Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。抱くは大志
第七章 結束

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 雪が積もっていた。ピドナは原野に囲まれた城郭都市だから、雪に悩まされる事はほとんどない。だが、ランスの居るメッサーナはそうではないだろう。メッサーナの周囲は山岳で、冬の寒さは並ではないのだ。雪も人の背丈ほどは積もるし、雪崩などの自然災害も少なくない。
 ピドナがメッサーナ領となってから、三週間が経過していた。俺は部下の槍兵隊と共に、ピドナ防備の任についている。内政はヨハンとルイスがやっていて、こちらの方はいくらか安定してきていた。
 ピドナは賑やかな町だった。メッサーナも賑やかなのだが、やはり辺境である。ピドナとは民の数が違うし、何より交易が少なかった。ピドナは都を中心に交易が盛んで、東地方では最大規模を誇る町である。
 そのせいか、ピドナは物が豊富だった。肉一つを取っても、猪や羊、牛や兎と何種類もあるのだ。メッサーナは、羊を牧場で養っているから、羊肉が多い。それに野菜も、寒さに強いものが中心だった。
 食べ物もそうなのだが、ピドナには綺麗な女が多く居た。というより、着飾り方を知っている。メッサーナの女は良く言えば純朴、悪く言えば田舎娘ばかりだった。ロアーヌは女などには興味はないのだろうが、俺はどちらかと言うと好色である。だから、俺はメッサーナよりもピドナの方が好きだった。まだ駐屯を始めて三週間しか経っていないが、この賑やかな雰囲気はどこか馴染みやすい。それに女の愛想も良かった。
 この所、ロアーヌは塞ぎ込んでいた。あいつはそれを表面には出していないし、周囲の人間も気付いていないが、俺には分かった。たぶん、サウスに負けた事が関係している。俺は現場を見ていないので詳しい事は知らないが、結果は大敗という話だった。
 励ましてやりたい。俺はそう思ったが、ロアーヌは気難しい男である。プライドも高いし、他人に心配してもらう、という事を、恥だと思っている節もある。だから、方法は選ばなければならない。もちろん、あいつの部下達はこの事を知っている。なんだかんだで、あいつは部下に慕われているのだ。
 サウス戦について、詳しい事を知りたいと思ったが、本人に聞いても話したがらないのは明白だった。だから、俺はロアーヌの部下達から色々と話を聞いた。
 旗本を半数以上、死なせていた。しかも、ロアーヌの不注意が原因である。
 サウスの首を取るため、あいつは軍の指揮を放棄してまで敵本陣に向けて突き進んだ。深追いに気付いた時には、利き腕の自由を奪われ、軍は半壊状態だったという。
 難しい問題だった。どう励ましてやれば良いのか。おそらく、あいつは自分が原因だったという事を知っている。それに、次にどうすれば良いのかも考えただろう。後は、気持ちの切り替えだった。自分のせいで、部下を死なせた。この思いが、あいつを縛っているのかもしれない。
「ウィル、お前は落ち込んだらどうする?」
 降り積もった雪を踏みしめながら、俺は口を開いた。ウィルは俺の副官である。ウィルには慎重すぎるという欠点があるが、同時に、これは、と思うような粘り強さも持っていた。
「さぁ、どうでしょうか。私は落ち込む時は、ガックリと落ち込みますから」
「ギリギリまで耐えるのか?」
「耐える、という表現は違うと思います。待っていれば、どこかで転機が回って来る。そう考えているだけです」
「なるほどな。そりゃ、粘り強くもなるか」
「? しかし、珍しいですね。シグナス将軍も、落ち込む事があるのですか」
「残念だったな、俺じゃない」
 俺とウィルが歩いている所は、食物を中心に扱っている市だった。このまま奥へと行くと酒が売ってあり、この酒がまた美味い。俺は、これを買うつもりだった。
「ロアーヌ将軍ですか?」
「まぁな。とりあえず、酒でも買っていって一緒に飲もうかと思ってるんだが」
「シグナス将軍のそういう所が凄い。私はロアーヌ将軍を目の前にすると、何を喋って良いのか分からなくなります。うかつな事を言うと、首を斬られそうで」
「お前のそういう所が駄目だ。まずはやってみる。戦も同じだぞ。だが、やる前に色々と考えるのだ。そして、これだ、と思ったら、後は何も考えずにそれをやれば良い」
「はぁ」
「いや、悪かった。俺はお前にそういう所を求めてはいないのだ。慎重だというのも長所の一つだしな。要は、考え過ぎるなって事だ」
 ロアーヌについて相談しようかと思ったのに、いつの間にか逆に俺がウィルを励ます事になっている。それに気付いて、俺は思わず苦笑した。
「私はシグナス将軍が羨ましいですよ。指揮は果敢だし、兵達はみんなシグナス将軍を好いています」
「俺は特別な事は何もしてないんだがな」
「やってます。苦しい事は率先してやるし、兵が危機に晒されたら出来る限り手を差し伸べます。私には真似できません」
「お前はそういう事をやる必要がないだけだ。そういうのは俺がやる。お前は、俺にない部分をたくさん持ってるんだぜ。せっかちな俺と違って落ち着いているし、戦の情況もよく見れてる。だから、気落ちするな。人には役割ってもんがある」
「はい」
 ウィルが二コリと笑った。
「さてと。俺は酒を買って、ロアーヌを励ましてやるとするか。ウィル、お前はどうする?」
「私はピドナの活気を見に来ましたので、しばらくは市を周ってみようと思います」
「田舎者だなぁ、お前」
「私は将軍と違って、この国の町はメッサーナしか知らないのです。だから、こういう賑やかな都会は歩いているだけで楽しいのですよ」
「ピドナが都会だぁ? お前、都に行ったら腰を抜かすぞ」
 俺がそう言うと、ウィルは笑った。
「今度、連れて行ってください」
 そんなウィルに対して、俺は苦笑した。どこか、人懐こい。都ではあまり見ない人種だった。
 それから俺はウィルと別れて、酒屋を目指した。この酒屋は華やかな通りから少し外れた所にあって、ぱっと見は汚いボロ家である。だが、何とも言えない甘美な香りが家の中から漏れていて、俺はその匂いを頼りにして道を辿っていた。
「まるで犬だな」
 苦笑する。だが、その香りに違わぬ美味い酒なのだ。
 酒屋に着いた。相変わらず、汚いボロ家である。方々でガタが来ていて、雪の重みで家が潰れないか心配だ。
 玄関の引き戸を開ける。
「親父、居るか」
 声を上げた。返事がない。その代わりに、小走りでこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「すみません、父は裏の方に行っていて」
 若い女だった。くっきりとした鼻梁。穏やそうな目。俺は、何故かそれに吸い込まれそうになった。美しい女である。適度に着飾って、適度に純朴だ。年齢は二十代前半といった所だろう。
「そうか」
 それしか言う事がなくなった。というより、言葉が出なかった。
「名は?」
 妙な沈黙をかき消すかのように、俺は口を開いた。
「父の、ですか?」
「あ、いや、すまん。君のだ」
「私はサラと言います」
「良い名だ。父と言ったな。君はこの酒屋の主人の娘か、サラ?」
「はい。えっと」
「シグナス」
「槍の?」
「さぁな」
 言って、俺は笑った。軍人だという事を明かす必要はない。それに、戦を嫌う女も少なくないのだ。ここまで考えて、俺はこの女に嫌われたくないのだ、と思った。
「酒を買おうかと思ってな」
「はい。ありがとうございます」
 サラが、二コリと笑った。俺は、また吸い込まれそうになった。これがまた心地よい。
「あの棚の上の酒にしてくれ。友人と飲むから、大き目の瓶で頼む」
 俺が指差すと、サラは笑顔のまま返事をして、酒瓶を持ってきた。持ってくるまでの仕草も上品で、俺は思わずサラに見入っていた。
「サラ、君はもう結婚しているのか?」
 勘定を渡しながら、俺はサラに尋ねた。自然に聞いたつもりだったが、どこか声がうわずっている。それに、言った後で唐突かもしれない、とも思った。俺は女に対してはそんなに緊張しないタチなのだが、今回はどこか勝手が違うようだ。そんな自分に、戸惑いも覚えた。
「いいえ。シグナスさんは?」
「俺は花嫁募集中ってとこだ」
「あら、良い人が見つかるといいですね」
「君にもな。じゃ、ありがとう。また来るよ」
 そう言って、俺は酒屋を出た。
 惚れたか。俺はそう思った。長らく、女に惚れるという事は無かったという気がする。美しい、抱きたい。そういう思いはずっと持ち続けたが、共に過ごしてみたい、と思ったのは久しい。
「まぁ、まずはロアーヌだ」
 自然と、俺の顔は綻んでいた。

     

 寒風が肌に突き刺さる。もう夕暮れ時で、空は曇っていた。今夜は雪だろう。
 俺は積もった雪を踏みしめながら、ロアーヌの家に向かっていた。これからあいつを励まさなくてはならないのだが、気分はどこか浮ついている。酒屋で会ったサラのせいだ。
「いや、おかげと言うべきか」
 風。身震いしたくなるような冷たさだが、心は温かい。
 ロアーヌの家についた。ロアーヌの地位は将軍で、望めばそれなりの家も用意されるのだが、住んでいる家は質素なものである。これはメッサーナに居た時からで、あいつとしては住めれば何でも良い、という考えなのだろう。ロアーヌは、物欲や性欲に関しては、驚くほど淡白だった。
「ロアーヌ、居るか」
 声をあげる。今日は調練が休みの日である。あいつの調練は激烈なもので、時たま兵が死んでしまう事もあるらしい。だが、メリハリはつけているようで、休みの日は休み、と決めているようだ。
 しばらくしない内に、ロアーヌが戸を開けた。
「シグナスか」
「おう」
「何か良い事でもあったか」
 そう言われて俺は、心の中で舌打ちした。表情には出ないように努力したつもりだったが、ロアーヌには見破られてしまったらしい。
「まぁな。それよりどうだ。一緒に酒でも飲もうぜ」
 ロアーヌがちょっと考えるような表情を見せた。こういう時は、押し切る事だ。
「暇してんだろ。飲もうぜ」
 すると、ロアーヌは口元を緩めた。そして、黙ったまま道を開ける。俺は酒瓶を持ったまま、ロアーヌの家に入った。家の外見もそうだが、中身も質素なものである。生活に必要な最低限の物しか置かれていない。これは相変わらずだった。
 居間に入り、俺はロアーヌと向き合う形で腰を下ろした。
「お前と酒を飲むのは久しぶりだなぁ、ロアーヌ。この所は戦続きで、お互いに兵と共に過ごす事が多かった」
「あぁ」
 お互いの椀に酒を満たす。
「シグナス、礼を言う」
 飲む前に、ロアーヌが言った。俺が何の目的でここにやって来たのかを察したのだろう。
「あぁ、気にするな。今日はお前の愚痴を聞くために来た。と言っても、お前から喋る事はないか」
 そう言って、俺は声をあげて笑った。ロアーヌも口元を緩めている。
「戦で散った同胞達に、乾杯だ」
「あぁ」
 椀を合わせ、お互いに一口で呷る。そして、すぐに次を注いだ。
「先のピドナ陥落戦では、俺の部下も多く死んだ。本当に厳しい戦だった。ルイスが策を持っていたから良かったが、あいつが居なければ、たぶん俺の軍は壊滅していただろうと思う」
 本当にそう思った。俺は軍を動かす事が得意ではない。というより、先を見据えて動くのが下手なのだ。ある程度の予測は立てられるが、それに対する手持ちのカードが少ない。だから、どういう風にして動けば良いのか分からないのだ。この事をランスは見抜いているらしく、戦をする時は必ずルイスが俺と一緒に出陣するようになっていた。
 そして、そのルイスも俺の力量と性格をしっかりと把握している。だから、ピドナ陥落戦でも、やれる所まで俺にやらせたのだろう。俺の切羽詰まった動きを見て、敵軍も攻勢の勢いは緩めなかった。そして、それが要因となって、俺達は逆襲の機を得たのだ。
「軍学はしっかりと学ぶべきだなぁ。俺は今回の戦で、切実にそう思ったぜ」
「知識だけあっても駄目だ。サウスとの戦で、俺はそれを痛感させられた」
「経験か」
「あぁ」
 最も大事な事だった。これは、槍でも同じような事が言える。知識だけあったとしても、実際に食らったり食らわせたりしなければ、真の意味で理解など出来はしないのだ。物は言いようだが、下手な知識があるよりも、経験だけで育った方が強くなる事もある。俺は経験から入り、後から知識を身に付けた人間だったが、学んだ事でそんなもの実戦で使えるか、と思ったものは少なくない。
「サウスは強かったのか?」
「分からん。直接、刃を交えることは無かった。良いように引き込まれ、良いように戦闘能力を奪われた。そして、負けた」
「旗本を半数以上、死なせた、と聞いたが」
「あぁ。俺のせいでな。死んだ兵達は、さぞかし無念だっただろう。つまらぬ理由で、死なせてしまった」
「そいつは違うぜ、ロアーヌ」
 言って、俺は酒を呷った。
「俺はお前の部下じゃないから、正しい事は言えねぇ。だが、兵達は無念じゃなかったはずだ」
「やめろ、シグナス」
「お前は将軍だ。兵は、お前の部下だ。旗本は命を賭けて指揮官を守らなくてはならない。そして、この事に誇りを」
「やめてくれ」
「いいや、やめん。良く聞け。お前が兵達がどのような思いで死んでいったのかを語るのは傲慢だぞ。お前は指揮官だ。兵は、自分の任務を全うしたのだ。それを、お前が悔やむのか」
「俺が兵を死なせたのだ」
「そうだ。それは間違いなく事実だろう。だが、兵は任務を全うしたのだ。やるべきをやって死んだ。それを、お前が悔やむのか」
「死んだ兵を褒めろ、お前はそう言っているのか」
「そうじゃない。お前はサウスに負けた。ならば、次にやるべき事はなんだ」
 分かっている事だった。ロアーヌは全て分かっている。後は、気持ちの切り替えだけなのだ。
「サウスに勝つ事だ。それが死んだ兵への弔いでもある。だが、サウスは手強い。一戦を交えただけだが、それが良く分かった」
 ロアーヌの声が大きくなっている。感情を見せ始めたのだ。普段は物静かな男で、何を考えているのか読ませない所があるが、俺にだけはこういう一面を見せる時があった。しかし、これは稀な事だ。
「あいつは人の心理を操るのが上手い。絶妙な時機で前に出てきて、絶妙な位置で俺を誘い込んだ。老練な男だった。次、またやり合ったとして、勝てるかどうかは分からん。俺の経験が不足し過ぎているのだ」
 ロアーヌは相当な軍学を学んでいる。これはランスも認めていて、軍師も付いていない。これは遊撃隊だから、という理由もあるのだろうが、軍師が必要ないからこその遊撃隊だった。
「戦をする度に、強くなる」
 俺は、不意に言った。
「俺達はまだ若い。二十代半ばをやっと過ぎた所だ。だから、時がある」
「時があったとしても」
「ロアーヌ、お前は一人じゃないんだぜ」
 俺は、ロアーヌの眼を見ながら言った。
「全てを一人で抱え込もうとするな。俺が居る。俺とお前で力を合わせれば、サウスに勝てるかもしれん。経験で敵わないなら、別の所で勝つ」
 俺がそう言うと、ロアーヌが俯いた。僅かに肩を震わせている。
「虎縞模様の具足も、剣のロアーヌというあだ名も、ただの皮肉だった。俺の経験不足という一点だけで、それは皮肉に変わったのだ」
「お前の軍はメッサーナ軍最強だ。お前に経験が足りないと言うのなら、俺がそれを補ってやる」
 ロアーヌが顔をあげた。頬が濡れている。泣いているのだ。悔しくて泣いたのだろう。ロアーヌはプライドが高い男だ。負けた悔しさ、自分の力不足という事実に対する悔しさ。これらが、ロアーヌの感情の堰を壊したのだ。
「俺より軍学が駄目なお前が補うのか」
 目を真っ赤にさせて、ロアーヌが口元を緩めた。
「戦は軍学じゃねぇ。腕っ節の強さだ」
「さっきと言っている事が違うぞ」
 ロアーヌが言って、俺は声をあげて笑った。それに対して、ロアーヌが鼻で笑う。
「俺は、この負けを忘れる事はない。俺のために死んだ兵の事もだ。そして、次は勝ってみせる」
「サウスの他にも手強い奴が居るんだろうな」
「剣のロアーヌと槍のシグナスが、そいつらを叩き潰す」
「その意気だぜ」
 言って、俺は椀を差しだした。乾杯するのだ。
「俺は、良い友を持った」
 椀を合わせた。そして、一息に酒を飲み下す。
「お前、好きな女が出来たんだろう?」
 不意なロアーヌの言葉に、俺は思わず噴き出してしまった。

     

 シグナスが妻を娶った。真夏の日の出来事である。
 相手は酒屋の娘で、切っ掛けはシグナスの一目惚れだったらしい。確かに美しい女ではあったが、俺には数多く居る女の一人という風にしか見えなかった。もっとも、俺は女に対して心を動かしたという事はない。そして、これからもそれは変わらないだろう。
 今、俺という人間は、いつ死んでもおかしくない場所に身を置いている。こういう時には、自分という存在以外の大事なものなど作らない事だ。例外として言えるのは、戦友ぐらいなものだろう。
 だが、シグナスの考えは違っていた。大事なものがあるからこそ、戦える。生きたいと思える。あいつはそう言っていた。そして、シグナスは妻という大事なものを手に入れた。これからまた時が経てば、子を成す事もあるだろう。そうなれば、あいつはまた強くなるのか。
 人間の種類が違う。俺は、シグナスと自分を比べて、常々そう思う。だが、それは嫌ではなかった。むしろ、良いと言っていいだろう。俺の足りない部分を、シグナスが補っているのだ。おそらく、その逆もある。だからではないが、こういう関係は、実に心地良い。
 ピドナは、再び戦の匂いを立ちのぼらせていた。前線に、南方の雄のサウスがやって来たのである。詳しい内部情報は分からないが、フランツの手の者も一緒に来ているという情報も入っていた。
 南方の雄、サウス。この名を聞く度に、俺はあの敗戦を思い出してしまう。初めて負けた相手。これが、大きいのかもしれない。
 もし、一騎討ちだったら。そう思う時もあったが、無意味な事だった。戦なのだ。一人で戦って、一人で勝つという事は有り得ない。軍という、一つにまとまった集団同士でぶつかり合い、雌雄を決する。これが、戦だ。一騎討ちは、その戦の中のほんの一つの要素に過ぎない。
 次こそは。俺はそう思っていた。戦で、次こそ勝つ。だが、俺一人では無理だろう。シグナス、いや、シグナスだけではない。シーザーやヨハンらと力を合わせて、俺はサウスに勝ってみせる。
 俺はピドナの郊外で、遊撃隊の調練を行っていた。今回は模擬戦で、相手は獅子軍のシーザーである。シーザーの騎馬隊は、相手を圧し潰す事を得意とした騎馬隊だ。数は八千で、俺の騎馬隊は千五百だから、兵力で言えば実に五倍以上の相手という事になる。だが、俺は負けるとは思わなかった。むしろ、勝つ。それだけの調練を、俺は兵に課してきたのだ。
 虎縞模様の具足。スズメバチと評された俺の遊撃隊。サウスに負けて、これはただの皮肉となった。だから、今度はその皮肉を自信へと変えなければならない。これは俺の中での、一つのけじめだ。
 ピドナの郊外は広大な原野である。両軍は、そこに陣を敷いて向かい合っていた。ギラギラとした陽の光を、具足が照り返している。
「相手は獅子軍のシーザーだ。数は八千。これは調練だが、各々、実戦のつもりでやれ」
 俺の言葉に、兵達が低い声で返事をした。
「良いか、一兵たりとも脱落するな。それでいて、シーザー軍を壊滅させる」
 シーザーは甘い相手ではない。むしろ、手強いと言っても良いだろう。並の官軍如きなら、轢き殺し戦法一発で片を付ける力も持っている。もっとも、その轢き殺しをするための地ならしを歩兵がやらなければならないが、とにかく攻撃力だけを見るならば、シーザー軍は圧倒的なものを持っているのだ。
「こちらは千五百だ。だが、それを不利とは思うな。俺達はスズメバチだ。間断なく、攻め続ける」
 サウスに負けてから調練を重ね、今では最大で十五隊まで小隊を作れるようになっていた。これは常に十五隊というわけではなく、戦の状況に合わせて十隊になったり五隊になったりする。すなわち、変幻自在の動きが出来るのだ。大きな指示は俺が出さなくてはならないが、細かい指示なら小隊長も出せる。だから、軍としての隙は極端に小さくなったと言っていいだろう。
 あとは、俺自身の隙を無くす事だ。だから、戦の経験を積む。調練も、その経験の一つとして、自分の中に取り込んでいってみせる。
「全員、武器を構えろっ」
 兵達が無言で、武器を構えた。熱気。夏の日差しで、周囲が陽炎に包まれている。
 旗が振られた。開戦の合図である。
 俺は隊を三つに分けた。右翼・中央・左翼の三隊で、シーザー軍へと向けて一気に駆ける。対するシーザーは、横陣である。魚鱗のように一つに固まれば、スズメバチの恰好の餌になる。だから、横陣で対処しようとしているのだろう。
 構わず駆けた。横陣は突破攻撃に弱い。シーザーは前軍・後軍の二段で構えているが、そんなものでは俺の騎馬隊を受け切る事など出来ない。
 ぶつかった。紙の如く、貫いた。シーザー軍が慌てている。これほどの突破力とは思っていなかったのだろう。特にシーザー軍は八千で、こちらは千五百である。数の優位という慢心が、さらにそれを引き立てている。
 シーザーが陣形を変えてきた。鶴翼である。千五百という数をまだ侮っているのか、俺の軍を押し包もうとしてきている。
 甘い。俺はそう思った。そして、すぐに三隊を十五隊に分けた。包み込もうとしてくるシーザー軍を、内から破壊し尽くしてやるのだ。
 駆け回った。手当たり次第、シーザー軍を蹴散らしていく。十分に暴れてから、シーザー軍の中から抜け出た。そして、十五隊を一つにまとめる。俺の軍は、まだ誰一人として脱落していない。対するシーザー軍は、まるで穴だらけのチーズのように、陣形が乱れ切っていた。数も八千から四千にまで減っている。
「手応えが無さ過ぎる。出来もしない守りなどするもんじゃないぞ。お前は攻めの専売特許だろう」
 声をあげた。これに呼応して、シーザー軍が殺気立つ。
 剣を天に突き上げ、手招きした。かかってこい。そう挑発したのだ。
「ロアーヌ、ぶっ殺してやらぁっ」
 シーザーの怒号。原野中に轟いた。次いで、シーザー軍の兵達が喚き上げる。
 シーザー軍が陣形を組み直した。一本の矢を模した、完全攻撃型の陣形。この陣形で、シーザーは幾度となく敵大将の首を取って来ている。守りを完全に捨てた、シーザーらしい陣形だ。
「来い、猪」
 剣を振り下ろし、横に払う。
 シーザーが吼えた。先頭。駆けてくる。
「ここからだぞ。まともに受けようと思うな。まずはいなす。それと、シーザーには近付くな」
 剣を構えた。隊を十五に分けて、それぞれの間隔を大き目に空ける。
 激突。強風によって、顔面が弾き飛ばされたような感覚だった。凄まじい圧力である。もしこれが八千であったら、轢き殺されていただろう。もっとも、八千だった場合はこちらも攻めに回る。しかし、それでも五分五分の勝負がやっとかもしれない。それほどの圧力だ。
 戦車と向き合っていた。押し返そうとすると、倍の力で押し戻される。いなそうとすれば、力で押し潰される。
「やるじゃないか、シーザー」
 剣を横に払った。麾下を後ろに下げたのだ。シーザー。目の前。駆けてくる。
「それはこっちの台詞だ。千五百で俺の騎馬隊の突撃を受け切るとはなっ」
 偃月刀が飛んできた。剣で弾く。反撃を。そう思った刹那、シーザーと馳せ違った。俺の軍を貫いたのだ。
 二隊が踏み潰されていた。残るは十三隊。
 舌打ちした。一兵も失わずにシーザー軍を壊滅させるつもりだった。だが、それが出来なかった。
「さすがに獅子軍のシーザーだ。だが、これ以上はやらせん」
「ほざけ」
 目が合う。火花を散らした。
 再び激突。熱気が闘志と混じり合う。
 次は貫かせない。貫かせれば貫かせるほど、シーザー軍は調子付く。だから、ここで何としてでも止める。
「シーザー、シグナスとの稽古で、どれほど腕をあげたか見てやる」
「上から目線で話をすんじゃねぇっ」
 偃月刀。弾く。今までのシーザーなら、この次で首が取れていた。だが、今回は違う。細かい動作が、隙を上手く消していた。
 一合、二合とやり合った。偃月刀の射程が鬱陶しいが、懐に飛び込めば勝てる。
 六合目。シーザーの顔が歪んだ。重圧が圧し掛かったのか。
「良い線だったが、まだ完成には至っていないな」
 言って、俺はシーザーを馬から落とした。シーザー軍は、それで浮足立った。指揮官を失ったのだ。俺の騎馬隊が、ここぞとばかりに逆襲に出る。
「やっぱ強いな、お前」
 立ち上がりながら、シーザーが言った。
「攻撃力なら、獅子軍には勝てんかもしれん」
「軍じゃねぇよ。剣の話だ」
「戦は、一人でやるものではない」
 俺はそう言って、西へと目をこらした。
 次はサウスだ。俺は、そう思った。

     

 俺はサラとの房事を終えて、夜風を浴びていた。空には雲がなく、多くの星が瞬いている。
「あの中に、俺の星はあるかな」
 こんな事を呟いてみるが、誰も聴く者は居ない。サラは寝床に転がって、未だに荒く息を吐いていた。
 俺は幸福だった。本当にそう思う。愛する者を手に入れ、その温もりに触れる。すると、心が安らぐ。それは何物にも代えがたい安らぎで、まるで母に抱かれる心地よさだった。これから子が出来れば、その安らぎはまた別のものへと姿を変えるだろう。いや、安らぎがまた一つ増えるのかもしれない。
 槍のシグナス。官軍時代からこの名は有名だったが、今では天下にその名を轟かせていた。これはロアーヌも同じで、俺とあいつはメッサーナの二枚看板である。だが、ロアーヌはこういう事には興味が無いらしく、とにかく自分の遊撃隊を強くする事ばかりを考えていた。
 戦に生きる男。それが、ロアーヌなのだ。俺はそれが羨ましくもあり、惜しいとも思う。あいつは人並の幸福を得ようと思っていない。そればかりか、排他しようとしているのだ。それが俺は惜しいと思っていた。だが、逆に排他する事によって、戦という一つのものに集中する事が出来るのかもしれない。俺にとっての幸福。ロアーヌにとってのそれは、戦なのか。
「あなた」
 ようやくサラが起きだして、側に寄ってきた。
「戦が近い。それまでに俺は、お前に子を成したい」
「槍のシグナスの子なら、男子になりますね」
「さぁな。戦は、俺の代だけで十分だ。戦が終われば、学問の時代になる」
 風が吹いた。側に立てかけている槍の穂先の布が、僅かに揺れる。
 俺は、子に武人としての人生を歩ませたくはなかった。戦乱の世で武人として生きるという事は、過酷すぎる事なのだ。それを俺は身をもって知った。俺は、たまたま槍が使えた。そして、たまたま天下随一の槍の使い手だった。つまり、運だったのだ。果たして俺の子に、その運があるのか。
「あなたの血を引く子です。だから、槍の才能はあるでしょう。それは男子も女子も関係ありません」
「まだできてもいない子の話だ、サラ」
「さぁ、それはどうでしょうか?」
「どうでしょうかって、まさか、お前」
 俺がそう言うと、サラが二コリが笑った。
「そうか。気付かなかった」
 男はこういう事に鈍感である。いや、男ではなく、俺という人間か。
「だったら、早く休め。身体を壊すなよ」
「まぁ。さっきまで乱暴に扱っていたくせに」
「そう言うな。男は荒っぽいもんだ」
「そうでしょうか? ヨハンさんはお優しい方ですよ」
「何、おまえ、ヨハンと」
 俺がそう言うと、サラはおかしそうに微笑んだ。
「何がおかしい」
「いえ、素直な人だなって思って」
「どういう事だ」
「良い意味で感情をすぐに表に出す。私があなたの好きな所の一つです」
 言われて、俺は舌打ちした。次いで顔を横に向ける。赤面しているのだろうが、暗闇でそれが見られる事はないだろう。
「先に寝ますね。あなたは顔色を元に戻してから寝た方が良いですよ」
 サラが、笑みを噛み殺しながら離れて行った。どうにもバツが悪い。俺の事を何でも知っているのか。
「勝手にしろ、くそ」
 吐き捨てて、再び空を見上げる。星は相変わらず輝いていた。この星空を眺めていると、今が戦乱の世だという事が信じられなくなる。
 そろそろ、兵の調練を厳しくし始めた方が良いかもしれない。俺はそう思った。今の調練は副官のウィルがやっていて、これは、はっきり言ってぬるい。今の実力を落とさない程度の調練内容なのだ。だから、現時点より強くなるという事がない。
 次の相手は、あのサウスだった。南方の雄として名を馳せ、ロアーヌの遊撃隊を打ち破った男。これまでの官軍と同列に考えていれば、こちらの足元を掬われかねない。だから、兵達は今よりも強くなる必要がある。
「気を引き締めねばな」
 結婚したという事で、俺には休暇が与えられていた。まだ休暇は数日残っているが、これは今日までだ。明日から、俺が兵達を鍛える。戦において、兵の練度は何よりも大事なのだ。ロアーヌのような苛烈な調練は別としても、サウス軍には負けず劣らずの兵に仕上げなくてはならない。
「戦が幸福、か」
 そんなロアーヌの心情を想いながら、俺は寝床についた。
 翌日、俺は朝廷へと出仕した。今のメッサーナ軍は、西のメッサーナと東のピドナを中心にして政治が執り行われており、西はランスが、東はルイスとヨハンが政治を担当していた。その中で、ヨハンだけは西と東を行ったり来たりする。ルイスは戦で力を発揮するタイプの人間らしく、政治を一人で取り仕切る事は出来ないらしい。
 政務室に入ると、ルイスが忙しそうに書類を捌いていた。ヨハンはメッサーナの方に行っているのだろう。
「肉欲はきちんと貪ったか、シグナス」
 こちらに顔も向けずにルイスが言った。相変わらず、忙しそうに書類を捌いている。
「あぁ、おかげさんでな。俺の玉袋の中身が空になったんで、出仕してきた」
「ずいぶんと早いな。下の方の槍は、大した事なかったか」
 俺は苦笑した。相変わらず、痛烈な嫌味だ。だが、俺は嫌いじゃない。シーザーなどは、こういう嫌味に対して激昂してしまう。
「槍の方じゃねぇよ。それなら、ロアーヌの剣より立派だ。大した事がなかったのは、袋の方だ」
 俺がそう言うと、ルイスが顔をあげた。僅かに口元を緩めている。俺とロアーヌのイチモツを想像して、少しばかり面白かったのかもしれない。
「ずいぶんと知恵が回るようになったな。戦でもそれを活かすようにしたらどうだ?」
「そいつはお前に任せる。戦場じゃ、俺は暴れる方が好きなんでな」
「副官のウィルが毎日うるさい。シグナス将軍はまだですか、とな。直接、言いに行け、と何度も追い払った」
「そうだったのか? 一回も来た事は無かったが」
「それはそうだろう。家の前まで行って、女の嬌声が聞こえてくれば、誰だって戸を叩きたくはあるまい」
 そう言われて、俺は頭を掻いた。サラの奴、そんなにデカい声だったのか。
「悪かったよ。もうやめてくれ。恥ずかしくてやってられん。もう今から調練に向かうぞ。他に何か嫌味はないか?」
「少しばかりやつれてる。今、ロアーヌと勝負したら負けるぞ」
「うるせぇよ、くそ」
 そう吐き捨てて、俺は政務室を出た。ルイスの奴、とことんまで言ってくる。
 そうして俺は、すぐに調練場に出向いた。ウィルが大声で兵達に向けて指示を出している。声がいくらか高いので、どこか迫力に欠けるが、それでも兵達は真面目に調練をこなしているようだ。
「おう、きちんとやってるな、お前達」
 声をあげる。兵達が、一斉に俺へと目を向けてきた。
「シグナス将軍っ」
 ウィルが言うと、兵達が次々に俺の名を呼んでくる。ウィルが俺の方へと駆けてきた。
「お待ちしておりました。本当にお待ちしておりました」
「たったの数日だぞ。何か変わった事でもあったのか」
「いえ、何も。ですが、シグナス将軍を皆が待ち侘びておりました。このまま、出仕されないのかと」
「大げさだ、馬鹿。兵達の練度は下がってないだろうな?」
「無論です。それが私の任務だったのですから」
「よし、なら俺が見てやる」
 言って、俺は少しだけ前に出た。たったの数日だが、身体を動かしていない。兵達を相手に、準備運動をするのも悪くないだろう。
「お前達、今からこの俺が全員をボコボコに叩き伏せてやる。そうして欲しい奴は、すぐに整列しろっ」
 そう声をあげると、兵達がニコニコと笑いながら整列した。それを見て、俺は舌打ちした。
「お前らと来たら。ウィル、仕切りは任せたぞ」
「はいっ」
 ウィルが笑顔で返事をした。
 やれやれ、と思ったが、俺の口元は緩んでいた。

     

 兵糧を都から運び込ませていた。
 俺は今、コモン関所に居る。この関所はピドナと都を繋ぐ役目を果たしており、関所自体は数百年前に築かれたものである。当時は外敵を防ぐ目的で建造されたらしいのだが、その数十年後には国の天下統一の為の拠点となった。数百年前の王は、ここに腰を据えて、東を統一したのだ。だが、今はその東が乱れている。メッサーナという反乱軍の手によってだ。そして、ついにはピドナが陥落した。そのメッサーナの次の狙いは、この関所だろう。
 戦の時が近い。だから、俺は兵糧をコモンに運び込ませていた。コモン関所の弱点はこの兵糧である。関所そのものは石造りのおかげか頑強で、火攻めにも屈しない。しかし、周囲には畑が無かった。つまり、関所単体では食料を確保できないのだ。だから、これについては後方からの輸送に頼らねばならない。
 兵糧は関所とは別の場所に保管させていた。関所の中にも蔵はあるのだが、小さいのである。保管できても、それはせいぜい一週間分ぐらいなもので、籠城戦となれば一週間などあってないようなものだった。
 今回の戦は難しいものになるだろう。まず最初に選択しなければならないのは、こちらから攻め込むか否かである。今まで、官軍はメッサーナに対しては防戦一方だった。攻められて、防衛する。しかし、負ける。この繰り返しだった。例外としてはタンメルとかいう屑が攻めただけで、これはメッサーナを勢い付かせただけだ。フランツが攻めるように命令したという噂だから、あいつがタンメルを使って、何か小細工を弄したのかもしれない。
 南方の雄と呼ばれた俺が防衛をするのか。そう考えると、どこか自嘲に似た思いが沸き起こって来る。南での防戦は、ただの腰抜けとされていた。異民族どもは血気盛んで、身を縮こまらせていると調子に乗って来る。だから、こちらから攻めた方が良かった。それでも最初の方は、俺も混乱するばかりで、よく負けたものだった。南の異民族の間には兵法というものが存在しておらず、良く言えば奇をてらった、悪く言えば滅茶苦茶な戦法ばかりだったのだ。
 だが、今回の相手はメッサーナだ。兵法を知り、政治を知り、軍事を知る者たちが集まる軍である。しかし、俺が防衛をするのか。
「ウィンセ、兵糧はきちんと貯め込まれているのか?」
 俺は城塔に立って、兵の調練を眺めていた。俺の調練は普通とは違って、とにかく兵を走らせる。体力を付けさせるのだ。戦では機動力がものを言う時が多い。それは追撃でもそうだし、逃走でも同じだ。最終的にはどれだけ敵を討ち、どれだけ犠牲を出さないかが勝敗を決める。だから、戦では機動力が最も重要だと俺は考えていた。
「はい。すでに半年分ほどは貯め込んでいます。籠城戦をするにしても、こちらから攻め込むにしても、十分な量でしょう」
 物言いが小憎(こにく)らしい。俺はそう思った。ウィンセは、まだ二十代半ばの若僧だ。俺はすでに四十の半ばを過ぎている。しかし、ウィンセは能力はある男だ。兵を指揮させても非凡なものを見せるし、ウィンセ自身の武芸も中々のものである。先の戦では、獅子軍のシーザーに重傷を負わせたとの話だったが、それも頷ける程の手並みだった。さすがにフランツのお気に入りである。今は俺の副官なのだが、これは形だけの事で、蓋を開ければフランツが寄越してきた助っ人のようなものだった。
「俺は攻めようと思ってるんだがな」
「フランツ様もそうされるだろう、と申していました」
 ウィンセのその言葉に、俺は舌打ちした。政治家如きの言いなりか。そう言おうと思ったが、抑えた。相手は若僧なのだ。ムキになる必要もない。
「メッサーナは攻めさせると手強い。これは軍の強さ、という意味ではなくてな」
 どこか、戦をやらせるのが上手い。つまり、軍を外に出させるのが上手いのだ。ピドナにしてもそうだったが、ただ単に籠城していれば陥落する事は無かったはずだ。もしくは、俺の援軍が辿り着けていれば、である。あの時はロアーヌの遊撃隊に阻まれ、俺は援軍には行けなかった。
「戦ってみたい、そう思わせる何かを、メッサーナ軍は持っているのでしょうか」
「かもしれん。少なくとも、ピドナは籠城していれば良かった。だが、フランツの部下は何故か陣を敷いた。その何故か、という部分が俺には分かる気がする」
 血が騒ぐ。結局は、こういう事だろう。
「だから、サウス将軍は攻めますか」
「そうした方が楽しめそうだろう」
「しかし、剣のロアーヌ、槍のシグナスが居ます。それに獅子軍のシーザーも」
「だからだ。特にロアーヌとシグナスの二人とはやり合ってみたい。出来れば単体ではなく、組み合わせとしてな」
「慢心は敗北を招きます」
「この俺が慢心だと? 違うな。これは自信だ。俺には戦の実績がある。そして、俺を補佐するお前が居る」
「策謀家のルイスも居ます。メッサーナは手強いと思うのですが」
「お前、俺に籠城戦をしろ、と言っているのか?」
「そうではありません。しかし、フランツ様はこの関所を守れるかどうか、という事を一つの局面として考えておられます」
 正論だろう。俺はそう思った。この関所を抜かれたら、東に対する壁が存在しなくなる。そうなればメッサーナは、一つ一つ、蚕が桑の葉を食べるようにして街を落として行けば良い。それは少しずつ都へと接近し、いつの間にか兵力も物産も逆転する事になるだろう。だから、関所を抜かれた時点で、国は守りを主体とした姿勢を変えなければならない。つまり、国がメッサーナを攻める、という状況になるという事だ。
 密かに、俺はそれを望んでいた。何故なら、国がメッサーナを攻めなければならない、という事は、軍が力を持たなければならない、という事になるからだ。そうなれば、地方に散らばった将軍達にも権力が戻る。軍は活性化し、フランツのような政治家などよりも、大将軍を筆頭にした軍人が力を持つようにもなる。
 今は官軍の兵が弱兵である。俺が前線に戻って来て、前線の兵はそうではなくなったが、戦とは無縁の地域に駐屯する兵は未だに軟弱な者ばかりだ。だから、今、国からメッサーナ軍を攻めたとしても、それはいたずらに死者を出すだけだろう。こういった意味でも、関所は抜かれた方が良い。そうすれば、軍はきちんと再生できる。
 だが、戦の勝敗は別だった。コモン関所の総指揮官はこの俺で、負ける事など考えてもいない。むしろ、勝つ。そのために俺は兵を鍛え、攻めようとしているのだ。
「そういえば、面白い情報を手に入れたぞ、ウィンセ」
 ふと思い出して、俺は口を開いた。
 ピドナには間者を送り込んでいた。間者には、戦に関わる事はもちろんだが、猛者どもの身辺情報も調べさせている。そこから、何か掴めるかもしれないのだ。中でも、ロアーヌが俺との戦の敗北から立ち直り、あのスズメバチ軍を尚も強化中だという話は、俺の中の何かを熱くさせた。
 そして、もう一つ。
「シグナスが妻を娶ったそうだ」
「? それが何か」
「分からんのか」
 俺は微かに笑った。まぁ、まだ若い。だから、女の持つ力も知らないだろう。
「まぁ、いい。シグナスが結婚した。そうフランツに報告しておけ」
 それだけ言うと、俺はピドナのある方角へと眼をやった。
「戦が近い。ロアーヌとシグナス。南方の雄であるこの俺に、お前達は勝てるのか」
 そして、スズメバチ。アレと、もう一度戦える。
 今夜は女を抱く回数が増えそうだ。俺は、そう思った。

     

 俺の遊撃隊はシグナスの槍兵隊と共に、山を登っていた。これも調練の内の一つである。足並みは常に小走りで、頂上に到達するまで休憩は無い。しかも戦場と同じ装備である。馬には馬甲を装備させ、人には具足と武器を持たせてある。シグナスの槍兵隊は、それに加えて木の大盾も持たせていた。選んだ山は険しく、足場も悪い。これだけならばまだ良いのだが、天候が悪いと最悪である。しかし今日は、晴天だった。
 この調練は元々、俺の遊撃隊のみがやっていたものだった。最初の内は脱落者を出す事もあったが、今ではそれもない。俺はこの調練を、戦の前の総仕上げとしてやろうとしたのだが、急にシグナスが共に行かせてくれ、と頼んできた。俺には別に断る理由はなかったので、その申し出には承諾した。それで今回は、シグナスの槍兵隊も一緒だった。
 しかし、騎馬と歩兵である。調練内容はもちろん、その求める成果も違うはずだ。俺の遊撃隊は馬の乗りこなしが大事である。平地での馬の操作は難しい事ではない。だが、それが山になると急激に難易度が上がる。馬上での体重移動や手綱捌きはもちろんの事、馬の体力や性格を知っていなければ、休憩無しで山を登る事など出来ないのだ。馬が潰れたら、騎手が馬を引っ張って山を登り切らなければならない。
 シグナスがこの調練に参加させてくれ、と言った理由は単純なものだった。メッサーナ軍至強と言われた俺の軍が、どんな調練をしているのかを兵に体験させようとしたのである。これ以外にも瞬烈な調練はいくらでもあるのだが、実際に体験させる、かつ厳しいものとなると、この山登りぐらいなものだった。
 シグナスらしい。俺はそう思った。あいつは、何の前触れもなく厳しい調練を兵にさせるのが嫌だったのだろう。
 これまでのシグナスの調練は、ぬるいものが多かった。とはいっても、これはあくまで俺の見方で、メッサーナ軍では並レベルといった所だ。だが、その並レベルの調練では駄目だという事が分かった。ピドナ陥落戦での官軍の強さと、サウスに対する俺の敗北。これらが、あいつの中の何かを変えたのかもしれない。
 すでに季節は夏を過ぎ、秋に入っていた。山の木々は鮮やかな紅葉を見せているが、兵達がそれを楽しむ余裕はない。まだ山の中腹辺りだが、すでにシグナスの槍兵隊は息を乱していた。
 これ以上、シグナスの槍兵隊に合わせていると、俺の遊撃隊の調練の意味がなくなる。足並みも通常の三分の二程度まで落としているのだ。
「俺の事は気にせず、先に行ってくれ、ロアーヌ」
「しかしな」
「元々、騎馬と歩兵だ。無理があるのは分かっていた。だが、必ず頂上まで登る」
「わかった。無理はするな」
 俺がそう言うと、シグナスは微笑みながら頷いた。
 それから、俺はすぐに馬腹を蹴った。先頭へと駆け戻るのである。俺の馬は特別良いという訳ではないが、特に不満はなかった。メッサーナは馬の生産に適している土地ではない。しかし、それでも俺の騎馬隊の馬は良馬で揃えられている。馬の生産地として有名なのは北だが、それを言った所でどうにかなるわけでもなかった。
 先頭に辿り着いた。
「足並みを通常速度に切り替える。頂上を目指すぞ」
 遊撃隊の足並みが通常速度に切り替わると、シグナスの槍兵隊の姿はすぐに見えなくなった。
 二時間ほどして、俺の遊撃隊は頂上に辿り着いた。
 俺は馬を進めて、見晴らしの良い場所に立った。景色を眺める。すでに何度も見た景色だが、この景色はいつ見ても良い。対面にはいくつか山があり、空には遮るものは何も無い。これが曇りだったり霧の濃い時になると、対面の山が一つだけになる。残りの全ては、霧によって遮られてしまうのである。今日は晴天だった。
 俺は、晴天よりも霧の濃い時の景色の方が好きだった。霧に遮られた山々とは別に、ただ一つだけ姿を残す山。これが好きなのだ。俺は軍人だ。いつ死んでもおかしくない場所に俺は身を置いている。生きている時は、今見ている山々と同じように、人々の中に姿を残す事が出来る。しかし、死んだら、霧に覆われて姿を消す山のようになってしまう人間は少なくない。つまり、人々の記憶から消えていくのだ。俺はそうじゃなく、死して尚、人々に記憶に残っていたい。死ぬのなら、そういう風に死にたいのだ。だから、俺は濃い霧の中に一つだけ姿を残す山に、一種の幻想を抱いていた。
 まだ、死ねない。俺はそう思った。あの山のような存在に、俺はまだなっていないのだ。だから、まだ死ねない。
 それから二時間ほどして、シグナスの槍兵隊が頂上に到達した。シグナスは少しばかり息を乱しているだけだったが、他の兵は形相が変わっている。副官のウィルという男も、肩で息をしながら、水を喉に流し込んでいた。
 シグナスが傍にやってきた。
「こんな調練をやってれば、精強な軍にもなるか」
「さぁな。サウスも同じような事をやっているかもしれん」
「しかし、実際にやらせてみて良かったぜ。見ろよ、俺の兵はだらしがない」
 シグナスが苦笑する。中には大の字で寝そべっている兵も居た。
 ふと、シグナスが対面の景色に目をやった。
「ほう、こいつは」
 目を細めながら、シグナスが呟いた。
「良いな。特に今は季節が良い。紅葉で、どの山も綺麗だ」
「さらには晴天だ」
「ロアーヌ、お前、晴天のこの景色が好きじゃないんだろ」
「何故、そう思う?」
「何となくだ」
 俺は口元を緩めて、微かに笑った。
「死ぬのなら、こういう所で死にたいな」
 シグナスが言った。目は細めたままだ。
「あの山々は、みんなだ。みんなが、俺を見ている。その中で、俺は死にたい」
 そういう考えもあるのか。俺はそう思いながら、山々の方へと目をやった。太陽に照らされた紅葉が美しい。
「俺達が立っているこの山が、お前か」
「あぁ。ちと大仰過ぎるかな」
 言って、シグナスは声をあげて笑った。
「シグナス将軍」
 副官のウィルが、駆け寄って来た。まだ息は乱したままのようだ。
「半数の兵が脱落しています。やはり、いきなりのこの調練は」
「違うぞ、ウィル。調練が厳しいんじゃない。兵達がだらしないのだ。その証拠に、ロアーヌの騎馬隊は誰一人として脱落していない。俺もお前もだ。だから、脱落した兵がだらしない」
「ロアーヌ将軍の騎馬隊と、我らの槍兵隊は目的が違います」
 この男、中々言うではないか。俺はそう思った。上官に面と向かって自分の意見を言える部下はそう多くない。少なくとも、俺の遊撃隊には一人も居ない人間だ。だからではないが、俺はシグナスが羨ましい、と感じていた。
「強くなる必要があるんだ、ウィル」
「それは分かりますが、これは急ごしらえすぎるのでは」
「一理ある。だが、戦の時が近いのだ。それにウィル、不満をこぼした兵は居たか? 辛すぎる。もう無理だ。そう言った兵は居たのか」
 ウィルが黙り込む。
「居なかっただろう。そして、脱落した兵は悔しさで身を震わせているはずだ。俺は、そういう人間を配下にしたのだ。お前の言っている事は一理ある。だが、正論ではない。お前の言っている事は、ただの甘やかしだ。お前はそうやって、兵の人気を得ようと思っているだけだ」
「シグナス将軍」
「お前は違う、と言うだろう。だが、兵にはそういう風に見られるぞ。ウィル副官は俺達をかばっている。しかし、同時にそれは強くなろうという想いも踏みにじっている。兵は、そう感じるだろう。だから、お前が今やっている事は、ただ小賢しいだけの偽善だ」
 ウィルが俯いた。何か声を掛けようかと思ったが、やめておいた。今、俺が何か言った所で、それはウィルの傷を抉るだけだろう。
「お前の兵を想う気持ちも分かる。だが、甘やかしと思いやりは紙一重だ。分かったなら、もう行け。下山するぞ」
 ウィルが俯いたまま、去っていった。その背中を、シグナスはじっと見つめている。
「良い副官なんだがな。戦では粘り強さも見せるし、慎重な采配もする。だが、果敢さがない。それが、甘やかしに繋がっているのだ」
「俺には、ウィルはその欠点を自覚している、という風に見えたが」
「どうだかな。少なくとも、克服するには何らかの切欠が必要だろう」
 ウィルの背中を見つめたまま、シグナスが言った。
 こういう関係を築けるのが羨ましい。俺はそう思った。俺が兵から慕われている関係とは、また違う。何がどう違うのかは、俺には分からない。
「しかし、この景色は良いな、ロアーヌ」
 シグナスは目を細めて、山々を眺めていた。

       

表紙

シブク 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha