Neetel Inside 文芸新都
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 疲れていた。ついに私にも、老いという抗い難いものが圧し掛かって来たという事なのか。さすがに六十手前の年齢ともなると、全てが若い頃と同じようにはいかなくなっていた。しかしそれでも、私は国の宰相なのだ。実質的な、国での最高権力者なのだ。
 北の大地で、不穏な空気が漂っていた。統治者であるバロンの様子がおかしいのだ。今、北の大地は戦争中である。メッサーナと干戈を交えており、その戦況は芳しくないという。だが、問題はそこではなかった。
 北の大地が、バロンが、剣のロアーヌと馴れ合っている可能性が高い。いや、正確にはメッサーナとだ。私は各地方に間者を送り込み、様々な情報を探らせている。これは主に不正を正すための監視役であるが、他にも反乱の抑制としても使っていた。特に地方は、反乱分子の巣窟である。放っておけば、全国で一斉蜂起、という事にもなりかねないのだ。
 その地方の中で、反乱の危険を最も孕んでいるのが北だった。その根拠は政治のありようから始まるが、何より統治者であるバロンの姿勢が危険だった。何年かに一度の会合には顔を出さないし、私の政治を強く批判するような事を表でやったりもしたのだ。
 そのバロンが、北の大地の長だった。長がこれでは、その下がどうなるかは明白である。もし、バロンが反旗を翻した時、これを止める者が何人居るのか。いや、止められる者は居るのか。バロンの人望は、他とは比較にならない。バロンは、弓騎兵の始祖であり、建国の英雄の子孫なのだ。
 数年前、槍のシグナスを殺した。あれの人望も恐ろしいものであった。あのまま放っておけば、間違いなくメッサーナは手が付けられない状態になっていただろう。シグナスは人望以外にも、桁外れの強さまでも併せ持っていたのだ。
 当初は、シグナスが死ねば全てが終わると思っていた。それを実証するかのように、シグナスが死んだ途端、国に失望していた民達は目に見える形で落胆した。だが、そこからだった。現実はそこまで甘くなかったのだ。
 メッサーナは蘇りつつあった。剣のロアーヌを中心に据え、メッサーナは新たな活路を見出したのだ。そして、それが北だった。
 仮にメッサーナが北を取り込んでしまうと、これは厄介である。いや、厄介どころの話ではない。歴史が変わる。すなわち、戦乱の世に突入し、軍が力を持つ時代に入るのだ。
 小さな綻びが重なり合っている。今までを振り返ると、そう考えざるを得なかった。タンメルを殺して国の改革に乗り出した所までは良かった。だが、次にサウスを起用したのがまずかった。サウスは人の言う事を、いや、政治家の言う事を聞くタマではなかったのだ。
 そのサウスのおかげで、一体どれだけの計画が頓挫したというのか。そもそもで、シグナスを殺したと同時に、サウスがメッサーナに攻め込んでいれば、それで終わった話だった。それなのに、あれは攻め込まなかった。自分の楽しみを奪った。あれは、そう言ったのだ。
 しかしそれでも、サウスは処断できなかった。サウスは今の官軍の中で、貴重な人材である。人格はともかく、その能力は確かなものなのだ。それに、国がメッサーナに劣っている部分の一つに、軍事面の人材があった。こればかりはすぐに改善できる問題ではない。だから、サウスはまだ国にとって必要な人間と言えるのである。
 それにしても、メッサーナはしぶとい。シグナスを失って尚、力を振り絞ってくるのだ。だが、これは言い換えれば、それだけ今の国は腐っているという事なのだ。何としてでも改革する。そう思わなければ、メッサーナもここまで粘りはしないだろう。
 そして、そのメッサーナが北の大地を奪ったら、いや、北の大地がメッサーナと呼応したらどうなる。しかも、その臭いが強くなっている。
 バロンは、剣のロアーヌと命のやり取りを二度もやっていた。しかも、二度とも、殺して当たり前、というやり取りだった。一度はバロンが殺せた。そして、もう一度はその逆である。だが、その両者共に命を奪う事はしなかった。それどころか、そこで会話をしていたという情報まで入っているのだ。
 全く理解できなかった。一体、何の為に、何の為に戦をしているのだ。勝つためではないのか。敵を殺すためではないのか。メッサーナにとってバロンは、バロンにとってロアーヌは、最も首を取りたい対象であるはずだ。それなのに、何故。
 疲れていた。最近、考える事が多すぎる。だが、芯は強く保っていた。国の歴史を守る。この歴史だけは、何人(なんびと)たりとも触れてはならないものだ。そのためにどうすれば良いのか。どうすれば、メッサーナを叩き潰せるのか。
「フランツ様、よろしいですか」
 手の者の声だった。これはかつてのシャールが指揮していた闇の軍である。そのシャールは、シグナス暗殺時に死んだ。それからの闇の軍は、間諜を主に行っている。
「良い。入れ」
 すぐに手の者が部屋に入って来た。
 それから何も言わずに、手の者は一枚の書簡を手渡してきた。
「バロンの副官、シルベンから手に入れたものです。ちなみに、私はまだ中身を見ていません」
 中身を見ると、客観的な判断が出来なくなる可能性がある。そういう意味では、正しい行動と言えた。
「どうやって手に入れた?」
「眠っている間に。肌身離さず、といった状態でしたが、それから手に入れるのは我々にとっては造作もない事です」
「その日のシルベンの様子は?」
「いつも通り、というには、いささかおかしかったかと」
 それだけ聞き、私は書簡を開いてみた。そこには、最近の近況や親の話など、他愛のないものばかりが書かれているだけだった。だが、所々、墨で文字を消している。
 何度も、読み返す。だが、意味は読み取れなかった。
「誰がこれを書いたか分かるか?」
「いえ」
「メッサーナの人間の筆跡は頭に入っているか?」
「主だった人物であれば」
 私は頷き、書簡を手の者に見せた。
「これは軍師ヨハンの筆跡です。しかし、ヨハンがこれだけの誤字を」
「そこだ。しかも、ヨハンと言ったな。メッサーナで一、二を争う切れ者が、ここまでの誤字を出すわけがあるまい」
 となれば、この墨には何か意味がある。いや、そもそもでヨハンの筆跡の書簡を、何故シルベンが持っているのか。
 溜め息をついていた。
「フランツ様、お疲れのようですが」
「気にするな」
 頭を回転させた。メッサーナ側の計略の可能性もある。だが、それ以上に、バロンがメッサーナと誼を通じている可能性の方が高い。ロアーヌとの命のやり取り。北の政治の有り様。バロンの高祖父の時代と、今の国の有り様。
 バロンを殺した方が良いかもしれない。私は、そう思った。
 だが、バロンは国にとって貴重な人材である。軍事だけでなく、政治でも能力を発揮しているし、英雄の子孫という他の者にはないものまで持っているのだ。
 しかし、バロンを生かしておいたとして、その力を国のために使おうとするのか。北の大地には使うだろう。だが、国となると、どうなのか。
 可能性の話だった。国にとってプラスになる可能性。生かしておく、殺してしまう。このどちらが、国にとってプラスになるのか。いや、マイナスが少なくて済むのか。
「闇の軍を集めろ」
 言っていた。
「分かりました。目的は?」
「バロンを暗殺する」
 シャールが居れば。そう思ったが、すでに死んだ人間だった。
「期日は?」
「任せる」
「分かりました」
 目を閉じた。言ったが、本当に正しい選択なのか。いや、逡巡はすまい。
 再び目を開いた時、すでに手の者は消えていた。

       

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