーザーの暴れ方は尋常ではなく、サウス軍は完全に浮足立っていた。一方のロアーヌは堅実な動き方だった。この二人の将軍に手伝われる形で、私と五十名の決死隊はピドナを発ったのだ。
 結局、あれからシグナスとは言葉を交わす事は無かった。というより、避けられていたという気がする。それが何故なのかも分かる。きっと、自分が決死隊に志願したのがいけなかったのだ。
 私はシグナス槍兵隊の副官だ。これには誇りを持っている。しかし同時に、何故この私が、とも思ってしまう。何か特別な力があるわけでもなく、抜きん出た武芸も持っていない。そんな自分が副官で良いのか。そう思ってしまうのだ。
 シグナスの槍はとんでもないものだった。それはまさに天下一と言っても過言ではなく、事実、シグナスには誰もかなわなかった。だから、シグナスが将軍である事に不平を並べる者は誰一人としていない。むしろ、羨望に近いもので見られていたりもする。しかし、シグナスはそれを鼻にかけることもなく、誰にでも平等に接するのだ。これがまた、兵を惹きつけた。
 シグナスは素晴らしい人間だ。本当にそう思う。だが、その副官である自分はどうなのだ。シグナスと比べると、全てが見劣りしてしまう。これは別に良い。だが、副官として取り立てられるようなものは何一つとして持っていないのだ。だから、兵達もそんな自分を怪訝な眼で見ているという気がする。これは気がするというだけで、何も根拠はなかった。
 私は、自分を変えたかった。自信も欲しかった。私の欠点は果敢さがないという事で、これはシグナスを見て知った。シグナスは戦では必ず自らが先頭に立つ。そして、シグナスが一番の武功をあげる。これはシグナスが果敢だからだ。一方の自分は、敵を目の前にすると怯えが走ってしまう。敵の構えている槍を見ると、息を呑んでたじろいだりもする。だが、身体は動いた。これは調練のおかげで、自分の意識とは別の所での事だ。身体は動く。だが、心は怯えている。これはつまり、果敢さがないという事なのだろう。
 だから、決死隊に志願した。戦で自分を変えるのは無理だと思ったのだ。戦では、シグナスが居る。シグナスという大きな存在に、自分を任せてしまう。これでは、果敢さが身に付くはずもない。だから、決死隊だった。
 不思議と、死ぬという気はなかった。心も落ち着いている。決死隊に志願する寸前が、一番緊張していた。言ってしまえば、もう引き下がれない。どうしよう。そんな思いで一杯だったのだ。だが、言った後はどうという事もなかった。これで自分を変えられる。そう思っただけだ。
 私は、シグナス槍兵隊の副官だ。さすがに副官のウィルだ。兵には、そう思われていたい。
 決死隊の五十名は、一言も言葉を交わしていなかった。少し、緊張しているのかもしれない。これは当たり前の事だ。自分達の働き次第で、メッサーナの運命が左右される。コモン関所の兵糧を焼く事が出来るかどうか。これが、メッサーナの命運を握っているのだ。
 シグナスなら、こういう時に兵に声をかける。私も初陣の時、シグナスに声をかけてもらった。そして、励ましてもらった。それで自然と心が軽くなったのだ。だから、自分も。
「お前達、少し話をしよう」
 そう言うと、兵達の視線が一斉に私に集まった。目の色は険しい。やはり、死が頭にあるのか。
「何を話そうか。そうだな、お前達がメッサーナ軍の兵に志願した理由を私に教えてくれ」
 メッサーナは徴兵をしたりはしない。あくまで志願者を募る、という形だった。だから、メッサーナの兵は強い。私はそう思っている。無理やりに兵にされた官軍とは違い、自らの意志を持って兵になったからだ。
「俺は」
 一人の兵が口を開いた。まだ顔が幼い。もしかしたら、十代かもしれない。
「母ちゃんのために兵になったんです。畑を耕しても、国に作物を取られる。だから、飢える。母ちゃんはそれで病気になっちまって。でも、俺には医者に見せる金もない。だから、兵になりました」
 私は、ただ黙っていた。志ではなく、生きるために、母を救うために兵になった。つまりは、こういう事なのだろう。だが、これを悪い事だとは思わなかった。
「でも、俺は見ての通り、身体はちっこいし、力も弱いんです。だから、功をあげられませんでした。でも、この決死隊に志願して生きて帰ってくれば」
 私は少年兵の頭にそっと手を置いた。
「生きて帰れる。私達の仕事は兵糧庫を燃やすだけだ。大丈夫だ。そして、生きて帰れば、母の病気も治せる」
「ウィル隊長」
「私は、お前のような民を救えない国が憎くてな。弱者を虐げ、強者が得をする。そんな国が許せなかったのだ。だから、私は兵に志願した。だが、私は凡人だよ。私の上官であるシグナス将軍を、いつも羨望の眼差しで見ていた」
「でも、隊長は副官です」
「そう。私は副官だ。実のない、な」
「そんな」
「大丈夫。私も生きて帰る。そうすれば、実のある副官になれる」
 言って、私は二コリと笑った。少年兵も強張った笑みを浮かべる。
 それから三十分程して、間諜部隊から報告が入って来た。この林の北東に、兵糧庫があると言う。数々のダミーが混じっていたようだが、ついに本物を探し当てた。
「みんな、行くぞ」
 私は、それだけを言った。朝陽が昇るまでに、決着をつけなければならない。
 五十名の表情は、一気に引き締まった。そして、迅速に行動する。私は走りながら、何度も持ち物を確認した。火矢と弓。そして短剣と水筒。持って来ているものはこれだけだが、何度も確認した。
 微かに、人の気配を感じた。耳を澄ますと、人の話し声も聞こえる。ちょっと進み、視界の良い場所に移動した。闇夜の中、眼をこらす。
「あれか」
 呟いた。兵糧らしきものが山々と積み上げられている。他にも倉が何個も建てられており、あの中にもぎっちりと詰め込まれていそうだ。
 だが、見張りの数が多い。これでは仮に火を付ける事ができても、すぐに消火されてしまう。
「討ち入るしかない」
 そう呟いて、私は背後を振り返った。兵の表情を確かめる。みんな、覚悟を決めていた。
「今更、言う事でもないな。私達は決死隊だ」
 兵達は何も言わない。だが、眼の光は強い。
「まず、火矢を全員で射る。その後、兵糧庫に向かって駆けるぞ。敵兵を倒す。そして、駆けながらまた火矢を射るのだ」
 言いながら、自分に出来るのか、と思った。シグナスなら難なくやるだろう。だが、私は。それでも、やるしかない。
「私の右手が下がったら、一斉に行く。火矢の用意」
 言いつつ、自分も矢を取り出した。右手をあげる。背後では、火が熾されている。
 矢に火をつけた。他の兵の矢にも火がついていく。兵糧庫の見張りの兵が、身を乗り出してこちらを窺っていた。
「一斉射撃っ」
 右手を振り下ろした。同時に、火矢を射る。次々に、矢は兵糧庫の中に放り込まれていった。炎があがる。
「突撃っ」
 駆けた。見張りの兵。こちらを見ている。目を見開き、口を大きく開けている。短剣を抜き放った。敵とぶつかる。心の蔵を貫いていた。
 自分が先頭だった。背後の兵達が次々に兵糧庫へと飛び込んでいく。これが、シグナスの見ている景色なのか。
 短剣を敵兵から抜き、自分も兵糧庫に飛び込んだ。火矢を次々に撃ち込んでいく。
「燃やせぇっ。全てを燃やし尽くせっ」
 叫んだ。横から敵の槍。身体が動いていた。次の瞬間、敵の首を短剣で突き刺す。倒れた敵兵の槍を奪い、吼えた。
「私はシグナス槍兵隊の副官、ウィルだっ」
 槍を振り回す。次々に敵兵を突き殺し、炎を煽った。
 赤い。視界全てが赤い。兵糧庫は完全に炎に包まれている。ならば、もうこれ以上、ここに留まる必要はない。
「撤退、撤退っ。逃げるぞ、撤退っ」
 叫んだ。生き残っている兵達が、次々に出口へと駆けていく。自分も一緒に駆けた。遮ろうとする敵兵は、全て突き殺した。
 出口が見えた。味方の兵が次々と脱出していく。自分も。
「ウィル隊長っ」
 背後。振り返る。
「隊長っ」
 あの少年兵だった。敵に囲まれている。母のために兵になった。この言葉が、私の頭の中で響いた。
 頭に血が昇った。同時に腹の底から声をあげた。突っ走る。
「邪魔だ、どけぇっ」
 敵兵を蹴散らす。今の私は、あのシグナスだ。シグナス将軍の槍術が、私に乗り移った。
「隊長っ」
「いけっ。母を救うのだろうっ」
 少年兵が駆けて行く。
 私に、次々に敵が覆いかぶさって来た。その敵兵を突き殺す。早く行け。私は心の中でそう叫んだ。自分もすぐに行く。そう思いながら、敵の槍を弾き飛ばし、駆けようとした瞬間だった。
 腹に何かが突き刺さった。
「隊長ぉっ」
 少年兵の声。また、腹に何かが突き刺さった。視線を落とす。槍だった。二本、自分を貫いている。
「早く行け。母を救うんだろう」
 叫んだつもりだったが、思ったように声が出ない。さらに槍が突き刺さる。
 血が口端から流れ出た。だが、まだ生きている。シグナスの槍術が、自分にはまだ乗り移っている。
「いけぇぇぇっ」
 叫べた。そして、敵兵を一人撥ね上げる事が出来た。少年兵の姿が、遠ざかっていく。やっと行ったか。そう思った。
 シグナス将軍、私は、私は。
「実のある副官、ですか」
 槍がまた突き刺さって来た。もう、指先一本動かせなかった。
 しかしそれでも、まだ心は闘っていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha