Neetel Inside 文芸新都
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 国が揺れた。時代が変わった。
 鷹の目バロンが、メッサーナに帰順したのである。これはまさに、国全体が震撼したと言っても良い。メッサーナのみの反乱であったなら、たかが一地方の反乱、という見方も出来たが、これに北の大地が加わったのである。この事から、もう地方の反乱とは呼べなくなった。すなわち、国の中に国が出来た。いや、国が二つに分かれてしまったのだ。
 これは、戦国時代への突入を意味していた。すでに北と中央の境目、今では最早、国境であるが、そこの慌ただしさは相当なものになっていた。特に官軍は長らく呆けていたせいで、軍全体にまとまりがない。戦の準備と言っても、それを上手く指揮できる人間が少なすぎるのだ。しかも準備ができたとしても、本番の戦となった場合にどうなるのかは分からない。
 そんな官軍の中でも力を持った軍隊。その中の一つが、北の軍だった。それが、メッサーナに帰順してしまったのだ。
 一体、誰のせいなのだ。私のせいなのか。いや、誰のせいだとか、そういう話ではなく、起こるべくして起きた事なのか。私の今までの行動は、全て今日(こんにち)の出来事への布石に過ぎなかったのか。
 国は間違いなく腐っていた。その腐りを取り除くために、私は軍と役人を整えた。これに間違いなどあるはずがない。必要な事だったのだ。ただ、時期が悪かった。時代が悪かった。メッサーナが居たのだ。そのメッサーナを叩き潰せなかったのが、全ての元凶だった。
 メッサーナは一体、何なのだ。シグナスを殺して、もうそれで済むだろうと思っていた。だが、実際は鷹の目バロンを糾合し、さらにその力を大きくさせた。メッサーナは一体、何だと言うのだ。
 国へ対する民の不満、怨念。それを具現化したものが、メッサーナなのか。
 私の力だけでは、国の歴史を守る事は出来ないのかもしれない。能力の限界。私は、それを痛感していた。
 人には、それぞれ得手・不得手がある。私をそれを乗り越えて、全てを一人でやろうとした。それは仕事だけではなく、国に向けられる民の憎しみまでも、私は一人で背負おうとしてきた。だが、一人の力には限界がある。これは当然の事だ。だから、私は部下を使い、これまでの全てを取り仕切っていた。これが、盲点だったと言えるのではないのか。
 得手・不得手を考えた時、私が得意とする事は何なのか。そして、苦手とする事は。
「私は政治家であり、軍人ではない」
 政治、つまり内での頂点と、軍事、外での頂点で、頂点に立つ人間を二人にしていれば、今のような事は起きなかったのではないのか。私は今まで、前に出過ぎていた。政治家であるのにも関わらず、軍事に口を出し過ぎていた。軍事の頂点に立つ人間を差し置いて、私はやり過ぎたのだ。
 ならば、軍事の頂点とは、誰なのか。
「レオンハルト大将軍」
 軍神と呼ばれる男。天下最強の軍を率いる男。もう老齢で、前線に立つ事は難しいだろうが、それでも尚、人望厚い男である。そして、国の切り札。
 話をする時が来たのか。今まで、私はどこかこだわりがあった。国を守るのは自分だ。そういうこだわりが確かにあった。大将軍は地方の反乱如きでは腰をあげない。これは、こだわりに対する言い訳に過ぎなかった。今になって、それがよく分かる。皮肉だが、本当の事だった。
 思い立つと同時に、私は軍管区に向かっていた。ひと際、豪壮な屋敷に、レオンハルトは居る。
 レオンハルトが統括する区域だけは、ただならぬ気を発していた。それは遠目からもハッキリと分かり、武術の心得がない私にも即座に感じ取れるものであった。
 大将軍統括区域に入ってから、通行の途中、私は何度も門番に戟で道を塞がれ、姓名やら何やらを審問された。この時点で、すでに他の官軍とは違う。サウスの軍ですら、このような事はないだろう。また、門番の一人一人が、覇気に包まれていた。それは、こちらを圧倒してくる。
 レオンハルトの屋敷に到着した。豪壮な屋敷だが、軟弱な空気はない。むしろ、豪壮ゆえに壮健なる気が感じ取れた。
 レオンハルトは、広大な庭の中に咲く桜の木を眺めていた。まだ花は咲いていないが、芽吹いている。
「これは珍しい客人だ」
 レオンハルトは桜の木を眺めたまま、呟くように言った。こちらには背を向けたままだ。
「レオンハルト大将軍、お久しゅうございます」
 言って、頭を下げた。レオンハルトの年齢は六十前後と、私と大して変わらないが、軍の頂点に立つ男である。国の頂点の立つ宰相であろうが何だろうが、こうするのが礼儀だった。
「槍のシグナスが死んだな、フランツ殿」
 言われて、何の話だ、と思った。シグナスが死んだのは、もう何年も前の話なのだ。
「あの男の無念さを思うと、儂はやり切れん。戦で死なせたかった。あの男は、本当に良い武人であった」
「私が殺しました。というより、私の命令です。大将軍」
「分かっておるよ。そして、フランツ殿の気持ちもな。国の歴史は確かに重く、尊いものだ。それとはまた別に、武人の命も重く、尊い」
「レオンハルト大将軍、今日は」
「そう急くな、フランツ殿。今まで、儂と貴殿はあまりにも離れ過ぎていた。同じ思想を抱く同志であるのにも関わらずな」
 言われて、私は息が詰まるような思いに襲われた。語気は穏やかで、落ち着いた声色であるのに、とんでもない威圧感がある。
「儂とて、今までただ呆けていた訳ではない。もう軍を引退していてもおかしくない年齢ではあるが、世間がそれを許さぬ。武神、軍神、必勝将軍。今では、矍鑠翁(かくしゃくおきな)か。そういった異名は、人を大きくさせ、時を止める」
 レオンハルトが振り返った。反射的に一歩、下がろうとした身体を、私は懸命に支えた。これが伝説の男。そう思わせるには、十分だった。長身に彫りの深い顔。そして、胸まで伸びた灰色の髭。
「貴殿とは語らねばならぬ事が多くある。春が訪れようとしているとは言え、まだ外は寒い。屋敷の中で、話そうではないか」
 レオンハルトの言葉に、私はただ頷いた。威圧感は、別のものに変わろうとしていた。信頼。そういったものに、変わろうとしていた。

       

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