Neetel Inside 文芸新都
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「あーなーたーにーあーえーてよかーったー」
 そう歌ったのは私ではなく、アラームをセットしていた携帯電話だった。どうでもいいけど、携帯電話ってもはや電話機能が主流じゃないよね。携帯端末って呼ばれる日は遠くないかも。
 口煩い目覚ましを止めて、窓際のカーテンを開ける。さんさんと陽光が降り注いできて、部屋の温度が一気に何度が上昇する錯覚を覚える。今日もいい天気だ。昨夜までの懊悩が嘘のように心も晴れている。
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 前言撤回。やっぱりまだまだ心の奥深くはゆるいロープで縛り付けられたまんまだ。さてと、今日は学校だ。何日だったか覚えてないけど、きっと十一日ぐらいだよね。うんうん。携帯を開く。六月九日。
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 うーん、まだ寝ぼけてるのかな。気のせいか、日付が胃液のように逆流しているように見える。ちょっと待って。六月九日って言ったら、コンクールじゃん。なに、もしかして過去にでもトリップしたの私? 寝ている間に青色の狸型ロボットが現れて引き出しの中に引きずり込んだ? そう思って引き出しを開けてみても、相変わらずガラクタが詰め込まれているだけだった。
 もう一度目をかっぴらいて携帯の日付を見てみる。うん、紛うことなき六月九日。形態のワンセグを見てみると、男子高校生の自殺のニュースが流れていた。このニュースには見覚えがあった。間違いない。
「……本当に、六月九日に戻っちゃったわけ?」
 心当たりがないわけではなかった。今日が六月九日だけど、私が「昨日」眠りについたのは間違いなく六月十日。なのに、今の私にとっては明日が六月十日なわけで、今日は昼からコンクールが待ち構えている。原因はすぐにわかった。「昨日」の掲示板と、あの“昨日のノート”っていう変なノートのせいだ。
 何はともあれ、私が何かしらの方法で昨日に戻ったと言うのは、事実らしい。コンクールでの結果を覚えているのが何よりの証拠だ。でもどうして、こんなことが起こったんだろう。私がいい子だから? そりゃねーわ。
「でもでも、戻れたのならまたコンクールに出れるじゃん」
 そう気づいた私は大喜びした後に、なぜコンクールでいい結果を出せなかったのか改めて原因を考えた。先述した、楽譜や絆創膏。それともう一つ、私には大きな失敗の要因があった。
 そう考えたときに既に、指は携帯を握って、メール画面を開いていた。受信ボックスには、迷惑メールがずらりと軒を連ねているけど、その合間合間に割り込むように【中野健太】と送信者の表示されたメールがあった。私は大口を開けてカバのようにあくびする。そして、【中野健太】の最新メールを開いてみる。
『ユーリはさ。僕とコンクール、どっちが大事だと思うの?』
 顔文字のない淡白な字面が、今一度私の心臓を貫いた。このメールを見るのは二度目なのに、心が針の山を踏みしめたようにずきずきする。私はこのメールに返信しなかったわけではない。メールはきっちりと返す主義だったので、そのあたりは問題はない。問題なのは、内容だ。
 「本日」行われる予定のこの後のやり取りは、こうだった。
『そんなの、健太が心配に決まってるじゃない』
『それだからいけないんだよ。コンクールはユーリの輝ける舞台なんだろう? 僕は大丈夫だから、コンクール楽しんできてね』
『……わかった、ありがとう』
 それが、最後のメールになるなんて私は考えもしなかった。そして衝撃の事実を自分の出番直前になって知るとは思いもしなかった。健太は私の出番が来るという時に、息を引き取った。白血病だったそうだ。私は健太が病弱で入院していると言うのは聞いていたけど、白血病だと言うのは母親から聞かされるまでまったく知らなかった。あれほど病院に通いつめていたにもかかわらず。多分、健太は私を気遣って言わなかったんだと思う。こんな私の、ために。考えただけでも、涙は止まらなかった。
 私は自分の体を細切れにしてしまいそうなくらい、後悔していた。私は健太の最期よりも、コンクールを優先してしまった。どうしようもないくらいに後悔した。最愛の人が死んだと聞いた瞬間、私の思考回路は腐りきった林檎を踏み潰したようにぶちゅりとぐちゃぐちゃになった。涙が枯れるまで、泣き通した。夜の蝉時雨にも負けない勢いで、一晩中嗚咽をこぼしていた。それが、「本来の六月九日」だった。
 でも今の私は、それを知った上で「六月九日」にいる。これをもたらしてのは神様か、それとも理論上神に最も近い絶対存在か。そんなことはどうでもよかった。神か誰かは、私に「やり直し」の時間をくれたのだ。ならばそれを、棒に振るうことはできない。
 私はすぐに携帯を手にとって、健太に返信メールを送った。
『そんなの、健太が心配に決まってるじゃない』
 案の定、予想通りの返事は数分後に返って来た。
『それだからいけないんだよ。コンクールはユーリの輝ける舞台なんだろう? 僕は大丈夫だから、コンクール楽しんできてね』
 あのときの私は、自らの栄誉と言う欲望に駆られて甘えてしまった。
 だけど、今は違う。
『いやだ。健太がいないなんて嫌。今から病院に行く』
 そう打ち込んで送ると、私は早着替え戦士シャツマンを髣髴とさせる勢いで服を着替え、髪のセットも化粧もしないまま家を飛び出した。

       

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