Neetel Inside 文芸新都
表紙

くじで出たお題で小説書こうぜ企画
trigger/その引き金を引いたのは/参歩

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  trigger/その引き金を引いたのは/参歩


 戦争が始まった。

『私達はこの戦争に必ず勝利します。あの野蛮な国に正義が必ず勝つということを教えてあげましょう!』
 わああああああああああああああああああ!!
 腕を振り上げ、完璧に計算された声の抑揚で、スピーチを行う大統領の眼下。自分の演説に聞き入り熱狂し湧き上がる群衆の歓声を見下ろして、彼はアドバイザーの演出の下完成された笑顔の下で思う。
 なんでこうなった。
 彼が抱いていたのは、紛れもない憂いであった。
 これから、たくさんの人間が死ぬ。
 戦場では兵士が軍人民間人関係なく銃口を向けて引き金に指を掛け、都市部であっても落ちてくる爆弾に日々怯え、実際にいくつもの街々が焼き尽くされる。
 そんな戦争が始まる。
 始まりは、ある独裁国家が隣接したこの国にミサイルを放ってきたことであった。
 それは国境に程近い小さな村落に命中。約四〇人が死亡した。
 それは、本来ならば戦争になるわけもない小競り合いになるはずだった。
 いったいどこの国が、たかが四〇人の為に全国民を戦火に晒そうとするか。
 だから、このトラブルも向こうの国の挑発行為としてあくまで政治的に処理できるはずだった。
 しかし、上手くいかなかった。
 向こうの国はミサイルの発射について一部の暴走だと謝罪もせずに切り捨て、自国内で反乱者狩りと称した惨殺を開始したのだ。
 こちらの話を聞く耳など一切持ってはいなかった。
 そして、世論の赴くまま、あれよあれよと言う間に、戦争をしなければいけない、という状況に陥ってしまっていた。
 この国が勝利し英雄と称えられようが、敗北し史上最大の愚者として語られることになろうが、彼はそんなことの為に大統領になったわけではなかった。
 彼はこんなことがしたくて大統領になろうと思ったわけではなかった。
 彼はこの国の人間の為に立ち上がったはずだった。
 この国の人間を救いたくて、今まで必死に努力してきたはずだった。
 なのに、何故?
 何故、自分は戦争の引き金を引かなければならなかったのだろう。
『何度でも言います! 私たちこそが正義なのです!』
 その疑問に答えるものはどこにもおらず、彼はただ一人、虚しさを抱いて笑顔を振りまき続けた。


 男は一介の軍人であった。
 男は夕闇色に染まった空から降り注ぐ僅かな光に照らされた薄暗い自らの事務室の、高級そうに見える革張りの椅子に浅く腰かけ、ずっしりとした質感の木製の机に肘をつき、瞑想するように目を瞑ってじっと何かを待っている。
 男はたった今、部下に対して隣接国へミサイルを発射するように命じたばかりであった。
 これは上の意思からは外れた完全なる独断専行で、男はこの件が発覚すると同時によくて銃殺、最悪であれば拷問された上軍の兵器開発用モルモットとされることを理解していた。
 けれど、男に後悔はない。
 こうして何か手を打たなければこの国は滅びてしまうであろうことを、男は理解していたのだ。
 もうこの国は限界であった。
 独裁を施す昔は辣腕を揮っていた元首はどこからやってきたかもしれぬ女に惚れて呆け、湯水のように金をつぎ込み、その周りにいるのは元首を持ち上げ少しでも美味い汁を吸おうとする下衆か、元首を恐れる考えなしのイエスマンばかり。
 富裕層たちはそんな政府の惨状をしっかりと理解して、はした金とも言える賄賂を政治家達に渡し、従業員達に行き過ぎた労働を強いる。
 民は目の前で苦しんでいるというのに、自分はそれに手を出すこともできず、一部の金持ちが全てを握っているのをただ見ているしかない。
 クーデターを起こそうにも、元首はそういうところにだけは熱心なのか軍部には積極的に金をばら撒き、軍部は既に上から下まで腐りきって骨抜きにされてしまっている。
 自分が何とかしなければ、この国はいずれ潰れる。
 何も、こんな国に忠誠心を持っているわけではない。
 ただ、この国には愛する人たちがいるから、大切な人達がいるから。
 このミサイル攻撃は間違いなく世界各国から非難されるだろう。
 ただ、戦争になるほどでもありえない。
 それに、この国に戦争は出来ない。
 どこの国であっても、単独で自国を守りきるなんて言うのは不可能で、この国と同盟を結んでいるような国は存在していない以上、この国は戦争になれば必ず負ける。
 どこかの国が気まぐれに援軍を出してくるかもしれないが、それにしたってこの国の軍隊の弱さは男が一番よく知っていた。
 だから、この国は戦争をしない。他の国だって、わざわざこんなうまみの少ない国に攻め込もうとはしないだろう。
 各国から批判されれば、どうしたってこの国は変わらざるを得ない。
 今うけている経済援助をいくつか止められてしまうだけで、この国の財政は立ち行かなくなるほどなのだ。
 この方法は必ず成功する。
 成功しないという訳がないのだ。
 そう自分に言い聞かせ、男はミサイル発射の結果報告を待ち続けるのであった。


「毎度ありがとうございます。また買ってくださいね」
「ああ、じゃあまたいつか」
 少女は自らに背を向けて歩く男を笑顔で見送ると、その後ろ姿が見えなくなった瞬間に表情を消し、地面に精液の混じった唾を吐き捨てた。
 場所は薄汚い路地。時刻は十時を回っているだろうか、漂ってくる酔っぱらいの吐瀉物の臭いや幾日も放棄された生ごみの腐敗臭などが、ここの治安がいかに悪いかを物語っている。
 少女の格好は、もう秋に入っているというのに、扇情的に胸元の開いたシャツに異様に丈の短いスカートと言う薄着で、そういう仕事をしているのであろうということが一目でわかるようになっていた。
 少女はスカートと体の間に挟まれた、よれよれの最低額紙幣三枚を手に掴み、じっとそれを数秒間見つめると何も言わずにそのままスカートのポケットに突っ込んだ。
 今日はまだましな仕事だった。
 少女の年齢は見た目十二三歳と言う程度で、体を売るにもそういう特殊な性癖の人間を相手にするしかない。
 そういう人間はどこか歪んでいる人間が多く、している最中に首を絞められたり、連れ去られそうになったことなんかも数え切れないほどある。
 そういう事例に比べれば、今日はまだまともだった。
 口でしただけで、こんなに貰えたのだから。
 まあ、薄汚れた娼婦の体になんて、入れたくなかっただけかもしれないが。
 少女は嗤うほどもなく、一通り体を確認すると、仕事を始める前に地面に捨て置いておいたボロボロのコートを身に纏い、路地の外へと出た。
 目の前に広がるのは眼球を突き刺すようなネオン群。そして少女よりも遥かにいかがわしい格好をする呼び子に、それらに粘っこい視線を注ぐ男共。
 もはや見慣れたそれをなるべく見ないようにして、少女は足早に帰路を行く。
 絶対に、金持ちになってやる。
 少女の両親は、五年も前に死んだ。
 父親は他国の貴族だったらしく、使用人だった母と身分違いの恋をし、結ばれる為にこの国へと渡ったらしい。
 それは亡命とは名ばかりの要は密入国で、それでも五年前までは貧乏ながらも平和に暮らしていたものの、当時外国人への弾圧を行っていたこの国の政府に見つかり自宅に押し掛けられ、問答無用で両親ともに銃殺された。
 彼女はその時外に出ていて、偶然助かった。
 以来、少女は浮浪者の身の上となっている。
 その時、一緒に殺されなかったのが幸せだったのか、少女には分からない。
 今こうして生きる為に体を売っている状況が、不幸であるのかと同じ様に。
 ただ、思うのは――、
「ねえ、おかあさーん。あの子どうしてあんな格好してるのー?」
「しっ! 見ちゃだめよ!」
 自らの横を通り過ぎる、パーティーにでも出てきたかのような身なりのいい親子の声。
 いつの間にかネオン街を抜けていたのか、辺りは繁華街の程近い少しばかり広い道路となっていて、道行く人の嫌悪の視線に晒されながら、自分の体が少しでも小さくなれと願っているかのように、少女は体を竦める。
 同時、唇を噛み、小さな拳を強く握りしめた。
 絶対に、絶対に金持ちになってやる。
 こんなことをしなくてもいいように。こんなみじめな思いをしなくてもいいように。
 どんな手を使っても。誰をどれだけ滅ぼそうとも。
 少女はそれを深く胸に刻み込んで、足早に街を通り過ぎてゆく。


 とりあえず、あそこの道で待ち伏せなさい。そして一番最初にやってきたいいお洋服を着たおじさんにこういうの。ご飯頂戴って。そうしたら、そのおじさんがご飯くれるから。やってきなさい? ……なに、やらないの? おなか減ってるんでしょう? なら、やらないとご飯はないわよ? ほら、泣いたって仕方無いんだから、早く行きなさい。ほら、早く!
 急き立てるようにして妹を追い出した私は、妹の出て言った家のドアを見つめながら、深く溜め息をついた。
 私は知っているのだ、あの子が殺されるであろうことを。
 貴族に無礼を働いて許されるはずがない。
 その場で手打ちにされるのがオチで、よくても慰みものの肉奴隷になるのが目に見えている。
 万が一に許されたとして、そこからご飯を与えてもらい、何故か気に入ってもらえて使用人となり、そこの息子さんと相思相愛になって幸せに暮らすような、そんな奇跡は物語の中でしか起こらない。
 もちろん、罪悪感はある。
 けれど、自分が食べていくにはそれしかないのだ。
 うちには借金がたくさんあって、両親は今も外で一生懸命働いてくれている。
 でも、みんなが食べていくにはどうしてもお金が足りなくて、誰かが犠牲になるしかない。
 だから、私はその犠牲に妹を選んだ。
 ただ、それだけのことだ。
 私は悪くない。
 そんなふうに思考を巡らせていると、少し疲れてきて、私はおなかも減ったので空腹を紛らわすために少しの間休むことにした。
 私は妙に軽い体を引き摺って、妹と共有で使っていた部屋の二段ベッドまで進み、その下段、妹が使っていた方に身を投げ出した。
 おやすみなさい。
 ――がたん。
 と、物音がして目が覚めたのは、眠り込んでいくらかもしていない頃だった。
 両親でも帰って来たのかな、と私は目元を拭いながら立ち上がり、
「邪魔するぜぇ!」
 ドアが蹴り開けられた。
 木の折れたような乾いた音に勢い良く開いて壁にぶつかったドア。
 そしてドアのあった箇所にある足、それに繋がる柄の悪そうな男と、その後ろにいる同じく柄の悪い男二人。
「な……な……」
 一体、何が。
 驚きのあまりに声も出ない私をにやにやと見下ろして、先頭にいる男は足を下ろし、後ろの男二人に顎で合図する。
「まずはこれを見てくれや」
 後ろの男二人が、同時に何かを投げ込んだ。
 その球体状の何かは私のすぐそばに、重い音と共に落下して、私は視線を下にさげ、
「……え、あ、あ、いやあああああああああああああああああああああああ!」
 首、だった。
 嘘だ嘘だ嘘だ。どうして、そんな、だって、これ。
「お前の両親な、逃げようとしたんだわ」
 男の声が遠い。
 逃げようとした? そんなはずはない。だって、お父さんもお母さんも今は働いてくれているはずで、そんなことありえない、嘘だ嘘だ、嘘だ!
「でまあ、取り押さえようとしたら抵抗したんでぶっ殺したんだが、そうしたら新たな問題が発生したんだよ」
 私は考えることもできなくなって、その場にへたり込む。
 両親の首が近い。表情は驚き苦しんでいて、かわいそうだな、と考えたら勝手に涙が溢れてきた。
「わかるよな? 借金がな、取れなくなっちまったんだよ」
 取れなくなった?
 だとしたら、どうなるというのだろうか。
 私は、涙に濡れた顔のまま、男を見上げ。
 男は、にたりと、悪魔みたいな歪んだ笑みを向けてきた。
「だからな、よろしく」
「い、いやあああああああああああああああああああ!」
 伸びてくる男の手、それを避けようとして、目を瞑りながら必死に手を振りまわす。
 鬱陶しそうにして、でも、男はさらに手を伸ばしてくる。
 私は抜けた腰で座ったまま、さらに狂ったように手を腕ごと振り回す、と。
 ばちんと。
「あ」
 男の顔に、当たって、しまった。
 時が止まり、ぎちりぎちりと、私は目を見開く。
 そこには、男の笑顔があった。
 それが、一瞬で、歪む。
「糞餓鬼がぁぁぁ!」
 罵声とともに、左側頭部に凄まじい衝撃。
 床に体を打ちつけて、殴られたのだろう、その箇所が燃えるように熱い。
 私は殴られて飛びかけた意識のまま、微かに開けた目で、男がごみを見るような目で私に拳銃を向けているのが見えた。


 ……なんで、私が――。

       

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