Neetel Inside 文芸新都
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 バロンの考えにはついていけなかった。とは言っても、これは幼い頃からの話で、今となっては慣れたものである。だが、敵将に名馬をくれてやる、などというのは、狂言どころの騒ぎではない。それもその敵将は、あの剣のロアーヌなのだ。
 俺は、その剣のロアーヌに名馬を届ける使者だった。鷹の目バロンの副官が、ただの小間使いか、という自嘲に似た思いはあったが、同時にバロンらしい、とも思った。
 バロンには、他人の尊厳を第一に考える所がある。本当は自分で届けたかったのだろうが、フランツの件があるのだ。かと言って、名も無い兵士ではロアーヌを侮辱する事になるかもしれない。そこで、副官である俺を使者に立てたのだろう。
 俺は、バロンのそういう所が好きだった。普段は、高祖父の血がなんだのと堅苦しい奴だが、自分の中でこれは大事だ、と思った事には一直線に進む。それがバロンなのだ。その進みようには無茶な部分も多いが、ついていこう、と思わせる魅力も併せ持っている。
 だが、高祖父の血が絡むと話は別だった。その最たる例が、官軍を抜けるか否かの件である。
 おそらくだが、バロン自身は官軍を抜けたがっている。メッサーナに臣従したい、と思っているかどうかは微妙だが、この国に嫌気は差しているはずだ。
 しかし、行動はできないだろう。高祖父の血が、あいつを縛り付けている。俺も軍師であるゴルドもそれに気付いてはいるが、迂闊に口を挟める事ではなかった。高祖父の血というものだけは、バロンにとってかなりデリケートな部分なのだ。
 少なくとも、俺はメッサーナに悪い印象は持っていなかった。臣従という形は取りたくないが、同盟なら組んでも良い相手である。メッサーナも今の立場で考えれば、味方は欲しいはずだ。今のメッサーナはまさに孤軍奮闘といった感じで、端から見ればよく持っている、という印象なのだ。
 官軍にはまだ切り札がある。それも一つではない。地方軍の将軍を一斉に集め、その全てをメッサーナにぶつければ、メッサーナは一ヶ月と持たずに陥落するだろう。
 いや、そんな必要などないかもしれない。大将軍一人で良い。大将軍一人をメッサーナにあてがえば、それで全てが終わるという気がする。
 だが、これはメッサーナ単体として考えたら、の話である。メッサーナと北の大地が手を組めば、大将軍とて苦戦するだろう。今の大将軍は指揮で力を発揮する部類の将軍だ。大将軍自身は老いのせいで、武芸の腕は落ちている。剣のロアーヌと鷹の目バロンが同じ戦場で手を組めば、大将軍とて無事では済まされないはずだ。特にバロンの弓矢は、信じられない程の飛距離と精度の高さを誇るのだ。さらに槍のシグナスが居たなら、大将軍の首が取れるかもしれない。
 虚しい空想だった。この類の空想は何度も描いたが、実現するのは難しい事だ。バロンの問題もあるし、何より国に反旗を翻す、というのは並大抵の事ではない。リスクが高すぎるのだ。
 不意に、一緒に連れている馬がいなないた。毛色は赤褐色で、身体は並の軍馬の二回りほど大きい。
「どうした、落ち着け」
 この馬をロアーヌにくれてやるのだが、問題は乗りこなせるのかどうかだった。いや、そもそもで乗れるのか。北の大地では、乗ろうとした人間を全て振り落としてしまったのだ。気性は荒く、人間を見下しているという節もある。
 だが、間違いなく名馬で、駆ける速さは天下で一、二を争うものだろう。しかし、乗り手が居なかった。半分、ヤケクソのようなもので、俺はこの馬を選んだのだ。
 馬が暴れ始めた。怒りに任せているというより、単に興奮しているという事だろう。並足での移動で、鬱憤が溜まっているのかもしれない。
「仕方がない、駆けるか。だが、全力は駄目だぞ。俺の馬はお前ほど速くない」
 言って、俺は自分の馬に鞭をくれた。駆け始める。それに並走する形で、ロアーヌにくれてやる馬もついてきた。
 すぐにメッサーナ陣営が見えた。
 陣営の門まで馬を進めると、門番達の戟で道を塞がれた。
「何者だ。見た所、官軍の軍装のようだが?」
「鷹の目バロンの副官であるシルベンだ。我が主とロアーヌの約束を果たすため、名馬を一頭もってきた」
 俺がそう言うと、門番達が顔を見合わせた。
「これがその馬だ。あいにく、まだ名前がない」
「で、でかい」
 一人の門番が、声を漏らした。北の大地の馬はどれも大きいが、ロアーヌにくれてやる馬はより一層大きい。
「ここで待て。ロアーヌ将軍に確認を取ってくる。それと武器を預かるぞ。良いな?」
 俺は黙って頷き、腰にはいている剣を投げ渡した。
 馬が、興奮していた。しきりに前足で土を掻いている。それだけでなく、身体をぶるんと何度も震わせていた。何かを感じ取っているのか。
 しばらくすると、偉丈夫な男と痩身な男がやってきた。馬の興奮がさらに高まっている。
「これは、鷹の目バロン様からの使者ですか」
 言ったのは、痩身な男だった。
「シルベンという。我が主は、ロアーヌを好敵手として認めた。だから、この馬をくれてやるとの事だ」
「私はヨハンです。メッサーナでは軍師をさせて頂いております」
 瞬間、ヨハンからとんでもない才気が溢れ出した。目の光が鋭い。だが、それは不安にさせるものではなかった。何かを見抜かれた。それも見抜いて欲しいものを見抜かれた。そういう感じである。
「それと、こちらがロアーヌ将軍です」
 やはりそうか。俺は、そう思った。官軍時代に居る時よりも、身体が大きくなっている。表情も引き締まっており、かなりの戦歴を積んでいるようにも見えた。
 そのロアーヌが、俺の後ろの馬を注視していた。他のものには一切、目をくれていない。不思議な事に、馬の興奮も収まっている。心を通わせているのか。あの馬が、心を通わせる事の出来る人間を見つけたのか。
「どうやら、ロアーヌ将軍はその馬にぞっこんのようです。どうです、シルベン様、メッサーナ陣営を歩いてみませんか?」
 敵に自軍の中身を見せるのか。そう言いかかったが、何か意図がある。俺は、そう思った。
「この先の事でも話しながら、どうです?」
 このヨハンという男、どこまで読んでいるのだ。発言のひとつひとつに、何か深い意味がある。そう思わせる凄みがある。
「そうさせてもらおう」
 俺がそう言うと、ヨハンはニコリと笑った。

       

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