Neetel Inside 文芸新都
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 俺は森の中で、火を熾していた。野宿である。
 その俺の傍で、シグナスが短刀で野兎の皮を剥いでいた。苦労に苦労を重ねて仕留めた一羽の兎だ。食料はこれだけだが、今の俺達には十分だった。腹はあまり減っていない。というより、食欲がそこまで湧いていなかった。
 あの村の出来事が、そうさせていた。
 あの村で俺達がやった事は、決して間違った事ではなかったはずだ。俺はそう思った。威張り散らして、不当な行為を働こうとした軍人を、俺とシグナスが殺したのである。正しいと思ってやった事だった。だが、あの村にとってはそうではなかった。あの軍人の横暴さに耐える事こそが、あの村では正しい事だったのだ。それが今の世の中であり、弱者の生き方だった。
「ロアーヌ、俺は何が正しくて、何が間違いなのか分からなくなった」
 不意にシグナスが言った。
「一体、何が正しいんだろうな」
 俺はただ黙っていた。
 何が正しいのかは、人それぞれだ。人それぞれ、正義を持っている。その正義を資本にして、人は生きている。それは俺もシグナスも同じだ。だが、その正義を否定された。それも守るべき人間から否定された。
 俺達の正義は、決して間違っていない。間違っているのは、この世の中だ。だからこそ、それを正さなければならない。しかしそれでも、あの老人の眼は記憶に焼き付いていた。全てを諦めた、何かを憎む事さえ諦めた眼だった。
「お前はきっと、心の中で何かを言ってくれてるんだろうな。だが、今の俺には、それを読み取る事すらできん」
「シグナス」
 俺は火を熾しながら言った。あえて、シグナスの方は見ない。
「正義は人それぞれだ」
 火が付いた。薪がパチパチと音を立てて、燃え始めた。
「だから、俺達のやった事は間違っていない」
 シグナスの方に眼を向けた。もう、兎の皮は剥ぎ終えているようだ。短刀で、肉をいくつかに切り分けている。あとは焼くだけである。
「あの村はどうなるのだろうな」
「さぁな。まぁ、無事では済むまい」
 おそらくだが、村は焼き払われるだろう。そして村人は奴隷にされる。冤罪をきせられて、というより、軍人達の腹いせでそうなる。俺達のせいで、そうなる。
 シグナスが兎の肉を焼き始めた。木の串に突き刺して、火にかざす。時々、肉の脂が火の中に落ちてジュッという音を立てていた。
「悪い事をした」
「過ぎた事だ」
「お前はそんな簡単に割り切れるのか?」
「割り切るしかないと思っている」
 シグナスはそれ以上、何も言わなかった。黙って、肉を焼いている。
 シグナスには珍しく、過ぎた事を気にしている。俺はそう思った。この男は、一旦過ぎた事はあまり気にしない。常に前を見ている男で、俺はそれが羨ましかった。だが、今は全くの逆である。俺はすでに割り切っているのだ。悪いのはこの世の中で、俺達は間違っていない。村には確かに罪悪感はあるが、それを思った所で村の未来は変わらない。だから俺達は、それを、罪を背負うしかないのだ。罪を背負って、東に行く。
「ロアーヌ、俺の頬をぶん殴ってくれないか」
 肉を裏返しにしながら、シグナスは言った。
 何を言っている、と一瞬思ったが、すぐに理由は分かった。ケジメをつけたいのだろう。自分の中では、どうにもケジメがつかない。だから、俺に殴らせて、無理やりにケジメをつけようとしているのだ。そうすれば、前を見られる。シグナスはそう言っている。
「肉を食う前と、食った後。どっちが良い」
 俺がそう言うと、シグナスはちょっと笑った。
「どうせなら、肉は美味く食いたい。食う前にしてくれ」
「分かった」
「本気で頼むぜ」
「気絶するなよ」
「腐った官軍と同じにするな」
 肉が焼けた。それを葉っぱの皿に置く。シグナスが頬を差し出してきた。
「一発、景気の良いのを頼むわ」
「あぁ」
 それだけ言って、俺は思いっきりシグナスを殴り飛ばした。それは本当に殴り飛んだ、といった感じで、一転、二転して、ようやくシグナスの身体は止まった。ピクリとも動かない。だが、意識は失っていないだろう。
 不意にシグナスが声をあげて笑いだした。
「いってぇ。だが、ありがとよ。これで美味い肉になりそうだ」
「顔が腫れてるぞ。強く殴り過ぎたか」
「いや、構わん。頼んだのは俺だからな」
 もう、シグナスは笑っていた。表情は明るい。いつものシグナスだ。
 肉を食い始めた。美味い。俺はそう思った。

 それから数日、俺達は東に向かって駆け続けた。もう民に迷惑をかけたくなかったので、町や村は避けて通った。昼間に駆け、夜になれば森や林の中で野宿をする。俺達は用心深く、東に向かっていた。いつ、追手に見つかるか分からない。すでに全国に手配書が回っているのだ。
 国をぶち壊す。この思いだけは、俺の胸の中で膨らみ続けていた。眠る前に、腐った役人どもや、タンメルの顔が浮かんでくる。今に見ていろ。俺は心の中で、そう叫び続けた。
 そして、ついにその目的地が見えたのである。
「あれが、メッサーナか」
 俺はシグナスと馬を並べて、丘の頂きに立っていた。すでに日は落ちようとしていて、空は赤く染まっている。
 丘の上から見たメッサーナは、広い町とは言えないが、治安はしっかりしていそうだった。町の入り口は兵士が固めており、奥の方には大きな屋敷が見える。あそこが、政治を取り仕切っている所なのだろう。それを中心に、東西南北に兵舎や調練場、牧場などが見えた。町の郊外にも、牧場らしきものが見える。
「行こうぜ、ロアーヌ」
 シグナスが笑みを向けて来た。それに対して、俺は頷き返す。
 馬に乗った。そして駆ける。国をぶち壊す。その思いを抱き続けて、俺達はここに来た。風を切りながら、俺は心の中でそう叫んでいた。

       

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