Neetel Inside 文芸新都
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 風が吹く。私はその風の音に耳を澄ませつつ、弓を引き絞った。
 この国は腐りきっている。だが、私が統治するこの北の大地だけは違う。この北の大地だけは、この地を白く覆う雪の如く潔白なはずだ。不正は許さず、悪は容赦なく罰した。私はそうやって、北の大地を統治してきたのだ。
 代々が、軍人の家系だった。特に高祖父は大将軍にまで上り詰め、軍の頂点に立った事もある。それで、北の大地を私の家系が治める事になったのだ。高祖父から曾祖父、祖父、父とそれは受け継がれ、今は私が北の大地を預かっている。
 高祖父は私の誇りだった。史上最高の弓手とされ、弓騎兵という新たな兵科をも生み出した。この国の原野で、弓騎兵隊は凄まじい戦功をあげ、間違いなく国の礎の一つを担ったのだ。そして、その高祖父は天寿を全うし、血を子孫へと残した。
 だが、国は腐っていった。高祖父が作り上げた国は、長い歳月と共に腐っていったのだ。それは祖父の代から見え始め、父が死ぬ頃には、はっきりと目に見える形にまでなっていた。
 だが、私達は何も出来なかった。出来る事と言えば、北の大地を腐らせないようにする事だけだった。
 高祖父が作り上げた国。それを勝手に変革するという事は、不遜に当たる。祖父や父は何も言わなかったが、要はこういう事なのだろう。この国の民にとって、王が絶対であるのと同じように、私にとって高祖父は絶対なのだ。
 だが、これで良いのか。本当に北の大地を腐らせないようにするだけで、高祖父は満足するのか。
「本当にこれで良いのですか」
 呟く。
「私は高祖父の血を受け継ぎ、北の大地を治めています。ですが、本当にこれで」
 弓をグイッと引き絞る。片目をつむった。遥か彼方、鹿が駆けている。
「私は鷹の目、バロンだ」
 矢。放つ。光と風を切り裂き、鹿へと迸る。次の瞬間、鹿の身体は宙を舞い、雪の中に消えた。
 弓の腕ならば、誰にも負けない自信があった。さすがに高祖父には及ばないだろうが、それでもそこまで大きく劣る事はないと思っていた。
 私の放った矢は標的に突き立つのではなく、貫き、吹き飛ばす。すなわち、一撃必殺の矢である。これは私の家系でも、高祖父のみが出来ていた事だった。祖父や父も弓の腕は達人級ではあったが、矢の威力は無かったのだ。
「鷹の目、バロンねぇ」
 背後から声が聞こえた。振り返る。
「シルベンか」
 友人だった。シルベンとは幼き頃からの付き合いで、名門である私に対して何も構える事なく接してきた。それで私も心を開き、ここまで付き合いが続いているのだ。シルベンとは共に軍人となり、今では私の副官である。だが、こうして二人きりの時は、砕けた話し方になる。
「最近、表情が暗いな、バロン。せっかくの秀麗な顔が台無しだ」
「私は男だぞ」
「あぁ、女どもが騒ぐほどの美男だがな」
 無意味な事だった。今のこの時代に、美男である事にどれほどの意味があるというのだ。それに、私は一度でも自分を美男と思った事などない。
「メッサーナのシグナスを知ってるか、バロン」
「槍のシグナスだろう。天下最強の槍使いで有名だ。一度だけ、都で見た事がある。確かにあれは相当な手練だ。だが、ただの小隊長だった」
 将軍に上り詰めて当然の男なのに。これは言わなかった。要は国が腐っている。だから、力のある者が上に立てない。私が今、将軍で居るのは、ただ単に高祖父の血を受け継いでいるからに過ぎなかった。実力を認められて、今の地位に居るわけではないのだ。それでシグナスは、剣のロアーヌと共にメッサーナへと出奔した。この国に嫌気が差したのだろう。
「死んだよ」
「誰が?」
「槍のシグナスが、だ」
 心に、何かが突き刺さった。私が軍人だからか、それとも、弓の名手と呼ばれている男だからなのか。いずれにせよ、シグナスの死を聞いた瞬間、何かが心に突き刺さった。
「メッサーナは、今のままじゃ滅びるな。シグナス一人で、と言うかもしれんが、それほどの男だった」
「まだ剣のロアーヌが居る」
「お前、あいつと喋ったことあるか? 気難しい男だ。友人も少なさそうな感じがしたぞ」
「軍人だ。部下と君主が居れば、それで良いと私は思うが」
「お前、俺が居なくなったらどうすんだよ」
「それは困るな。いや、困る」
 私がそう言うと、シルベンは声をあげて笑い始めた。
「人は独りじゃ生きてはいけんと思う。まぁ、幸い、お前は独りになる事はなさそうだがな」
「名門の肩書きのおかげだ」
「さぁ、そいつはどうだかな。しかし、今後のメッサーナはどう動くかな」
「分からん。コモン関所にはサウス将軍が赴任してきた。あの人は官軍の中でも、相当な力を持つ将軍だ。一筋縄ではいくまい」
「まるで、メッサーナに勝って欲しいかのような言い草だな、バロン」
 言われて、閉口した。図星だったのだ。
「メッサーナが北に来たら、どうする?」
「無論、戦う。私はこの地を守らねばならん」
「誰のために? そして、何のために?」
「シルベン、何が言いたい?」
「戦う意味を考えろ。俺は、これを言いたい」
「私の家は、代々、軍人の家系なのだ。そして、この国は高祖父が作り上げたものだ」
「バロン、お前の鷹の目は」
 シルベンが、急に黙った。
「いや、やめておこう」
 そう言って、シルベンが踵を返す。
「鷹の目」
 呟いていた。大空を舞う鷹は、一体何を見ているのか。この国の腐りを、本当に正しきものを、見ているのか。
「鷹の目」
 もう一度、呟く。空を見上げると、白い粉が舞い降りていた。
 雪だった。

       

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