Neetel Inside 文芸新都
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 俺が所属するスズメバチ隊は、本隊とは少し離れた位置で野営していた。これは父の判断で、総大将のバロンや軍師ヨハンらの思惑とは、別の所に在るらしい。もっとも、スズメバチ隊は遊撃隊なので、本隊とは別の指揮体系を持っている。つまり、ある程度は自由に動けるのだ。
 何故、父は本隊からわざわざ離れたのか。俺にはその理由が分からなかった。本隊と一緒に居れば、間違いなく安全である。軍学的にも、千五百の兵力で別の場所に陣を取るというのは、危険だった。もっとも、側面から攻撃を加える事ができる、という利点もあるが、今は奇襲を受けた直後なのだ。つまり、守りに入っている。そんな状態で、本隊から離れて良いのか。
 だが、スズメバチ隊の総隊長である父が出した命令なのだ。黙って従う他なかった。というより、信じる。俺は誰よりも父を尊敬しているし、誰よりも父を信頼しているのだ。
 実の父は、槍のシグナスと呼ばれる天下最強の槍使いだった。どこに行っても、実父は強かった、と言われた。そして、兵の心をよく掴み、まさに英雄だったとも言われた。
 そんな事を周りから言われても、俺はよくわからなかった。実父との記憶はほとんどない。微かに抱かれた温もりが記憶としてあるだけだ。それ以外には、思い出がないのである。だが、実父が良いように言われるのは嬉しかった。それを誇りとする事もできたし、自らの拠り所にもできたからだ。だから、実父であるシグナスは、俺の中で英雄だ。実感や記憶はなくとも、俺の英雄なのだ。
 実父とは別に、剣のロアーヌという育ての親が居た。こちらは天下最強の剣使いで、今では天下最強の男とまで言われている。このロアーヌと双璧を成していたのが、シグナスだった。
 ロアーヌとシグナスは互いに親友で、互いに認め合っていたという。だが、シグナスは志半ばで倒れた。父は多くを語ってくれなかったが、暗い死に方だというのは分かった。つまり、理不尽な死を迎えたのだ。俺はこれ以上は知ろうとは思わなかった。大事なのは何故、死んだのかではなく、その死をどう受け入れるか。父は、まだ俺が幼い頃、短くそう言ったものだった。
 俺はとにかく強くなりたかった。実父は戦場で勇名を轟かせ、槍を一振りすれば、そこに道ができたという。そんな男に、俺もなってみたい。そして、さすがにシグナスの血を引いている、と周りから言われるようになりたい。その思いだけで、俺は鍛練を積んできた。
 今でも父には勝てない。だが、そこそこの勝負はできるようになった。そう自覚した時、父から戦に出ろ、と言われた。言われた時、当然だ、という思いと、まだ戦に出るべきではない、という思いが交錯した。
 まだ戦に出るべきではない、と思ったのは、未だに自分の中で戦う理由が明確とされていないからだ。実父の仇を取りたい、というのはある。だが、父らは、メッサーナの兵達は、もっと大きな何かを持って戦っているのだ。その何かが、戦う理由が、俺は知りたかった。
 俺はまだ十五歳の童だ。スズメバチ隊の兵達で、一番若い者でも十八歳である。そして、俺はこの戦が初陣だった。
 出陣から、何から何まで、初めて経験する事ばかりだった。軍学をルイスから習ってはいたものの、やはり勉学と実戦は全く違う。兵が居る。敵が居る。陣を組んでいる。そして、空気が違う。何かが起きるとする。それを軍学に当てはめて考える。そうしたら、もうその出来事は終わっている。全てがそんな具合なのだ。
 俺は、一兵卒だった。いや、一兵卒で十分だった。隊の指揮を執れと言われたら、それこそ無理な話だろう。とにかく、一兵卒として精一杯やるしかない。そう思い定めたら、少しは気が楽になった。あとは、とにかく生き残る為に武器を振るうしかないだろう。
「レン、大丈夫か? さっきから眉毛がハの字だぞ」
 笑いながら、ジャミルが話しかけてきた。俺が所属する、八番隊の小隊長である。ジャミルは、俺より四歳年長の十九歳だった。合計で十五人居る小隊長の中でも、ジャミルは一番若い。
 スズメバチ隊は、一隊百名の十五の小隊に分かれていた。その小隊が五つ集まったものが大隊で、大隊長は三人居る。その大隊長を束ねるのが、父であるロアーヌだった。
「緊張しているのです。初陣ですから」
「何を言ってる。お前の武芸の腕なら、官軍なんぞ屁みたいなもんだろう」
「実戦と鍛練は違うと思います。それに、軍で動く調練はそれほど積んでないですし」
 何度か調練には参加させて貰えた。それで動きには付いていけた。だから、父も出陣を許してくれたのだろう。俺は、自分の中でそう思っていた。
「素直な奴だなぁ。お前ぐらい強くて、まだ十五歳って言ったら、もっと天狗になっていてもおかしくないぞ」
「父上の方が強いですから」
「総隊長は別の次元だよ。俺も自分の武芸には自信を持っているが、総隊長とは一合としてやり合えん。気で圧し負ける」
「俺もですよ、ジャミル隊長」
「お前、俺と同じ次元で話してんじゃねぇよ、この野郎」
 笑いながら、ジャミルが小突いてきた。それで、俺も自然と笑みがこぼれていた。緊張も少しほぐれている。
「これから、どうなるのでしょうか」
「本隊から離れたからな。これがどう転がるか、だ」
 ジャミルが腕を組んで言った。
 ふと、馬蹄が聞こえた。
「奇襲隊の帰陣か」
 声だけの奇襲隊である。だが、帰陣にしては妙に馬蹄がけたたましい。
「何かおかしい。レン、出陣の準備だ」
 ジャミルが不意に言った。まだ早いのでは。そう思ったが、身体はすでに馬に跨っていた。
「八番隊、出陣準備っ」
 ジャミルが声を張り上げる。決断が早い。いや、出陣を前提として考えれば当たり前の事だ。周りの兵達が、次々に馬に跨っていく。
 直後、一番隊の旗が振られた。ロアーヌの居る隊である。つまり、総隊長命令。旗の動きは、出陣のそれだった。
 全てが早い。いや、俺が遅いだけだ。
「スズメバチ、八番隊、出陣っ」
 ジャミルが右手を振り下ろしながら、声を上げた。すぐに兵達が陣形を組む。俺もそれに遅れまいと、必死だった。出陣する。つまり、戦に出る。初陣だ。
 一番隊が動くと同時に、全隊が動き始めた。
 心臓の鼓動が速い。槍を持つ手が、震えている。

       

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