Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。抱くは大志
第十五章 天下兆候

見開き   最大化      

 偉く高飛車な小僧だった。大将軍の末っ子である。大将軍自身から息子の初陣を頼む、と言われて、どんな御子息なのかと思っていたら、ただのクソ生意気なガキだったのだ。失望というより、驚きだった。このガキが、あの荘厳な大将軍の血を引いているとは、とてもじゃないが思えない。
 確かに自分で言うように、ハルトレインの武芸の腕は卓越していた。コモンにやってきての最初の一言は、自分より強い奴が居るか確認したい、だった。そして、腕に覚えのある兵を一瞬で片付けてしまったのだ。ならば戦は、と模擬戦をやらせてみたが、これも卓越していた。
 だが、ガキだった。俺から言わせれば、このハルトレインは教科書をよく読んだ優等生である。武芸に関しては、実戦では使えないような技をこれみよがしに使いたがるし、戦でも教科書通りの事しか出来ないのだ。つまり、お勉強だけが出来るお坊ちゃんという事だ。
 このお坊ちゃんを卒業させるために、レオンハルトは息子をコモンに寄越したのだろう。今、コモンは全国の中で最も戦の臭気を漂わせている場所である。いつ、メッサーナが攻め込んで来てもおかしくないのだ。
 前回のコモン戦は、俺の負けだった。兵のぶつかり合いでは勝ったが、戦には負けたのだ。兵糧を焼かれたのである。シグナスの副官のウィルとかいう男が、決死隊を率いて兵糧庫を燃やし尽くした。このせいで、俺は軍を退かざるを得なくなってしまったのだ。あれがなければ、ピドナは落とせていた。あの時、俺はすでにピドナを攻囲中であったし、攻城兵器も輸送させていたのだ。
 今回は勝つ。コモンの唯一の弱点である兵糧庫も、フランツがあれこれと動き回っている間に俺は改良を加え、火に強くした。全体を石壁で覆うようにしたのだ。兵糧庫自体も拡張し、前回よりもずっと潤沢に兵糧を蓄える事も出来るようになっている。
 兵力は合計で七万である。前回は六万で、内四万でメッサーナを打ち破った。大軍を率いるのは好きではなかったが、仕方がない事でもあった。もはや、メッサーナは天下を二分する内の一つの勢力なのだ。さらに国と違い、異民族の脅威も少ない。コモンに向けてくる兵力は、五万を軽く超えるだろう。
「おい、ウィンセ、このタイミングで帰るのか」
 フランツからの書簡を見て、俺はウィンセに言った。
 ウィンセとは、フランツ子飼いの男である。フランツからの書簡には、このウィンセを都に戻す、とあった。もう軍事については十分に経験を積ませたから、今度は政治の経験を積ませたいらしい。
「フランツ様の命令です。軍事については、レオンハルト大将軍にお任せするとの事ですから」
 相変わらず、涼しい顔である。最初の内は、これにイラつく事もあったが、今ではもう慣れたものだった。俺はこの男と共に、数年の間、コモンを守り通してきたのだ。
「それは分かるが、お前が副官でなくなるのは惜しいな。フランツなど捨てて、俺の下に来い。いずれ、将軍にもなれるぞ」
「御冗談を。私はサウス将軍ほど、優れた軍才は持っていません。どなたかの副官が、せいぜいと言った所でしょう」
「政治なら、力を発揮できるか?」
「フランツ様が、私に目をかけてくれています。そして私は、裏で国の歴史を守りたいのです」
 ウィンセは、裏と言った。つまり、もう政治家が表舞台に立つ時代ではなくなったのだ。ウィンセは、これをよく理解している。俺はそんなウィンセの発言に、好感を持った。
「明日、ここを出立します。最後にメッサーナ軍と干戈を交えたかった、というのが本音でしたが」
「フランツは戦には出したがらんだろう。命の危険が絶えずある。まぁ、せいぜい達者でいる事だ」
「サウス将軍も。子供の世話が大変でしょうが」
 言われて、俺は舌打ちした。ハルトレインは生意気すぎるのだ。
 翌朝、ウィンセは都へと出立した。
「サウス将軍、私の軍の兵力が五千とは、どういう事だ」
 部屋に入ってくるなり、ハルトレインがいきなり言ってきた。
「何か不満か?」
「私はレオンハルト大将軍の息子だ。その息子が五千の兵力だと」
「口の利き方に気を付けろ、ハルトレイン。俺はこのコモンの統治者だ。お前は、ただの大隊長だぞ」
「大隊長である前に、私はレオンハルトの息子だ」
「口の利き方に気を付けろ、と言ったはずだ。それに、兵力は軍議で決まった事だ」
「私は軍議に参加していない」
「参加する必要がないと俺が判断した」
 俺がそう言うと、ハルトレインが殺気を飛ばしてきた。俺はそれを受け流し、無言で睨み返す。
 大隊長で五千の兵力というのは、異例な事だった。それも、将軍と同等の指揮権まで与えてあるのだ。つまり、将軍の下につくわけではなく、大隊長という名の特別枠を設けたのである。それでも、ハルトレインは納得しなかったという事だ。
 ハルトレインの考え方は幼すぎる。軍は兵力ではなく、指揮と質だ。現にロアーヌのスズメバチは僅か千五百の兵力であるのにも関わらず、その実は十倍、二十倍の兵力に相当する強さだ。これはロアーヌの指揮と、スズメバチ隊の強さから生み出されている。
 それに、指揮官には種類があるのだ。ロアーヌは少数精鋭の指揮は上手いが、大軍となれば駄目だろう。そして、バロンはその逆である。これは指揮官の視野の広さや視点の違い、要点の見極め方などによって左右されるが、その多くは実戦を経験しなければ分からないものばかりである。
「まずは実戦だ、ハルトレイン」
 ハルトレインの目を睨みつけたまま、俺は静かに言った。
「戦を経験してみろ。今のお前は、女を知らないのに女はクソだ、と言っている輩と同じだ」
 俺がそう言うと、ハルトレインの顔が紅潮した。
「なんだ、図星だったのか。てことは、童貞だな。何なら、俺の女をくれてやろうか? 今のお前にとっては、少々年増だがな」
「ひ、必要ありません。馬鹿にしないで頂きたいっ」
 急に敬語になったハルトレインを、俺はもう少しからかおうと思った。

     

 ピドナの軍議室の中で、俺は目を閉じていた。みんな、ランスの言葉を待っている。時は熟した。あとは、ランスの声一つだけである。
 メッサーナと北の大地は、天下へと向けて、互いに手を取り合った。それは各方面に様々な影響を及ぼし、今の世の情勢は天下二分となっている。
 兵はそれぞれの将軍の元へと配され、調練に調練を重ねた。騎馬隊の馬は、北の大地の良馬と入れ替えた。
 俺のスズメバチ隊も、一回り大きくなった。兵数は千五百のままで変化はないが、馬の質が格段に上がったのだ。俺のスズメバチは、天下最強の騎馬隊だ。これは誇りである。大将軍の軍であろうと何であろうと、全て蹴散らしてみせる。
 時は、熟したのだ。
「コモン関所を、攻める」
 ランスの言葉に、俺は目を開いた。
「コモンを守るは、南方の雄であるサウス。あの男は手強い。以前、まだシグナスが生きている頃、我々はあれと戦ったが、敗れた。何故か。それは未熟だったからだ。あの頃のメッサーナは、未熟だった。あの頃のメッサーナは、まだ産まれたばかりの赤子で、国は大きな大人だった。だから、敗れたのは必然だった」
 ランスが立ち上がる。
「だが、今は違う。我々は大きくなった。シグナスを失い、一度、我々の天下は遠のいた。だが、その後に鷹の目バロンを得た。北の大地が、我々の同志となった。今なら、サウスに、国に勝てる」
「コモン関所は、天下への門」
 ヨハンが、静かな口調で言った。
「ここを落とせば、天下に限りなく近付く事が出来ます」
「うむ。今から、コモン関所攻略戦に参戦する将軍を言い渡す」
 ランスが、名を読み上げて行く。
 弓騎兵隊のバロン、戟兵隊のクリスとシルベン、弓兵隊のクライヴ、騎馬隊のシーザー。名を呼ばれる度、それぞれの将軍が立ち上がっていく。
「そして、槍兵隊のアクト」
 アクトは、将軍に昇格していた。これに伴い、槍兵隊は俺の手を完全に離れた。だが、俺はこれで良いと思っていた。槍兵隊は、もうアクトのものなのだ。それにアクトは良い指揮官だ。北の大地での戦で、それを十分に証明してみせた。今の槍兵隊は、シグナスが生きていた頃とは性格が全く異なるものになっているが、それはそれで別の持ち味を出している。
「さらに、スズメバチ隊のロアーヌ」
 名を呼ばれ、俺は何も言わずに立ち上がった。
「軍師は、ゴルドを任命する」
 ランスの言葉に、ゴルドが明らかな驚きの表情を見せた。
「はて、私の聞き間違いですかの。軍師、と聞こえましたが」
「その通りだ、ゴルド」
「私は七十を超えた老いぼれです。もはや、何の役にも立ちませぬ」
「それは違う。七十年という長い時間を生きた。つまり、それだけの経験がある」
「ヨハン様やルイス様がいらっしゃいます」
「この二人は経験が足りない。サウスは戦の妖怪だ。これに対抗できるのは、ゴルド、お前しか居ない。私はそう判断した」
「ゴルド、共に戦場に出よう」
 バロンが言った。他にも頷いている者が居る。これに対して、ゴルドは戸惑いを見せたが、間もなくして目に強い光を宿した。
「この老いぼれで良いのなら」
 ゴルドが、覇気に満ちた声で言った。最後に働く場所を得た。ゴルドはそう思っているのかもしれない。
「最後に、総指揮官はバロン」
 ランスがそう言うと、場が微かにザワついた。
「おい、ランスさん、本気で言ってるのか?」
 シーザーだった。この男は感情をすぐに表に出す。不満を抱いているのがハッキリとわかる口調だ。一方のバロンは、無表情である。
「軍師どころか、総指揮官も北の大地の人間じゃねぇか」
「だから?」
「二人は新参者だ」
 クリスが、視線を下に落としていた。表情は読めないが、シーザーに同調しているように見える。
 シーザーの言う事はよく分かった。バロンは俺と歳がそう変わらないし、戦の経験も似たようなものだろう。それに、バロンがメッサーナ軍の将軍らの性格を、本当に理解しているかも疑問である。ただ、新参者がどうのというのは、俺はどうでも良い。
「バロンが総指揮官なのが、気に食わないか、シーザー」
「そうは言わねぇ。ただ、俺はクライヴのおっさんが適任じゃねぇのか、と思っただけだ」
「私もそこは迷った。それでも、あえて私はバロンを総指揮官に選んだのだ」
「理由を教えてくれよ、ランスさん」
「やらせれば良い」
 俺は言っていた。バロンを除く全員が、俺に視線を向けてくる。
「ランス殿の人を見抜く力は俺も知っている。要は、クライヴ殿よりバロンの方が向いているから、総指揮官に抜擢されただけの話だ。俺はそれで納得できる。スズメバチの命を、託せる」
 バロンは、目を閉じていた。
「私はバロンを推す」
 席につきながら、クライヴが言った。
「サウスは老獪な将軍だ。私もどちらかと言うと、その類の将軍になる。だが、バロンは違う。明瞭さが際立つ将軍で、これはサウスと対極を成す。おそらく、サウス戦ではこういったものが勝敗を分ける」
「バロン、お前自身はどうなのだ?」
 ランスが問いかけると、バロンは目を開いた。
「確かに私は新参者だ。だが、その前に私は皆と同じ志を胸に抱いている。これだけは、忘れて貰いたくない。そして、もし、私が総指揮官である事を皆が認めてくれるのなら、私の矢で、メッサーナ軍で、コモンを撃ち貫いてみせる」
「だそうだ、シーザー」
 ランスのこの言葉に、シーザーが舌打ちした。
「そこまでハッキリ言うんなら」
 シーザーが横を向きながら口を開く。
「付いていこうじゃねぇか。鷹の目の実力、この目で見てやる」
 そう言ったシーザーに向けて、バロンは大きく頷いた。それをシルベンが口元を緩めながら見ている。
「決まったな」
 それからは、細かい話になった。兵力は合計で七万で、これはコモン関所に駐屯する兵力と同じである。今まで、国相手の戦では常に兵力差があった。だが、今回はそれがない。ここまで来て、メッサーナは国と並んだのだ。そして、コモンを奪えば、優位に立てる。国よりも、大きくなれる。コモンは国の急所だ。つまり、これを奪えば、メッサーナは天下に手をかける事が出来るのだ。
 天下は、確実に見え始めていた。

     

「レオンハルト大将軍、メッサーナがコモンに攻め込んで参りました」
 フランツが静かに言った。今回のコモン戦は、まさに天下分け目の戦だが、この男は落ち着いている。こういう所は、やはり国の宰相と言うに相応しかった。
「内政は着実に整い始めています。ここに来てようやく、私の政治も周囲に理解され始めました。おかげで、やりやすくなりましたよ」
 決戦が間近に迫っている。これにより、私腹を肥やそうとする者が減って来た。国家の存亡がかかっているのだ。国が消えてなくなれば、それまで築きあげた財産は無意味と化す。だから、一時的ではあるにしろ、国は一つにまとまりつつあった。
 これは、民ですらも同様だった。つまり、民はメッサーナではなく、国に味方をしようとしているのだ。フランツは長期に渡って善良な政治を行った。だから、民も国を信じてみよう、という気になったのだ。仮に国が腐ったままであったなら、民は一人残らずメッサーナに味方しただろう。そして、民が敵に回ったら、国は潰れるしかなかった。
「問題は、コモンですな」
「うむ」
 儂は、短く返事だけをした。
 コモンにはサウスが駐屯している。あの男の戦ぶりは儂も認めているが、今回のメッサーナ軍を蹴散らせるかどうかは、微妙な所だろう。今のメッサーナは強すぎる。シグナスが居ないだけマシではあるが、それを差し引いても強すぎるのだ。
 コモンにはハルトレインもやっていた。そして、この戦が初陣である。天下を争う戦が初陣というのは荷が重いだろうが、儂の息子だった。ここで命を落とすような育て方はしていないし、少なからず何かを学んで帰って来るだろう。
「大将軍が、コモンを守る、という事は出来ませんでしたか?」
 不意に、フランツが言った。サウスではなく、儂がコモンで戦うべきではないのか。フランツは、そう言っている。
「その選択肢もあった。だが、気勢はあちらにある」
 言ってみただけで、深い意味は無かった。
 要は、儂は楽しみたいのだ。コモンを奪った後のメッサーナの方が、今よりも脂が乗っている。まさに天下最強の軍と言える強さに昇華するだろう。儂は、これと戦いたかった。コモンを奪う前のメッサーナは、今一つ魅力が足りない。容易くとはいかないだろうが、蹴散らす事はできる、と言い切れるのだ。
 だが、コモンを奪った後では分からない。これは流れだ。気勢を十分に身にまとい、運ですらも味方につける。コモンを奪った後のメッサーナは、ここまで昇華するはずだ。
「コモンは、落ちますか」
「戦は時の運。結果は分からん。だが、儂は落ちると思っている。これは、時代がそうさせる」
 すでにサウスは、メッサーナ軍とぶつかり合っているだろう。苦戦の様子が、ハッキリと頭の中で描ける。
 ハルトレイン、強くなって、大きくなって戻って来い。そして、共に戦場を駆けようではないか。儂は、心の中でそう呟いていた。


 強い。本当に強い。メッサーナは、まさに天下を争う軍だ。兵、馬、指揮、いや、軍の質が磨き上げられている。シグナスが生きていた頃よりも、数段強くなっている。それも、憎らしい程にだ。
「若僧どもがぁっ」
 馬上で、自らの腿を叩いた。腿の上で、握りこぶしが震えている。
 バロンが総指揮官だった。一万の弓騎兵を巧みに奔らせ、約五万の歩兵を上手く動かしている。さらにロアーヌのスズメバチと連携し、俺の軍をグチャグチャにしてくるのだ。あのスズメバチは、もはや魔物だ。あれが駆け抜けた後、そこには死体しか残らない。その魔物の往く道を、弓騎兵が作っている。さらにそれを歩兵が広げ、騎馬隊が踏み越えて行く。
「騎馬隊を五千ずつの二隊に分けろっ。弓騎兵を封じんか、間抜けがぁっ」
 怒鳴り声をあげるも、弓騎兵は速い。騎馬隊が挟撃に持ち込もうとするが、間隙を突いて駆け抜けていく。
 怒りで頭がどうにかなりそうだった。全てがもどかしい。若い頃であれば、俺自身が前線に出られた。そして、あの弓騎兵など、どうにでも出来た。だが、もう俺は老いた。最前線で無理が出来る程、若くはないのだ。
 苦渋の決断で、一万五千の歩兵を弓騎兵の前面に回した。メッサーナ軍の歩兵がその分だけ自由になるが、あのうるさい蝿をどうにかしなければ、勝ちはない。
 騎馬隊が再び弓騎兵に挟撃を仕掛ける。三方面からの囲い込み。合計二万五千で、一万の弓騎兵に対する。考えてみれば、滑稽な事だ。だが、それだけ手強いのだ。
 その瞬間、右の方から兵達の悲鳴が聞こえた。
「将軍、右翼から虎縞模様です、スズメバチですっ」
 情けない声を出すな。思ったが、口には出さなかった。その名だけで恐慌状態に陥らせる。ロアーヌのスズメバチは、ここまで成長したのだ。
「おのれ」
 唸りながら、馬腹を蹴った。本陣の前面まで出るのだ。こんな後方では、俺はまともな指揮は取れない。それに、最前線でなければ、俺もまだ戦えるはずだ。
 横目で弓騎兵の方へと目をやった。何とか、動きを封じ込めている。だが、シーザーの騎馬隊がこちらに向けて駆けてきた。一万の騎馬隊である。本陣を突き崩そうと言うのだろう。猪武者めが。本陣の兵力は、四万だ。突き崩せると思っているのか。
 暴れ飽きたスズメバチが、弓騎兵の方へと駆けていった。右翼は散々に食い散らかされ、ズタボロにされている。それを見て、俺は舌打ちした。あの魔物だけは、別格だ。
 シーザーの騎馬隊が、近付いてきた。さらにその後ろには、槍兵と戟兵が居る。
 確実に追い込まれつつある。だが、俺は南方の雄だ。どれだけ追い込まれようと、活路を見出す。俺は、そうやって勝ち続けてきた。
「まずは、シーザーを止める。騎馬隊は陣を組めっ。正面からぶつかるぞっ」
 右手を上げ、振り下ろす。
「突撃、怯むなぁっ」
 一万の騎馬隊が、地鳴りをあげて駆け抜ける。
「次いで、歩兵だ。駆け抜けてきたシーザー軍を刈り取れっ」
 騎馬隊とシーザーがぶつかり合った。押し合いは長くは続かず、互いに馳せ違う。獅子軍の旗が、敵中を突き抜けた。
 思ったより、抜けてくる敵の数が多い。まず、これを思った。シーザーの騎馬隊も、質が各段に上がっている。だが、三万の歩兵ならば、受け切れる。
 そう思った瞬間だった。
「我はレオンハルトの血を受け継ぐは末子、ハルトレインっ」
 若い声が戦場に響くと同時に、五千の騎馬隊がシーザーの横っ腹を衝いた。そのまま駆け抜け、後ろの歩兵も踏み潰す。
 慌てて、メッサーナ軍の槍兵が針鼠の陣形を取った。だが、ハルトレインはそこには突っ込まなかった。一直線に、スズメバチの方へと駆けて行く。
「あの小僧」
 やはり、大将軍の息子なのか。絶妙な機で、脇から割って入ってきたのだ。だが、今はそんな事はどうでも良い。
「反撃の機だ、押し込めぇっ」
 本陣が前進する。弓騎兵が居なければ、十分に戦える。

     

 サウスには劣らない。私は戦の中で、これを確信していた。この戦は勝てる。全ての点で、メッサーナ軍は官軍を凌駕している。
 私の弓騎兵は風だ。風は戦場を吹き抜ける。その風が吹き抜けた時、歩兵が、スズメバチが乱舞する。
 だが、今はその風が止んでいた。弓騎兵が封じ込められたのだ。
 サウスは私を止める為だけに、実に二万五千の兵を向けてきていた。三方向からの囲い込みである。これを独力で打ち破るのは難しい。弓騎兵は機動力で戦う兵科だ。その機動力を封じられたのである。さらに戦全体に目を配れば、弓騎兵無しでサウス軍と対するのも難しいと言えた。弓騎兵は、戦の主軸なのだ。だから、まずは私がこの場を切り抜けなければならない。
 だが、この囲い込みは強烈だった。穴が、隙が無いのだ。こういった所は、さすがにサウスの軍である。私も矢で幾度となく打ち破ろうとしたが、崩れなかった。それ所か、三角形の包囲は円となった。抜け出る隙をも作らせず、ジワジワと包囲を狭めてきている。
 耐えた。ここで慌てふためく必要はない。私は一人で戦をやっている訳ではないのだ。
 必ず、あの男は来る。剣のロアーヌ。メッサーナ軍、いや、天下最強の騎馬隊は、必ず来る。
 私は旗を振らせた。指揮をゴルドに任せたのだ。今の状況では、私が総指揮を執るのは難しい。外ではシーザーと歩兵が、サウスの本陣とやり合っている。兵力差では勝っているはずだが、何かの拍子に押され始めていた。その何かが気になるが、落ち着いて戦えばすぐに持ち直せる。ここはゴルドに頼るしかなかった。
 包囲が、さらに狭められた。敵の騎馬隊が武器を構える。このまま突っ込んでくるつもりなのだろう。だが、その敵の後ろから、私は微かな鋭気を感じた。剣のロアーヌの鋭気だ。あの男が、こっちに向かっている。
「機は今しかないぞっ」
 敵に向けて、私は声をあげた。さらに背の矢筒から、一本の矢を抜き取る。ロアーヌの鋭気が強くなっていく。
「この鷹の目を討ち取りたくば、いつでも来いっ」
 これを皮切りに、包囲していた敵が突っ込んできた。騎兵も、歩兵もだ。
「弓騎兵隊、ありったけの矢を撃ち込めぇっ」
 耳を貫く程の風切り音。だが、敵は怯まない。
 私は矢を弓につがえ、グイッと引き絞った。
「ロアーヌ、私はここだっ」
 撃ち放つ。甲高い音と共に、一本の矢は一人の敵兵を貫き、二人、三人と串刺しにして戦場を貫いた。
 次の瞬間、敵の悲鳴。
「す、スズメバチだぁっ」
 それで全てが崩れた。
「弓騎兵隊、追い討ちをかけろ、一斉射撃っ」
 風切り音が乱舞する。正面からは矢嵐が、背後からは虎縞模様の魔物である。敵は恐慌状態に陥っていた。
 その瞬間、鮮烈かつ清廉な気が、全身を貫いた。スズメバチの背後。ロアーヌも、振り返っていた。
「我が名はハルトレインっ」
 若い声。ロアーヌが剣を構え直している。

 
 あの騎馬隊は何かが違う。俺は直感的にそう思った。放置しておくのは危険だ。だが、並の軍では相手にならない。それだけのものを、あの騎馬隊は持っている。というより、指揮官が持っている。
 声が若かった。まだ童の声だ。だが、内に秘めたモノの大きさは童のそれではない。
「スズメバチ隊、固まれ。あの騎馬隊を殲滅する」
 もうバロンは放っておいても良いだろう。あとはシーザー達と合流し、サウス本陣を叩けに行けば良い。
 俺が行くのは、あの騎馬隊を潰してからだ。
「お前が剣のロアーヌかっ」
 顔が見えた。声だけじゃなく、顔も若い。まだ十五歳前後と言った所だろう。只者でない事はすぐに分かった。だが、自信が見え過ぎている。いや、あれは過信だ。自分を信じ過ぎている。
「答えろ、お前が剣のロアーヌかっ」
「童が」
「このハルトレインを童と罵るかっ」
 男が槍を構えた。背には戟と弓を背負っており、腰には剣を佩いている。全ての武器が使えると言っているのだろうが、くどい。戦場で扱う武器は、せいぜい二つか三つだ。あとは邪魔なだけだということを、あの男は理解していない。
 敵の騎馬隊が近付いてきた。勢いは緩めていない。これは果敢とも言えるが、あの男の場合は違う。過信している。俺のスズメバチは千五百だ。対する男の騎馬隊は五千である。この兵力差に酔っているのが、すぐに分かった。
 右手をあげた。ズスメバチ隊が、一斉に毒針を構える。射程圏内。右手を振り降ろす。
 スズメバチが戦場を飛んだ。次の瞬間、敵の騎馬隊をかき乱し、突き崩す。ハルトレインと名乗った男は、何が起きたのかを理解していない。
 そのまま、俺は旗本と共に駆けた。ハルトレインに向けて、一気に駆け抜ける。
 タイクーンが速度をあげた。俺だけが、一騎だけが、どんどん前へと進み出ていく。
「剣のロアーヌっ」
 ハルトレインが吼えた。槍を構え、俺に向けて突進してくる。部隊戦は勝ち目がない。だから、指揮官を討とうというのだろう。自分の腕に相当、自信がなければ、こんな決断は出来ない。
 タイクーンがさらに速度を上げた。ぶつかる。
 ハルトレインの槍が、虚空へと消えていた。間髪入れずにハルトレインが剣を抜き放つも、これも叩き落とす。さらに戟へと手を伸ばしたが、剣の腹で腕を跳ね上げた。信じられない。ハルトレインは、そんな表情を見せた。
「そんな、馬鹿な」
「お前の武は、これ見よがし過ぎる」
 ハルトレインは茫然自失の様相で、身体を震わせていた。
「云ね。童の首を取る程、俺は落ちぶれていない」
 それだけ言って、俺は馬腹を蹴った。
 バロンは、サウスを確実に追い込んでいた。

     

 退いた方が良い。メッサーナ軍は野戦慣れし過ぎている。騎馬と歩兵の絶妙なバランスは、弱点という弱点を消し去っている。それ所か、弱点を強みに変えている。メッサーナ軍がここまで強力な軍だとは、俺も思わなかった。
 どれか一つの部隊だけでも崩せれば。槍兵隊、戟兵隊、騎馬隊。この基本的な三兵科の一つでも崩す事が出来れば、どうにかなる。しかし、これをやるのは至難の業だ。騎馬隊を崩そうとすれば、槍兵隊が脆い所をカバーしてくるし、槍兵隊を崩そうとすれば、戟兵隊が間に割って入って来る。
 軍としてのまとまりが、異常な程に良い。個々の部隊の力として抜きん出ているのはスズメバチ隊だが、他の部隊は全てを合わせた総合力で抜きん出ている。これを弓騎兵隊がまとめ、戦を展開している。
 野戦では勝ち目がない。今すぐに、コモンに退くべきだ。
「退路を確保しろ、コモンに退くっ」
 旗を振らせた。悔しさはない。勝ち目がない戦で粘るのは、愚者のやる事だ。
 メッサーナ軍が三方向から攻めかかって来ている。だが、今はまだマシだ。今は、あのスズメバチと弓騎兵が居ない。この二部隊が来たら、もうまともには逃げられないだろう。
 この二部隊は、三万の兵で抑え込んでいた。この三万の中には、ハルトレインの五千の騎馬隊も入っている。
 犠牲を抑えるため、俺は兵を小さくまとめた。メッサーナ軍の攻撃は執拗かつ強力だが、何とか持ち堪えさせる。背を見せて逃げるというのは、限界までやらせない。潰走だけは、何としても避けなければならないのだ。潰走は混乱を生むばかりか、反撃の意志すらも、もぎ取ってしまう。
 そろそろ、最後尾に行くべきか。俺はそう思い、馬首を巡らせた。その時、背筋が凍った。
「バロン」
 弓騎兵が、一万の弓騎兵が、土煙をあげつつ、こちらに向けて駆けてきていた。弓矢。構えている。
 そんな馬鹿な。思ったのは、これだった。弓騎兵は、二万五千の兵力で封じたはずだ。違う。スズメバチか。ロアーヌが、二万五千の兵を蹴散らしたのか。だが、ロアーヌには五千の騎馬隊を率いるハルトレインが向かっていたはずだ。
 そこまで考えて、俺は舌打ちした。
 ロアーヌとハルトレインでは、勝負にならない。十五歳のガキが、ロアーヌに勝てる訳がない。
 信じられなかった。弓騎兵とスズメバチは、僅か一万と千五百の兵力で三万を蹴散らした。それもただの三万ではない。俺が鍛えた三万なのだ。
 いや、そんな事が、本当にあると言うのか。俺が鍛えた軍は、その程度のものなのか。あの二部隊は、俺が思っているよりも、遥かに強力だという事なのか。
 思案はやめた。あの一万の弓騎兵隊が、全ての答えだった。
「騎馬隊、すぐに弓騎兵に突っ掛けろっ」
 号令を出した刹那、無数の弓矢が俺の陣を貫いた。それで、勝負は終わった。ギリギリの所まで耐えていた何かが、押し潰された。
 兵達が狼狽した。それはすぐに陣全体に伝わり、混乱に変わった。
「くそっ」
 兵達が陣形を崩し、四方八方へと逃げ回る。
 瞬間、角笛。さらに喊声が巻き起こる。メッサーナ軍の追撃の合図。
「おのれぇっ」
 すぐに馬腹を蹴った。コモンに逃げなければならない。旗本がここぞとばかりに俺の周囲を固める。旗本はさすがに混乱していない。やるべき事をしっかりと理解している。
「将軍、先頭は我らが駆けます」
「バロンは避けろ。あの男の弓の腕は」
 言い終わらぬ内に、三人が馬上から消えた。吹き飛んだのだ。吹き飛んだ方向へと、視線を移す。一本の矢が、三人の兵を串刺しにして、原野に突き立っていた。バロンの矢だった。
 戦慄した。本当の意味で、俺は戦慄していた。
「急げぇっ」
 叫ぶ。弾かれたように、旗本が駆け始めた。弓騎兵の矢が、俺の所に集中してくる。矢が飛ぶ度に、旗本の兵が脱落していく。
 風切り音。旗本の三人が吹き飛ぶ。もう兵の方は見なかった。ただひたすら、コモン関所だけを見る。悲鳴。兵が馬から落ちる音。
 恐ろしい。死ぬ。死ぬのか。この俺が。
 また風切り音。兵が三人、原野に消える。
 気付くと、周囲に味方が居なかった。バロンが、弓騎兵が、全て射殺したというのか。だが、すぐそこにコモンがある。あそこに駆け込めば。
「南方の雄サウス、貴様の天命はここに付きたっ」
 後方からバロンの声。振り返らなかった。矢だけが恐ろしかった。それさえ凌げば。
 その刹那、一騎が俺の眼前に現れた。赤褐色の馬に跨った男。虎縞模様の具足。血に濡れた白刃。
「サウス、首を貰う」
 剣のロアーヌだった。それで、俺は全てを悟った。死。だが。
「俺は、俺はただでは死なんっ」
 吼えた。
 若僧どもが。俺は南方の雄、サウスだぞ。歴戦の将軍であり、ロアーヌを二度も打ち負かした男だぞ。この南方の雄が、ただで死んでたまるものか。この若僧どもに、ひと泡ふかせてやる。俺は南方の雄。
「サウスだっ」
 鎖鎌を構える。その刹那、腕がちぎれ飛んだ。バロンの矢だった。
 おのれ、おのれ、おのれ。
「余計な事を」
 聞こえたのは、それだけだった。憤怒が、全身を駆け回る。
 首筋に、ロアーヌの剣が触れてきた。

     

 天下の趨勢は、メッサーナに傾いていた。
 コモンが落ちた。これにより、国は喉元に剣先を突き付けられた形になった。まさに、国家存亡の危機である。政治家達は今更になって顔を青くして、儂の動向を窺っている。肝心のフランツは、堂々と腰を据えて、国の内政に励んでいた。
 これから、どうなるのか。戦が近いのは間違いない事だが、即座にそれが始まるとは思えない。メッサーナが攻め込んでくるルートもまだよく掴めておらず、一挙に都に攻め込んでくる、という事もないだろう。まずはコモン周辺を鎮撫し、都攻めの基盤を作ろうとするはずだ。
 サウスが討たれていた。戦を実際に見た訳ではないので、正確な事までは言えないが、サウスの動きが悪かった、という訳ではなかった。要は、敵軍の将が優秀すぎただけの話だ。中でもロアーヌとバロンの武将としての質は、類稀なものである。ロアーヌは少数精鋭の指揮に長けていて、バロンは大軍の指揮に長けている。そして、このどちらも天下に音を鳴らす豪傑なのだ。
 その他の将軍についても、これは、という者ばかりだ。性格などを加味すると綻びも見えてくるが、弱点という程でもない。これが、今のメッサーナ軍だった。はっきり言って、官軍よりも数段強い。将軍だけでなく、兵もだ。
 勝てるのか。儂が戦に出て、メッサーナを倒せるのか。そういう自問自答を繰り返していた。不安だとか、恐怖ではない。単純に興味があっての事だ。そして、その答えは勝てるのか、ではなく、勝つ事だった。
 もはやこの身体も老いたが、気持ちまでは老いてはいない。サウスは、ここの所をよく理解していなかった。若い者達と、同じ土俵で勝負をしようとした。サウスの悪かった所を挙げるとするならば、この部分だ。
 若い世代を育てる事だった。人はいつかは死ぬ。死ぬ前に、自分の何かを後世に伝える。それで始めて、人は人生を全うしたと言えるのだ。
 ハルトレインが大きくなって帰って来ていた。側につけていた兵の話を聞くと、かなり危うい所まで追い込まれたという話だったが、命は拾った。というより、ロアーヌに生かされていた。
 ほんの数合で、勝負は決まっていた。ハルトレインはまともに武器を振るう事もなく、戦闘能力を封じられ、誇りを踏みにじられたのだ。
 ハルトレインにとっては、これは大きな経験となっただろう。慢心の塊であった性格は粉々に打ち砕かれ、今では寝る間も惜しんで調練を重ねている。特に兵卒と共に泥にまみれながら調練に参加し始めた事には、儂も少々驚かされた。今までは、兵卒を下種扱いしていたのだ。
 良い傾向だった。人はこうやって大きくなる。ロアーヌには感謝するべきだろう。ハルトレインに、天下の武を見せてくれたのだ。元々、素質はある。あとは、この経験をどう活かすのか、という事だった。
「エルマンとブラウを呼べ」
 儂は、自室の外で控えている従者にそう言い付けた。
 エルマンとブラウは、儂の副官だった。本来なら一軍を率いる将になっていて当然の二人で、儂もそう勧めたが、二人はそれを良しとしなかった。儂の下で働く事を望み、あえて副官という地位に甘んじている。
「お呼びですか、大将軍」
 エルマンが言った。エルマンは筋骨隆々の偉丈夫で、髪の毛を剃って丸坊主にしている。力押し戦法が好きな所が目立つが、細かい思慮も出来る男だ。決断も早い。
 もう一方のブラウは無言で立っていた。細い体躯と色白の肌で、武人とは思えない外見ではあるが、それなりに腕は立つ。ハルトレインの最初の稽古相手が、このブラウである。軍の指揮も丁寧で、奇をてらう戦法が得意だ。また、敵の奇を見破る力にも長けていて、それを逆に利用したりもする。そのせいか、性格が明朗ではなかった。
「メッサーナがコモンを奪った事は知っているな」
「はい」
「サウスも討たれた」
「存じております」
「サウスは良い将軍であったと思うか?」
「地方の将軍としては。メッサーナ軍の相手をするには、少々荷が重かったのではないかと思います」
 喋っているのは、エルマンだった。ブラウは儂の目をジッと見つめるだけで、口を開こうとしない。こういう所が兵から気味悪がられていたりするが、他意はないのだろう。人と接するのが不得意なだけなのだ。それに、エルマンと共に将としての質は抜きん出ている。
「サウスの将軍としての力量は、儂も認めていた」
「あの人は他を寄せ付けませんでした。良い軍師か副官が一人付いていれば、また変わっていたのかもしれません」
「フランツの子飼いに、ウィンセという男が居たのだがな」
「あの男は政治家の道に進んだのでしょう」
「まぁ、それで正解だと思ったが。武将としての力量も、それなりであった。ただ、サウスとの相性は良かったな」
 それで、サウスの話題は終わらせた。いつまでも死人の話など、していたくはない。
「二人に問いたい。メッサーナ軍に勝てるか?」
「それは、攻め込んで、という意味ですか?」
 エルマンが言い、ブラウが頷いた。さすがに、二人は儂の質問の意味をよく理解している。
「うむ」
「それは難しいでしょう。メッサーナ軍が攻めてきて、これを打ち払うなら話は別ですが」
「原野戦か」
「大将軍の軍は、攻城戦をするために存在しているわけではありません。攻城戦なら、別にもっと適した軍があります」
 エルマンの言う通りだった。儂の軍は、敵を壊滅させるために存在しているのだ。儂が描く構想としては、攻めてきたメッサーナ軍を追いに追い、コモンまで追い込む。その後で、別の軍を呼び出して攻城戦をする事だった。攻城戦に長けている将軍も、何人かは目星を付けている。そして、エルマンとブラウも、儂と同じ事を考えていた。
「ハルトが変わった。今後、大きくなるやもしれん。二人で、よく躾をしてくれ」
「もはや、我らが教える事はありませんが」
「いや、武術や戦術の事ではない。日常的な事だ。お前達との会話で、儂はそれを感じた」
 エルマンとブラウは、本質を見抜く力を持っている。というより、儂と共に過ごす事で、それを得たのだ。ハルトレインと儂は親子である。身内以外の人間と過ごさせるのも、大事な事の一つだった。
「儂は、息子と共に戦陣に出たいのだよ」
「武神の息子、ですか」
 エルマンの何気ない一言から、儂はハルトレインは不運な男なのかもしれない、と思った。親の名声が高ければ高い程、その子は苦労する。だが、ハルトレインはそれすらも乗り越えるはずだ。そして、いつかは儂を超える。
 ブラウが、未だに儂の目を見つめ続けていた。

     

 私はヨハンと共に、眼下に広がるピドナの街並みを眺めていた。民には活気があり、それを見ていると、戦乱の世という事がまるで信じられなくなる。そして、この民の姿が本来あるべき姿なのだ、とも思う。天下を取るという事は、全ての民を救うという事だった。その為に、私達は戦ってきたのだ。
 コモンを手に入れた。これで天下はメッサーナにぐっと近付いた。だが、ここからが難関である。まだ、大将軍が居る。国の最大にして、最強の切り札。これを打ち破らぬ限り、我らは勝ったとは言えない。
「兵力二十万。私達は、本当に大きくなったものだ」
 独り言だった。ヨハンを風に吹かれながら、遠くを眺めている。
 最初、メッサーナは僅かに二万の兵力だった。そして、この二万で、国をひっくり返そうと決意したのだ。今思えば、無謀すぎる事だった。言い換えれば、まるで雲を掴むかのような話だったが、時を経て、メッサーナは天下を二分するほどの勢力になった。
「次の一戦で、天下は決まります。すなわち、大将軍に勝てるか否かが、最大の焦点となるでしょう」
「さて、勝てるのかな」
「分かりませんな。昔の大将軍は武勇で音を鳴らしていたと聞きますが、やがてそれは知略へと変化を遂げ、近年ではその両方が合わさったと聞きます。つまり、隙がない」
「噂は人を誇大化させる」
「私もそれは思いますが」
 ヨハンが、言葉を切って目を閉じた。
 レオンハルトは、まさしく歴史に名を刻む軍人だ。時代を超越した英雄とされ、その戦ぶりは神とまで評された。比喩として、未来を予知する力があるとまで言われている。これは、敵軍の動きが手に取るように分かるからだ。次にどう攻撃してくるのか。どう防ごうとするのか。どう移動するのか。これらが全て分かってしまう。いや、分かっているかのように、軍を動かす。
「また、副官にエルマンとブラウという者達が居て、これも非凡です。大将軍の軍は、やはり別格として然るべきでしょう」
「その両人については、私はよく知らないが」
「世に出ておりません。将軍となっていれば、サウスと並び立っていたか、もしくは超えていたか、という所でしょうな」
「バロンもサウスと並び立っていた。そして、超えた」
「ロアーヌ将軍は、その二人を大きく超えています」
 大将軍と勝負が出来るのは、やはりロアーヌしか居ないだろう。全体の指揮はバロンが適切だとして、大将軍の本陣叩きはロアーヌにやらせるべきだ。もっとも、私は軍人でないので、正しい事は言えない。だが、これは予感だった。
「大将軍の息子の一人に、ハルトレインという者が居ます」
「知らないな。初耳だ」
「最近になって世に出てきました。噂では、相当の大器だとか。まだ歳は十六か十七らしいですが、看過できる存在ではありません」
「やはり、一度は腐っても、国は大きいという事かな。次から次へと、新たな人材が出てくる」
 分かり切っている事だ。だが、そう実感せざるを得ない。国は何度も何度も負けた。しかしそれでも、立ち続けている。新たな人材を見出し、尚も立ち続けようとする。一方のメッサーナは、一度の敗北が命取りだ。これは国力の差であり、歴史の差だった。天下で並び立ったと言えども、これはまだ変わっていないのだ。いつも、ギリギリの所で勝負している。それが、メッサーナだった。
「シグナスの息子であるレンも、大器だと聞いているが」
「えぇ。今はルイスが軍学を教えております。歳は十歳と聞きますが、頭も良いそうですよ」
「武芸に関しても、非凡らしい」
 あのロアーヌが直接、稽古をつけている。今では、同年代でレンに敵う者は誰一人として居ないという話だった。それでも思い上がる事なく、懸命に物事に取り組む。こういった人間性からか、レンは老若男女問わずに人気があった。ここは、さすがにシグナスの息子と言うべきだろう。
「私は迷っている、ヨハン」
「何をです?」
「すぐに軍を動かし、都攻めをするか否かだ」
 今のメッサーナは勢いに乗っている。勢いというのは大事だ。だが、すぐに軍を動かすという事は、それだけ国力を消費するという事だった。コモン戦はあっさり勝ったと世では言われているが、その実は多大な国力の消耗があった。そして、それは全て民から得たものだ。連戦するという事は、さらに民をきつく絞るという形になってしまう。
 国として大きくなった代償だった。メッサーナの領地から考えて、兵力二十万というのはいかにも多すぎる。戦乱の世という事もあり、兵力過多になるのは当然だとも言えるが、それだけ民が苦労するというのも事実なのだ。
「こうしてみると、民には活気が見えるが、連戦となるとな」
「ランス様の言いたい事は分かります。しかし、天下の趨勢はメッサーナに傾いています」
「連戦すべき、お前はそう思うか?」
「いえ、私は国力を蓄えるべきだと思います。この趨勢は、しばらくは変わりますまい」
「連戦を避け、次に戦をするならば、私は五年後と考えている。都を落とすまで、戦い続けるならば、やはりこれだけの時は必要だ」
「同感です。そして、次の一戦こそが、天下を決めます」
 ヨハンの言葉を聞き、私は頷いた。やはり、まずは国力を蓄えるべきだろう。
 焦る事はない。皺が刻み込まれ始めている自らの手の甲を見ながら、私はそう思った。

       

表紙

シブク 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha