Neetel Inside ニートノベル
表紙

ブチャラteaの短編集
星色の髪の彼女

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 彼女の髪の毛は星の色をしている。
 教室を埋め尽くす黒い小山に隠れて輝く彼女の髪の毛を見ると、夜空に瞬く星のようにそれは僕の目に光を届ける。
 彼女の名前はエニスさん。去年、どこかの外国から僕の通う小学校に入学してきたらしい。そのとき、僕はエニスさんとは違うクラスだったから、詳しいことは知らない。けど、やはり外人が転校してきたとなると、好奇心旺盛な小学生の話題になるには充分すぎるようで、友達のいない僕の耳にも彼女の噂は伝わってきたのだった。
 僕の座席は教室の窓際の一番後ろ。対するエニスさんは僕の座席の列の一番前だ。授業中ノートから顔を上げるだけで彼女の頭が視界に入ってくる。黒い髪の毛に埋もれて輝く白色に近いような金髪は、やはり僕に星を思わせる。そんな、目に刺激を与えない淡く優しい光を湛える彼女の星色の髪が、僕はなんとなく好きだった。
 今日も先生の話を聞くともなしに耳に入れながら、ぼんやりとエニスさんの頭を眺めていると、不意に僕の名前を呼ばれて慌てて立ち上がった。
「あ……うぁ。わかりません……」
 もごもごと口籠って適当に返答をすると、先生が顔を顰めて溜息をついた。
「日直だろ。号令」
「あ……」
 周りの子が僕を見ながらくすくすという笑い声をあげていた。僕は赤くした顔を隠すように俯きながら、小さな声で号令をかけた。なにより恥ずかしかったのは、みんなに笑われたことより、こちらを振り返ったエニスさんと目が合ったことだった。

 休み時間になると競うように教室を出て行く人たちと、友達と集まって談笑する人たちに分かれる。僕とエニスさんはそのどちらにも属さない、教室の空気みたいにただ独りで座っているタイプの人間だ。
 僕は自分の席で、さっき出されたばかりの宿題に手をつけ始める。大抵、休み時間はこうして時間をつぶしている。エニスさんは自分の席で静かに本を読んでいるか、教室を出てふらりとどこかに行ってしまうかのどちらかだった。今日は彼女は机から本を取り出して黙々と読書をしている。どんな本を読んでいるのだろうか。気になったけど、僕の席からは彼女の後姿しか見えない。
 僕は宿題をやっているふりをしながら、エニスさんの頭に目を向けた。窓から差し込む陽光を反射してキラキラ輝く彼女の髪の毛は、星単体の輝きというより星屑とか星雲のそれに近い気がする。
 転校してきた当初は、その星色の髪や僕たちとは違う瞳の色や肌の色にみんなが興味を示し、羨望や憧れの眼差しを向けていたのだろう。だけど一年も経つと興味を失い、むしろ自分たちとは違う異端の者として白眼視される対象になってしまったようだった。
 もうこの教室で、彼女の髪の毛に憧憬を抱く人間は僕しかいないようだった。
 エニスさんと話をしてみたい、と何度か僕は思ったことがある。だけど彼女が独りで佇む姿は、そこにあるだけで完成された美術品のような、どこか気品に満ちた雰囲気に包まれている。自分が話しかけることで、その完成された作品を台無しにすることは、とてもじゃないが僕にはできなかった。
 そうじゃなくても、きっと僕たちとエニスさんの間には見えない隔たりがあったのだろうと思う。それは、彼女が直接口に出したり態度から表れるようなものじゃない。むしろ、彼女たちと異なる僕たち自身がなんとなく感じるようなものの気がする。劣等感? 嫉妬? んー、なんか違う気がする。
 そうして、エニスさんをそれこそ星を眺めるかのように遠くに見つめながら、僕の日々は過ぎていった。それだけで、僕は満足だった。

 困った事態が発生した。
 あと一ヶ月で卒業という時期に、先生の提案で席替えをすることになったのだ。なにを今更、と心の中で異を唱える者は僕だけで、周りの人たちはなぜか歓喜に包まれていた。
 そして席替えはつつがなく行われ、僕の座先は最悪以上の位置取りになってしまった。
 結果、僕はエニスさんの隣の席になってしまった。
 彼女の後頭部を眺める、という僕の中での密かな楽しみはこの席替えによってあえなく雲散霧消となってしまった。僕の心の中には雲とか霧のような不満は立ち込めているけど。
 授業中、顔を上げることで僕の視界に捉えていたエニスさんの星色の髪は、今は視界の端でその輝きをおぼろに感じるくらいしかできなくなってしまった。
 盗み見る、という手段を講じてみたが、何度か繰り返しているうちにエニスさんと目が合ってしまったので、僕は顔を赤くしながらこの方法で見ることを断念した。
 次に、僕はわざと消しゴムを落として、それを拾いながら彼女の髪を見るという手段に出た。しかし何回も消しゴムを机から落としていると、隣にいるエニスさんも流石に気がつくようで、なんだか胡乱そうな目付きで見られてしまった。……恥ずかしい。
 結局僕は、前の席のように満足にエニスさんの髪の毛を見ることもできないまま、卒業までの一ヶ月を過ごさないといけなくなってしまったのだった。
 だけど、今日はどうやってエニスさんの髪の毛を盗み見ようかと考えるのも結構楽しいもので、そんなことを考えているうちに、あっという間に卒業までの一ヶ月が過ぎていった。
 
 卒業式の前日。式の最後の練習も終わり、先生が明日の段取りみたいなのを話していた。教室は、なんとなく生徒たちの落ち着かない雰囲気に包まれていた。
 僕は特に感慨も湧かずに、明日は卒業式なのかーと他人事みたいな気持ちでいた。友達のいない僕には、別離を惜しむという感情は湧かない(大体うちの学校の卒業生は、みんな同じ公立の中学校に進むから、友達がいたとしてもそんな感情が湧くとは思えない)。それに学校自体にこれといった思い入れも思い出もないからかもしれない。
 ただ、エニスさんはどうなのだろうか。僕らと同じ中学校に行くのだろうか。もし、別の学校に行ってしまうのだとしたら……僕はどう思うのだろうか。卒業という実感が湧かない僕がいくら考えても、それはやはり他人事の出来事のように思えていた。
 そんなことを考えながら先生の話をぼんやりと聞いていると、横からにゅっと色白の腕が伸びてきて、机に折りたたまれたノートの切れ端が置かれた。こんな風に僕の机を経由して手紙のやり取りがされることはよくある。だから僕は、いつものように誰宛だろうかと紙切れに目をやって、そこに自分の名前が書いてあるのを見つけてぎょっとしてしまった。
 一体誰が僕にこんなものを、と焦るようななんとなく嬉しいような気持ちで辺りをきょろきょろ見回すと、エニスさんと目が合った。
 ドキっというよりギクっという胸の鼓動を感じながら首を傾げると、エニスさんは何かを決意したように重々しく頷いた。そのせいで、僕の心臓はますます調子に乗って暴れはめた。
 顔が赤くなるのを感じながら、エニスさんからの手紙に目を戻した。そこにはあまり綺麗じゃない字で僕の名前が君付けで記されている。顔の熱が治まらないかと、僕は一度深呼吸をしてから折りたたまれた紙を開いていった。
 ゆっくりと吟味しながら読み込んでいっても、手紙の内容は十秒足らずで読み終えるようなものだった。そして、その内容はあまり穏やかなものではなかった。
 もう一度、今度は純粋な疑問を持ってエニスさんに首を傾げて見せた。
 エニスさんはゆっくりと頷き返した。

 夜の十二時。僕は親の目を盗んで家を抜け出し、学校の校門の前で一人佇んでいた。その手にプラスチックバットを握って。
 校門近くの電灯の下でポケットをまさぐり、エニスさんからの手紙を取り出した。もう一度、その内容に目を通してみる。
『夜の十二時にバットを持って学校に集合』
 エニス。と最後に彼女の名前で締めてこう記されていた。
 改めて、んーと首をひねって考えてみるが、これが一体なんのお誘いなのか僕にはまったく見当がつかない。夜の野球大会のお誘い、ってわけではないよなあ。
 いくら頭をひねっても答えは見つからない。でも、エニスさんが来れば、その答えはすぐに見つかるわけで、たぶん。いくら考えてもしょうがないので、僕は手持ち無沙汰を紛らわすために素振りをして彼女を待つことにした。
 深夜の小学校の校門前で、将来のイチローを目指す野球少年ごっこをしていると、数メートル先の電灯の下で尾を引く流星のような輝きが目に入った。
 たたたと小走りに近づいてくるエニスさんに合わせて、僕の心臓もにわかに鼓動を高鳴らせてくる。きっと素振りをしてたからだと自分に言い聞かせて、僕は直立で固まって彼女を待ち構えた。
 消した直後の蛍光灯のような、ぼんやりと夜闇に淡く発光する彼女の髪が僕の目の前で立ち止まった。その頭頂部にはちょこんと、野球帽が乗っかっている。見たことのないチームの物だった。たぶん外国の球団のものだろう。
「おーい」
 エニスさんの声にはっと我に返った。僕は、彼女と正面から向き合ってもその星色の髪のことばかり考えているようだ。二人きりで会うことはもちろんのこと、こうして彼女と向かい合うことも初めてなので、今更のようにそんなことに気がつく。
「なにボーっとしてんのさー」
「あ、う……ごめん」
 エニスさんが僕の顔を不思議そうに覗きこんでいた。う……顔が近い。
 僕は顔が赤くなるのを感じながら、もう一度「ごめん……」と呟くと、エニスさんが星を散らしたような笑顔を浮かべた。耳まで紅潮するのを感じながら、エニスさんって笑顔も星みたいだなあ、ってそんなことが脳裏に浮かぶ。ああ、顔が熱い!
「今日は来てくれてありがとね」
「う、うん」
「ちゃんとバットは持ってきたよ……ね……?」
 僕の握るバットに目を落としたエニスさんが、首傾げて動きを止めた。
「なんでプラスチックバットなの?」
「え?」
「いや……だからさ」
 エニスさんが呆れたように溜息を吐いた。
 なにかまずかったのだろうか。僕の心臓がさっきとは別の不快さを伴って鼓動を早める。自分がなにかとんでもないミスを犯したような気がしてきた。
「あ、う……ご、ごめん」
 エニスさんに嫌われたくない、という思い一心で必死に言い繕うとしたが、僕の口からはいつものようにもごもごとした言葉しか出てこない。そんな僕にエニスさんは「別にいいけどさー」と、どこか他人事のように言って、掌にパンパンっと何かを打ちつけた。
「普通さー、バットって言ったら金属か木製じゃない? こういうの」
「そ、そうだよね。普通、金属か木製だよね……え?」
 そこで初めて、エニスさんの手に電灯の明かりを冷たく反射する――金属バットが握られていたことに気がついた。
 金属バットはエニスさんの髪の毛とは真逆の鈍い光沢を放っていた。そのバットを目の前にして、僕は背筋をひやりと冷たいものが駆け抜けた感覚を覚えた。顔の熱は氷水を掛けられたかのように一気に冷却されてしまった。
「あ、あのさ……。金属バットなんか持って今からなにするの……?」
 ごくりと唾を飲み込んでから搾り出した言葉は、緊張のためか恐怖のためか少し震えてでてきた。
 いきなりエニスさんに金属バットで襲われる、ということは普通なら考えられないだろう。
 だけど、僕の頭の中には「人の髪の毛ジロジロ見てんじゃねー! そんなにこの色が珍しいかWRYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!」と怒り狂ったエニスさんの姿を思い浮かべていた。彼女の髪をいつも見つめていることを、僕は後ろめたく思って……いるもんなあ……。
 だけど、やはり僕のこんな想像は杞憂だったようで、エニスさんはバットを肩に乗せると「あー」と呟いた。
「そういえば言ってなかったねー」
 本当にたった今気がついた、というように言って、エニスさんは「んー」と夜空を見上げた。「んーんー」と何かを考えるように唸る彼女の顔は、星色の髪の流星に彩られてキラキラと輝いて僕の目に映る。
「ヒントは、尾崎豊ごっこ」
「え?」
 エニスさんの突然の言葉に、僕は反射的に聞き返していた。言っている意味がよく分からなかった。けど、ピンと来るものがないわけでもなかった。
「そ、それって……」
「よーし。行くぞー」
 片手をえいやーと上げて意気込むと、エニスさんは僕の質問など無視して校門をバット片手に器用に登りはじめた。あっと言う間に校門を乗り越え、エニスさんは軽い音を立てて学校の敷地に着地を果たす。僕も慌ててその後を追った。
「ま、待ってよ」
「早く早くー」
 校門を不器用によじ登る僕を振り返ったエニスさんは、金属バットをくるくる回しながらキラキラと輝く笑顔を浮かべていた。この先にとても楽しいことが待っているとでもいうように。
 この後、エニスさんがしようとしていることにはもう僕は予想がついていた。
 言いたいこと、聞きたいことはいっぱいあった。
 だけど、その笑顔が眩しすぎて、エニスさんと一緒にいるだけで心臓がドキドキしてうるさくて、彼女の存在が僕の中で特別な何かに変わりつつあって、疑問なんて全部纏めてどうでもよくなってしまっていた。
 校門から飛び降りると足がじーんと痺れた。エニスさんの手に握られた金属バットが地面にからんと涼やかな音をたてた。
 朝日が昇って卒業式が始まるまで、夜はまだ長そうだ。



《つづく》

       

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Neetsha