Neetel Inside 文芸新都
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 時代が変わろうとしていた。メッサーナは大きな転機を迎えようとしているのである。
 私はメッサーナを離れ、ピドナに向かっていた。そのピドナに、ある人物が入ったのだ。
 その名はバロン。鷹の目である。バロンの家は代々が軍人の家系で、名族だった。だが、私にとって、そんな事はどうでも良い事だった。要は、バロン自身がどんな人間なのか、という事である。名族の血を引いている事を、鼻にかけるような人間なのか。それとも、それを内に秘め、一つの誇りとしているような人間なのか。
 はっきり言って、私の家は凡庸な一族だった。代々が役人の家系ではあるが、高官となった者は一人として居ない。父も小さな町の小役人で一生を終えた。そんな家で生まれた私が、今ではメッサーナの統治者なのだった。
 人に恵まれた。いや、人だけではない。機にも恵まれた。私は自分の人生を、そう捉えていた。
 昔から、人の才能を見抜いたり、引き出したりする事は得意だった。人と、ほんのちょっと一緒に時を過ごしてみると、この人はこういう事が得意だろう、というのが分かるのだ。それは私に対する言動から読み取れる事もあるし、端から様子を見て読み取れる事もあった。
 心が震える程の才能を秘めている人間。私の人生の中で、こういった人間に出会えた事は数回あるが、その初めてとなる人間がヨハンだった。
 元々、ヨハンは名も無い書生だった。というより、名も無い書生であろうとしていた。自らの能力を隠していたのである。一度だけ、私はヨハンと共に仕事をする事になったのだが、その時、ヨハンは明らかに手を抜いていた。他の者からしてみれば、あれが限界だろう、と見えていたのだろうが、私には手を抜いているようにしか見えなかった。
 それが切欠となり、私はヨハンに興味を持った。そこからは早かった。互いに心を開きあい、いつの間にかヨハンは私を敬愛してくれていた。
 そして、共にメッサーナで国に反旗を翻した。思えば、それからの私はヨハンに助けられてばかりだった。メッサーナの統治者は私だが、その実はヨハンだと言っても良いぐらいである。あの剣のロアーヌと槍のシグナスを連れてきたのも、ヨハンだったのだ。
 そのヨハンが、今度は鷹の目バロンを引き入れようとしていた。しかも今回は人だけではなく、北の大地という領土をも引き入れようとしているのだ。
 無論、ヨハン以外にも心を震わせるような人間は居る。だが、私とヨハンは、それを超越していた。今回の件で、私は強くそう思った。
 メッサーナを発って十四日後、私はピドナに辿り着いた。馬を早駆けさせれば、もっと早く着くのだが、私は馬に乗る事は得意ではなかった。
 メッサーナ領となってからのピドナに入ったのは、これが初めてだった。思ったよりも街に活気があり、戦時中だというのに、民の表情は明るかった。おそらく、兵を信頼しているのだろう。民のために戦う、それが、メッサーナの兵なのだ。
 私はその街の中を、ゆっくりと馬で移動した。時たま、民が私に気付き、頭を下げたりもするが、私はそれを笑顔で返すのだった。私とて、一人の人間なのだ。統治者であろうが何だろうが、たった一人の人間に違いはない。だから、民に対して態度を大きくするのは、間違っている。
 そのまま、政庁へと入った。門番の兵士が、びっくりしている。
「ラ、ランス様。どうして」
「バロンが来た、と聞いたのでな。居ても立ってもいられず、一人で来てしまった」
「それは分かりますが、すでにこちらから迎えを出していました。途中で会いませんでしたか」
「さぁ、どうであろうか。私は途中で街道を外れたからな」
 言って、私は大声で笑った。門番の兵士は、呆れたような表情をしている。
「バロンはどうしている?」
「一人、部屋の中でジッとしています。誰が声をかけようとも、返事もしません」
「ほう?」
「バロンの副官にシルベンと言う者が居るのですが、これの呼び掛けにも反応しないようです」
「わかった。とりあえず、ヨハンに会おう。通っても良いか?」
 私がそう言うと、兵士は慌てて道を開けた。そんな兵を労いつつ、私はヨハンの居室に向かった。
「ヨハン居るか?」
 言いつつ、扉を開ける。書類を捌いていたヨハンが、顔をあげた。
「ランス様、ですか? やけに早い到着で」
「いや、一人で来たのだ。どうやら、途中で迎えの者達とすれ違ってしまったらしい」
「また無茶をされましたな」
 言って、ヨハンは溜め息をついた。
「なに、メッサーナの政治の事なら大丈夫だ。若い者達が育ってきている。お前やルイスも、もう若いとは呼べない年齢になってきた。次代の事も考えねばならん」
「私が言っているのはそうではなく、その御身の事です。いかにメッサーナ領と言えども、暗殺の危険性は絶えずあるのです。そこをしっかりと」
 ヨハンの長い説教の始まりだった。言っている事は確かに正論なのだが、いまいち私は同意しかねる。命の価値は誰でも平等なのだ。私はそう思っているのだが、ヨハンは私を特別視したがるのである。だが、ヨハンが死ぬのが私にとって嫌であるように、ヨハンもこれに似た思いがあるのだろう。
「それで、バロン様に会いたくて来られましたな?」
「うむ。そのバロンは、部屋に籠り切りだと聞いたが」
「計略を使ったのです。これについては特に反発はないようなのですが、未だに高祖父の血について悩んでおられるようです」
「私は、まだバロンの人となりをよく知らないが」
「誇り高い人です。頭もよくキレますし、弓の腕はロアーヌ将軍が認める程の腕前です」
「誇り高いが故に、国を売った葛藤を抱えている。要はそんな所か?」
「すでに国に対しては何の思いも抱いてはおられません。また、自らの夢を貫くとも決めています。あとは血の問題ですな」
 その血で、今も尚、思い悩む。バロンにとって、自身に流れる血はそれほど重いものなのだろう。メッサーナに来たという事は、もう私達と共に戦う事を決心したはずだ。しかしそれでも、ここに来て迷う。私は、これに対しては当然だ、と思った。それが人間なのだ。
「少し、話をしてみよう」
 バロンの心を解きほぐす。今の私に出来ることは、これぐらいしかなかった。

       

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