Neetel Inside ニートノベル
表紙

シマウマ短編集
『雨ノ雀――廃校舎の怪麻雀』

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「廃校舎の……大ガモ?」
 生徒会室でざるそばをすすりながら、雨宮秀一は聞き返した。
 すぼめた口から冷麺が垂れ下がっている。
 無論、昼休みに出前を取るなど校則違反甚だしいのだが、この男にそんな言葉は失われている。
 革張りの椅子に座って眠りこけていた白垣真は隅の方にどけられて、そこには一人の少女が新たな主となっている。
 組んだ足を机に乗せて、「生徒会長」と記された三角錐が蹴られて落ちた。
 突然の君臨者――十六夜烈香は相変わらず涼しそうな軽装で、凛とした表情を浮かべ、雨宮の答えを待っている。
 まだ子どもっぽさを残す顔は、やや目元がきつめに吊り上がっているため、どこか背伸びしたような愛らしさがある。
 雨宮は片腕でざるそばをすすりながら、
「野生動物の異常繁殖は用務員のジジイに頼むべき仕事であって、一生徒にすぎない俺に言うことじゃない」
「誰が廃校舎がジャングルになってため池に化けガモが出たなんて話したんだよ。獲物だよ、え、も、の」
 雨宮はけだるさをため息にして吐き出した。
 首を残念そうに振り、
「俺はね、嫌いなものがいくつかある。麻雀を打つときに『ぶつ』って発音するくせに点数計算ができないやつと、ジャン卓のある友達んちを『雀荘』って呼ぶやつと、獲物だのカモだの言っておきながら言ってみれば小遣い銭しか持ってないやつのところに案内するやつだ。いまんとこ、おまえはすべてに該当する気がするけど俺の気のせいか?」
「気のせいだよ」
 残念なことに雨宮の長口舌はすべて無駄になった。
 烈香は足首をくいくいと動かして、
「あんた友達いないのか? もう下じゃ噂になってて、何人かの麻雀打ち――たしか進藤とかなんとか――が何回か狩りに出て、結構稼いでるらしいけど?」
 夢いっぱいな話だろ、といわんばかりに烈香は顔を輝かせていたが、雨宮は気味悪そうに、「ざるそばとこいつの話は食い合わせが悪い」と言いたげに、回転椅子を滑らせて烈香からちょっと遠のいた。
 狩り? 学生麻雀が?
 中二病患者につける薬はないものか。
 烈香はじれったそうにバタバタと踵を机に打ちつけ始めた。
 授業中でなければ他の生徒会役員どもに叱咤されているところだ。
「と、に、か、く! おまえはあたしのオヒキ(手下、子分のこと)として、今晩打ちにいくの。いい?」
「いい、じゃねーよ。俺をどっかのヘタレと一緒にするなよ」
 ちゅるん、とそばが露を跳ね散らかしながら雨宮の薄い唇に吸い込まれる。
 たとえざるそばを食っているだけでもどこからともなく神聖さの加湿器が稼動してオーラを撒き散らし、結局は絵になる男なのだ。
 欠片ほども取り合ってくれない雨宮に烈香は憮然とした表情を作って見せるが、雨宮の無関心さは崩れそうにない。
 ざるそばを食い終わり次第、教室に逃げ込む算段だろう。
 そうされてしまえば不法入校者の烈香は追跡できない。
「待ちなさいよ!」と教室のドアをバターンと開け放って周囲の空気を凍りつかせた後に通報されてお縄になるのも味なものかもしれないが、烈香はこれでも麻雀以外では一切の罪を犯していないつもりなので、こんなくだらないことで留置場にブチこまれるのは、彼女の玄人精神からすると許されざることである。
 むむむ、と怒りと侮蔑と懇願を視線に梱包して送り続けるが効果なし。雨宮はおいしそうにそばをもぐもぐするばかりだ。
 烈香は、一際大きく踵を生徒会会長卓にたたきつけた。

「そ。じゃあいいよ。あんたの気持ちはわかったよ、雨宮」
「わかってくれたか」雨宮はうんうんと頷いて両手を合わせた。「お祓いしとくからもう来るなよ」
「ものすごく腹立つ……。そーですよね、人気者の雨宮くんたら忙しくって麻雀なんか打てませんよねえ?」
「当たり前だ」
「帰宅部で、彼女もいなくて、学校と家の往復くらいしかやることのない雨宮くんたらさぞ忙しいんでしょう?」
「…………は?」
「いろいろあってから何もかもが面倒になっちゃった雨宮くんたら、ぶっちゃけ、うっすい人間関係とお山の猿大将ごっこにうんざりしちゃって、エンドレス五月病に囚われてるんですって? 忙しいことですわねえ」
 しなを作って「およよよ」と袖で目元を拭う烈香の気持ち悪さもさることながら、なかなか痛いところを突かれて雨宮はぐっと言葉に詰まった。

 確かに、自分は飽きている。
 満たされていることに、飽きている。
 だから自分からいろんなものにさよならして、またやる気が出るまでゆっくり過ごそうと思っていたのだが――
「それって」烈香が嗜虐感たっぷりの笑顔で、「準ひきこもりって感じだよねぇ?」
「ぐっ……」
「やだやだ、よくいるんだよねぇ、昔はよかったのに、とか、俺だって本気を出せば、とか終わってるくせにさ? ほざいちゃうヒト。雨宮もそーゆータイプだったんだ?」
「うぐぐ……」
 一言一言に必殺の棘が絡みついている。雨宮はぐさぐさと切り傷だらけになっていく。心が。
 こいつってこんなやつだったっけ? という思いがよぎるが、ヒトは成長するもの、確かに最近の自分はたるんでいると言えなくもなくて――
「老いた獅子の行く末は、餓死、ってね。」
 がちゃん、と雨宮は空になった椀を置いた。残った右腕でぐしゃぐしゃと髪をかきむしる。
 どうやら形勢不利らしい。
 ならば流れを淀めることもない。
「わかったよ」
 どうせ千点百円なんだろうなあ、と憂愁に煙る灰色の日差しを浴びながら、
「今晩だけは、おまえの下についてやろう」
「うんうん。最初からそういえばよかったのにさ。焦らしちゃって、メンドくさいやつ」
「おまえなあ……」
「じゃ、夕方に廃校舎で。作戦なんて造らなくってもどうせ勝てる相手だからさ、気楽に愉快にブッ潰そうぜ!」
 とびきりの笑顔を残し、左手をひらひらと振って烈香は颯爽と出て行った。麻雀以外の話はする気が無いし興味も無いとばかりに。
 今頃になってもぞもぞ目覚める気配を見せ始めた生徒会長を爪先で転がしながら、雨宮秀一は、ひとつ大きなあくびをこぼした。





 世の中には廃墟愛好家というものがあって、雨宮たちの通う学園にある廃校舎もその筋では有名なスポットのひとつだった。
 グーグル先生で廃墟、学校と検索すれば三十分とかからず無機質なイニシャルと無断で撮影されたモノクロ写真つきで紹介されているページに出くわすはずである。
 そんなものは取り壊してしまえばよさそうなものだが、金持ちに道楽好きが多いのは世の常か、壊さないでくれと学園側に菓子折りを届ける輩がいるらしく(そしてその中身は食べられないものであって)、学校側もチェーンと立ち入り禁止の張り紙だけで済ませているだけで実質誰でも忍び込める。
 だから怪談話やいじめの温床になることも多く、久々に夕暮れに染まる廃校舎前に立った雨宮は、短い時の流れの儚さをかみ締めるのであった。
 この世の中、数秒先に何が起こるかわからない。役なしドラ3に振り込んでしまうように、読みもセオリーも、時には無力で、どれほどの力や幸福を溜め込んでも、それはただ刹那に映った陽炎だ。
 空っぽの下駄履きに、十六夜烈香が腕を組んでもたれかかっていた。
 一瞬、そこにいるのに存在感が不思議となくって見逃してしまいそうになる。けれど麻雀打ちとしては存在感が薄いというのも、便利といえばそうかもしれない。
「よう、おまた」
「なに、そのおっさんくさい言い回し?」
 烈香が嫌そうな顔をする。女の子ならおじさんと言え、と雨宮は心の中で厳しくダメ出ししたが、仮に口に出しても十六夜烈香には無意味だったろう。
「準備はいい? じゃあ、いくけど」
「うむ」
 ホコリとカビの臭いが充満する木製のトンネルを、烈香と共に進んでいく。
 灯りが必要な暗さではないが、青い闇が一歩進むごとに深まっていく。
 海の中を縦に降りていくように。
 深く、深く、もう帰ってこれないほどに……。


 烈香が立ち止まり、雨宮も足をとめた。
「ここだよ」と烈香が光で照らした先には、「宿直室」と書かれたプレート。
 なるほど、確かに宿直室ならちょっとした畳敷きの座敷があって、麻雀にはちょうどいいだろう。
 烈香が戸口に手をかける。
 ふと雨宮の背筋を冷たい悪寒が走った。が、彼は強いて烈香にそれを告げることも、その手を止めることもしなかった。
 不思議な気持ちだった。振り込むとわかっていながら牌を切ってしまうような、そんな不思議な、倒錯情動。
 ガラリ、と烈香は戸を開けて中に入る。雨宮も続いた。
 想像した通りの宿直室の畳の上に、ひとりの男がジャン卓に両肘をつけて、入ってきた二人のことを見上げている。
 雨宮と同じ、黒い学生服を着た男だ。
 どんよりと濁った目とその下にびっしりと染み付いたクマは、不健康そのもので、ただいま徹マン強行軍中と言われても不思議ではないが、他の面子の姿はない。
 男は蓬髪をぐりぐりと指で絡め取りながら、烈香と雨宮を交互に見る。
「こんばんは」
 咄嗟に、烈香も雨宮も言葉を返せなかった。ややあって、
「こ、こんばんは」
 と引きつった笑みを浮かべて烈香が頷く。
 男を騙せる笑顔じゃないな、と雨宮は思った。そのすぐ下に相手への嫌悪を無意識のうちに伝えてしまう笑顔は、女としては二流のシロモノだ。
 あの嶋あやめなら、裏も表もなく笑って見せるのだろうが。
 男に勧められるままに、烈香と雨宮はジャン卓へ腰かけた。
「えと……」と烈香が言葉に詰まり、あろうことか雨宮へ助けを求めるような視線を向けてきた。
 冗談じゃない、と手を振ってやる。なぜ俺がこんな下賎な下男と下らない挨拶と段取りをしなくてはならないのだ。
 そんなことは言いだしっぺのおまえがやることだろ、烈香、と睨んでやるが彼女は俯いてしまう。
(こいつ、ひょっとして……いままでギャンブルの舞台を整えるのは白垣に任せきりで、その下ごしらえをするのがまだ苦手なのか? ていうか、ひょっとして男がちょっと苦手だったりすんのか?)
 おいおい大丈夫かよ、SSSランク麻雀打ったのホントにおまえか? などと雨宮はクドクドとお説教してやりたくなったが、まあ確かに二人と二等辺三角形を描く位置に座る男は、陰気で覇気がなく、とても心地よい関係を築けるとは思いがたい風格ではあったが。
 男が黙りこくる二人に眉をひそめはじめたので、仕方なく雨宮はため息をつき、
「ここで面白い麻雀が打てるってんでね。こいつと遊びにきたんだ……えと、先輩かな?」
 雨宮は振り返って、靴置きに目をやったが、男の上履きは見当たらなかった。本来ならそこに走るラインの色で、学年がわかるのだが。
 男はぽりぽりとつむじを長く伸びた爪でひっかいて、
「ああ……三年の寺門だ。噂を聞いてここに来たのかな……いくらか高いレートで、あんたらのお好みのルールで打つ……一応、あんたたちの名前は?」
「へっ?」と烈香が素っ頓狂な声を出し、雨宮を見やる。
(ここの生徒じゃないってバレたらどうしよう)という顔だ。
 雨宮はギロリと烈香を睨んでから、万人に親しまれやすい無敵の笑顔を寺門に向けて、
「ああ、俺は二年の雨宮。こっちもそう、ええと、馬場烈香」
「な、ちょっ……!」
 またギロリ。
(十六夜なんて妙な名字、あとあと調べられても困る。馬場って名字なら、この学校には生徒で十三人、教師で二人いるからカモフラージュもいくらか効くだろ……恥ずかしがってんじゃねえタコ。カモる方がテンパっててどうすんだ?)
 まったく、今の烈香の様子は大自然に解き放たれた動物園の豹のようだ。純粋培養されていた分、品があるが柔らかさと獰猛さに欠ける。それでは本物のハイエナたちに取り囲まれて終わりである。
「よし、じゃ、ルールの話といこうか。馬場?」
「……。あっ。そうそう、三人しかいないから、サンマ(三人麻雀)にしたいんですけど、いいですか、寺門先輩」
「いいよ」
 即答だった。雨宮は、ふうん、と寺門に流し目を送る。これが女性に向けられていたら狙いを定めているのかと思われるところだろうが、あいにくといまの彼はいくらか戦士であって、市民ではない。
 この寺門という男、腕に相当の自信があるのか、それともただの馬鹿か。
「サンマは、萬子の二から四、六から八までを抜く。一萬、五萬、九萬、北はガリ(抜きドラ)だ。抜いたら王牌から一枚持ってこれるのは知ってるよな? ドラは開門から十一枚目をめくる。点数計算はバンバンつきの一点、二点のあれ。チャンタは五点、純チャンタは十点。役満は五十点。ダブルは二百点。トリプルは千点。親は一点、連荘分は一点ずつ加算。チーなし。オーケイ?」
「何度かやってる」寺門の表情は変わらない。
「そいつは結構。いい打ち手と打てそうで俺も嬉しい。烈香から何かあるか?」
 ふるふると烈香は首を振る。まるきり借りてきた猫状態だ。
 ただ、その顔つきのすぐ裏に、麻雀打ちとしての若干の疑問符が浮かんでいることも雨宮にはすぐわかった。
 そしてその回答は、卓の中で出すつもりだ。
 ガラガラと寺門が牌をかき混ぜる。三人はそれぞれ引いて、位置についた。
 起家、雨宮。南家、寺門。西家、烈香。
 みんなが牌山を積んだところで、
「一点はおいくらかな?」
 と雨宮はわざとらしく問いただした。雨宮はレートは烈香に任せるつもりだったので、視線を送る。
 どうせ小金なので、いくらだろうと関係ない。
 水を向けられた烈香はスッとそれまでの狼狽ぶりを消して、
「一万円」
 ととんでもないことを言い出した。雨宮も思わず笑った。学生にそんな金があるものか。二五〇万円から始まる麻雀なんかバブル期のマンションクラスだ。
 寺門はこけた頬をひと撫でして、
「一万か……」と苦しげな声を出した。
「ハハハ、先輩、じれったいマネはよそうぜ。そんな金持ってないだろ」
 ところが、寺門は、「いや……」と意味深な呟きを残して背を向け、なにやら隅の方に転がっていたダンボール箱をごそごそし始めた。烈香と雨宮は顔を見合わせる。
「一万円札は十枚しかないが……こいつを担保にしてくれるなら、いいよ」
 といって、ダンボール箱をジャン卓の真ん中にどんと置いた。
 烈香と雨宮が額を揃えて覗き込むと、中には、金色に輝く板が折り重なって入っていた。
 金ののべ棒。
 ごくり、と烈香が生唾を飲み込み、雨宮の身体からは敵意が噴出した。
 何かおかしい。
 そんなことはわかっている。
「おい」
 上級生に向けるとは思えないドスの効いた声音で、
「こいつはどういう冗談だ」
「冗談? 本物だが」
 寺門は澄ましている。突然、その胸倉を雨宮は掴み、烈香が慌てふためく。
「学生がこんなアホみたいなモンもって麻雀するわけないだろ。てめえ常識あんのか? これはなんだ、演劇部から借りてきたのか? おい、この俺をなめると表も裏も出歩けないようにしてやるぜ」
「あ、雨宮、カ……寺門先輩から手ぇ離しなよ! 失礼だよ!」
 カモといいかけたくせに、と内心で呟き、雨宮は取り合わない。
 寺門は自分の運命にさえ興味がないといった口調で、
「これは裏山で見つけたんだ……徳川幕府の埋蔵金さ」
「どうやら指をツメられたいらしいな。いいぜ、血を見るのは嫌いじゃない」
「べつにそうしてもらっても構わんが……君らは麻雀しにきたんじゃないのか? だったら麻雀をしよう……もしこの金ピカがニセモノだったら、ちゃんと代わりのものを払うよ……本物だがね、繰り返すけど」
「いちいちカンに触るやつだ……だが、ま、いいか。麻雀しようか」
 急にそれまでの怒気を蒸発させた雨宮は無表情になって、ダンボールをジャン卓からぽいっとどけた。
「ふん。北家がいないが、出目はヨンマと同じ風でいいかい?」
「ああ」
「じゃ、自五で俺の山から取り始めるぜ」
 スッスッと何事もなかったかのように配牌を取り始めた男たちに烈香はしばし呆然としていたが、自分の手牌が完成する頃には、冷めた鉄ような雰囲気を回復させていた。『殺人麻雀』の名は伊達ではない、というところか。
 自分の手牌をゴミでも見るような目つきで眺めながら、寺門が言う。
「君たちは俺の支払いを心配しているようだが……それはこっちのセリフでもあるんだぜ。俺は必ず払ってもらう……忘れないでくれよ」
「ああ」
「うん」
 雨宮も烈香も、第一打牌する前に、そんなセリフは忘れてしまった。



 サンマは、萬子がないためにヨンマよりも派手な手ができやすい。

       

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Neetsha