Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

「ロン。人和、チートイツ。ああ、一応サンマは役満に手役も加えて計算するからな――悪いね、先輩」
「この手で8s押さえられるかよ……7sが手にあれば俺だって考えた。考えたんだ。くそ、嫌な予感はしたのに、8s……」
「じゃあ切るなよ」
「うるさい、うるさい、ああ……」
 寺門は完全に自分の世界に入って後悔に耽っている。
 烈香はその様が愉快で仕方ないのか、自分の手をあっという間に牌山に突っ込んでぶち壊した。
 雨宮の手元に、固められてあった7sが四枚転がってくる。
『ふふん、あたしがオールグリーンを積み込んでると見破って、同じ待ちにするなんて、粋なことするじゃん?』
 雨宮はふっと笑ったきり、特になんの意思も伝えなかった。それが烈香には不思議だったのか、空せきをして、
『何? どうかしたの』
『べつに』
 確かにカモだ。眠っていたって勝てる。それに、こいつが感じている苦しみも本物だろう。
 それを取り除こうとするあらゆる努力を放棄しているのは雨宮からすれば謎だが……。
 十六夜烈香は、嗜虐的な麻雀を打つ。
 相手が苦しむことで、ようやく自分が麻雀をしていると実感できるのだろう。それをいいとか悪いとか言うつもりはない。弱いとも汚いとも思わない。
 簡単な話。
 雨宮秀一は、弱いものいじめに飽きていた。
 それだけだったのだ。
 烈香の気持ちもまるきりわからないわけじゃない。
 自分の千点棒に、たかだか十円玉一枚さえも乗せられず、その十円玉で何を得るでもなくただ馬鹿なバクチで失いたくない、それだけの、そんな臆病者が平気な顔で、点数計算もできないままに麻雀を打ち、それどころか真剣に打つものを小バカにさえする。
 そんな景色をずっと眺めてきたとしたら、この『苦痛の麻雀』は烈香を虜にしてやまないだろう。
 そして幸か不幸かやつは、その苦痛を切り抜ける力を持っている。
 だから、それについてこれないやつは死ねばいい。
 シンプルで美しい情熱の回路。
 それが十六夜烈香の根底にあるものだ。
 だから、いい勝負である必要はない。麻雀を通して、敵を打ちのめせればいい。再起不能になるまで、苦痛のメーターが振り切れて戻って来なくなるまで。
 自分は違う、と雨宮は思う。
 自分は、それでは満たされない。
 なァ烈香、と雨宮は、パンクに近づく寺門に熱の篭った視線を注ぐ烈香の横顔を見て、思う。
 こんな麻雀、虚しくねえか。
 こんな勝負、おまえ、自分の腕が可哀想じゃねえのか。
 俺は可哀想でならねえよ。
 違うか、烈香――。

 烈香がトイレに立った頃、もう夜更けで、寺門はぼそぼそと「帰って欲しいな」とはっきりさせないまでも零し始めていた。
 そして雨宮はじっと考え、やがて決めた。
「なあ寺門先輩」
「なに」
「あんた死んでるだろ」
 寺門は、答えなかった。






「最初におかしいと思ったのは、あんたの上履きがどこにもなかったとき。そのはだしでここまできたのか? 汚れもせずにか? ガキじゃないんだぜ」
 寺門は牌をいじっている。
「それに、この学校の生徒でこの俺を知らないってのもおかしい。俺、見かけ通りの超有名人なんだぜ。あんたの時代の卒業アルバムには載っていないだろうが……」
「俺が、幽霊だっていいたいのか」
「歯に着せた衣を剥げば、そういうことだ」
 寺門は、ぽいっと牌を投げ出して、額を手で覆った。
「さあな、俺にもわからない。俺はただ、ずっと授業をサボってるだけだ。ここで……もう今が何時間目なのかも、わからないけど」
「ここが廃校舎になったのは、確か、火事があったからって聞いたな。その前から新校舎建設は進んでて、ちょうどいいからそのまま切り替えたらしい」
「俺は……」
「ふん、てめえの素性なんぞどうでもいいがな、いい手がアガりたくってこの世にしがみついてるんだったら、次の局、俺が天和をくれてやるよ。それを慰めにしてとっとと消えろ」
「そういうことじゃねえんだよ。そういうことじゃないんだ」
「じゃ、どういうことなんだよ。烈香がトイレから戻ってくる前に答えちまえよ」
 寺門は、どこか遠くを見通すような、穴ぼこに似た目つきで虚空を見た。
「俺はずっと負け続けてきた……そのわけが知りたい。だからこうして打ち続けてきた。それだけだ。それだけわかったら、消えてやってもいい」
 雨宮は迷わなかった。
「無理だ」
「無理? おまえや、馬場って子ならわかるんじゃないのか。散々ツキやがって」
「ツキ?」
 愚、ここに極まれり。
「……やれやれ」
「なんだよ」
 寺門は本当にわかっていないのだ。
 雨宮は、ぐっとその端整な顔を、痩せた男に近づけた。お互いの息がかかる距離。
「あのな、おまえは愚にもつかないゴミ野郎だ。それはわかるか」
 寺門は沈黙する。
「ふん。だが、それだけだったらまだ救いがあるんだ。
 おまえに救いがないのは、いつか答えってやつが親鳥が雛にエサをやるみたいに降ってくると思ってるところなんだ。
 死んでも治らないド馬鹿ってやつだ。
 これ以上、てめえにかけてやる言葉も見せてやる打牌もない。
 俺は帰る。
 ここには火を放っておこう。
 なにひとつない高さ二階の空中でいつまでも自縛霊やってろ」
 そのとき初めて、雨宮は古い置時計が宿直室にはあって、カチコチと鳴っていることに気づいた。
 寺門がふっと笑う。
「……ひどいやつだ。そこまで言うか、普通?」
「言うよ。言わなきゃ伝わらないだろ。言っても伝わらないなら陰陽師でも呼んでお祓いしてもらおう」
「みんなそうだな」
 寺門は早口になっていく。耐え切れないとばかりに。
「みんな、俺のことが嫌いだという。言いながら、俺からは勝てるから、俺と麻雀を打つんだ。麻雀と、金のない俺なんて、意味がないというわけだ」
「その通りだ。自分の価値は自分で作って自分で認めてやるしかない。それができないおまえは黙って無意味に消えちまうのが似合いだぜ。
 そしておせっかいにも付け加えておくが、ヒトから嫌われたからってなんだ? それが自分のあり方と関係すんのか?
 そんなのどうでもいいことなんだって、俺は最近、知ったぜ」
 もはや雨宮の言葉は、亡霊には届かない。
 壊れた録音テープのように、寺門は呟き続ける。
「ツキがなかったんだ。みんなみたいに、俺は三半荘じっと粘ったってチャンスなんかこなかった。技術もなかった。テンパイの読みなんてどうしてできる……? 俺にはなにもわからない。そう、ツキと腕と……あとはなにが足りなかったんだろうな」
「そんなの全部関係ねーよ」
 そう言う雨宮の目には、もう、悲しみしか残っていなかった。
「おまえはただ、生まれたときから……オトナだっただけだよ」
「……麻雀なんか、麻雀なんかやらなきゃよかった! ずうっと我慢して我慢して、その結果がこのザマか!」
「みんなそうだよ。いつか死ぬし、いつか負ける。だがね、俺はたとえトリプルハコを喰らって殺されたって、てめえみてえにブツクサ言って死んでいくのはゴメンこうむる」
「……祟ってやりたいところだが、その元気も、もうないや」
「祟るだと?」
 魔少年は牙を剥いて、嗤う。
「たとえ神だろうが悪魔だろうが麻雀打ちを祟れるもんか。そんな真似してみろ、俺の魂がてめえの穢れた心をカスひとつ残さずフッ飛ばしてやるからよ」
 その迫力に、その意気に、その情熱に。
 すべてを得る前に失った亡霊は、なにひとつ言い返すことができなかった。
 ただ、眩しいものから目をそむけるようにして俯き、
「まったく……恨めしいぜ、畜生」
 名残惜しそうに呟いて、ふっと灯りを消すようにして、去っていった。
 と、入れ替わるようにして烈香が戻ってきた。
「ふう、夜の学校のトイレってどうしてああ……あれ? 先輩は?」
「死んだ」
 かなり真実に近いことを言ったはずなのに上履きで雨宮は頭をひっぱたかれた。
 そんな無礼なマネをされた覚えのほとんどないこの欠落の王は、口をまん丸にして今にも笑い出しそうな、泣き出しそうな顔をした。
「な、何しやがる?」
「バカ言ってないでよ。まさか……」
 烈香がジロリと雨宮に白銀の眼光をぶつける。
「逃がしたんじゃないでしょうね」
「逃がしたんじゃない。勝手に逃げたんだ」
 成仏したんだろうが、結局、いなくなったやつは負けだろう。
 面倒くさいので烈香には説明しないでおくが。
 さて帰ろうか、と立ち上がったところでまたスパコーンとひっぱたかれた。首が斜めになって戻らない。
「だから何しやがるってんだよ!」
「バッカじゃないの! カモ帰らせてどうすんだよ! ハコテンにするつもりだったのに……」
「いいじゃねーか、金ののべ棒だったら、ほらそこに」
 と指を伸ばしかけたところで、ぴたりと雨宮の動きが止まった。
 ダンボール箱があった場所には、ただ読み捨てられたグラビア雑誌が積み重なっているだけだ。
「……あの野郎」
 最後の最後に、味なマネしやがって。
 だが、不思議と怒りよりも、呆れたような懐かしいような、そんな感情しか湧き上がってこない。
 亡霊の最後の抵抗。
 しっかり効いたぜ、こん畜生。
「ねえねえ何タソガレてんの? 勝手に?」
「痛いです痛い耳をひっぱらないで痛い痛い痛い」
 烈香のこめかみに、ミミズが忍び込んだような青筋が浮き立っているのを見て、雨宮はぞっとした。殺されると思った。供養は丁寧にしてほしい。自縛霊なんて退屈なものは願い下げだ。
「オヒキのくせに、カモが金持って逃げるところをぼけーっと見てたわけ? ふ~んそ~なんだ~へ~ふ~んあっそ~」
「いやちげーんだって。あいつマジ足速かった。たぶん将来はマッハジジイ」
「そんなくだらねえジョークはお呼びじゃないんだよ!」
 卓をスパーンと上履きを打ちつけ、ニヤリ、と烈香は笑った。
「取り憑いてやる」
「は?」
「あたしが今日勝った分の金、ぜんぶあんたにツケとくから」
「ちょっ」
 一応、天涯孤独の身に落ちて、全財産をどこぞの若白髪に持っていかれた雨宮くん(17)は割と金欠の身である。
「そんなの白垣にツケろよ!」
「自分のミスを人に押し付ける気?!」それもそうである。
 ぐい、っとシャツの襟を拳に巻き込んで、烈香は、
「あんたが耳揃えて払うまで、ずっと側にくっついててやる。おばけみたいに、枕元で、呪ってやる」
 勘弁してくれ、と土下座までする雨宮を、きっと烈香は許しはしないだろう。
 誰もいなくなった宿直室で、乱れた牌が、誰に触れられることもなく、散っている……。

       

表紙
Tweet

Neetsha