Neetel Inside 文芸新都
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昨日ノート
五章 あなたが生きたかった昨日

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『そんなことよりも、今が欲しい』
 俺がそう呟いたのと、掲示板に書き込んだのは、ほぼ同タイミングだった。自前のカツ丼をむしゃむしゃと頬張りながら、俺は『もし昨日に戻れるとしたら、あなたはどうしますか?』というタイトルのスレッドをじいっと凝視した。書き込みは俺のものと合わせて、全部で五つ。こんな過疎な掲示板にこれだけの時間で五つも書き込みが来ただけで、既に「昨日」に帰ったのと同じくらいの奇跡だった。
「昨日昨日って、お前らそんなに過去にすがりたいかよ」
 かの名探偵のように箸をディスプレイにびしっと決める。そしてお決まりのドヤ顔。煌々と光るディスプレイに僅かに自分の顔が見えたから、すぐに表情を元の無表情に戻した。
 過去に戻れたらどれだけすばらしいだろうと、人々は口を並べて希う。ただそれは、毎日を一所懸命生きていない人間たちの愚弄ではないかと、俺は考える。過去に後悔の念があるから、過去に戻りたいと懇願し、そのためならば手段を選ばない。このスレッドも、その典型の一つだろう。
 俺はというと、過去には何も未練はない。たとえ後悔すべきことがあったとしても、すぐに忘れ去って前だけを向いて生きている。そうしなければ、いつまでも過去を引きずって行く事になりかねない。俺は後ろ髪を引くようなことは御免だから、毎日をポジティブに生きていくことにしている。まあ、忘れっぽいってのもあるかもしれないが。
 俺はカツ丼のなくなった丼を流し台に置いて、洗剤をつけたスポンジで中を軽く擦る。
 実際のところ、本当に過去に戻れるとは思っていない。過去に戻ってしまえば多少なりともタイムパラドックスが発生してしまうし、何かしらの行動を行えばバタフライ・エフェクトとなって、来世にまで影響を及ぼすことになるかもしれない。そんな歴史を操作するようなことはすごく滑稽で、俺からしてみれば笑い者だ。過去に戻ると言うことは、その過去から今までの自分を全否定すると言うこと。そんなくだらないことをしたいとは思わないし、そもそも最初からするつもりはない。時系列に逆らわずに生きるのが、真っ当な人間だ。
 あの掲示板を運営している身としては、書き込みがあるのは嬉しい。まあその「嬉しい」も表面上の感情表現であって、一日数万ヒットを誇るサイトを運営している立場からすれば、そんな過疎化した掲示板なんて思考の埒外だ。運営に忙しくて一々見ている暇もないから、たまに見たときに書き込みがあっても大して反応しない。ま、今回はちょっと興味のある話題だったから書き込んだが。
 再びパソコンの前に座って、運営サイトの管理ページを開く。最近は「運営氏ね」「運営仕事しろ」などの意見が度々寄せられているが、仕事している方の身にもなってほしいものだ。そもそも俺は運営と言うよりも、どちらかと言えば運営と利用者の仲介役みたいな立場なのだが……どうしたことか、寄せられてくる意見は俺に対しての罵倒ばかり。
「俺以外の運営に対しては何も文句は言わないんだな、こいつらは」
 少し馬鹿馬鹿しくなって笑みが零れたが、サイトの最新情報を見ていくうちに、ある文字列と目が合った。
「……? 新しく始まったやつか? なんだか気になるタイトルだが……」
 俺はその言葉を言い終わる前に、たった五文字でつづられたタイトルをクリックしていた。表示されたのは、他の作品と変わらない閲覧ページ。しかもページ数はまだ、一ページだけだ。あまつさえ、内容も文章で二千文字程度、といったところか。多すぎず少なすぎず、ちょうどいい分量だ。
「それにしても、この内容は…………」
 俺は少々驚きを隠せなかった。今しがた俺の考えていた内容と似たようなことが、その文章内ではとうとうと並べ立てられていたのだ。これは偶然か、もしくは偶然に見せかけた必然か? いや、そんな漫画じみたことがあるはずがない。ここは現実であって、二次元の世界ではないのだ。
 だとしたら、いったいどういうことなのか。ただの偶然と言っても、出来すぎている。
「さて、どうしたもんかねえ」
 特に何も考えが起こらないまま、俺の目蓋は次第に重くなっていった。そういえばもう夜の十一時か。眠いはずだ。歯磨きもせにゃならないが、なんかもう面倒だ。このまま寝よう。
 俺は椅子から立ち上がり、そのまま走り高跳びの背面とびの要領で背中からベッドに飛び込むと、天井を見上げて呟いた。
「何か方法はあるはずなんだが……」
 表面上だけ俺は何度も繰り返し呟いて、ゆっくりと夢の世界へと誘われていった。
 俺が妙案を思いついたのは、次の日の朝になってからのことだった。

       

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