Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 長い対峙だった。メッサーナがエイン平原に攻め込んできて、すでに半年が経とうとしている。
 これほど戦が長引く要因の一つとして、両軍の力の拮抗があった。兵力では私達の方が勝っているが、メッサーナは質でそれをカバーしているのだ。特に剣のロアーヌのスズメバチは、まさに天下最強の騎馬隊だった。おそらくだが、もう大将軍の騎馬隊よりも上だろう。ロアーヌがタイクーンを得て、そうなった。シルベンはロアーヌとタイクーンの事を、人中のロアーヌ、馬中のタイクーンと評していたが、まさにその通りだと思った。あれはまさに鬼神である。
 負けた。完膚無きまでに負けた。私と弓騎兵は、ロアーヌのスズメバチに負けたのだ。いや、それだけではない。私とホークも、負けた。
 あのぶつかり合いの事は、今でも覚えている。私は本気でロアーヌを射殺するつもりだった。矢を二連で撃ち放ち、ロアーヌを屍にするつもりだったのだ。だが、それをタイクーンがかわした。凄まじい気迫だった。馬が、乗り手を守ったのだ。あの時点で、私は敗北を覚悟していたのかもしれない。私とホークは、あれほどまでに心を通じ合わせていなかったのだ。
 その後の事は、思い出したくもなかった。私は誇りを粉々に打ち砕かれ、心は失意の底にあった。軍を退く時、涙が止まらなかった。誇り高く死ぬ事も出来ず、軍を退く。これほどの無念が、あるというのか。私は切にそう思ったのだ。
 それからは、両軍共に大きなぶつかり合いもなく、声だけの夜襲や、小競り合いばかりをやっていた。私の弓騎兵も、ロアーヌのスズメバチも、あれから全く動いてない。
 消耗戦だった。兵糧は潤沢で、食い物には困らないが、兵に疲労がたまっている。それはメッサーナも同じだろうが、我々の方がそれが顕著だった。
 我々にとって、今回が久々の戦である。つまり、言い換えれば、戦慣れしていないのだ。対するメッサーナは、戦続きでこういった対峙には慣れたものだろう。何度か本物の夜襲をかけようとしたが、警戒が厳重すぎて実行するには至らなかったし、せめて、声だけの夜襲でも、とやってみたが、目立った混乱も無いようだった。それでいて、陣には常に緊張感を漂わせているのだ。
「どうしますかの、坊っちゃん」
 幕舎で考え事をしていると、軍師のゴルドがやってきた。
 坊っちゃんはやめろ、と言いかかったが、抑えた。これは、今までに何度も言ってきた。それなのに直らないのだ。そのくせ、ゴルドは他の事にはすぐに気がつく。わざと言っているようにしか思えなかった。
「メッサーナを崩す方策が見つからん。ロアーヌのスズメバチもそうだが、槍兵隊と弓兵隊も厄介だ」
 槍兵隊は針鼠の陣形が、弓兵隊はクライヴの戦術眼が手強い。さらにその後ろでは、ヨハンの指揮がある。
「これ以上の対峙は難しいですぞ」
「兵糧か? 兵の疲労か?」
「いえ。フランツ殿です」
 小さくため息をついていた。頭の痛い事だった。私にはその気がないのに、フランツは疑ってかかってくる。結果を出して、身の潔白を証明してやりたいが、メッサーナは思った以上に手強い。
「大きなぶつかり合いをしていない。これは、疑惑を深めてしまいます」
「そう易々とぶつかる事が出来るなら、ここまで苦労はせん。こちらとて、犠牲は払いたくないのだ」
「フランツ殿は軍人ではなく、政治家ですからのう」
「政治家だろうが何だろうが、少し考えれば分かる事だろう」
「疑惑と老いで、判断能力が低下しているやもしれません」
 七十手前の老人が言える事か。私は、そう思った。
「何にせよ、まだ軍は退けん。エイン平原の次の戦場は、北の大地になってしまうからな。あそこに戦は持ち込みたくない」
 それからしばらく、戦術の話になった。さすがにゴルドの軍学は造詣が深い。だが、それでも、メッサーナを崩す方策は見つからなかった。ヨハンの存在が大きい。あれのせいで、計略の類が封じられてしまうのだ。だが、それは相手も同じ事だろう。
 陽が落ちてから、ゴルドは幕舎を出て行った。
 ロウソクの灯が消えかかっていた。新しいのに取り替えよう。そう思った瞬間だった。
 外から、無数の殺気を感じた。肌を舐めるような気味の悪い殺気である。
 メッサーナからの刺客か。一瞬、それが頭を過った。だが、らしくない。おそらくだが、違う。勘がそう言っている。
 出来るだけ音を立てず、弓と矢を背負った。さらに腰元の剣に手を忍ばせる。この殺気。私を殺そうとしているのか。
 刹那、何かが倒れる音が聞こえた。殺気の方向が変わる。
「バロン、生きてるかっ」
 シルベンの声。さらに倒れる音。その直後、金属音。シルベンが外で闘っているのか。だが、誰と。
「おい、返事をしろっ」
「生きているっ」
 言って、幕舎を出た。同時に剣を抜き放つ。
 囲まれていた。全身、黒装束の男達。その手には短剣だ。数は百名足らずと言った所か。
 闇の軍。私の頭の中に、不意にそれが浮かび上がった。国は、秘密裏に暗殺を得手とする、闇の軍と呼ばれるものを擁している、と聞いた事がある。この目の前に居る者達は、まさにそれではないのか。だが、何故ここに居る。
「シグナスはこいつらに殺されたっ」
 言いながら、シルベンが一人の男を斬り下げる。
「今度の狙いは、お前のようだぞ、バロンっ」
 何故。まず思ったのはこれだった。何故、私の命が狙われているのだ。
「フランツ」
 呟いていた。まさかとは思うが、疑心に駆られて、私を殺そうと考えたのか。あの男。
 すでにシルベンの息が荒い。戦闘時間は短いはずだが、この重圧の前では。
 どうする。私の剣の腕はせいぜい並の上と言った所だ。かと言って、弓で闘える距離ではない。
 その瞬間だった。馬蹄が聞こえた。
「バロン将軍っ」
 旗本の弓騎兵だった。僅か数騎だが、こっちに向かって駆けてくる。
「バロン、走れっ」
 シルベンが叫び、敵中に飛び込んだ。弓騎兵の方へと突き進んでいく。その間、敵が何度も覆いかぶさって来た。それをシルベンが防ぎ、斬り伏せる。
「お前だけは何としても守るっ」
 刹那、シルベンの真横を敵が襲いかかった。死角。そう思った瞬間、私が敵の首を飛ばしていた。
「気負うな、シルベン」
 言って、私も前に出た。二人で敵中を走る。
 敵の輪を抜け出た。弓騎兵と合流する。私の愛馬、ホークを連れて来ていた。走りながら手綱を掴み、飛び乗る。すでにホークは走り出している。その横に、馬に乗ったシルベンがついた。
「メッサーナの陣営に向けて駆けるぞっ」
「何? メッサーナだと。何故だっ」
「訳はあとで話す。ゴルドも居るはずだっ」
 馬を疾駆させた。弓騎兵の数騎も後をついてくる。すでに闇の軍の殺気は消えていた。任務失敗。そういう事なのか。
 未だ、頭が混乱していた。

       

表紙
Tweet

Neetsha