Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 いつも通り適当なタンクトップに着替え、鏡を見てみる。10代半ばくらいのチビで目つきが悪いガキ、つまり俺の姿が映っている。ボサボサの黒髪の下から覗く瞳は今日も絶好調に濁っていて、将来どこかの会社に勤めることがあったとしても面接の第一印象で落とされそうな勢いだ。少なくとも俺が人事だったら即落とすね。
 コンコンとノックの後、扉を半分開いてムカデが顔を覗かせた。
「用意は出来ましたか?」
「まぁ、大体な。外出とかめんどくせぇ」
 ご主人様は今日もシスターの格好で外出するようだ。足元まであるロングワンピースに黒と白のヴェール。元悪魔の性質上、この格好を見ると若干緊張する。
 ヴェールから垂れる金髪は肩に少しかかるくらいの長さで、優秀な芸術家が彫った聖母像のような白い肌が黒のワンピースに映える。ムカデは糸みたいに目が細いので、尚更微笑んでいる聖母を連想させる。いや、その連想も悪魔としてどうかと思うが。
 俺としては人間の顔の良し悪しには毛ほども興味無い。無いんだが、実を言うとムカデの顔はかなり気に入っている。どのあたりが気に入っているかというと、名前の通り右頬にムカデが走ったような赤黒い傷があるあたりだ。美しい芸術品に付着した負のイメージ。その傷には、何故か見ているだけで吸いこまれそうになる不思議な魅力がある。ちなみにその傷を付けたのは俺じゃないぞ。あと、その傷が1匹の大ムカデだとするとこいつの背中はまるでムカデの巣だ。俺でさえギョッとするくらいぐちゃぐちゃになっているからな。
「?どうしました、ヤトト。私の顔に何か付いてますか?」
「別になんでもねぇ。あ、おい。ここに付いてるぞ。…でっけえ蟲が」
「ふふ、貫禄があるでしょう?でも、こういった傷を気にする人も居るのでそういった冗談は言わないほうがいいですよ」
 俺の残酷な冗談にも、一瞬たりとも嫌な表情を見せない。他人に対して負の感情を抱けないのか。本当に大したシスターだよ、こいつは。
「あ、もうこんな時間。そろそろ出ましょうか」
 促されるまま家を出て、ムカデの運転で目的地へ向かう。あー、本当にだるい。





 俺と会う以前から、ムカデは魔術に関するトラブルや事件の解決を手助けする仕事をしていた。本人曰く、道楽の一つらしい。本業は作家で、もう働かなくても一生食っていけるくらい金が転がり込んでくるとかなんとか。なんだそりゃ。
 今回もトラブル解決の依頼が来たらしいので、どっかのレストランで話を伺うことになっているようだ。ムカデは俺にも一緒に話を聞いてほしいらしいが、生憎、俺は一方的に人の話を聞くのが大嫌いなのだ。何より関係の無い魔術師の手助けをすることが気に食わない。ということで、今日もいつも通り適当に誤魔化して抜け出すか。
 着いたのは街で最も有名であろう高級レストラン「トニー・シャイン」。なんで話を聞くだけなのに高級レストランへ来るのかというと、昼飯代は依頼人が払ってくれるかららしい。金持ちの癖にケチである。
「俺はちょっと一服してから行く。先に中入って話を聞いててくれ」
「分かりました。ちゃんと来てくださいね?」
 行かないけどな。適当に返事をして店の外に設置してある灰皿の前で一服する。ムカデは特に気にせず店の中に入って行った。どうせ俺が行かないことも分かってるのだろう。
 レストラン前の大通りは、それなりに人で賑わっていた。時間に追われる人、自分の時間をのんびりと過ごす人が入り乱れて、歩くペースも様々だ。通行人をボーッと眺めながらタバコを燻らす俺は、ここにいる誰とも異なる時間を過ごしている。ふと、指に挟んだタバコに目を落として思い返す。
 悪魔だった頃からなんとなくタバコに興味があったが吸うことは無かった。実際人間の体になってから吸ってみると、なんとも不思議な感覚だ。この肺に煙を溜めて口から吐き出す瞬間が、人の魂を食べる感覚と少し似ている。行為自体は吐きだしているのに飲みこんでいる感覚に似ている、というのもおかしな話だ。
 吐きだした煙を目で追うと、ビルの間から見える突き抜けるような秋空が見えた。200年ほど前と比べると、段々と空の色が鮮やかになって来ているような気がする。着色でもしているのかね。
「おい、ここで何をしている」
 急に後ろから声を掛けられた。一瞬驚いたが、すぐに誰の声か分かったので無視。これまためんどくさい奴に会っちまった。
「…おい、聞こえてるんだろ?私を無視するな」
 グイ、と肩を引っ張られたので仕方なく振り向くことにした。
 後ろに居たのは、くすんだ色のローブを来た若い女だった。右手にサーベルを模した、警備隊用の竹刀を握りしめている。大きめのフードをすっぽり被っているので顔がよく見えない。女にしては身長が高いが、体つきはかなり華奢だ。
「何だアバズレじゃん」
「黙れ、悪魔もどきが」
 俺の気のきいた挨拶に随分イライラしている様子だ。こいつはムカデと違って俺の一言一言を気にするタイプだから、かなりからかい甲斐がある。だが俺を見かけるたびにしつこく絡んで来るのは厄介でもある。どうせ絡んでも罵り合いになるだけなのに、変わったヤツだ。
「俺はムカデの付き添いだが、知っての通り気性が荒いんでね。落ち着いて席に座ってられないからここで時間を潰してるわけだ」
「つまり、ムカデさんが中に居るのか?」
 フードを少し上げ、レストランの窓越しに店内を伺ってる。クソむかつく顔がフードの下から現れた。
 ルビーみたいに鮮やかな瞳は、ランランと紅い輝きを放っている。常にフードを被っているためか、肌は白い。年は十代後半くらいで、墨を垂らしたような黒髪はギリギリ肩にかからない程度の長さだ。いつもはへそを曲げた猫みたいな生意気な面だが、ムカデの話になるとまるで恋する乙女みたいに表情が明るくなるのは、つまりコイツがそういう性的嗜好だからだ。本人はムカデに畏敬の念を抱いてるだけだと言うが、いくらなんでも露骨過ぎて言い訳にすら聞こえない。
「おい、ムカデさんはどこの席に座っているんだ?もったいぶらずに教えろ」
「知るかバーカ」
 アバズレはさっきまでのイライラとは打って変わり、縁日に来た子供みたいにはしゃいでいる。俺の返事もろくに聞こえないみたいだ。
「なぁ、お前こそなんでレストランなんぞに来ているんだ?この店にペットフードは置いてないと思うぞ」
「私用で来ているわけじゃない」 
 目もくれずに俺のジョークを冷たい声であしらうと、くるりと背を向けた。駐車場側の大きな窓からムカデを探すつもりだろう。口喧嘩なら負けるつもりはないが、無視はいかんよキミ。
「じゃあ仕事か?このあたりで何かあったのか?」
 アバズレは完全シカトモードで去っていく。さすがの俺も、段々腹が立ってきた。
「そうかい、そういう態度を取るのなら考え物だな。悪魔とは話できねえってか?呪われてる身のくせに、いっぱしの人間気取りかよ」
 最高の殺し文句を言い終えて、アバズレの反応を伺おうと前を向いた瞬間だった。急に体がフワリと浮く感触の後、背中から地面に叩きつけられて呼吸が止まった。
「がっ!…は、あ?」
「さすが悪魔だな。悪口の限度を知らないらしい」 
 ひっくり返ったカエルみたいな俺の頭上から、怒気を孕んだ低い声が聞こえくる。5,6メートルは離れていたはずだが…。以前ケンカしたときより、アバズレは速く動けるようになっているらしい。やべ、しくじった。
「ムカデさんと過ごす内に、誰に何を言っても許されるという子供染みた勘違いをしてしまったんだろう。あの人は優しいからな、恐らく叱られたことが無いだろ?」
 竹刀が俺の鳩尾をグリグリと攻めてくる。情けないが、後頭部を強打して意識が定まらない上に呼吸が苦しくて、抵抗できない。
「ふふ、良い表情をするようになったじゃないか。お前の苦痛に歪む顔は、私の嗜虐心を強烈に煽ってくれるな」
 今すぐにこのクソ女を叩き伏せて、最高の屈辱を味あわせたいと思った。だが体が動かない。悔しい、人間の体はこんなに簡単に制圧されるものなのか。横目で通りを見ると、何人かと目が合ったがすぐに逸らされた。すぐに、無意識に他人の力を借りようと思った自分を少し恥じた。くそ、本当に惨めだ。
「クダさん、そこまでにしてください」
 完全に意識がブラックアウトする直前で、竹刀の圧迫から解放された。ゲホゲホと咳き込みながら体を起こすと、店の入り口に立っているムカデと目が合った。子供のケンカを見て困っている母親のような表情だ。
「ケンカの原因はなんですか?」
 ムカデの冷静な声に、アバズレの体がびくっと震える。
「…この悪魔の言葉が、どうしても許せなくて」
「だいたい予想がついてました。気持ちは分かりますが、こんな道端でケンカすることはないでしょう?」
 しゅんとうな垂れるアバズレ。さっきのサディスティックぶりはどこかへ吹き飛んでしまったらしい。
「ヤトト」
 名前を呼ばれたが顔を上げたくない。そっぽを向くと、クスッと笑う声がした。
「話し合いは終わりました。帰りましょうか」
「……あぁ」
 俺の返事を聞いて、ムカデは微笑んだ。そして駐車場へ向かう彼女の後を追うようについていく。1200年を生きた悪魔が、たかだか20数年しか生きてない女にやんちゃなガキ扱いされるのは、3か月前だったら絶対受け入れられなかっただったろう。今でも本心から受け入れている訳じゃない。ただ、あの場であれ以上面倒を起こす気は無かったし、クソアバズレとはほぼ会う度にケンカしているので今回のも特に引きずるようなことじゃない。ムカデにしろアバズレにしろ、俺が罰を受ければ十分なんだろう。
 車に乗って駐車場を出るとき、レストランの入り口で上司らしき人に怒られているアバズレが見えた。その姿を見て少し気が晴れる。
「クダさんに対してどんなことを言ったのですか?」
 ハンドルを握り、真っ直ぐ前を見ながらムカデが訪ねてきた。特に責めるような口調ではなく、少し興味がある、といった感じで。
「『呪われてる身のくせに、人間気取りか』と言ったら血相変えて飛びかかってきたよ。くく」
 思いだして、少し笑った。あいつにとって最も触れられたくない傷だ。あの動揺の仕方から、最近また何かあったようだ。
「そんなことを…。そのことで彼女が色々な場所で差別を受けているのは分かっているでしょう?」
「あぁ、あいつが俺を無視しなければそんなこと言わなかったさ。俺を悪魔だと言っておきながら自分だけ人間気取りしてたんで、身の程を教えてあげただけだ」
「でもケンカでは身の程を教えられてしまいましたか」
 ジロリとムカデを睨むと、笑ってやがる。おいおい、こいつもサディストか?
「あれは不意打ちだ。口喧嘩で敵わないからって暴力に逃げやがった。先に手を出すなんて、卑怯者のすることだ」
「ふふ。クダさんが先に手を出したのは確かですが、無視に耐えられずひどい悪口を言ったヤトトも『先に手を出した』ってことになりませんか?」
 減らず口はお互い様か。ムカデが何を言いたいか分かったので、俺は返事をせずに黙って外の景色を眺めるだけにした。彼女は俺が無視されるのを嫌うことを、俺が寂しがりだからだと解釈している。それを指摘されるとどうしょうもなく頭にくるので、その話題になりそうな時は黙ることにしている。
 


 この体になってから様々な人間に出会った。魔術師、殺し屋、運び屋などなど。悪魔だった頃にも色々な人間に会ったが、人間の体を得てからだとまるで視点が違う。なにより、感受性が高まったように思う。特に最近、考え方が大分人間らしくなってきたように思える。
 大通りを行き交う人々を見ながら、なんとなく思う。このまま人間らしく生きてもいいかもしれない、と。
 …もう十分人間らしい気もするが。
 





       

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