Neetel Inside 文芸新都
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逆さま+ロボット三原則+記憶/講じろ、薫風亭初花!/ジョン・B


 リズミカルな出囃子の音と共に一人の少女が壇上に登場すると客から少ないながらも拍手が鳴る。
 観衆の注目の的であるその少女はさらに興味を惹き付けるようにゆっくりとした動作で淡い緑色した着物の裾を流しながら高座に座り、深くお辞儀をすると大きく息をして口を開いた。
「本日はお足元の悪い中、お集まり頂き――って、こりゃあ結婚式か」
 凛とした声と幼い容姿に似つかわしくない口調で少女が喋り始めると黒子がひょっこり現れて舞台脇のまくりを捲る。そこに書かれていたのは、『薫風亭初花(くんぷうてい はつはな)』という文字。高座で軽快に喋り始めた少女の高座名だ。
「結婚式のスピーチや芸人のギャグなんかの定番はもう当たり前となってますが、今の時代『ロボット三原則』などと機械にまでお決まりがあるように、落語にもお決まりってぇのがありまして。これから講じますのは落語のお決まりのような題目――つまるところ定番の『饅頭怖い』でございます。
 『饅頭怖い』といいますと、お越し頂いた皆様は先達方の演じたものをお聴きになられていらっしゃるかと思いますので簡単に言ってしましますが、逆さ言葉でございます。『饅頭怖い』は『饅頭が食べたい』。落ちであります『お茶が怖い』は『お茶が飲みたい』。思っていることと反対のことを言って他人を欺く――。まぁ、そんな話ですな。
 かくいう私も皆様が大変怖い。耳の肥えたお客様方ですからなおのことで、そりゃあ緊張もします。たかが今まで喋っただけで喉もカラカラに干からびてしまいました。あー、熱いお茶が怖いなぁ……」
 初花が左右の舞台袖を交互にちらちら見ると、客がくすりと笑いを漏らす。
「まぁ、お茶のことはさておき……。逆さ言葉は何も『饅頭怖い』に登場する男だけのものではございません。サブカル大好きなオタク様方にも耳馴染みのある『ツンデレ』も真逆の言葉や態度を駆使してあの手この手で多くの男性方を虜にする、逆さ言葉の使い手にございます」
 仕切り直すように初花は先ほどよりも深々とお辞儀をした。

「『べ、べつにあんたのために作ったんじゃないんだからねっ!』
 ツンデレのお約束な台詞を言いながら意中の男に弁当を差し出す女が一人。
 しかしながらその女、元々ツンデレなんて天邪鬼な性格じゃあない。
 昨日の今日までそんな素振りを見せたことのない、今時珍しいおしとやかな好青年――ならぬ、好少女。
 では、何故女がそんな物言いをしたかと申しますと、男の気を引こうとしたんですな。端的に言ってしまえば、ツンデレを演じているのであります。
 事情を知っていればその言動も愛らしく見えようものですが、事情を知らない男は女の態度を見て大きく口を開けるばかり。
 それもそのはずで、こちらも今時珍しく、男は生まれてこの方漫画もアニメも見たことがない。その上ゲームもしたこともないというのですから、事情どころか『ツンデレ』自体知っているわけがございません。
 たいして会話したこともなかった二人の間に流れますのは、寒くもないのに冷たい空気。
 男の反応に女は『失敗した』と思いながらも、今更止めるに止めれず、そのままツンデレを演じます。
『い、要るの? 要らないの? はっきりしなさいよ!』
 それにしてもこの女、なかなか堂に入ったツンデレっぷり。好きな男に近づく為、あれやこれやと勉強したのでございましょう――
『じ、じゃあ、要らない。学食で食べるし……』
 ――けれども、それが見当違いだったというのですから、涙を誘うじゃありませんか。
 本来生真面目な女は『己が悪い』と、胸中泣きながら、上げた拳――いや、出した弁当を引っ込めようとしますが、男も男でなかなかに生真面目でございまして。ばつの悪そうな顔を作る女を見て申し訳ない気持ちになり前言を撤回する。
『ま、待って! やっぱり貰うよ』
 実のところ男の方も、この女に好意を寄せていたのであります。
 さてさて、弁当を受け取ったものの、男からしてみれば『昨日までの彼女はいずこへ?』ってなもんで、いくら女から弁当を貰おうとも、記憶をごっそり無くしたような、さも複雑な心境でありましょう。
 男が恐る恐る弁当を開いてみれば、タコさんウインナーに一口ハンバーグ。ご飯の上には桜でんぶでハートマークが描かれている、そりゃあ可愛い弁当でございます。普通に受け渡しが出来ていたならば、なんの波乱も無く一組のカップルで出来ておったことでしょう。
 ――が、そうは問屋が卸さない。弁当受け取ってもらえたことに気を良くしたのか、女はツンデレのまま『さ、さっさと食べなさいよ』と言いながら睨むように男を見つめる。
 女はつんけんしているというのに弁当は可愛らしく、相反するものを目の前にして男の困惑もピークに達しましょう。そんな状態を長々と続けられるわけもございません。
『ああ、怖い怖い。彼女が怖いので早く食べてしまおう』
 と、男は『饅頭怖い』にもあるようなことを呟いて、流し込むように弁当を食べます。
 ガツガツ、ガツガツ――。
 女からしてみれば心地の良い食べっぷり。
 見る見るうちに弁当箱は空になり、『ご、ごちそうさまでした……』と男が弁当の蓋を閉める。それと同時に女は顔を近づけて、こう訊きます。
『ど、どうだった?』
 食べる勢いに居心地の悪さも相まって、弁当の味など分かるはずがない。
『ど、どうって言われても……』
『はっきり言いなさいよ!』
 こうも強く言われては正直に答えるしかありません。
『こ、怖かったよ』
 男は女のことを言いましたが、女が求めていたのはもちろん弁当の感想でございます。
『え? 『こわい』? お弁当の感想で『こわい』ってどういうこと? ――あっ! ご飯が硬かった?』
『いや、そういう意味じゃなくて……』
『じゃあ、『饅頭怖い』の怖い? ふ、ふーん、なら今度はもっと――』
『だから、そうじゃなくて!』――」
 有無を言わさぬ勢いで捲くし立てられていた初花の口がそこでピタリと閉じた。
 寄席はシーンと静まり返る。
 残るはオチの件だけ。
 しかし、なかなか初花の口は開こうとしない。
 一人の噺家が喋る時間は決まっており、初花の割り当てられた時間の期限が刻一刻と迫る。
 残るは一分、三十秒……十五秒……十秒……五、四、三――。
 ここで初花は今日一番の声を張り上げた。
「あー、その、えーっと……おあとがよろしいようで!」

 オチらしいオチも告げず、逃げるように舞台袖に引っ込んだ初花に黒子が声をかける。
「……お疲れさま、君の師匠が呼んでたよ」
 初花自身、何故呼ばれたかは見当がついている――誰から見ても、火を見るよりも明らかである。そう、よりにもよって『オチを忘れる』というポカをやらかしたからだ。
「……急ぎの用があるので、すみませんが師匠に伝言をお願いできますか?」
「用って……このまま帰っちゃうのかい? あれはかなり怒ってるよ?」
「はい、それは十分解ってます。ですが、多分これを伝えて頂ければおそらく大丈夫かと」
「それなら、まぁ、いいんだけど……で、なんて伝えればいいのかな?」
 問われた初花はしたり顔で言った。
「『ここらで私は、師匠が怖い』」


(了)


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 ここらで私は、感想が怖い。


       

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