Neetel Inside 文芸新都
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 自分が老いているなどとは、微塵も思わなかった。いや、正確には、老いているから若い者には勝てないとは思わなかった。老いと若さは、優劣ではない。それぞれに、それぞれの長所があるのだ。そして、老いとは今までにどういう歳の取り方をしてきたのか。これが、重要なのである。そして、その歳の取り方に、儂は大きな自信を持っていた。
 年齢を言えば、誰もが老いぼれ、という目で見てくる。だが、儂は大将軍なのだ。大将軍とは、軍の頂点に立つ男。頂点に立つ男とは、他の者には無い圧倒的な才能と、類稀なる実績を持っていなければならない。少なくとも、儂はそう考えている。
 メッサーナの統治者は、何の才能もないという。武芸も並以下で、戦はできないと聞くし、政治手腕もフランツには及ばない。それなのに、頂点に立つ人間として仰がれているのだ。
 理解できなかった。そんな男に、何の魅力があると言うのか。誰が付いていきたい、と思うのか。その点、フランツは長い間、この国を支えてきた。国を支えるだけで一生を終えれば、これは凡人と評価されただろう。だが、あの男は国の改革に乗り出したのだ。それも他者の反発をも受け入れる形で、だ。これは誰にでも出来る事ではない。だからフランツは、メッサーナの統治者などより、よっぽど魅力のある人間だ。少なくとも、儂はそう思っていた。
 儂は三十二歳で今の大将軍の地位につき、あれから三十年間、軍の頂点に立ち続けた。全てにおいて儂は勝ってきた。特に戦と武芸に関しては、ただ勝つ、というのはやらなかった。圧倒的勝利。二度と立ち上がれないように、儂は敵を叩きのめしてきたのだ。
 それを繰り返していたら、いつの間にか敵が居なくなっていた。そして、国は腐っていった。敵が居なくなり、平和が訪れた国は、内部から朽ちていったのだ。その結果、忠臣は国を去り、多くの戦友は憤りを胸に死んでいった。
 虚しさはなかった。というより、どうでも良い、という思いしか無かった。儂はやる事をやったのだ。国に害をなす敵を殲滅し、政治家が力を発揮できるようにした。そこからは政治家の問題であって、軍人の問題ではない。
 フランツがもっと早く世に出ていれば、国はここまで腐る事はなかっただろう。フランツが宰相についたのは、あまりにも遅すぎた。だからこそ、改革が始まった、と言い換える事も出来るが、すでに忠臣や、儂と共に戦った猛者達は居ないのだ。これは、はっきり言って痛手だ。そこに、メッサーナが歴史に台頭してきたのである。
 儂個人としては、今の状況は悪くないと思っていた。フランツには悪いが、楽しんでいる自分が居るのだ。生涯無敗、必勝であり続け、武神、軍神などと異名をつけられた儂でさえも、血が躍る。今のメッサーナは、それほどの敵だという事だ。
 メッサーナの軍は、どれもこれもが強い。ロアーヌのスズメバチばかりに目が行きがちだが、その他の軍も天下で争える精強さだ。もはや官軍など、有象無象のようなものだろう。シーザーの獅子軍の攻撃力は圧倒的であるし、クリスとクライヴの堅実さはシーザーの無謀さを上手く打ち消している。そして、シグナスの遺した槍兵隊は、ロアーヌのスズメバチとの相性が抜群に良い。バロンの弓騎兵は、もはや言うまでもないだろう。
 もし、シグナスが生きていれば、メッサーナは天下が取れたはずだ。国側は、儂が出て行った戦には勝てる。だが、それだけだ。その他方面を同時に攻められたら、これはもう無理だろう。いくら儂とて、一人の人間である。儂の出向く戦場で勝利を収めても、その他方面が負ければ意味がない。そして、バロンを得たメッサーナは、それが出来る勢力になっている。
 メッサーナ軍の兵力は、推定で二十万にまで膨れ上がっていた。一方の官軍は、軍を整理した事もあり、四十万に減っている。さらにこの内の十万は異民族の抑えや、王の護衛という無意味な任務についている兵である。つまり、実質は三十万の兵力なのだ。そして、質はメッサーナに劣る。
 これはつまり、メッサーナ軍に対する国の優位性が消えた事を意味していた。天下二分。今の状況を言うならば、これである。
 しかし、フランツは良いタイミングで儂に声をかけたものだった。メッサーナが小粒である頃ならまだしも、十分に大きくなってから、あの男はやって来たのだ。それもシグナスを殺し、国とメッサーナの力関係を五分五分にして、だ。
 人は、我慢してでも生き続けた方が良い。儂は切にそう思った。戦友らは国に失望し、自殺を計ったりしたが、儂は生き続けた。そして、今に至るのだ。戦友らは深く考え過ぎた。国の腐りをどうこうするのは、政治家の仕事なのに、まるで自分の事のように考えてしまったのだ。
「父上、稽古を終えました」
 池の中を泳ぐ鯉を見ていると、息子のハルトレインが後ろから声をかけてきた。
「どうであった?」
「剣、槍、戟、弓、体術。全て、勝ちました。父上、相手が弱すぎます。本当にこれが天下最強の軍なのですか」
 ハルトレインは才能の塊だった。儂には六人の息子が居るが、ハルトレインは六番目の末っ子である。他の五人も良い軍人に育ったが、せいぜい大隊長が良い所だった。万単位の指揮をさせるには、器量が伴わない。だが、ハルトレインは違う。僅か十五歳にして、大隊長にまでのし上がり、その武芸の腕はすでに官軍一だ。戦の経験はまだ無いが、模擬戦では無敗である。
「お前が強すぎるのだ、ハルト。だが、思い上がるなよ。お前はまだ初陣すら飾っていない。天下には人が多く居る。今の官軍では、サウスか。あの男は武芸はもう駄目だが、戦は老練で上手い」
「私よりも、ですか」
「当然だ。お前はまだ十五歳だぞ。サウスと軍歴を比べるべくもなかろう」
 儂がそう言うと、ハルトレインは舌打ちをかました。
 ハルトレインの欠点は、この傲慢さだった。才能の塊で強すぎるが故の話なのだが、何よりもまだ子供だ。そして、世界を知らない。この傲慢さは、時と共に薄れて行くだろう、というのが儂の考えだった。
「父上、今の天下最強の男は、剣のロアーヌと聞いています」
「そうだな」
「私の方が強い」
 言ったハルトレインを、儂は睨みつけた。
「思い上がるな、と言ったはずだ、ハルト。剣のロアーヌの強さをその目で見たのか。実際に打ち合ったのか。空想で物事を語るな。それは身を滅ぼすぞ」
「しかし、私は誰にも負けていません。すでに死んだ槍のシグナスなど、闘神と謳われています。それが気に入らないのですよ」
「確かにお前は強い。だが、剣のロアーヌや槍のシグナスと同列に語るのはやめておけ。笑い者にされるだけだ」
「父上」
 ハルトレインが殺気を醸し出した。実の父である儂にさえ、牙を剥いてくる。だが、これは別に悪い事ではない。力を持て余しているだけなのだ。要はこれを、正しい方向へと持っていかせれば良い。
「そろそろ、メッサーナがコモンに攻め込んでくる。兵力はまだ分からんが、間違いなくロアーヌが出陣する。そして、鷹の目であるバロンもな」
「だから?」
「この戦がお前の初陣だ。だが、コモンの統治者はサウス。故に、お前はサウスの指揮下に入る」
「私は父上の下につく大隊長です」
「だから、なんだ?」
「軍令ですか、これは」
「そうだ。サウスの指揮下に入り、メッサーナ軍と戦ってみろ」
「拒否したら? サウス軍は天下最強の軍ではありません。私は、天下最強の軍を率いたい」
「ハルト、怖いのか? 天下最強の軍と一緒でないと、恐ろしくてたまらんのか」
 儂がそう言うと、ハルトレインの眼に殺気が宿った。
「朗報をお待ちください、レオンハルト大将軍」
 そう言ったハルトレインの声には、明らかな怒気が混じっていた。

       

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