Neetel Inside 文芸新都
表紙

悪魔物語
1話「灰魔のカメラ」

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 ドンドンドカドカと、どこかでドアが叩かれている。
 その音によって俺の意識は暗く深い海底からゆっくりと浮上し、なんとか目を開ける域まで達した頃にはノックは止まっていた。おそらく誰かが来たのだろう。あの乱暴なノックの音に聞き覚えがあるような気もする。部屋のカーテンを全て閉め切っているので目を開けても視界は海底のように薄暗い。耳を澄ますと、微かに階下から話し声が聞こえる。仰向けになってチラリと時計を見てみると針は正午過ぎを指していた。起床予定時刻、実に3時間のオーバー。30分から1時間程の寝坊なら焦る気も起きるかもしれないが、ここまで来るともうどうでもよくなってくる。
「って訳にはいかねーよなぁ、はぁ…」
 ゆっくりと上体を起こし、1ラウンド程睡魔と格闘して、ようやく下へ降りる気になった。深海から意識をサルベージする際に海藻がこびり付いてしまったかと思うほど体が重い。
 のろのろと階段を降り、1階のリビングへ入ると誰かがソファーに腰掛けていた。いや、あのシミだらけの全力で禿げきった後頭部に心当たりはあるが、寝起きで話しかけるのは非常にダルい。
 無視して冷蔵庫へと歩を進めると、案の定舌打ちが聞こえた。…あーくそ、しんどい。
「ようジジイ、ウチに来るなんて珍しいじゃねーか。今日は何の用だ?」
「…ムカデに頼まれてたものがあってな、近くに来たついでに届けただけじゃ」
 振り向きもせずにジジイは答えた。こういう年寄りは「命令以外で悪魔に自分から話しかけてはいけない」というポリシーというかプライドを持っている癖に、無視されるのを異常に嫌う。会話してもお互い疲れるだけなのにな。
「ヤトト!」
 俺が入ってきたドアから声がした。目を向けると、俺のご主人様がクッキーの入った箱を抱えて仁王立ちしている。
「おはようさん。腹減ったからメシくれ」
「おはようございます。ヤトト、今朝の花壇の世話をサボりましたね?明日はちゃんと起きてくださいよ」
 偉大なるご主人様は呆れながら俺の横をすり抜け、ジジイにクッキーを差し出した。そして向かいのソファーに座ってお茶の準備を始めた。あれ、俺のメシは?
「棚にパンとハムがあります。物足りない時は冷蔵庫に卵焼きがあります」
 トポトポとジジイのカップに紅茶を注ぎながら主人は言った。へいへいと気の無い返事を返すが、主人のこういう面倒見の良さに触れると少し嬉しかったりする。指示通りスライスされた食パンを取りだし、皿に乗せる。さて、どうトッピングしたものか。
「……ムカデ、お前の嫌いな話かも分からないが」
「はい、なんでしょうか?」
 ジジイの視線を感じつつ、薄く切られたハムをパンに乗せる。どうやら俺の話らしい。
「この悪魔と、いつまでこうしているつもりだ?」
 重苦しいジジイの声。かなり失礼な物言いだが、怒りの感情は微塵も湧かない。だが主人がどう答えるかは興味アリだ。冷蔵庫を漁りながら聞き耳を立てる。
「ウリヤさん」
 一拍置いて、主人が静かな口調で返す。
「ヤトトは今は人間です。人格が悪魔だとしても、身寄りの無い子供を見捨てるほど私は冷たくありません。もしヤトトが自立できるようになれば、この家を出るのかもしれませんが…」
 と一旦言葉を切って、主人の瞳が俺の方を真っ直ぐ見つめる。
「少なくとも、私は家族だと思っていますので。ここがヤトトの家であることは、いつまでたっても変わりませんから」
 そういってニコッと微笑んだ。つられて口が緩みそうになるのを堪え、また冷蔵庫に顔を突っ込む。…やっぱり違うな、こいつは。
 俺は今までに数え切れないほど様々な主人に仕えてきた。その多くが冷徹で残忍で陰湿で性悪だった。召喚目的のほぼ全てが私利私欲、私怨。それは性質上仕方が無い事だし、極稀に心優しい主人に出会っても要求に積極的になる程度だった。基本的に立場が違いすぎるからだ。お互いを理解なんて出来るわけない、むしろする必要が無い。無駄な馴れ合いは疲れるだけだ。それが仕える者と使う者、奴隷と支配者という関係の在り方。常識だ。
 だが、こいつ…俺の今の主人、ムカデという魔術師はそんな常識が通じない、いわゆる「例外」だ。普通の魔術師は、悪魔に家の中を自由に歩かせない。武装した殺人鬼を野放しにしているようなものだ。
 本来悪魔は使い魔として使用されない限り、召喚用の魔方陣に縛られる。これは地獄から召喚される場合もそれ以外の世界から召喚される場合も変わらない。いくつもの魔方陣、それに描かれた強い効力を持つ言葉、使用者の呪文などで縛られないと、魔術師は俺達を制御出来ない。使用者自身も魔方陣の中に居なければならないが、悪魔が召喚されているときにつま先数センチでも陣から出ていた場合、全てが水の泡だ。何時間もかけて下準備した一切の魔術は効力を失い、悪魔は束縛から逃れる。そうなったら、100%悪魔は使用者を殺すか食うかして元の世界に帰ってしまう。前述したように魔方陣から悪魔を出して使い魔にする時もあるが、よっぽど力のある術師で無い限りそんなことはしないだろう。何か間違いが起こって魔法が効力を失った場合のリスクを考えると、悪魔を連れて歩くなんて恐ろしくて出来ないからな。
 実際、今の俺は悪魔ではない。召喚をミスったガキに憑依して、ガキの魂を食って体を乗っ取っているだけ。つまり肉体的には只の人間だ。
 だが、精神的には1200年程生きている悪魔だ。様々な世界を渡り歩き、数え切れないほど魔術師を出し抜いてきた。ムカデを裏切り、勝手に魔方陣を描いて他の悪魔を召喚する事も出来るし、直接ムカデに襲いかかることもできる。…悪魔と暮らすというのはそういうことだ。普通の魔術師なら不安で寝ることすら出来ないだろう。ウリヤの糞ジジイの質問は、至極もっともだ。
 しかし、何故かムカデは俺のことを心から信用しているらしい。一日置きに風呂掃除や花壇の世話を任され、同じ机で食事をする。これではまるで、
「『家族』、だと?ハッ!何を寝ぼけたことを」
 ジジイは鼻で笑うと、ほとんど口をつけていないティーカップを置いて立ちあがった。
「この悪魔に誑かされ、家族ごっことは…。ひとつ忠告しておいてやろう。他の魔術師の前でそんなことを口走るなよ、恐らく街を歩けなくなるぞ」
 呆れ顔で、挨拶もせずにジジイは帰って行った。まあ当然といえば当然の反応だな。俺はハムパンを齧りながらムカデの様子を伺う。
 多少はショックを受けているのを期待したが、優雅に紅茶を啜ってやがる。何を考えてるのか、本当に分からない。
「あんなこと言われて、なんとも思ってないのか?悔しくないのかよ」
「ふぅ。ウリヤさんは、少し私を心配し過ぎているだけですよ。それにあの反応は魔術師として当然です。私だってウリヤさんが悪魔と結婚したら驚きます。…ヤトトは悔しいと思ったのですか?」
 楽観的というか、なんというか。魔術師らしからぬ言動には慣れたはずだが、毎度毎度コレだと同居人としては不安になる。
「別になんとも思ってない。あー、前にも聞いたことがあるが。お前、本当に俺が怖くないのか?」
 3か月程一つ屋根の下で過ごしておいて、今更な質問ではある。しかもパンなんぞ銜えながら聞くことではない。
 ムカデは朗らかな笑顔を崩さず、
「あなたがもし他の悪魔を召喚しても、私は困らない自信があります。確かに魔術師としてはもっとあなたを警戒するべきでしょうが、今はあなたは只の子供でしょう?」
「そう思ってくれるならいいが。メリットはともかく、気まぐれにお前を傷つけるかもしれんぞ。俺は元々人間の怒・哀が好きだからな」
 不安を煽ろうと不吉な口調で言ったつもりだが、クスクスと笑われた。
「本当にする気があるなら、わざわざ口にしないでしょう。確かにあなたが急に襲いかかってくる可能性はあります。ですが、私はそれを恐れて同じ人間を見捨てたりしませんよ」
「俺に殺されてもいいと?」
「その時は、悔いの無い生に胸を張って殺されますよ」
 ムカデには聖人君子気取り、偽善者という言葉が似合う。全てを受け入れた上で、その全てを赦そうという考えは腐れ教会の牧師によく似ている。…が、その言葉通りに偽りが無いのも実証済みだ。
 この家に来て3日目くらいの時にも似たような問答をしたことがある。やっぱりこんな感じで、どんなに俺が脅そうと平然と受け入れた。カチンと来たので、試しに寝込みを襲ったら言葉通りに俺の刃を受け入れようとした。まぁ、その時にこいつは色々とブッ飛んでる奴だと知ったのだが。
「そうかそうか。お前は脅してもつまらないから、もうそんな気は起きないけどな」
 結果を知っているのに、何故こんなことを聞いたのだろう。俺は話を切り、2階でもうひと眠りしようと踵を返した。
 しかし、ムカデにガシッと肩を掴まれたのでお昼寝は断念した。声で制しない辺りからなんとなく用件がうかがえる。どこか楽しそうな声が背後から聞こえた。
「ヤトト、『お仕事』が来てます」







     

 いつも通り適当なタンクトップに着替え、鏡を見てみる。10代半ばくらいのチビで目つきが悪いガキ、つまり俺の姿が映っている。ボサボサの黒髪の下から覗く瞳は今日も絶好調に濁っていて、将来どこかの会社に勤めることがあったとしても面接の第一印象で落とされそうな勢いだ。少なくとも俺が人事だったら即落とすね。
 コンコンとノックの後、扉を半分開いてムカデが顔を覗かせた。
「用意は出来ましたか?」
「まぁ、大体な。外出とかめんどくせぇ」
 ご主人様は今日もシスターの格好で外出するようだ。足元まであるロングワンピースに黒と白のヴェール。元悪魔の性質上、この格好を見ると若干緊張する。
 ヴェールから垂れる金髪は肩に少しかかるくらいの長さで、優秀な芸術家が彫った聖母像のような白い肌が黒のワンピースに映える。ムカデは糸みたいに目が細いので、尚更微笑んでいる聖母を連想させる。いや、その連想も悪魔としてどうかと思うが。
 俺としては人間の顔の良し悪しには毛ほども興味無い。無いんだが、実を言うとムカデの顔はかなり気に入っている。どのあたりが気に入っているかというと、名前の通り右頬にムカデが走ったような赤黒い傷があるあたりだ。美しい芸術品に付着した負のイメージ。その傷には、何故か見ているだけで吸いこまれそうになる不思議な魅力がある。ちなみにその傷を付けたのは俺じゃないぞ。あと、その傷が1匹の大ムカデだとするとこいつの背中はまるでムカデの巣だ。俺でさえギョッとするくらいぐちゃぐちゃになっているからな。
「?どうしました、ヤトト。私の顔に何か付いてますか?」
「別になんでもねぇ。あ、おい。ここに付いてるぞ。…でっけえ蟲が」
「ふふ、貫禄があるでしょう?でも、こういった傷を気にする人も居るのでそういった冗談は言わないほうがいいですよ」
 俺の残酷な冗談にも、一瞬たりとも嫌な表情を見せない。他人に対して負の感情を抱けないのか。本当に大したシスターだよ、こいつは。
「あ、もうこんな時間。そろそろ出ましょうか」
 促されるまま家を出て、ムカデの運転で目的地へ向かう。あー、本当にだるい。





 俺と会う以前から、ムカデは魔術に関するトラブルや事件の解決を手助けする仕事をしていた。本人曰く、道楽の一つらしい。本業は作家で、もう働かなくても一生食っていけるくらい金が転がり込んでくるとかなんとか。なんだそりゃ。
 今回もトラブル解決の依頼が来たらしいので、どっかのレストランで話を伺うことになっているようだ。ムカデは俺にも一緒に話を聞いてほしいらしいが、生憎、俺は一方的に人の話を聞くのが大嫌いなのだ。何より関係の無い魔術師の手助けをすることが気に食わない。ということで、今日もいつも通り適当に誤魔化して抜け出すか。
 着いたのは街で最も有名であろう高級レストラン「トニー・シャイン」。なんで話を聞くだけなのに高級レストランへ来るのかというと、昼飯代は依頼人が払ってくれるかららしい。金持ちの癖にケチである。
「俺はちょっと一服してから行く。先に中入って話を聞いててくれ」
「分かりました。ちゃんと来てくださいね?」
 行かないけどな。適当に返事をして店の外に設置してある灰皿の前で一服する。ムカデは特に気にせず店の中に入って行った。どうせ俺が行かないことも分かってるのだろう。
 レストラン前の大通りは、それなりに人で賑わっていた。時間に追われる人、自分の時間をのんびりと過ごす人が入り乱れて、歩くペースも様々だ。通行人をボーッと眺めながらタバコを燻らす俺は、ここにいる誰とも異なる時間を過ごしている。ふと、指に挟んだタバコに目を落として思い返す。
 悪魔だった頃からなんとなくタバコに興味があったが吸うことは無かった。実際人間の体になってから吸ってみると、なんとも不思議な感覚だ。この肺に煙を溜めて口から吐き出す瞬間が、人の魂を食べる感覚と少し似ている。行為自体は吐きだしているのに飲みこんでいる感覚に似ている、というのもおかしな話だ。
 吐きだした煙を目で追うと、ビルの間から見える突き抜けるような秋空が見えた。200年ほど前と比べると、段々と空の色が鮮やかになって来ているような気がする。着色でもしているのかね。
「おい、ここで何をしている」
 急に後ろから声を掛けられた。一瞬驚いたが、すぐに誰の声か分かったので無視。これまためんどくさい奴に会っちまった。
「…おい、聞こえてるんだろ?私を無視するな」
 グイ、と肩を引っ張られたので仕方なく振り向くことにした。
 後ろに居たのは、くすんだ色のローブを来た若い女だった。右手にサーベルを模した、警備隊用の竹刀を握りしめている。大きめのフードをすっぽり被っているので顔がよく見えない。女にしては身長が高いが、体つきはかなり華奢だ。
「何だアバズレじゃん」
「黙れ、悪魔もどきが」
 俺の気のきいた挨拶に随分イライラしている様子だ。こいつはムカデと違って俺の一言一言を気にするタイプだから、かなりからかい甲斐がある。だが俺を見かけるたびにしつこく絡んで来るのは厄介でもある。どうせ絡んでも罵り合いになるだけなのに、変わったヤツだ。
「俺はムカデの付き添いだが、知っての通り気性が荒いんでね。落ち着いて席に座ってられないからここで時間を潰してるわけだ」
「つまり、ムカデさんが中に居るのか?」
 フードを少し上げ、レストランの窓越しに店内を伺ってる。クソむかつく顔がフードの下から現れた。
 ルビーみたいに鮮やかな瞳は、ランランと紅い輝きを放っている。常にフードを被っているためか、肌は白い。年は十代後半くらいで、墨を垂らしたような黒髪はギリギリ肩にかからない程度の長さだ。いつもはへそを曲げた猫みたいな生意気な面だが、ムカデの話になるとまるで恋する乙女みたいに表情が明るくなるのは、つまりコイツがそういう性的嗜好だからだ。本人はムカデに畏敬の念を抱いてるだけだと言うが、いくらなんでも露骨過ぎて言い訳にすら聞こえない。
「おい、ムカデさんはどこの席に座っているんだ?もったいぶらずに教えろ」
「知るかバーカ」
 アバズレはさっきまでのイライラとは打って変わり、縁日に来た子供みたいにはしゃいでいる。俺の返事もろくに聞こえないみたいだ。
「なぁ、お前こそなんでレストランなんぞに来ているんだ?この店にペットフードは置いてないと思うぞ」
「私用で来ているわけじゃない」 
 目もくれずに俺のジョークを冷たい声であしらうと、くるりと背を向けた。駐車場側の大きな窓からムカデを探すつもりだろう。口喧嘩なら負けるつもりはないが、無視はいかんよキミ。
「じゃあ仕事か?このあたりで何かあったのか?」
 アバズレは完全シカトモードで去っていく。さすがの俺も、段々腹が立ってきた。
「そうかい、そういう態度を取るのなら考え物だな。悪魔とは話できねえってか?呪われてる身のくせに、いっぱしの人間気取りかよ」
 最高の殺し文句を言い終えて、アバズレの反応を伺おうと前を向いた瞬間だった。急に体がフワリと浮く感触の後、背中から地面に叩きつけられて呼吸が止まった。
「がっ!…は、あ?」
「さすが悪魔だな。悪口の限度を知らないらしい」 
 ひっくり返ったカエルみたいな俺の頭上から、怒気を孕んだ低い声が聞こえくる。5,6メートルは離れていたはずだが…。以前ケンカしたときより、アバズレは速く動けるようになっているらしい。やべ、しくじった。
「ムカデさんと過ごす内に、誰に何を言っても許されるという子供染みた勘違いをしてしまったんだろう。あの人は優しいからな、恐らく叱られたことが無いだろ?」
 竹刀が俺の鳩尾をグリグリと攻めてくる。情けないが、後頭部を強打して意識が定まらない上に呼吸が苦しくて、抵抗できない。
「ふふ、良い表情をするようになったじゃないか。お前の苦痛に歪む顔は、私の嗜虐心を強烈に煽ってくれるな」
 今すぐにこのクソ女を叩き伏せて、最高の屈辱を味あわせたいと思った。だが体が動かない。悔しい、人間の体はこんなに簡単に制圧されるものなのか。横目で通りを見ると、何人かと目が合ったがすぐに逸らされた。すぐに、無意識に他人の力を借りようと思った自分を少し恥じた。くそ、本当に惨めだ。
「クダさん、そこまでにしてください」
 完全に意識がブラックアウトする直前で、竹刀の圧迫から解放された。ゲホゲホと咳き込みながら体を起こすと、店の入り口に立っているムカデと目が合った。子供のケンカを見て困っている母親のような表情だ。
「ケンカの原因はなんですか?」
 ムカデの冷静な声に、アバズレの体がびくっと震える。
「…この悪魔の言葉が、どうしても許せなくて」
「だいたい予想がついてました。気持ちは分かりますが、こんな道端でケンカすることはないでしょう?」
 しゅんとうな垂れるアバズレ。さっきのサディスティックぶりはどこかへ吹き飛んでしまったらしい。
「ヤトト」
 名前を呼ばれたが顔を上げたくない。そっぽを向くと、クスッと笑う声がした。
「話し合いは終わりました。帰りましょうか」
「……あぁ」
 俺の返事を聞いて、ムカデは微笑んだ。そして駐車場へ向かう彼女の後を追うようについていく。1200年を生きた悪魔が、たかだか20数年しか生きてない女にやんちゃなガキ扱いされるのは、3か月前だったら絶対受け入れられなかっただったろう。今でも本心から受け入れている訳じゃない。ただ、あの場であれ以上面倒を起こす気は無かったし、クソアバズレとはほぼ会う度にケンカしているので今回のも特に引きずるようなことじゃない。ムカデにしろアバズレにしろ、俺が罰を受ければ十分なんだろう。
 車に乗って駐車場を出るとき、レストランの入り口で上司らしき人に怒られているアバズレが見えた。その姿を見て少し気が晴れる。
「クダさんに対してどんなことを言ったのですか?」
 ハンドルを握り、真っ直ぐ前を見ながらムカデが訪ねてきた。特に責めるような口調ではなく、少し興味がある、といった感じで。
「『呪われてる身のくせに、人間気取りか』と言ったら血相変えて飛びかかってきたよ。くく」
 思いだして、少し笑った。あいつにとって最も触れられたくない傷だ。あの動揺の仕方から、最近また何かあったようだ。
「そんなことを…。そのことで彼女が色々な場所で差別を受けているのは分かっているでしょう?」
「あぁ、あいつが俺を無視しなければそんなこと言わなかったさ。俺を悪魔だと言っておきながら自分だけ人間気取りしてたんで、身の程を教えてあげただけだ」
「でもケンカでは身の程を教えられてしまいましたか」
 ジロリとムカデを睨むと、笑ってやがる。おいおい、こいつもサディストか?
「あれは不意打ちだ。口喧嘩で敵わないからって暴力に逃げやがった。先に手を出すなんて、卑怯者のすることだ」
「ふふ。クダさんが先に手を出したのは確かですが、無視に耐えられずひどい悪口を言ったヤトトも『先に手を出した』ってことになりませんか?」
 減らず口はお互い様か。ムカデが何を言いたいか分かったので、俺は返事をせずに黙って外の景色を眺めるだけにした。彼女は俺が無視されるのを嫌うことを、俺が寂しがりだからだと解釈している。それを指摘されるとどうしょうもなく頭にくるので、その話題になりそうな時は黙ることにしている。
 


 この体になってから様々な人間に出会った。魔術師、殺し屋、運び屋などなど。悪魔だった頃にも色々な人間に会ったが、人間の体を得てからだとまるで視点が違う。なにより、感受性が高まったように思う。特に最近、考え方が大分人間らしくなってきたように思える。
 大通りを行き交う人々を見ながら、なんとなく思う。このまま人間らしく生きてもいいかもしれない、と。
 …もう十分人間らしい気もするが。
 





     

「今回の仕事は、簡単に言うと連続殺人犯の逮捕及び凶器の回収の補助です」
「警察と警備隊に任せろ。俺らの出る幕じゃねえよ」
 街がゆっくりと夜に包まれ、建物や通りにぽつりぽつりと灯かりが点り始める。通りを行きかう人の数は昼に比べると格段に増え、街の中心地辺りは既に賑わっている頃だろう。
 そんな喧騒から離れるように、俺とムカデは閉店した本屋に挟まれた薄暗い路地で人を待っていた。また待ち合わせである。今日の昼にクダと一悶着を起こしたレストランで仕事内容の確認をした結果、ムカデが依頼を引き受けると言ったので本格的に事件に関わって動き出すようだ。
「その凶器の性質上、回収には私達の力が必要らしいのです。…分かりますね?」
 店の裏口の階段に腰掛けたムカデは、相変わらずのシスター姿で俺に問いかける。暗すぎて表情は見えないが、声色は神妙だ。
「あぁ、どうせ魔術品だろ。その凶器ってのは。アキかクソメイドに聞けば、この街に流れてる魔術品は大体見当がつきそうなもんだが」
 知り合いの運び屋の顔を思い浮かべながら言った。正直言って、あの二人は完全に裏稼業の人間だから一緒に居る所を見られると非常にまずい。俺は特に問題ないが、ムカデにとっては会うだけでリスクが大きすぎる。が、接触さえできれば、魔術品を用いた通り魔なんかの潜伏先はすぐに分かってしまう。
「残念ですがアキナさん達の連絡先が分かりません。それに、今回用いられた魔術品の出所は彼女たちではありませんよ」
「あぁ?確認もしてないのに、どうしてそんなことが分かるんだ?」
「…こちらの写真を見てください」
 スッと写真らしきものを差し出されたので、受け取ってライターで照らして見る。この路地は人間2人がなんとかすれ違うことができる狭さなので、少し見づらい。ムカデが渡してきたのは2枚の写真で、1枚目は繁華街みたいな場所でスーツを来たおっさんが驚いた表情で映っている。2枚目は、どこかの駐車場っぽい所でガラの悪そうな兄ちゃんの後ろ姿が映っている写真。
「この映っているの、被害者達?」
「そうです。どちらも死ぬ直前に撮られた写真です」
 その言葉で、大体凶器の予想がついた。なるほど、最悪じゃねえか。凶器じゃなくて兵器だろうが。
「どう考えても凶器は『灰魔のカメラ』だ。この映っている連中は、全員白骨死体で発見されたはずだ」
 気味が悪いので、写真を投げ捨てるようにムカデに返した。ムカデは写真を封筒に仕舞いながら、「ご明答です」と呟いた。
 「灰魔のカメラ」は数百年前に造られた魔術品で、いくつもの強力な魔方陣が描かれたカメラだ。実際に現物を見たことは無いが、中に封じられているのは異世界の奥の奥から引っ張ってきた炎の精霊で、レンズを覗きながら精霊の名前を呼ぶことで呪いが発動するらしい。その呪いとは、発動の際にレンズに映った生物の内「最も手前に映った生物」を喰らうというインチキくさい性質だ。シャッター音は精霊の鳴き声とも言われていて、一瞬で喰われた後は1枚の写真とそいつの骨しか残らない。発動後は抵抗する余地が皆無なので、相手がこちらに向かって構えた時点でほぼ死んだも同然、というチートな魔術品だ。
「なるほど、これは持ち主を決めたらそいつが死ぬまで離れない類のアイテムだ。運び屋を介した取引は出来ないな」
 魔術品の中には触れた時点で「契約」扱いされるものが多くある。どこかに捨てても手元に戻ってきて破壊すれば使用者は死ぬという厄介な性質は取り扱いが難しく、どんな運び屋も滅多に手を出さない。この「灰魔のカメラ」もそういった類の物だ。
「私達の仕事は、あくまで補助です。犯人の逮捕及び回収は警備隊と警察に任せますので、おおよその仕事は犯人の捜索になります。…犯人を発見したら警備隊に連絡し、気付かれないように尾行するように、と言われてますが。個人的には確保のお手伝いもしたいものです」
「それこそ警察の仕事じゃねーか!なんで関係無い俺らが命を張らなきゃいけないんだ?」
「私達の手腕を見込んでの依頼だからです」
 そう言ってムカデは微笑んだ。警備隊の連中に利用されてるような気もするが、こいつがどれくらい本気か分からない。本格的に犯人の確保を狙ってるなら自殺行為に等しい。
「大丈夫です、ヤトト。今回は秘密兵器と何人か助っ人が来ます」
「助っ人とやらはそろそろ来るから良いとして、『秘密兵器』?初耳だな。どんなのだ?」
 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに張り切ってムカデがポケットから取り出したのは、小さなアンテナ付きリモコンみたいなものだった。小豆くらいの大きさのボタンが並び、真ん中に大きな赤いスイッチが見える。
「『魔術探知マシーン』です。見てください、このスイッチを押すと半径50メートル以内の魔術品を探知します」
 ムカデの細い指がリモコンのスイッチを押すと、アンテナが少し伸びてウネウネと左右に振られた。気色悪いアンテナの動きに合わせるように、ピーピーと雛鳥の鳴き声みたいなアラームが暗い路地に鳴り響く。
「……おい、ぶっ壊れてねえかソレ」
「いえいえ、ちゃんと魔術品に反応してますよ。センサーが揺れてるでしょう?」
「魔術品なんて町中にいくらでもあるだろうが!どこ行っても反応するようじゃ意味ねえよ」
「ある程度強力な魔術品にしか反応しません。この場合、ヤトトの後ろにいる助っ人さんの銃に反応しているようです」
 ハッと後ろを振り返ると、路地の入口に黒いコートを羽織ったスーツ姿の男が立っていた。影になっていて表情がよく分からないが、うすら笑いを浮かべているように感じられる。恐らく30代くらいだろう。
 しかし、男の気配に全く気付かなかった。なんだこいつ。
「驚かせて失礼、こんばんは。ムカデさんですね?」
「はい、そうです。貴方がハンターさんですか?」
「申し遅れました。今回の連続通り魔事件の犯人確保の補助を務めるサミュエルと申します。無事に犯人を確保できるよう、お互い頑張りましょう。…こちらの少年は?」
 理知的で真面目そうな声だ。紳士ぶってるつもりか、なんとなく気に食わない口調だ。雰囲気は魔術師そのものだが。
「おっす、ムカデの相棒兼雑用係のヤトトだ。以後よろしくな」
「…こちらこそ、よろしくお願いします」
 俺の横柄な挨拶にも丁寧な口調で接するあたり、本気で紳士ぶってるようだ。おそらく俺よりムカデの方が気が合うだろう。というか俺自信がこういうタイプ、無理。
「二人来るって聞いたがあんた一人か?」
「失礼、相棒がちょっと寝坊したようで。待ち合わせ場所は分かっているので、じきに来るでしょう」
 本来、魔術品を回収するタイプのハンターはどんな性格だろうが時間に厳しいという点で共通してるものだ。サミュエルとやらの相棒はグータラな新入りか、5流クラスのカス野郎らしい。そう断定できるくらいハンターの持つ役割、仕事は正確さが求められる。
「後で言い聞かせますので、どうかご容赦を」
「いえいえ。こちらこそ中途半端な時間で待ち合わせしてしまって…」
 深々と頭を下げるサミュエルに対して、負けじと頭を下げるムカデ。なんだそりゃ、馬鹿じゃねぇのか。
「いいからさっさと打ち合わせしようぜ。こうしている間もどっかで人が殺されているかもしれないんだから」
 悪魔である俺が言う筋合いは無い言葉だが、こういうグダグダな雰囲気は嫌いだ。さっさと打ち合わせして帰って寝たい。…何を勘違いしたのか、ムカデがニコニコしている。本心で言った訳ではないことくらい分かってるだろ、お前。
「失礼。では、まずは今回の通り魔に関する情報の確認をしましょうか。確認後、対策と注意点を話し合い、どう動くべきかを検討しましょう。いいでしょうか?」
「おう」「はい、宜しくお願いします」






     

 「灰魔のカメラ」を使った通り魔事件が起き始めたのはおよそ2週間前。丁度俺達がいる路地の一本向こうの通りで燃え尽きてる死体を通行人が発見、死体付近にあった写真と歯型などから遺体の身元が確認された。被害に遭ったのは隣町にある大手貿易会社「ナイート」取締役代表のホライズン社長。被害に遭った社長は、死体発見の直前にレストラン「トニー・シャイン」から出ていく姿を店員が目撃していて、おそらくレストランでトラブルが起きたことが原因で夕飯を食べ損ねたために繁華街をうろついてるところを通り魔にやられたものだと思われる。…トラブル?
「おい、そのトラブルってなんだ?」
「シスター姿の女とチンピラのような子供がレストラン内で暴れ、無銭飲食を果たしたらしいです。ですから2週間前からそのレストランは完全会員制になっていて、24時間体制で警備隊を雇うようになったと聞いています」
 なるほど、だから店の周りをアバズレクソ***がうろちょろしていたのか。…待て。その喰い逃げ犯が心当たりありすぎというか、なんというか。
 俺とムカデの格好を見比べつつも、サミュエルは笑顔を崩さない。どうやらこいつは俺達が犯人だと思っているらしい。横目でムカデの反応を伺うと、のほほんとした顔でサミュエルの話を聞いている。おいおい、どんなポーカーフェイスだよ。
「あー、話を続けたまえ」
「はい。社長が殺されたその次の週、つまり先週です。ここから30km程離れたところにあるデパートの地下駐車場で、賞金首ハンターをしている少年が同じく焼き尽くされたような白骨死体となって発見されました。この少年は隣町で数人の賞金首ハンターで組んでいるチーム、『グァバ』の一員らしいです」
 『グァバ』は聞いたことがある名だ。3、4人のガキがいきがっていっぱしのチームを名乗っているようだが、そのコンビネーションプレーは侮れないとかなんとか。この殺されたガキも、一応それなりの戦闘経験はあったはずだ。ということは、通り魔もそこそこやれる奴なのかもしれん。
「2人の被害者に面識・共通点は無く、その手口から通り魔だと思われます。他にも雇われているハンターが居ますので、私達の仕事は1週間交代で警備隊と共にこの辺りをパトロールすることになります。こちらが交代のシフト表です」
「ありがとうございます。…なるほど、4人で1班ですか」
 それこそ警備隊に任せればいいだろ、と言いたいところだが魔術師が少ない近接武闘派の警備隊に対するボランティアみたいなものだと思えば筋が通る。納得はしないけどな。むしろ、今回の凶器の特性を把握してるかも怪しいもんだ。
「今回は私達がちょうど4人居ますので、これで1班ということになりますね。宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 まるで社交辞令のように二人は挨拶を交わした。名刺交換のようなノリだ。命を預けるかもしれないパートナーに対して軽すぎる気もするが、それだけ腕に自信があるのだろう。もしくは絶対に命を落とさない自信が。
「とりあえず役割でも決めとくか。俺は犯人を見つけた時に無線で連絡する役をやる。ムカデはその胡散臭い探知機で犯人探し、ついでに魔術で迎撃。サミュエルは…あー、得物はなんだ?」
 サミュエルは腰のあたりをポンポンと叩いて、今までの言動からは想像もつかないような獣じみた笑顔を見せた。
「私の拳銃は特別製で、狙った獲物ははずしませんよ。早撃ちも得意です」
「オーケー、じゃあもしもの時は頼んだ。『灰魔のカメラ』は視界に入ったらアウトだ、相手が構える前に頼むぜ。あんたの相方の得物も銃か?」
「私の相棒も銃を使いますので迎撃の際はお任せください」
「よし、決まりだな。とりあえず獲物に気付かれないようにだけしよう。気付かれたら死ぬ」
「そうですね、細心の注意を払って慎重に動きましょう。…その点ではムカデさんの持ってるそのセンサーは少し危険かもしれませんね」
 確かに。性能が信用できるかは置いといて、音が鳴るのは厄介だ。
「おい、やっぱそれ使うな。しまっとけ。邪魔だ」
「ええ!?せっかく買ったのに、今使わないでいつ使うのですか?」
 素で驚いている。どんだけこのセンサーに自信があるんだ。
「いや俺達の存在がバレたら本末転倒だろうが。意外にうるせぇんだよ、それ」
「し、しかし…」
 しつこく喰い下がるムカデの手からセンサーを奪おうとした時、アンテナの振動と共にまたもやアラームが鳴った。ピーピー、ピーピーと耳障りな電子音が路地にこだまする。やっぱそれ、ぶっ壊れてんだろ。ムカデの隣でサミュエルも苦笑いを浮かべている。
「この反応は…。き、気を付けてください!近くに強力な魔術品の反応があります!」
「だから、サミュエルの得物に反応してるんだろ。このやり取り、さっきもやったじゃねえか。うるさいから止めろ」
 俺が呆れ顔でアラームのスイッチに手を伸ばしたその瞬間、

 キュ――ン

 路地の向こう側から、甲高い鳥の鳴き声のような音が聞こえた。続いてたっ、たっ、たっと走る音。
「…向こうの通りから聞こえましたね。失礼」
 そう言ってサミュエルがセンサーのスイッチを切り、路地に静寂が戻った。俺達が居る細い路地のおよそ30メートル程奥、建物の壁に切り取られた隣の通りを3人で注視する。たっ、たっという足音もその方向から聞こえてくる。
「おいおい、こんなに早く出くわすかよ?」
「2週間前の事件も、あの通りで起きました。通り魔がこのあたりに潜伏している可能性は十二分にあります」
 どこに向かっているか分からない足音を聞き逃さないよう、ささやくような小声で会話する。少し興奮しつつも、冷や汗が背中を伝うのを感じる。1200年間、いくつも死線を越えてきた今でも死を間近に感じるとビビるもんだ。増してや、今は人間の体だ。
 サミュエルは朗らかな笑顔を消して腰の銃に手を伸ばし、ムカデも深刻な顔つきをしている。
「さっきの音は、灰魔の鳴き声でしょうか?」
「聞いたことが無いので、なんとも…」
「俺も無いな」
 基本的に聞いた奴は死んでるからな。と、耳を澄ますと足音が聞こえなくなっている。どこかで止まったようだ。
「行きましょう。どこかに隠れて不意打ちされたらまずいです」
 サミュエルが腰を低くして路地の奥へと移動したので、俺もついていく。後ろにムカデもついてくる。流れで動いちまってるが正直、俺とムカデは役割でいうとこの場に残っていた方が良いような気がする。どうなんだこれ。
「…!」
 先行していたサミュエルが急停止したので、俺も慌てて立ち止まる。背中越しに前を見ると、路地の出口に人が立っていた。どうやら向こうの通りから路地に飛び込んできたらしい。
「伏せろ!」
 サミュエルの鋭い声に従い、すぐさま蛙のような姿勢で地面に伏せる。続いて、カメラのシャッター音。
 地面に伏せたまま顔だけあげると、大きな黒いコートがバサリと宙を待っていた。巨大なヒトデが通路を塞ぐように浮かぶコート。その下で、サミュエルは片膝立ちで腰から抜いた銃を構えている。…なるほどね。
 パン、と乾いた音がすると同時にコートが地面に落ちた。そして、人の倒れる鈍い音。
「『SB』ですか。珍しい物を持ってますね」
 俺の後ろから聞こえるのんびりした声に応えるように、サミュエルは手元をこちらに見せてきた。顔と銃は用心深く前方へ向けられたままだ。
 サミュエルの握っている銃は、先端だけ銀色でそれ以外は真っ黒だ。これは「SB」と呼ばれる銃で、悪魔や妖霊退治にもってこいの武器だ。通常は銀の弾丸や特殊な金属を用いて、普通の銃火器では対抗できない妖霊等に立ち向かう。だが、この「SB」は銃自体に細工がしてあるため、いちいち貴重な銀の弾丸を消費せずに済むのだ。もちろん「SB」自体の希少価値はとても高く、滅多に手に入るものではない。
「しかしまぁ、よくとっさに動けたな」
 俺達の命を救ってくれた黒いコートを拾いながら、サミュエルに声をかける。コートの袖辺りに穴が空いている。だがサミュエルは特に気にする様子も無く受け取り、羽織った。
「…コートでカメラの視界を遮断するとは、えらく機転が利くな。お陰で助かった。礼を言う」
 しかもコート越しに相手を撃つとは相当な技術だ。こいつ、実は有名なハンターだったりするのか?
「ありがとうございました。流石ハンターさんですね」
「はは、細い通路で対峙するという状況はそれなりに経験してます。咄嗟に動けたのは、培ってきた勘のお陰ですかね」
 全く役に立たなかったのを誤魔化すようにサミュエルを褒めちぎる俺とムカデ。いや、ムカデは一応センサーが役に立ったか。じゃあ俺は…?全くもっての役立たずのようだ。情けないが元からこの話にノリ気じゃ無いのでどうしょうもないな、と自分に言い訳。…ホント情けねーな。
「さて、とりあえず肩を撃ったので死んではいないはずですが。撃たれたショックで気絶しているようですね」
 サミュエルが銃を下ろし、襲撃者に近づく。そいつは俺達が居る場所から5メートル程離れたところで無様にひっくり返っていた。
「ふむ…予想していた犯人像よりも随分若いですね」
 俺もサミュエルの隣から覗いてみる。俺達に襲いかかってきた奴は20代前半くらいの若いアンちゃんで、服装から見るにそこら辺の路地裏で数人でたむろってブレイクダンスでもしてそうな雰囲気だ。まぁ、右肩から血を流してなければだが。とてもじゃないが、呪われた魔術品を使って何人も焼死させるような残忍な通り魔には見えない。確かに意外だ。
「想像以上に若いですね。もっとこう…恐ろしい風貌をしているのかと思いました」
 後ろから俺の背中にのしかかりながらムカデが言う。くっつき過ぎだ。
「通路が狭いのですから、仕方が無いでしょう。そう睨まないでください」
「とりあえず確保しますか。このまま放置すると死んでしまうでしょう。あとは警備隊の方へ…」
  そう言いながら倒れている襲撃者に手を伸ばそうとしたところで、何かに気づいたようにサミュエルの動きが止まった。そしてキョロキョロと何かを探し始める。
「おい、どうした?」
「…カメラが見当たりません」
 言われてみれば、確かにカメラの存在を確認していない。今までカメラだと認識できたのはシャッター音と妙な鳴き声が聞こえたからだ。襲撃者のバンザイみたいに大きく開かれた手元を見てみるが、両手とその付近に何も落ちていない。撃たれたショックでどこかへ吹き飛んだのか?
「呪いの魔術品です、探してるうちにうっかり触れないよう気を付けてください!」
 ムカデが注意を促す。強力な魔術品には所持者に代償を払わせるモノが数多くあり、寿命が縮んだり、体と同化したり寄生したりなんて話も聞く。「灰魔のカメラ」は存在自体が希少過ぎて情報や使用例が極端に少ないが、その性能、中に入ってる奴のレベルから考えてほぼ確実に何かしらのデメリットはあるだろう。サミュエルも慎重にカメラが落ちてないか探す。俺も腰を低くして襲撃者の周りを探そうとしたが、そこでふと気付いた。
「おい、こういう時のセンサーじゃないのか?」
「いえ、それが…。さっきサミュエルさんにスイッチを切られてから、センサーのスイッチが点かなくなってしまいまして…」
 少し落胆した様子でムカデがセンサーをカチカチいじくる。どのボタンを押しても全く反応しないようだ。
「向こうの通りまで吹き飛ばされたのかもしれません。見てきます」
 うろたえた様子でサミュエルがそそくさと路地の出口へ向かう。そして。
 
 パンッ
 
 乾いた銃声と共に、まるで投げ捨てられたボロ切れのようにサミュエルが後ろ向きに吹っ飛んできた。中腰の姿勢のまま、俺とムカデは反射的に前を向く。
「よう、お勤め御苦労さん。とりあえず武器を捨てろ」
 陽気な声と共に路地の出口に立ちふさがったのは、拳銃をこちらに向けた第二の襲撃者であった。






     

 銃口から薄く立ち上る白い煙の向こうでニヤニヤと笑うそいつは、サミュエルと同じ黒いコートにスーツ、変わった形の帽子を被った20代ぐらいの若い男だった。背は少し低いが帽子の下から覗く眼光は鋭く、まるで獣のような威圧感がにじみ出ている。えっと、どちらさん?
「…あ?よく見たら丸腰じゃねーか。ってことは、おっかないのはこいつだけか」
 そう言って右手に持った銃と視線はこちらに向けたまま、そいつは2、3歩進んで左手で何かを拾った。そして拾ったものをこちらに見せつける。
 サミュエルのSBだ。おい、この状況は結構まずいぞ。
「動くな」
 上半身を起こそうとしたサミュエルを、左手に持ったSBの銃口を向けて制する。サミュエルはどうやら左肩を撃たれたらしく、苦しそうに右腕で押さえている。構えから見るに、この男は二丁拳銃使いらしい。
「ジュナ…何故…?」
 呻くようなサミュエルの声に対し、ジュナと呼ばれた襲撃者は右手の拳銃を俺達に、左手のSBをサミュエルにしっかり向けてから、
「ただの気まぐれだ。元からハンターなんかに興味は無ぇーよ、俺は若い女さえ殺せれば良いんだ」
 そう言ってムカデの体を一瞥し、じゅるりと舌舐めずりをした。対象じゃないのに思わず鳥肌が立つ。うえぇ、気持ち悪い。
「貴方がサミュエルさんの相方ですか?」
「おう、『元』が付くかもしれねぇけどな。くひひ」
「そうですか。初めまして、ムカデと申します」
 ペコ、と頭を下げるムカデ。空気読めてないどころじゃない、銃口を向けられて挨拶をするなんてどんな思考回路してんだ。
 ジュナは一瞬面喰ったように目を見開くと、更に陰惨なニタニタ笑いを顔に浮かべた。
「…あんたみたいな女、初めてだよ。男でもこんなに胆が据わってる奴は見かけなかったな。もしくは、本当に状況が分かってねぇのか?おい、お前」
「あ?俺も自己紹介しなきゃいけないのか?」
「いや、それはいい。ところでお前はムカデの恋人か?それとも弟か?はたまた、ただの相棒か?」
「…は?」
 ジュナは一歩だけこちらへ踏み込んだ。何やら興奮してるようだ。
「俺はただ女を殺すだけじゃ満足できなくてね」
 そして唐突に、夢を語るような楽しげな口調で語り始めた。
「恋人、家族、仲間。そいつの大切な人の前で殺すのがたまらなく好きなんだ。それも、ただ殺すだけじゃない。犯して、嬲って、刻んで、焼いて、抉って、すり潰して…。くひひ、この間なんて変なガキ共に絡まれてよぉ。メスガキが一匹居たからさ、他のガキ共をボコって縛った後にそいつらの目の前で犯しながら拷問してやったんだが。ひひ、面白かったんで久々に俺の拷問メニューをフルコースで御馳走しちまってよ…おっと!」
 身じろぎした俺を見咎めてか、ムカデに向けていた銃口が微かに動き、俺の方を向く。
「くひ、てめーも状況が分かってないタイプか?あ?」
 ジュナは挑発するように銃口をチラチラ動かす。どうやら絶対的優位に立っていると思っているらしい。まぁ、俺達が下手に手出しできない状況なのは間違いないが。
「サミュエルさんよぉ。もうちっとマシな相棒を見つけてくれよ…こんなイカレてるハンターは久々に見たぜ」
 俺は呆れかえってサミュエルに訊ねた。
 ハンターを名乗るためには様々なテストを受けた上で警察や警備隊に認可を受ける必要があるため、流石にこんなモロ殺人鬼みたいな奴はそうそう居ない。居てはいけないのだ。しかし、任務中に何人も人を撃ったり切ったりしてる内におかしな性癖を持つ奴は出てくることは極稀にある。6,70年前にも成人男性の眼球を集めるのが趣味な女性賞金首ハンターに会ったことがあるが、こいつはそれ以来の逸材らしい。
「…申し訳ありません。まだ2回ほどしかジュナとペアを組んだことが無いのですが、まさかこんな…」
「『こんなイカレた性格だったとは』ってか?くひひ、あんた腕は良いけど狩り方が退屈なんだよなぁ。一応俺も大人しく従ってたけどさー。もっと派手に行こうぜ~」
 少し顔が青ざめつつあるサミュエルの様子を見るに、ジュナは普段の様子と打って変わって豹変しているようだ。確かに、サミュエルがこのタイプのハンターを相棒にするとは考えにくい。ジュナの隠れた性癖に気付かなかったサミュエルも大概だが、いずれにしろハンターも堕ちるとこまで堕ちたらしい。
「さてさて。無駄話もここまでにしとこうか。生憎、俺が興味あるのは女の悲鳴だけでね。とりあえずムカデちゃんとやら!右手と左手どっちを先にふっ飛ばされたい?」
 ウキウキと楽しそうに訪ねてくるジュナに対して、ムカデは困ったような微笑みで応えた。
「そうですね…では、行ってください。ヤトト!」
 まるで不可視の巨大な手に背中を押されてるような、強烈な突風が巻き起こった。思いもよらぬ正面からの風の衝撃にジュナが2,3歩後ずさって怯んだ隙に、俺はその懐に入って奴が右手に握っている拳銃を叩き落した。続いてSBを構えていた左手を蹴りあげて、ジュナのしょうもない造りの顔面に渾身の肘鉄をぶちかます。
「ぶぐっ!」
 尻尾を轢かれた犬のような声と共にジュナは尻もちをついた。その無様な姿の遥か後ろに、俺に蹴りあげられたSBがカシャンと着地する。
 お見事!と後方からムカデの掛け声。タイミングはバッチリだったらしい。
 ムカデが右手に隠し持ってる銀のロザリオを用いた術式の発動を仕掛けようとしてるのに気付いたのは、ジュナが胸糞悪い性癖を語り始めた時だ。1200年もの間召喚や命令などの様々な術式を見てきた俺からしたら、この程度の術式発動とその内容は「気配」で察知できる。ムカデが使った風の魔法はロザリオという簡易な媒体に多少の魔力を込めた、突風を巻き起こすだけのものだが今みたいに使うタイミングが合えば上等な効果を発揮できる。
 念のためもう一発蹴りでも喰らわせて無料整形してやろうと俺が足を上げた途端、全身が総毛立つような魔法の気配をジュナから感じて後ろに飛びずさった。
「どうしたのです?ヤト…」 
 ムカデの息を呑む声が聞こえた。
「く、くひひ…。ちょっとビビっちゃったじゃねえか。残念だぜ、そのまま蹴ってたら焼き殺してやったのによ」
 ゆらりと立ちあがるジュナが右手に持っている異様なモノ。「ソレ」自体は、一見どこにでもありそうな一眼レフカメラの形状をしている。だが近寄るだけで動悸が激しくなるくらい、溢れんばかりの術式が脈動してる。ここまで強力で邪悪な気配を感じる魔術品は初めてだ。黒一色のように見えたそのカメラも、目を凝らしてよく見ると黒色ではない。一部の隙もないくらいにボディに刻まれた魔方陣が、黒色に見えるのだ。
 間違いない。武器を奪われて一縷の勝気すら無かったはずのジュナが取り出したそれは、間違いようが無く俺達の敗北を意味する「灰魔のカメラ」であった。






     

「気が変わった。一瞬で殺してやろう」
 ジュナはカメラを胸の高さで構え、不気味に微笑む。 
 死んだ。もう手遅れだ。
 一瞬で俺は死を察した。もう、何をしても間に合わない。
 ムカデがもう一度術式を発動したとしても、実はサミュエルがもう一丁銃を隠し持ってて後は構えて撃つだけだとしても、俺が今からジュナに飛びかかったとしても、「灰魔のカメラ」の発動を阻止するには全然間に合わない。俺達が指一本でも動かしたら即座に奴はレンズを覗いて精霊の名前を呼ぶだろう。それだけのアクションで俺達3人は俺、サミュエル、ムカデの順番に手前から一瞬で焼かれて死ぬ。路地に3体の白骨が並んでこの話は終わっちまう。この場を切り抜けられる希望があるとすれば、せいぜい精霊の名前がクソ長くて呪いの発動が若干遅れるという可能性にかけることぐらいだが、それも無いだろう。写真に写ってる被害者達はどうみても一瞬で死んでる。正真正銘打つ手なしのデッドエンドだ。
 だが、それでも俺はやれるだけのことはやるつもりだ。
「…なんであんたがソレを持ってるんだ?」
「ひひ、無駄話で時間稼ごうってか?どのみちお前らは死ぬんだが…まあ教えてやってもいいか。このカメラはとある倉庫でたまたま拾ったんだ。まさかと思って何人かで性能を試してみたらドンピシャ、本物だったよ」
 ジュナの気が急に変わらないよう気を付けつつ、訊ねる。
「じゃあ、2件の通り魔殺人はお前が…?」
「そういうこった。向こうの通りにいる骸骨も含めたら3件だがな、ひひ。しかしまぁ俺も迂闊だった訳だ。つい調子に乗っちまってよぉ」
 ジュナは足元に転がってる最初の襲撃者、若いアンちゃんを足で小突いた。飄々とした口調とは対象的な視線で用心深く俺達の動作に注意しながら続ける。
「こいつらは賞金首ハンターらしい。チームを組んで魔術師を殺そうと企んでたようだ。俺も1か月ほど前に道端で絡まれたんだが、くひ、返り討ちにしてやった。恐らくその時からこいつにつけ回されてたみたいだな。ついさっきカメラを奪われたんで、後を追っかけてみたらこのザマって訳だ」
 …なるほど。路地で俺達と鉢合わせした時にシャッター音しかしなかったのはそのためか。このアンちゃんはカメラの使い方が分からず、結果として「灰魔の呪い」が発動しなかったのだ。そもそもカメラの発動にシャッターを押す動作は無い。
「さぁ話はここまでだ。こうしている間にまた誰か来るかも知れんしな。じゃあな、サミュエル」
 あっさりと死の宣告をして、ジュナがレンズを覗く。正確に精霊の名前を唱えるためにペロリと舌を出して唇を湿らす動作は、舌舐めずりそのものだ。奴が次に声を発した瞬間に俺達は死ぬ。
 …ここまでか。
 死期を悟った俺は、反射的にジュナに殴りかかっていた。それをレンズ越しの勝利を確信した愉悦の表情が出迎え―――。
「ウルカヌス!」
 そう叫ぶ声が聞こえた。精霊の名前だ。すかさず耳を劈く鳥の鳴き声に似た奇怪な音。


 キュ―――ン

 
 思わず目を瞑る。誰だって死の瞬間は目を閉ざしたくなるもんだ。悪魔だろうが魔術師だろうが聖人だろうが、きっと誰もが。














「…あ」
 声を出して見る。俺の死後の世界での第一声は「あ」らしい。少なくとも自分の発した声が確認できる空間のようだ。俺はどうなった?人間界の束縛を解かれて地獄へ戻ったのか?それとも人間として死んだのか?
 ゆっくり目を開けてみると、薄暗い部屋の天井が視界に入る。俺はベッドに寝ているようだ。
 ドンドンドカドカと、どこかでドアが叩かれている。その音によって俺の意識は暗く深い地底からゆっくりと浮上し、ぱっちりと目を開ける頃にはノックは止まっていた。あの乱暴なノックの音に聞き覚えがあるようなないような気もする。部屋のカーテンを全て閉め切っているので目を開けても視界は地底のように薄暗い。耳を澄ますと、微かに階下から話し声が聞こえる。既視感を覚えつつぼんやりしていると、部屋のドアが開いて聞き慣れた声が部屋中に響く。
「起きてください、ヤトト!もう朝ですよ!」
 ガミガミうるさい母親のような面持ちでムカデが激を飛ばす。
「朝からうっせぇな。起きるから先に下で飯食ってろよ」
「分かりました。ちゃんと起きるんですよ?」
 しっしっと俺が手を払うと、ムカデは困ったような顔で腰に手を当てて階下へと消えた。寝ぼけ眼を擦り、頭をくしゃりと掻いてなんとなく思い出してきた。同時に、一日遅れで生の実感を得る。
 ウキウキしながら階段を降り、1階のリビングへ入ると誰かがソファーに腰掛けていた。いや、あのシミだらけの全力で禿げきった後頭部に心当たりはあるが、寝起きで話しかけるのは非常にダルい。ましてや今の俺はこんなにハイテンションなのに。
 無視して冷蔵庫へと歩を進めると、案の定舌打ちが聞こえた。…あーくそ、めんどい。
「ようジジイ、悪魔の俺が言うのもヘンな話だが生きてるってのは素晴らしいことだな。今日は何の用だ?」
「…言わんでも分かるだろうに。まずはこっちへ来い」
 振り向きもせずに答えた。俺は冷蔵庫から一切れのパンを取り出して銜え、ジジイの向かいのソファーに座っているムカデの隣にドスンと腰を下ろす。毛嫌いしている悪魔が同じソファーに座っていることにムッとしたのか、しかめっ面でクソジジイが口を開く。
「早朝から訪ねて申し訳ない。ひとまずは今回の通り魔事件が解決した旨を伝えたくてな。協力、感謝する」
 そう言ってピカピカに輝く頭頂部をムカデに見せつけるように深く頭を下げた。ふむ、実に心地良い。他人に感謝される事が、じゃなくてジジイが頭を下げることが。
「いえいえ、協力だなんて。私達はただ右往左往していただけですよ。ですからウリヤさん、顔を上げてください」
 照れくさそうにムカデが手を振る。まぁ実際運が良かっただけだよな。それも運が良いどころか奇跡に等しい。
「まったく、対策本部を設置したその夜に事件が解決するとはな。昨夜の詳細を聞いても信じられんよ。―――お前が生きてたのは神の御加護だろうか。…命を落とさなくて、本当に良かった」
「俺の護衛がしっかりしてたってのもその要因の一つだろうな。俺にも感謝してくれよ?」
 ジジイが俺を睨みつけるが、何も言わないのは多少なりとも思うところがあるからか。ムカデは優しく微笑む。
「ヤトトには助けられました。改めてお礼を言います、ありがとう」
 そう言って俺の手を取る。急にこっ恥ずかしくなってその手を振り払うと、ムカデはクスクス笑った。そういうノリはやめろ。虫酸が走る。
「オホン。…警備隊、警察、魔術協会、その他諸々から報酬が来とる。今日明日辺りに伺うといい。それと、現場に一緒にいたサミュエルとかいうハンターからもお礼をいうよう言伝を頼まれとる」
 サミュエルか。今頃病院で寝てるだろうな。相棒の豹変っぷりを見て人間不信にならないといいが。
「分かりました。今日のお昼にお見舞いに行きましょう。協会本部や署に伺うのはまた後ほど」
「うむ。それと、この写真はいるか?」
 そう言ってテーブルの上に一枚の写真が置かれた。
 センターには死を悟りつつカメラマンに殴りかかる俺の姿。まぬけな事この上ない顔だ。後ろにはムカデ、右端に倒れているサミュエルが映っている。そして…写真の隅に微かに入っている黒い影。この影こそが俺達が生き残った奇跡の形だ。
「見事なもんだ。まさか『自分の指』が映っちまうとはねぇ」
 「最も手前に映った生物を映す」。「灰魔のカメラ」の呪いは生物であれば全て呪いの対象であるらしい。つくづく恐ろしい魔術品だ。焦りのあまりか、はたまた俺の覇気にびびってか知らないがジュナは最大のミスを犯したのだ。本来なら俺達全員が塵芥と化して仲良く散るはずだったが、持ち主であるジュナが死亡したため呪いはキャンセルされた。それが今回の事件の終焉、パッとしない上に呆気無い結末。
「うーん…なんか恐ろしいので、これは魔術教会にでも引き取ってもらいましょうか。ヤトトはこの写真欲しいですか?」
「記念に飾っておきたいがな。撮られた経緯が気持ち悪すぎるんでパスだな」
 何も言わずジジイは写真をしまい、ティーカップを啜る。雰囲気的にそろそろお帰りになられるようだ。
「そういえば、あの現場にいた若者はどうされました?」
 なんとなく訪ねたのだろうムカデの質問に、ジジイの表情が少し険しくなる。
「うむ…。すぐに駆け付けた警備隊が手当てしたんだがな、その時にはひどく錯乱してたらしい。薬物反応もあったという。搬送した先の病院を抜け出して、今朝の明け方辺りに市内の中央高速で歩道橋から飛び降りて死んだという報告があった」
「そう…ですか。お気の毒に…」
 ムカデの笑顔が曇る。最近の若者は薬物汚染が流行ってるのかね。
「お前が気に病む必要はない。兎に角事件は解決したのだ。胸を張りなさい」
 暗い雰囲気を払拭するかのように、珍しく笑顔を向けてそう諭すとジジイは席を立った。ムカデが玄関まで見送りをするので一服するために俺も付き合うことにする。
 外に出ると、朝の澄んだ空気が胸に広がる。郊外から少し外れた一軒家であるため、車通りも人通りもそんなに多く無い。挨拶もそこそこに、最後にジジイは俺を一瞥すると家の前に停めてある運転手付きの高級車に乗り込んで立ち去った。車の姿が見えなくなる頃、タバコを取りだして一服する。
「昨日は、色々と大変でしたね。あのような強力な魔術品を相手にするのは初めてですよ」
 紫煙を吐きだして隣に立つムカデに目をやる。まるで死線を潜ったようには見えない、いつも通りの仕事をしてきたかのような顔つきだ。
「あん時は流石に死んだと思ったぜ」
「ふふ、私もです。今生きていて朝の香りを感じているのが不思議なくらい」
 そう嘯いてムカデは空を見上げる。その横顔が、実に秋空に映える。そんな美しい横顔に更に映える赤黒い切り傷。醜悪にして美しい傷。
「…次は、もうちっと簡単な仕事で頼むぜ」
「善処します」
 これほど強力な魔術品が関わる事件を解決したとあったら、耳が利く連中が挙って難事件の依頼をしてくるのは想像に難くない。「命の危険が無い仕事」と表現しなかった俺の内心の強がりを見抜いてか、ムカデは含みのある笑顔で言った。
「さて、安全な家の中へ戻りますか。これからやる事が沢山あります。まずは朝食を取りましょう!」






       

表紙

りょーな 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha