Neetel Inside 文芸新都
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 兵が死に物狂いで駆けていた。ちょっとでも遅れたら、俺の鞭が飛ぶのだ。それだけでなく、もし転んで隊列を乱してしまったら、鞭打ち二十回が待っている。
 官軍は今までが腑抜け過ぎた。それは目を覆う程のもので、フランツの改革で少しはマシになったが、それでも一度根づいてしまった悪しき体制を覆すには至らなかった。官軍は賄賂を得る為の温床となっていたのだ。だから、どうしても戦う為でなく、金を得る為に兵になる奴が多くなる。特に高官の馬鹿息子などは、まず官軍に送り込まれる。そこで一気に将軍にまでのし上がり、金の収集に全てを費やすのだ。
 俺の軍だけは、そんな事はさせなかった。南方の雄と呼ばれる俺がコモン関所に駐屯を始めてから、少なくとも近隣の官軍は引き締まった。と言うより、引き締めさせた。どれだけ言っても賄賂がなくならないので、見つけ次第、首を刎ねるようにしたのだ。最初の内は政府の高官どもが喚き散らしていたが、俺がやっているのは、ただ過激なだけで間違った事ではない。それを無視し続けていたら、黙認がされるようになった。無論、フランツからの咎めの声も無かった。もっとも、あいつが咎めてきた所で、言う事を聞くつもりは無かった。
 時代が変わった。戦国時代の突入である。英雄の子孫であるバロンが、メッサーナに寝返ったのだ。
 英雄の血だの何だのは、俺は好かなかった。大事なのは今である。親や先祖が偉大だからと言って、その血を受けた子も偉大というのは間違っている。そいつらはあくまで、その先祖の功績にすがっているだけだ。そして、それが何代も続くと今の王のようになる。今の王は誰がどう見ても阿呆だ。始祖の血を受けているだけで王座に座っている、ただの間抜けである。
 だが、それでも良いと俺は思っていた。王は阿呆だが、権力には興味を示さないのだ。ほとんどの権力を宰相であるフランツに渡し、自身は遊び呆けている。こうなれば、あとは宰相の問題だ。そして、フランツの思想は、王にとっても国にとっても、プラスになるものだった。
 そのフランツが、軍権を大将軍に渡した。これで軍事関係は大きく変わった。政治家の意見が軍事に挟まれなくなった事で、本当の意味で軍が強化され始めたのだ。調練面に関して言えば、これはかなり大きい事である。今までは、どうしても政治家が軍事面に対しても大きな顔をしていたのだ。これは、フランツが権力を握っていたからだ。
 フランツの改革で実力の無い者は上に立てなくなった。これは良い。だが、それだけだった。それだけで、政治家の権力が削がれたという訳でなかったのだ。
 そして政治家は、自分の息子が、知り合いの息子が、親族が、こういったくだらない理由で軍事に口を挟んでくる。だが、それも出来なくなった。大将軍が軍権を握り、各将軍が、本当の意味での権力を得たのだ。これで政治家どもは、やっと軍事に口を出せなくなった。
 一人の兵が、息を乱して遅れ始めていた。それを見止めた俺は、すぐに馬で追い付き、背中を鞭で引っ叩いた。兵が悲鳴をあげる。
「何をする、この老いぼれがっ。私の父上は政府の」
 言い終わらぬ内に、俺は再び兵に鞭をくれた。悲鳴。
「お前の父は政府の高官か? だからなんだ。俺は南方の雄だ。その偉い父上様を俺の前に出してこい。すぐに首を刎ねてやるぞ。おら、さっさと駆けろ」
 鞭をくれる。兵は地べたに顔をうずめ、身体を痙攣させていた。
「ゴミ屑が。お前のような屑が、今までの官軍には溢れ返っていた。お前、元々は将軍だっただろう。フランツの改革で兵に落とされても、未だに官軍に居るとは根性が据わっていると思ったが、まだ賄賂を得られると思っていただけか」
「こ、殺してやる」
「やってみろ」
 言って、俺は腰元の剣を投げ渡した。
「俺は丸腰だ。ほら、かかってこい。それとも、父上様が居ないと何もできないか?」
 そう言うと、兵が叫び声をあげて斬りかかってきた。大抵の屑は、剣を投げ渡しても震えて泣いているだけだが、こいつは斬りかかってきた。少しは肝があると言っていい。
 俺は剣を蹴り飛ばして、片手で兵の首を掴み、そのまま持ち上げた。
「だが、お前は政治家の息子だ。ゴミ屑だ。このまま、くびり殺してやる」
 兵の顔が赤黒くなっていく。
「サウス将軍、お戯れを」
 側に居た大隊長が言ってきた。俺は軽く笑い、首から手を離した。兵が無造作に地面に転げ落ちる。
「これから官軍は強くなる。再び、天下最強の軍に戻るのだ。俺はそれを手伝っているに過ぎん。俺の調練に耐えきれないなら、お家に帰るんだな。弱兵は必要ない。メッサーナと戦っても、その命を無駄にするだけだ」
 口から泡を吹き、白目を剥いている兵に、俺は唾を吐き付けた。
「邪魔だからどこかに捨てて来い」
 他の兵達が明らかに怯えていた。だが、その中でもあぁなって当然だ、という顔をしている者も居る。これだけ絞りあげても、まだ兵は一枚岩ではない。
「何を眺めている。さっさと駆けろ」
 俺がそう言うと、兵達がハッとして駆け始めた。
 調練はそれぞれの将軍に任せるというのが、大将軍の意向だった。大将軍の調練は、これほど悪辣ではないが、俺以上に厳しい。だから、天下最強の軍なのだ。俺は、その大将軍の軍に少しでも近付けたかった。そして、メッサーナを叩き潰す。
「メッサーナと言えば、剣のロアーヌか」
 今現在で、天下最強と謳われる男である。こういう噂は誰が流すのか知らないが、とにかく今はロアーヌが最強という事になっている。それまでは、大将軍であるレオンハルトだった。もし、シグナスが生きていれば、天下最強は二人だったのだろうか。
「ロアーヌ、シグナス、そしてバロン。三人を相手に、俺は戦がしたかった」
 もはや叶わぬ夢。だが、俺の心は逸っていた。時代が変わったのだ。戦国時代に突入したのだ。
 バロンがメッサーナに帰順して二年が経っていた。そして、メッサーナがコモンに攻め込んでくるまで、あと一年か二年と言った所か。
 乱れが無くなった兵の調練を見ながら、俺はそう思っていた。

       

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