Neetel Inside 文芸新都
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 戦陣より帰還した。
 ロアーヌのスズメバチは予想以上に精強だった。おそらくあれは、天下で最強を争う騎馬隊の一つだろう。対抗馬としては、大将軍の騎馬隊ぐらいしか思いつかない。
 一騎たりとも討つ事ができなかった。私の弓騎兵隊が、ただの一騎も討てなかったのだ。これは屈辱というよりも、驚愕だった。兵数もこちらに分があったし、飛び道具という絶対的有利な要素までもあった。しかしそれでも、一騎も討てなかったのだ。
「シルベン、ロアーヌは噂以上の男だったぞ」
 幕舎に入り、鎧を脱ぎながら言った。シルベンの他に、ゴルドも居る。
「その割には傷を負ってないじゃないですか」
「当たり前だ。だが、ロアーヌは私の矢を全て弾き返した」
 私がそう言うと、シルベンは舌を巻いたような表情になった。
「全て」
 シルベンの声が僅かに震えている。
 シルベンには、ある程度の武芸の心得があった。だからこそ、ロアーヌの凄さを実感したのだろう。
「坊っちゃん、それでロアーヌは?」
「坊っちゃんはやめろ、ゴルド。ロアーヌは無傷だ。勝負は引分けにしておいたからな」
「しておいた、とはどういう事ですかの。まるで首を取れていたかのような言い草ですが」
「その通りだ。やろうと思えばな」
 私が射たのは馬だった。馬から落として殺すというのは、戦場では当たり前の事だ。だが、それで殺すにはあの男は惜し過ぎる。あの男は、私の矢で、それも一矢で終わらせるべき男だ。それだけの価値が、いや、それだけの尊さが、ロアーヌにはある。
「それはまずいですぞ、坊っちゃん。フランツ殿に要らぬ疑いを持たれる」
 私は思わず、ゴルドに顔を向けた。
「何故?」
「敵将、それも剣のロアーヌという大物をむざむざ取り逃がしました。これがどういう意味か分かりますな」
 内通。これを疑われる。ゴルドは、そう言っている。
「ただでさえ、この陣営には間者が紛れ込んでいるのです。そんな状態でロアーヌを無傷で帰すとは、内通とまでは言わずとも、何かあるのでは、と疑われても仕方ありますまい。まぁ、疑われて困るというのは、坊っちゃんがこのまま官軍に属しているなら、という事ですが」
「ゴルド、何が言いたい」
「さぁ、私めに言えるのはここまでです」
「メッサーナとは戦う。私は高祖父が築きあげたこの北の大地を、守り抜かなければならないのだ」
「そうですな。守り抜かなければなりませぬ。しかし、それはメッサーナからですか?」
 また始まった。私は、そう思った。ゴルドには回りくどい所があった。言いたい事があれば、はっきりと言えば良いのだ。意見を言うのは身分に関係なく自由だ。ただ、その意見をどうするかは私が決める、ただそれだけの話なのに、ゴルドはややこしくしたがる。
「もう良い。フランツに疑われようと、私の知った事か。私は私の責務を果たすだけだ」
 これでゴルドとの会話は終わりだ。ゴルドがさらに何か言おうとしたが、手で制した。
「シルベン、厩(うまや)に居る汗血馬をロアーヌに贈ってやれ」
「は? 何を言ってる?」
「聞こえなかったのか。汗血馬をロアーヌに贈ってやれ、と言ったのだ。中途半端な奴は駄目だぞ。名馬と呼ばれるのを選べ」
「お前、正気か?」
「シルベン殿、君主に対してその言葉遣い」
「爺さんは黙ってろよ。お前、フランツにこれ以上、疑われるような真似をして良いのか」
「ロアーヌとの勝負に、そんなものは関係ない」
 そう、関係ないのだ。もうフランツには疑われている。だから今更、小事を気にした所でそれは無意味な事だろう。だったら、あとは私の気が済むまでやるだけだ。その上で結果を出せば良い。フランツが欲しいのは過程ではなく、結果だろう。ロアーヌを討てば、奴も否応なく納得する。
 そして何より、ロアーヌとは約束したのだ。名馬をやる、と。その上で再戦する。そう約束したのだ。
「最近、俺はお前についていけんぞ。名馬を選んでくれてやるなんて、意味が分からん」
「ロアーヌにはそれだけの価値がある」
 私がそう言うと、シルベンは額に手を当てて僅かに首を振った。
「わかったよ。で、どうやって渡すんだ」
 私自身が出向く。そう言おうと思ったが、やめておいた。猛反対をくらうのが目に見えているからだ。それにフランツの件もある。私自身がメッサーナ陣営に行けば、それこそ何事かと思われるだろう。かと言って、名の無い兵を使えば、ロアーヌの名が落ちる。
「シルベン、お前が行け」
「おい、ふざけるのも大概にしろよ。俺に死ねって言ってるのか」
「ロアーヌには命を一つ貸してある。それがある限り、お前に手出しはできん」
「俺が言ってるのはそういう事じゃない。敵陣営に行くんだぞ」
「メッサーナの肩を持つお前が、やけに小心じゃないか」
 私がそう言うと、シルベンは舌打ちした。
「偵察も兼ねて行ってくれ」
「そのまま寝返っても恨むなよ」
「無論だ。ゴルドも良いな」
「仰せのままに」
 ゴルドが、あるか無きかの表情で、静かに頭を下げた。
 あとは馬だが、これはとびきりの名馬を贈るべきだろう。性格は荒々しい方が良い。ロアーヌの戦い方は、まるで獣だ。本能で機を感じ取り、一気に飛び掛かってくる。そこに逡巡はない。私の馬は気性は大人しいが、恐れを知らない所があった。つまり、勇気があるのだ。だが、このような馬はロアーヌには合わないだろう。
 北の名馬と剣のロアーヌが合わさった時、一体どうなるのか。そう考えると、再戦が楽しみになった。
 フランツに疑われている事など、もはやどうでも良かった。

       

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