Neetel Inside ニートノベル
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キツネの嫁入り
エピローグ

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   エピローグ

 圧倒的なる豪気を身に纏った風雲児とて、一つ階段を登ればそこに待ち構えているのは自らを見下ろす巨人達だ。いかに階下でその腕を振るおうと所詮は階段という境界線の下での出来事。上に住む人間からすれば子供が盛っている程度の児戯にしか見えない。山を登れば眼下に広がる道路が、森が、雲が自分の手の平よりも小さくなっていくように、同じ目線で見れば自分が埋もれてしまいそうなそれも、高みから見下ろせば自分を楽しませるだけの景色の一欠けらでしかない。
 小野寺岩鷲がその部屋に足を踏み入れる時、彼は一切の矜持を捨て去る。傍若無人に街で振舞おうとも、この部屋では自分は豆粒程度の価値しかないのだ。
 旅館の宴会場を思わせる畳の並び。左右には幾十人の黒服達があぐらをかいて自分の一挙手一投足を無遠慮に見つめていた。いずれも大阪に事務所を構える芙蓉の側近達だ。年齢は三十代から六十代といったところだろうか。まず目が違う。おそらく、自分が全力で凄みを利かせようとも誰一人とて眉一つ動かさないに違いない。ろくに争いもない田舎と異なり、彼等はこの都会で常に睨みをきかせ、余所者の動向を逐一見張り、刃と血を持って制裁を加えるのが常。日本の誇る大都市で活動しているだけあって喧嘩事も日常茶飯事のつわもの達だ。
「おいおい、そんなに畏まるなって。そいつ等皆よ、単に八つ当たり相手が欲しいだけなんだわ。神経張り詰めた生活してるからなぁ。田舎モンをビビらせて楽しんでいるんだ。ヤクザつっても、楽しみはパチンコと風俗しかないからよ。堪忍してくれ。うわははははははは!」
 正座する岩鷲の先では白髪頭の老人が人のよさげな笑顔を浮かべていた。足を崩し、扇をのんびり扇いでいる。岩鷲はうんともすんとも言えず言葉を濁すより他はない。邪気の欠けらも見えない老人は知る人ぞ知る芙蓉組の会長だ。一線は退いたものの、その力は現役時代から遜色なく続いている。指一つ動かせば小野寺組全員を大阪湾に沈めることなど造作もないに違いない。
「それで? 確かにお前等のケツを引っ叩いたけどよ、もうまとまった金ができたってな。はっはっは、やるじゃねえか」
「正直に申し上げればはした金です。ですが、親父が困っているとのことでしたので、ないよりはマシと思い持参した次第です。是非役立てて下さい」
「嬉しいねえ! その気持ちだよその気持ち! なに、額のことなんて気にするな。ヤクザもサラリーマンも根本は同じ。信頼と絆。相手が困っている時こそが最大のチャンス。その時にどれだけ自分を売り込めるかだ。……小野寺、お前はいい営業マンだよ」
「恐縮です。二千万持ってきました。どうぞ、お確かめ下さい」
「おう」
 決して相手より頭を高くしてはならない。岩鷲は土下座に近い体勢から、持っていたケースを畳に滑らすようにしてそっと差し出した。老人の背後に控えていた強面の一人がそれを受け取る。必要以上にケースを眺める。逆さにする。金具を指でいじって確認する。妙な細工などあるはずもない。厳蔵が持ってきたケースをそのまま使用したのだ。中には札束が二千枚。鑑定はいずれも本物だった。
 男がケースを振って確かめた時だった。
 強面の眉間に僅かにシワが寄る。何かに納得していないのか、男は何度も何度もケースを振り、その正体を耳で聞き分けようとする。
「うん? どうした」
 遂に老人が見かねて口にした。
「はい。札束にしては妙に音が……。ご安心を。ヤバイ物ではないようです」
 空気が左右から亀裂を刻まれる前に──男は即座に言葉を紡いだ。岩鷲は唾を飲み込む。脇に連なる男達の視線に含まれる密度が増し始めたのだ。
 しかし目の前の護衛は一体何を戸惑っているのか? 真贋を見破ろうと試みる男の手馴れた手つきは本物だ。札束と他の物の音を聞き間違えるはずもないだろうに。
 それでも主に万一のことがあってはならない。護衛の男はそのように判断すると、少し離れた場所でそっとケースを開き始めた。毒見役だ。蓋を開いた途端に何らかの仕掛けが発動するのを危惧したのだろう。
「……ッ」
 中身を確認した瞬間、三十代前半に見えた護衛の厳つい顔が一気に十は歳を取ったかのように見えた。予想外のそれを前に表情を繕うことさえも忘れたのだ。
 それを見ていた会長がケースの元へと自ら歩いて行く。
 覗き込む。
 ──老人の瞳に一瞬何らかの色が宿った。岩鷲は顔に出さずとも戸惑いを禁じえない。
 一体何だ? 二人はあのケースの中の、何を見ているのだ? 少なくとも今朝方岩鷲が確認した時には札束以外の物は存在しなかった。取り立てて見るべきような物はないはずである。
「うわははははははははははははは!!!」
 扇をたたみ、大口を開いてけたたましい笑いを奏でたのは会長だ。
 岩鷲だけではない。その場に集っていた三十人ほどの男達に微細な困惑が浮かぶ。
「寒くなってきたからなぁ。なるほど。こいつを使って焼き芋でもしろと。ああ、実に素晴らしいアイデアだな小野寺。孫が喜ぶ! ほふほふしながら芋を頬張るわけだ!」
 ケースをぞんざいに掴むと老人は岩鷲に向かって勢いよく放り投げた。
 中身が宙へとばら撒かれる。
 花吹雪のように漂零するは──
 万札の嵐。
「──!!?」
 ではなく。
「なっ……! なぁッ……!!?」
 宙を滑ったそれはひらひらと間の抜けた演舞を披露しながら岩鷲の頭上に落ちる。
 手に取る。
 絶句した──
「何だぁ? 小野寺。狐につつまれたような顔しおってよお」
 それは万札には程遠い。
 ケースに敷き詰められていたのは茶がかった緑色の葛の葉だった。そこには一円たりとも金はない。
 解き放たれた葉の乱舞が肩や顔にからみつく。だが岩鷲はそれを払う意思さえも飛んでいた。
 なぜだ。
 どうして?
「さすが田舎モンを仕切ってる男はやることが違うぜ。この俺に山の落ち葉をプレゼントしてくれるとはなぁ。俺をここまでコケにしてくれる男がいるなんざ貴重も貴重よ。老い先短い俺の人生、まったく楽しませてくれるもんだぜ」
 岩鷲は我に返る。今すべき事柄を早急に理解する。
 だが屈託ない笑顔を浮かべている老人を前に、それはあまりに遅すぎた。
 ──もっとも、早かろうが結果は同じであっただろうが。
「ど、どうか誤解なきよう!! これは……これは違います!! 騙された。俺は──!」
「おい」
 顎一つで部下達に指示を飛ばした老人を前に、岩鷲は心臓が震え上がるほどの悪寒に襲われた。その瞳。記念写真でも撮るかのように笑いっぱなしの会長の双眸は──
「どうか、どうか誤解を解くお時間を!!!」
 あの小野寺岩鷲が恥を捨て去り、土下座をして懇願を繰り返す。二メートルを誇る巨躯も、全てを薙ぎ払う豪腕も、目の前の相手を前には全くの無価値。額を畳に何度も何度も擦りつける。
 無情にもその両腕を掴まれる。両側から岩鷲の腕を抱え上げたのは二人の強面だ。
 引っ張られる。引きずられていく。
 その間にも岩鷲は涙ながらに全力で叫び続けた。
 芙蓉の会長は再び開いた扇を仰ぐついでに、手を振ってそれを見守るだけだ。
 襖が開かれ、来客をその奥へと消すと再び閉ざされる。
 その頃にはもう岩鷲の声は聞こえなくなっていた。残されたのは大量にばら撒かれた葛の葉だ。
「ふん……」
 その中の一枚を手に取り翁が動物のように鼻をひくつかせる。
「葛の花の香りが塗りたくられているな。甘くてよい香りだ。──人が育てたのか、それとも自然の物か? いずれにせよこれを育てたヤツからは花に対する愛情を感じるな。うむうむ」
 そして手に持っていた葉を勢いよく真っ二つに裂く。投げ捨てる。
 いとも腹立たしげに染野山自慢の一品を、ゴミ同然に蹴飛ばしたのだった──

「おう、空也君! ……もうやったのか?」
「北里さん。もうお怪我は平気なんですか?」
「当たり前だろ、俺はまだ若いんだ。……で、それよりどうなんだ。やったのか!?」
「そうですか。皆さんが無事で本当によかったです」
 商店街へ出向けば、そこには以前よりも空気が明るくなった店主達が空也を出迎えてくれる。
 神様はいるもんだ。
 それが染野市の男達にのぼる口癖となった。
 業火に呼応するかのようにして現れた雨雲。そこから突如として落ちた大洪水のような雨。聞けば、濁流に流され空也のように気を失った人間もちらほらいたとか。木に体を打ちつけ打撲や脱臼を負った者もいる。それでも……死者はゼロ。あの混乱を考えればこれは奇跡的なる数字である。ついでに、後にルチアーノに聞いた所によれば、熊達の襲撃によって死亡した小野寺の人間もいないらしい。土砂等の心配もなし。溢れ出た大水は土に、木に、草に吸収されていき、人里に達するまでにはその力を随分弱めていたそうだ。
「いやー……死傷者が出なかった、てのも勿論ありがたいんだけどよ」
 そう言って、あの夜駆けつけた中の一人、八百屋の若き店主が口を唸らせる。
「本当、未だにあの夜のことは信じられねえや……。動物達がわんさか集まってくるは、床屋の久保田さんは熊の背に乗って駆けてくわ、うちの女房に言っても笑ってまるで信じやしねえ」
 火は──消えた。
 無論、焦土と化した黒い傷痕は残る。だが、人と動物が捧げた祈願は確かに力となったのだ。それは山にとって最大の悪夢である山火事をも打ち消した。十メートル近く空に舞い上がっていた炎を完膚なきまでに封じ込めたのだ。遠くから炎の情勢を見守っており、あの後に駆けつけた消防隊員も開いた口が塞がらなかったという。誰もが最悪の事態を覚悟していたのだ。
「なんつーか、人と同じなんだな。生きているんだなーあいつ等は。……って、当たり前か。……けど、そんな当たり前のことに驚くってことは、俺は理解してなかったわけだなぁ……」
 黄昏かけた店主の声を遮るように、遠くから空也を呼ぶ鈴の音のような声が響いた。
 ──人前では恥ずかしいその呼び名も、今では商店街で知らぬ者なし、である。
「おっと、長話しちまったな! よし、空也君。この里芋を特別にオマケでつけてやろう!! ……これ食えばな、精力抜群だぞ……。……おっと、空也君のネバネバに比べれば、里芋も霞んじまうかな!?  なんてな!!」
「──ありがとうございます。助かりますよ! 夜にお祭りがあるので体力つけておかないと」
「祭り? この時期に祭りなんてあったか?」
「ええ。あるんです。……それじゃ!」
 訝しげに首を傾げる店主に別れを告げる。
 パタパタと駆けてくる草履の音。三歩後ろでは声がかけ辛いので空也は隣に並ばせることにしていた。買い物袋を手に出迎える。
「旦那様。今晩、正午丁度から始まるそうです。今茶部様から連絡がありました!」
「そっか。楽しみだな」
 可愛い顔が上気しているのは興奮のためだ。
 当然だろう。きっと誰よりも、彼女が一番楽しみにしているのだから。
 怪我人が続出した傍らで祝い事をするわけにもいかず、たっぷり十日間の間を置いて祭りは企画された。踊ることが大好きなハツネからすれば、日頃からうずうずしていたのではないだろうか。普段は蕾のようにしおらしいのに今は花全開だ。
「ルチアーノも呼んでみる。……お、そうだ。土暦さんと踊らせてみたらどうかな?」
「……旦那様。……これは内緒ですよ? 土暦様は……大層、踊りがヘタなんです……」
 思わず吹き出した。
 確かに、あの武人の鏡のような男が気さくに踊りに興じる姿は想像し難い。
「とは言っても、俺も踊りについては誰かのことをとやかくは言えないな。ハツネ、今夜もお手柔らかに頼むよ」
「はい! ずっと一緒に踊りましょうね、旦那様」
 手をつないだまま染野市の商店街をゆっくりと抜けて行く。
 だが、やがてハツネがらしくもなくソワソワと落ち着かなげに首を揺らし始めた。彼女は時折空也を見上げたかと思うと──強引に瞳を逸らす。その繰り返しだ。
「どうしたの?」
 これは、尋ねてほしいというサインだろうか?
「あ。えっと……そ、その……」
 らしくもない。
 彼女は見ているこっちが狼狽してしまうほどに様子がおかしい。あまり強引に問い質すわけにもいかず──しかしやがてハツネは、うっかりすると聞き逃してしまうほど小さな声で紡ぎ始めた。先程開いていた花が再び蕾へと舞い戻ってしまったかのようだ。
「お──踊りは──熱を呼び覚まします。──人を──興奮状態にすると──」
「うん……。そうかも」
 確かに前回は場に酔ったこともあり奇妙な酩酊に捕われた。
「それで。もし、もし旦那様が──旦那様の興奮が冷め遣らないのでしたら──その──い、勢いでも構わないのです。ハツネを──ハツネを──」
 彼女が完全に顔を伏せた。
「抱いてくれますか?」
「──」
「──」
 空也は立ち止まっていた。
 そうだった。彼女は最初からそれを望んで土山家に嫁いだではないか。
 ハツネが耳を朱に染めて完全に俯いてしまう。
 空也の返事を待って。
 表情を取り繕うことさえも忘れた阿呆は十五歳の少年。
 一体どうすればいいのか。
 何と答えればいいのか。
 自分が喋らない限りそれは始まらない。
 男を見せろ。
 あの大衆の前でも堂々と唇を重ねることさえ容易かったのだ。
 拳をきつくきつく握り締める。
 震える手足に心の中で喝を入れて黙らせる。
「ハツネ!!」
「は、はい!!」
 目と目が交差した。
「お、俺は──」
 空也は全身全霊を込めて口を開いた。力の全てを注ぎ込んで言葉を少女に伝えていく。
 淡く蕩けるような純情。
 全てを伝え終わった時。
 勢いよくハツネが空也に抱きついた。
 染野山の紅葉に連なる赤がまた一枚。
 当分は消えそうにない桃色の炎。
 ならばきっと。
 このお山は今しばらくは安泰であろう。

   完

       

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Neetsha