Neetel Inside 文芸新都
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 フランツの命令を受けた私は、すぐにメッサーナに入った。他にも十名の部下を連れてきており、残りの二百九十名は時をかけて入れる事にした。一気に三百人をメッサーナに入れれば、怪しまれる可能性があるのだ。メッサーナの姿勢は来る者拒まず、といったものだが、それは決して無防備という訳ではない。
 私は幼少の頃から、フランツに仕えてきた。親の事は全く知らない。物心ついた時には、すでに闇の術を体得させられていて、親というものは側には居なかったのだ。その代わりに、師と呼べる存在が居た。だが、その師も自分の手で殺めた。フランツの命令だったのだ。師はフランツに対して、何らかの不利益となる行動をしようとしていた。だから、殺される事になった。殺す寸前、哀願するような眼差しで私を見てきたが、心は何も動かなかった。ただ息をするのと同じように、自然に殺しただけである。
 心が無い、と一度だけ人に言われた事がある。これを言った人間も任務で殺す事になったが、何も思う事はなかった。
 何故、自分はフランツに仕えているのか。不意にこれを思う事もあったが、理由はハッキリとしなかった。単に利害が一致しているからのような気もするし、幼少からの付き合いで惰性になっているという気もする。
 どちらにしろ、フランツの命令をこなす事には強い快感があった。もしかしたら、この快感のために私はフランツに仕えているのかもしれない。そして、フランツは他の者と比べて、冷徹であり、聡明だった。人情や仁、義という言葉は、人を魅了させる。だが、それは足枷にもなり得るのだ。フランツにはそれがない。力のある者しか必要としないし、力が無ければ、何とかして引き出させようともする。つまり、実ばかりを求めるのだ。私はフランツのそういう所が好きだった。
 今回の任務は、敵将であるシグナスを寝返らせる、といったものだった。もしこれが出来なければ、シグナスを死に追いやらせる。要はメッサーナからシグナスの存在を切り離すのである。
 官軍時代のシグナスの声望は凄かった。これはあくまで地方での話で、都ではむしろ疎んじられていた方である。片割れのロアーヌは剣の腕のみを評価されていて、孤高すぎる、と言われていたが、シグナスは違った。これは人気という一つの枠組みの話だが、軍は人の集まりだ。だから、シグナスの声望は言ってしまえば、人当たりの良さで得たものだった。
 私は正直言って、シグナスのような人間が嫌いだった。これは好悪というレベルでなく、憎しみに近い。今はどうなっているのか知らないが、官軍時代のシグナスは真っ直ぐな人間だった。人から評価され、そして自らを高めて行く。典型的な表の人間なのだ。
 そのシグナスが、今回の任務の対象である。
 私はシグナスに近付く方法として、メッサーナの兵になる事を選んだ。他にも妻であるサラとかいう女に近付こうかと思ったが、これは安直な手だ。サラは一途にシグナスを愛しているのだ。これの隙間に入るのは難しい。ただ、この一途な愛は利用できるだろう。
 そして、戦で死んだという副官の事も調べた。これも典型的な表の人間で、上官であるシグナスや、兵からの人気もあったという事も分かった。
 今日は、シグナス槍兵隊の面接日だった。シグナスは生真面目な男で、兵になる人間は自らが話をして隊に入れるかどうかを決めているようだ。
 好機だった。ただの一般兵では、シグナスと直接話をする機会などそう得られるものではないだろう。まずはこの面接で、シグナスがどういう人間なのかを知る。そして、私を知って貰う。
 私は営舎の外で、椅子に腰かけていた。面接の順番待ちである。シグナスの槍兵隊は、他の隊に比べても絶大な人気を誇っているようで、私の他にも、面接を希望する者たちが長蛇の列を成していた。人気で言えば、シグナスの次にはクリスとかいう将軍の隊が人気で、ロアーヌの隊は最も不人気のようである。
「次の者、入ってくれ」
 シグナスの声がかかった。その瞬間、私は明るく人懐こい、真面目な兵になった。
 戦で死んだという、ウィルという男である。
「はじめまして、シグナス将軍」
 言って、私は二コリと笑った。眼には希望を込めた。
「おう、よく来てくれたな」
 シグナスが明るい声で答える。本当に感謝している。そう言っているような表情だ。
「名は?」
「ナイツです」
「ナイツか。良い名前だ。所で、どうしてお前は兵になりたいと思ったのだ?」
「弱者を虐げ、強者が得をする。そんな国が許せないと思ったのです」
「おう、気が合うな。実は俺もだ。そして、立派な志だ」
「ありがとうございます」
「だが、志だけでは生きてはいけん。兵になりたいという者達は、単に食いつめているから、という者も少なくない。お前は見た感じ、そういう部分では満たされているように見えるが」
「満たされています」
 私は意志を込めて言った。
「だから、私は国が許せないと思ったのです。シグナス将軍は、自分が満たされていればそれで良い、という人なのですか。私はそういう人間ではありません」
「もし、俺がそういう人間だと言ったら?」
「失望です。そんな人間の軍など、こちらから願い下げです」
「ほう?」
 シグナスが傍に立てかけてある棒を持った。殺気はない。もう少し、試す価値はあるか。
「それで脅しますか。また私は失望しました。天下の槍使い、シグナスがこれ程小さい人間だったとは」
 言って、私は腰を上げた。ウィルは正義感の強い男だった。だが、甘さがあった。私はウィルという男から、甘さを取り除いた人間になる。これはシグナスが求めている人材だろう。
「待て」
「待ちません。私は失望したのです」
「槍の腕を見てやる」
「必要ありません」
「お前は俺の軍に必要な人間だ。お前のその思いは、俺の軍の中で最も尊重すべき思いなのだ。お前は良い兵になるという気がする。だから、槍の腕を見てやる」
 ここで私は顔を綻ばせた。あなたはやはり、私の求めていた上官だ。そういう眼も向ける。
「はいっ」
 威勢よく返事をした自分に、反吐が出そうになった。まだ、シャールが自分の中に残っている。それを素早く追い払った。今の私はナイツだ。
 シグナスが、調練用の槍を投げ渡してきた。
 武器は何でも使えた。闇の仕事では、その場にあるもの全てを武器にしなければならない。それは時には砂や水であったりする。だが、一番得手としているのは徒手空拳だった。砂や水すらもない。そういう時は常に起こり得る。だから、徒手空拳を極めた。
 営舎の中は広かった。もしかしたら、面接の次には槍の腕を試すのかもしれない。
 私は静かに槍を構えた。ここは全力で相手をするべきだろう。相手は天下無敵の槍使いなのだ。手加減すれば、それはすぐに分かる。
 シグナスの表情が変わった。
「お前、何か武術をやっていたか?」
「はい。私は昔から強くなりたかったのです」
「驚いたな。そうは見えなかった」
 私は任務のためにいくらか身体を大きくしていたが、シグナスと比べると大人と子供だった。しかし、これも狙いの一つである。あまりにも立派な身体つきであれば、ウィルからかけ離れてしまう。
 シグナスが棒を構えた。その瞬間、思わず一歩退いてしまった。人間じゃない。そう思ってしまったのだ。
「俺と向き合えるのは、ロアーヌただ一人だけだ。だから、退いた事は恥じゃない」
 歯を食い縛った。もう、シャールは自分の中から消えていた。
 シグナスが棒を引いた。次の瞬間、飛び出していた。引き込まれた。そう気付いた時にはもう遅かった。槍を撥ね飛ばされ、身体が宙に浮いていた。その刹那、自分は地面の上を転がっていた。
「良い腕だ。受け身も取れている。だが、槍を手から離すのは良くないな。戦場じゃ武器を無くした時点で死だ」
 シャールは徒手空拳を一番の得手としている。だが、ここにシャールは居ない。
「シグナス将軍、私は」
「俺の隊に入れてやる。明日から出仕しろ」
 そう言って、シグナスが手を差し伸べてきた。私は、その手に掴まった。
「はい」
 歯を見せて、私は笑った。
 棒で打たれた部分に、鈍痛が走っていた。

       

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