Neetel Inside 文芸新都
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 心が震えた。目の前の馬を見た瞬間、俺の心が震えたのだ。これは初めての感覚で、ずっと追い求めていたものと巡り合えた、言葉で言い表すならば、こういう事だ。
 しばらく、目の前の馬をジッと見つめていた。馬が、俺に語りかけてくるのだ。自分に乗せるべき人間を見つけた。共に戦場を駆け回ろう。馬が、そう語りかけてくる。
 一歩だけ、近寄った。馬が小さく身体を震わせる。
「お前の名は?」
 馬は何も言ってこない。まだ、名は無いのだろう。
「俺はロアーヌ。俺がどんな人間かは、もう分かるだろう」
 剣の腕だけで生きてきた。たった一人の友と共に、大志を抱き、ここまで生きてきた。だが、その友を失った。俺は、そんな人間だ。
 さらに一歩、近寄ると、馬が自分の方から駆け寄って来た。鼻の頭を擦りつけてくる。
「そうか、俺を分かってくれるのか」
 心に水が染みわたるようだった。シグナスが死んで、俺は間違いなく独りだった。仲間は居るが、本当の意味で打ち解ける事など出来なかったのだ。俺は、無意識の内に、壁を作ってしまう。これはどうしようもない事で、そんな俺が本当に心を許せたのは、シグナス一人だけだった。
「駆けよう。俺と共に」
 言って、俺は馬に跨った。
 威風が、全身を包み込んできた。闘志が、勇気が膨れ上がる。跨るだけで、それを感じた。
 駆けよう。馬にそう語りかけた。腿で馬体を絞る。
 刹那、突風。駆けていた。いや、飛んでいた。俺は、この馬と共に、原野を飛んでいる。
「お前の名、思いついたぞ」
 腿で馬体を絞る。弧を描こう。そう語りかけた。
「タイクーン、お前の名はタイクーンだ」
 風が唸りをあげた。孤を描く。俺は思わず、吼えていた。
 シグナス、見ているか。俺はお前を失った。それは何物にも代え難く、この沈んでしまった思いが消えてなくなる事はないと思っていた。いくら割り切ろうと思っても、お前の死だけは割り切れなかったのだ。だが、それも今日までだ。俺に、新たな友が出来た。
 その名はタイクーン。俺の探し求めていた戦友だ。シグナス、お前の大志は、俺とタイクーンが引き継ぐぞ。
「俺は、お前と共に天下に行く。シグナスの魂を乗せて、天下へと駆け抜ける」
 剣を抜いた。それを天へと突き上げ、思い切り吼えた。
 陣営から、兵達が出てきていた。俺とタイクーンの駆け回る様を、見ている。
「剣のロアーヌっ」
 声。タイクーンを連れてきた男の声だ。この男には、いや、バロンには礼を言わなければならないだろう。俺に、友を紹介してくれたのだ。
 タイクーンに乗ったまま、俺は男に近付いた。男の隣では、ヨハンがニコリと笑って立っている。
「敵には言いたくない言葉だが、威風堂々とはお前とその馬の事を言うのだろうな」
「タイクーンだ」
「タイクーン?」
「友の名だ」
 俺がそう言うと、男は目を閉じて微かに口元を緩めた。
「バロンに勝てると思うか?」
「勝負は時の運。タイクーンを得たからと言って、それは変わらん。だが、俺は負けるつもりはない」
 そう、負けるつもりなどない。初戦は、はっきり言って俺の負けだった。バロンの気質で、俺は命を拾ったようなものだったのだ。だが、あのような負け方はもう無いだろう。タイクーンが居る。タイクーンなら、俺の意志が伝わる。バロンは確かに強敵だ。しかし、タイクーンと共に戦えば、負ける事はない。
「バロンに伝えておこう。他に何か伝えたい事はあるか?」
「借りはいつか返す。そう伝えてくれ」
 命とタイクーン。バロンには、少なくとも二つの借りが出来た。それを返すまで、俺は死ねん。
「分かった」
 言いつつ、男が馬に跨る。この男の馬も相当な名馬だろう。しかしそれでも、タイクーンには及ばない。
「タイクーンには乗り手が居なかった。俺もバロンも、そいつにだけは乗れなかったのだ」
 男が馬首を返す。
「だからじゃないが、俺はお前が羨ましいぞ、剣のロアーヌ。バロンも、きっと羨ましがる。何せ、その馬は、いや、タイクーンは天下で一、二を争う名馬だからな」
「次で会うのは戦場か」
「そうなるな。まぁ、仕方あるまい。時の巡り合わせだ」
「バロンとも話をしてみたかった」
「機会はあるさ」
 この男とは、分かり合える。いや、バロンとも分かり合える。俺はそう思ったが、口には出さなかった。敵なのだ。俺達は天下を取るため、北の大地に攻め込んでいる。そして、バロンはそれを防ごうとしている。これは時の巡り合わせで、どうしようもない事だ。そして、タイクーンと出会えたのも、時の巡り合わせだった。
「さっき、俺はお前達の事を威風堂々と言ったが」
 男が、背中を見せたまま、顔だけこちらに向けてきた。
「人中のロアーヌ、馬中のタイクーン。俺は、そう思った」
 言って、男は馬腹を蹴って駆け出した。あっという間に、男の姿が小さくなっていく。
「シルベン様も、粋な事を言われたものです」
 ヨハンがニコリと笑っていた。
 あの男の名はシルベン。俺は、ぼんやりとそんな事を考えていた。

       

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