「気が変わった。一瞬で殺してやろう」
 ジュナはカメラを胸の高さで構え、不気味に微笑む。 
 死んだ。もう手遅れだ。
 一瞬で俺は死を察した。もう、何をしても間に合わない。
 ムカデがもう一度術式を発動したとしても、実はサミュエルがもう一丁銃を隠し持ってて後は構えて撃つだけだとしても、俺が今からジュナに飛びかかったとしても、「灰魔のカメラ」の発動を阻止するには全然間に合わない。俺達が指一本でも動かしたら即座に奴はレンズを覗いて精霊の名前を呼ぶだろう。それだけのアクションで俺達3人は俺、サミュエル、ムカデの順番に手前から一瞬で焼かれて死ぬ。路地に3体の白骨が並んでこの話は終わっちまう。この場を切り抜けられる希望があるとすれば、せいぜい精霊の名前がクソ長くて呪いの発動が若干遅れるという可能性にかけることぐらいだが、それも無いだろう。写真に写ってる被害者達はどうみても一瞬で死んでる。正真正銘打つ手なしのデッドエンドだ。
 だが、それでも俺はやれるだけのことはやるつもりだ。
「…なんであんたがソレを持ってるんだ?」
「ひひ、無駄話で時間稼ごうってか?どのみちお前らは死ぬんだが…まあ教えてやってもいいか。このカメラはとある倉庫でたまたま拾ったんだ。まさかと思って何人かで性能を試してみたらドンピシャ、本物だったよ」
 ジュナの気が急に変わらないよう気を付けつつ、訊ねる。
「じゃあ、2件の通り魔殺人はお前が…?」
「そういうこった。向こうの通りにいる骸骨も含めたら3件だがな、ひひ。しかしまぁ俺も迂闊だった訳だ。つい調子に乗っちまってよぉ」
 ジュナは足元に転がってる最初の襲撃者、若いアンちゃんを足で小突いた。飄々とした口調とは対象的な視線で用心深く俺達の動作に注意しながら続ける。
「こいつらは賞金首ハンターらしい。チームを組んで魔術師を殺そうと企んでたようだ。俺も1か月ほど前に道端で絡まれたんだが、くひ、返り討ちにしてやった。恐らくその時からこいつにつけ回されてたみたいだな。ついさっきカメラを奪われたんで、後を追っかけてみたらこのザマって訳だ」
 …なるほど。路地で俺達と鉢合わせした時にシャッター音しかしなかったのはそのためか。このアンちゃんはカメラの使い方が分からず、結果として「灰魔の呪い」が発動しなかったのだ。そもそもカメラの発動にシャッターを押す動作は無い。
「さぁ話はここまでだ。こうしている間にまた誰か来るかも知れんしな。じゃあな、サミュエル」
 あっさりと死の宣告をして、ジュナがレンズを覗く。正確に精霊の名前を唱えるためにペロリと舌を出して唇を湿らす動作は、舌舐めずりそのものだ。奴が次に声を発した瞬間に俺達は死ぬ。
 …ここまでか。
 死期を悟った俺は、反射的にジュナに殴りかかっていた。それをレンズ越しの勝利を確信した愉悦の表情が出迎え―――。
「ウルカヌス!」
 そう叫ぶ声が聞こえた。精霊の名前だ。すかさず耳を劈く鳥の鳴き声に似た奇怪な音。


 キュ―――ン

 
 思わず目を瞑る。誰だって死の瞬間は目を閉ざしたくなるもんだ。悪魔だろうが魔術師だろうが聖人だろうが、きっと誰もが。














「…あ」
 声を出して見る。俺の死後の世界での第一声は「あ」らしい。少なくとも自分の発した声が確認できる空間のようだ。俺はどうなった?人間界の束縛を解かれて地獄へ戻ったのか?それとも人間として死んだのか?
 ゆっくり目を開けてみると、薄暗い部屋の天井が視界に入る。俺はベッドに寝ているようだ。
 ドンドンドカドカと、どこかでドアが叩かれている。その音によって俺の意識は暗く深い地底からゆっくりと浮上し、ぱっちりと目を開ける頃にはノックは止まっていた。あの乱暴なノックの音に聞き覚えがあるようなないような気もする。部屋のカーテンを全て閉め切っているので目を開けても視界は地底のように薄暗い。耳を澄ますと、微かに階下から話し声が聞こえる。既視感を覚えつつぼんやりしていると、部屋のドアが開いて聞き慣れた声が部屋中に響く。
「起きてください、ヤトト!もう朝ですよ!」
 ガミガミうるさい母親のような面持ちでムカデが激を飛ばす。
「朝からうっせぇな。起きるから先に下で飯食ってろよ」
「分かりました。ちゃんと起きるんですよ?」
 しっしっと俺が手を払うと、ムカデは困ったような顔で腰に手を当てて階下へと消えた。寝ぼけ眼を擦り、頭をくしゃりと掻いてなんとなく思い出してきた。同時に、一日遅れで生の実感を得る。
 ウキウキしながら階段を降り、1階のリビングへ入ると誰かがソファーに腰掛けていた。いや、あのシミだらけの全力で禿げきった後頭部に心当たりはあるが、寝起きで話しかけるのは非常にダルい。ましてや今の俺はこんなにハイテンションなのに。
 無視して冷蔵庫へと歩を進めると、案の定舌打ちが聞こえた。…あーくそ、めんどい。
「ようジジイ、悪魔の俺が言うのもヘンな話だが生きてるってのは素晴らしいことだな。今日は何の用だ?」
「…言わんでも分かるだろうに。まずはこっちへ来い」
 振り向きもせずに答えた。俺は冷蔵庫から一切れのパンを取り出して銜え、ジジイの向かいのソファーに座っているムカデの隣にドスンと腰を下ろす。毛嫌いしている悪魔が同じソファーに座っていることにムッとしたのか、しかめっ面でクソジジイが口を開く。
「早朝から訪ねて申し訳ない。ひとまずは今回の通り魔事件が解決した旨を伝えたくてな。協力、感謝する」
 そう言ってピカピカに輝く頭頂部をムカデに見せつけるように深く頭を下げた。ふむ、実に心地良い。他人に感謝される事が、じゃなくてジジイが頭を下げることが。
「いえいえ、協力だなんて。私達はただ右往左往していただけですよ。ですからウリヤさん、顔を上げてください」
 照れくさそうにムカデが手を振る。まぁ実際運が良かっただけだよな。それも運が良いどころか奇跡に等しい。
「まったく、対策本部を設置したその夜に事件が解決するとはな。昨夜の詳細を聞いても信じられんよ。―――お前が生きてたのは神の御加護だろうか。…命を落とさなくて、本当に良かった」
「俺の護衛がしっかりしてたってのもその要因の一つだろうな。俺にも感謝してくれよ?」
 ジジイが俺を睨みつけるが、何も言わないのは多少なりとも思うところがあるからか。ムカデは優しく微笑む。
「ヤトトには助けられました。改めてお礼を言います、ありがとう」
 そう言って俺の手を取る。急にこっ恥ずかしくなってその手を振り払うと、ムカデはクスクス笑った。そういうノリはやめろ。虫酸が走る。
「オホン。…警備隊、警察、魔術協会、その他諸々から報酬が来とる。今日明日辺りに伺うといい。それと、現場に一緒にいたサミュエルとかいうハンターからもお礼をいうよう言伝を頼まれとる」
 サミュエルか。今頃病院で寝てるだろうな。相棒の豹変っぷりを見て人間不信にならないといいが。
「分かりました。今日のお昼にお見舞いに行きましょう。協会本部や署に伺うのはまた後ほど」
「うむ。それと、この写真はいるか?」
 そう言ってテーブルの上に一枚の写真が置かれた。
 センターには死を悟りつつカメラマンに殴りかかる俺の姿。まぬけな事この上ない顔だ。後ろにはムカデ、右端に倒れているサミュエルが映っている。そして…写真の隅に微かに入っている黒い影。この影こそが俺達が生き残った奇跡の形だ。
「見事なもんだ。まさか『自分の指』が映っちまうとはねぇ」
 「最も手前に映った生物を映す」。「灰魔のカメラ」の呪いは生物であれば全て呪いの対象であるらしい。つくづく恐ろしい魔術品だ。焦りのあまりか、はたまた俺の覇気にびびってか知らないがジュナは最大のミスを犯したのだ。本来なら俺達全員が塵芥と化して仲良く散るはずだったが、持ち主であるジュナが死亡したため呪いはキャンセルされた。それが今回の事件の終焉、パッとしない上に呆気無い結末。
「うーん…なんか恐ろしいので、これは魔術教会にでも引き取ってもらいましょうか。ヤトトはこの写真欲しいですか?」
「記念に飾っておきたいがな。撮られた経緯が気持ち悪すぎるんでパスだな」
 何も言わずジジイは写真をしまい、ティーカップを啜る。雰囲気的にそろそろお帰りになられるようだ。
「そういえば、あの現場にいた若者はどうされました?」
 なんとなく訪ねたのだろうムカデの質問に、ジジイの表情が少し険しくなる。
「うむ…。すぐに駆け付けた警備隊が手当てしたんだがな、その時にはひどく錯乱してたらしい。薬物反応もあったという。搬送した先の病院を抜け出して、今朝の明け方辺りに市内の中央高速で歩道橋から飛び降りて死んだという報告があった」
「そう…ですか。お気の毒に…」
 ムカデの笑顔が曇る。最近の若者は薬物汚染が流行ってるのかね。
「お前が気に病む必要はない。兎に角事件は解決したのだ。胸を張りなさい」
 暗い雰囲気を払拭するかのように、珍しく笑顔を向けてそう諭すとジジイは席を立った。ムカデが玄関まで見送りをするので一服するために俺も付き合うことにする。
 外に出ると、朝の澄んだ空気が胸に広がる。郊外から少し外れた一軒家であるため、車通りも人通りもそんなに多く無い。挨拶もそこそこに、最後にジジイは俺を一瞥すると家の前に停めてある運転手付きの高級車に乗り込んで立ち去った。車の姿が見えなくなる頃、タバコを取りだして一服する。
「昨日は、色々と大変でしたね。あのような強力な魔術品を相手にするのは初めてですよ」
 紫煙を吐きだして隣に立つムカデに目をやる。まるで死線を潜ったようには見えない、いつも通りの仕事をしてきたかのような顔つきだ。
「あん時は流石に死んだと思ったぜ」
「ふふ、私もです。今生きていて朝の香りを感じているのが不思議なくらい」
 そう嘯いてムカデは空を見上げる。その横顔が、実に秋空に映える。そんな美しい横顔に更に映える赤黒い切り傷。醜悪にして美しい傷。
「…次は、もうちっと簡単な仕事で頼むぜ」
「善処します」
 これほど強力な魔術品が関わる事件を解決したとあったら、耳が利く連中が挙って難事件の依頼をしてくるのは想像に難くない。「命の危険が無い仕事」と表現しなかった俺の内心の強がりを見抜いてか、ムカデは含みのある笑顔で言った。
「さて、安全な家の中へ戻りますか。これからやる事が沢山あります。まずは朝食を取りましょう!」