Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。抱くは大志
第十七章 アビス原野-初戦-

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 行軍の乱れはなかった。
 アビス原野に向かう、五万の軍勢である。斥候の話では、すでに十万のメッサーナ軍はコモン関所を出て、アビス原野で陣形を展開しているらしい。ただ、実際に陣を組んでいるのは五万で、残りの五万は二手に分かれてアビスを迂回している。ルートから予想するに、ナゼール丘陵とバレンヌ草原を越えてからの都攻めだろうが、これについてはすでに迎撃の構えは出来ていた。
 どの戦線も落としてはならない状況下だった。だが、このアビス原野だけでも勝てば、メッサーナの全軍を追い返せる。そして、コモンも取り戻せる。すなわち、このアビスが勝敗の鍵なのだ。
 アビスに出てきているメッサーナ軍の総大将はバロンだった。軍師にはヨハンが付いており、スズメバチのロアーヌと槍兵隊のアクトも出てきている。
 今のメッサーナ軍で、最強の組み合わせだった。欲を言えば、アクトがシグナスであってほしかったが、それは言っても仕方がない。武士(もののふ)は、死んだのだ。
 やはり、儂は武人だった。国の存亡がかかっているというのに、心の底から今の状況を楽しんでいる。メッサーナは間違いなく、儂の生涯の中で最強の敵だ。これまで儂は、幾度となく強敵と干戈を交え、それらを叩き伏せてきた。メッサーナは、その全ての強敵達をも軽く凌ぐ。中でも剣のロアーヌ率いるスズメバチ隊は、天下で、いや、歴史上で最強の騎馬隊だろう。もしかすると、儂の軍よりも強いかもしれない。
 まだ、自分の目で見たわけではない。実際に戦ってもいない。だが、分かる。儂の武人としての血が、勘が、メッサーナは最強の敵だと教えている。スズメバチ隊は、その最強の中の最強だと、教えている。
「大将軍、明日にはアビスに到着致します。陣形の御命令を」
 息子のハルトレインが、馬を寄せて言ってきた。この男も大人になった。戦では、血のつながりなど関係ない。従って、儂の事も父とは呼ばせなかった。儂も、ハルトレインは一人の部下として扱う事にしている。
「現状維持。まずはメッサーナの陣形をこの目で見る。ただ、兵には臨戦態勢を取らせろ」
「はっ。エルマン、ブラウ殿にも、そう申し伝えておきます」
 敬礼し、ハルトレインが馬で駆け去った。
 ハルトレインの階級は、大隊長のままだった。いや、大隊長のままにしておいた、という方が正しい。将軍として扱っても問題ないのだが、将軍にすると副官のエルマンやブラウの指揮権外になる。そうするには、まだハルトレインの経験が足りないのだ。
 この日の行軍にも、問題はなかった。ただ、気持ちが落ち着かない。年甲斐にもなく、興奮しているのだ。浅い眠りを経て、儂は最強の敵を目の当たりにした。エルマンとブラウ、それに十数騎の共を連れて、先行したのだ。
「ほう」
 思わず、声が出ていた。丘の上から見下ろす形だが、その陣形は強烈な気を放っていた。
「斥候め、報告が足りぬわ」
 ただ陣を組んでいる訳ではない。絶えず、微妙に変化している。今もまた、陣形を少し変えた。気が、向けられるべき場所に向けられている。
「エルマン、これをどう見る」
「手強いでしょうな。軍の質の高さを、この時点で証明しております」
 サウスでは勝てない訳だ。あの男に謙虚さがあれば、良い勝負は出来ただろうが、それでも勝利は得られなかっただろう。
 血が騒いでいた。攻め方はいくつか浮かんでくるが、どれも成功に繋げるには困難が付きまとう。
「とりあえず、初戦は突っ掛けたいが」
 最初にハルトレインを使おうと思っていたが、やめた方が良い。ハルトレインの正攻法では崩せそうもないのだ。特に右翼に控えているスズメバチ隊は、全てを喰い殺す程の気を放っている。虎縞模様の具足が、さらにそれを際立てていた。
「ブラウ、奇襲はできそうか?」
 儂がそう言うと、ブラウはすぐに頷いた。
「どこを攻める? メッサーナ軍の陣形は、隙がない」
「騎馬隊。軽騎兵で。ただし、夜」
「戦う時間は?」
「三分」
「良いだろう」
 それで、ブラウは儂から目をそらした。少し特殊な人間だが、言っている事は的を得ている。
 確かに今のメッサーナ軍には、隙がない。だが、崩せるかどうかは別の話だ。そして、その突破口は騎馬隊である。優秀な指揮官が居ない。というより、バロンが弓騎兵と二足の草鞋をはいている。つまり、指揮に逡巡が生じるのだ。そこに、速さに優れる軽騎兵で奇襲をかける。三分という戦闘時間も、妥当な所だろう。メッサーナ軍を相手に、突入・戦闘・離脱を考えると、三分でも長いぐらいかもしれないのだ。
「よし、まずは睨み合いに入る。陣を組むため」
 戻るぞ。そう言い終わる瞬間だった。鋭気。
 それを感じた時、馬の足元に矢が突き立っていた。馬が棹立ちになりかけたが、何とか抑え込む。
「大将軍」
「騒ぐな、エルマン。警告だ。バロンのな」
 この距離からでもお前を射殺できる。さっさと去れ。バロンは、そう言いたいのだろう。
「この矢で、儂を殺さなかった事を、後悔するなよ」
 言って、儂は馬腹を蹴った。

       

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