Neetel Inside ニートノベル
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十月の旅
四ツ目の世界(後編)

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 戦争屋と行く旅路は長いようで短い物だった。ここには季節や日付といった正確な時間の概念が無いらしく、具体的にどのくらいの間旅をしていたのかは私には分からない。ただ、どこに行っても結局戦争は売れず、私の仕事も見つからなかった。だからずっと一緒だった。最初に会った時の距離を維持したまま、私は戦争屋の運転する車に揺られていた。

 ある時、どこかで殺し屋に会った事がある。まず戦争屋が親しげに話しかけた。
「やあ、殺し屋。どこかにとてつもなくいがみ合っている国は無いか?」
 殺し屋は嘘っぽい高貴な口調で、少しもったいぶりながら喋る。犬の仮面を被っていて顔は分からないが、眼光は切れ味鋭い。
「はっきりと申し上げれば、全く存じあげませんな。最近はどの国もいかんともしがたく平和なようで、我輩の仕事も無くてほとほと困っておる有様だ」
 誰かを殺して欲しいと願った事は無い。だから、そんな気持ちも分からない。殺し屋は「そうか」と呟いて去ろうとしたので、私は黙ってついていく。その時、背後から声をかけられた。
「待ちなさいお嬢さん」
 私は振り向く。「何ですか?」
「せっかくこんな所まで赴いてくれたのだ。何かの記念に殺しの一つでも買っていきませんか?」
「いえ。特に殺したい人もいませんし」
 殺し屋は大人しい声で笑った。嘲笑のニュアンスではなく、ただ興味深い物を見た時の笑い方だ。
「面白い事を仰るお嬢さんだ。誰かが買った物は、その人の物。それは殺しでも戦争でも同じ事だという事ですよ」
「どういう意味ですか?」
「お嬢さんが買う殺しはお嬢さんの物。即ち、殺されるのはお嬢さんという事です」
 私は単純な好奇心から尋ねてみた。
「わざわざお金を払って殺されるんですか?」
 殺し屋は自信満々に答える。
「もちろんそうです。死には生と同じ価値がある。死ぬ事は是即ち生きる事と一緒です」
「そうなんですか?」
「そうです。今一時肉体が滅んでも、いずれどこかで復活し、その者は本当の生を与えられる。仮初の死と仮初の生を繰り返した後、手に入るのは真の命という事です。お分かりいただけますか? 死を否定と捉えては損です。死とは得る事なのです」
 私が返答に困っていると、横から戦争屋が割って入ってきた。
「とりあえず、俺達は死ぬまで生きる事にしているんだ。その考え方は嫌いじゃないが、売るならもっとせっかちな奴に売ってやるんだな。あばよ」
 私は戦争屋に手を引かれて、車に乗り込んだ。


 ある時、私と戦争屋は不思議な道を走っていた。石で出来た立派な道には、隅々まで小さな文字が刻まれていて、それが延々と続いているのだ。あまりにも長く続きすぎていて、それがどこから始まったのかさえ分からない。文字には規則性が無く、読める言葉もあれば読めない言葉もあって、いずれにしても、書いてある内容は意味不明な物だった。私と戦争屋は、その膨大な文字の道を、ひたすらまっすぐに進んだ。道の終わりで私達を待っていたのは、一人の男だった。
 男は地面にうずくまって、何やら作業をしているようだ。こちらに気づいて立ち上がると、体を大の字にして私達の乗る車を止めた。着ているのはボロ布だったが、くすんだ顔には満面の笑みを浮かべて、人懐っこい印象を受けた。
「久々のお客さんだ。よろしく、僕は記録屋。あなたは……戦争屋か。その隣にいる君は?」
 私が躊躇っていると、戦争屋が助け舟を出した。
「何、見習いみたいなもんだ。ところで記録屋、この道の文字は全部お前が書いたのか?」
「よくぞ聞いてくれました!」記録屋はパァと顔を明るくして、「その通り。この道に書かれているのは全て僕が記録した物さ。最初は本に書いていたんだけど、書く本が無くなってしまってね、家の壁に書き始めたらそれも埋まって、道に飛び出して以来ずっとこうして書いているのさ」
 私は振り返り、今まで走っていた道を見る。途方も無い、とはまさにこの事だ。
「こんなに何を記録しているんですか?」
 私は思いついた疑問をそのままぶつけた。記録屋の顔から、一瞬で灯りが消えた。
「何を記録しているのかだって? そんな下賎な質問をされたのは生まれて初めてだよ。強いて言うなら、この世界の全てさ。全ての記録を僕は書いているんだ」
 記録屋は興奮気味に体を膨らまして、私を威嚇しながら続ける。
「だってそうだろ? 無限に続く文字列の中には、必ず誰かの言葉が入るはずだ。さっき君のした質問。『こんなに何を記録しているんですか?』だって、この記録の中のどこかにあるはずだよ。探してみるといい」
 確かに、記録屋の言っている事は正しい。言葉が無限に続いていれば、その中にはありとあらゆる詩、小説、物語が含まれているはずだ。
「そう、つまり君はこの偉大な記録を見る事が出来たんだ。となれば、対価を払ってもらおうじゃないか」
 記録屋は手に持った道具で私に迫る。道に文字を刻む為の鋭いナイフだ。
「いや、残念ながら探し物は無かったんだよ」
 それまで傍観を決め込んでいた戦争屋が口を開いた。
「探し物?」記録屋が尋ねる。
「ああ。彼女は仕事を探していてね。参考になる資料を探していたんだが、あいにく見つからなかった」
 記録屋は自分で書いた道を眺めて、不機嫌そうに口を尖らせる。仕事の無い者はこの世界にいてはいけないというルールよりも、自分の書いてきた記録の方が大切なのだろう。記録屋は疑問さえ浮かべない。
「分かるよ。これから書く予定なんだろ?」
 戦争屋はにやりと笑って記録屋をそう撫でつけた。記録屋はまた顔を明るくして、
「その通りだ。書きあがった頃にもう一度来てくれよ。お代はその時でいいからさ」
「そうさせてもらうよ」
 まだ記録のされていないまっさらな道を、私達を乗せた車は走った。


 それは巨大な一本の木だった。首が痛くなるほど大きな、緑の集合体だった。
「噂で聞いた事があってな、この木は一つの国らしい。戦争が売れるといいんだが」
 木の根元は螺旋状に加工されていて、ちょうど車が通れるくらいの、なだらかに上る坂道になっていた。
 木の周りをぐるっと一周して、内部に入ってすぐ、緑の服を着た小人が私達を迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。私は修理屋です。こちらも修理屋。あちらにいるのも修理屋。全員が修理屋です」
 見渡すと、空洞になった木の内部には小屋が立ち並び、長い梯子がかけられていて、何千何万という数の修理屋がせわしなく働いていた。ある者は壁にあいた穴を塞いで、ある者はポンプで水をくみ上げている。
「木を修理しているんですか?」
 私は尋ねる。修理屋は顔を綻ばせて答える。
「そうです。私達の住む大切なこの木を直し、守る事が私達に課せられた使命なのです」
 爛々と輝く瞳を見ていると、とても窮屈な気持ちになった。困って戦争屋に視線を投げたが、また傍観を決め込んでいる。修理屋が熱弁を振るう。
「ほんの少し前までは、この木は生命溢れるすばらしい木でした。色とりどりの鳥と美しく咲き誇る花。小動物も沢山いて、この木に沢山の命が集っていたのです。ところが今は見ての通りの穴だらけで、自力では、満足に天辺の葉まで水を届ける事さえ出来なくなってしまいました。私達は何としても、昔の木の姿を取り戻して見せます! それにはまずこれから……」
 疑問が一つ浮かんだ。修理屋の話を遮って、私はそれをぶつける。
「あの、誰がこの木をボロボロにしたんですか?」
 修理屋はきょとんとして、私を見て言う。
「私達ですよ? 私達がここで暮らし始めてから、どんどんこの木は元気が無くなっていったのです」
「それなら……」出ていけばいいじゃないですか? と続けるのも何だか複雑で、私は思わず押し黙る。
「とにかく私達は修理を続けるのです。あなた達も是非ここに住んで修理を手伝いませんか?」
 戦争屋が即答する。
「遠慮しておくよ」
 私達は木を後にした。
 木から下りる道で、私は戦争屋に尋ねる。
「どうして一言も戦争を売っていると言わなかったんですか?」
「あの連中に売ったって仕方ないさ。いいかい、戦争ってのはね、お互いに憎んで攻撃しあうから戦争なのさ。例えばどこかの国があの木を破壊したって、修理屋は直すだけで反撃なんてしないだろう。何せ、自分達の言っている事がどういう事か、良く分かってない連中だからな」


 楽しげな音楽が遠くから聞こえて、進行方向にはサーカスのテントが見えた。
「厄介な奴に会っちまったな」
 戦争屋はそう呟いて、進路を変えようと試みたがもう遅かった。サーカスのテントはキャタピラで移動しているらしく、畦道を傲慢かつ昂然とした態度で踏み潰しながら、私達の車を止めた。
「レディースエーンジェントルメーン! めくるめく魅惑の時間へようこそ! わたくしがこのサーカスの団長を務める肉屋でございます。以後お見知りおきを」
 でっぷりとした中年の男が、テントの頂点に立ってマイクを掴んでいた。陽気な口調に良く通る声。私はつられて身を乗り出しそうになって、戦争屋に止められた。
「ここでお会いしたのも何かの運命。是非とも我がサーカス団が誇るすばらしい芸の数々を見て行ってくださいまし。レッツショータイム!」
 男が叫び、後ろに引っ込むと、サーカスのテントが両開きになった。中には広いステージのみがあり、客席は無い。いや、私達が今居る場所こそが客席なのかもしれない。
 派手派手しい音楽とドラムロールの後、登場したのは一匹の豚だった。きらびやかな服は着ているが、お世辞にも美しいとは言えない豚。
「さあ! 最初はサーカスの定番綱渡り! これからこの哀れな豚が、地上20メートルにある一本の細いロープを見事渡りきって見せましょう。上手くできたらお慰み」
 肉屋のアナウンスの後、豚が器用にその短い足で梯子を上った。そして高くて小さな台の上に乗っかると、遠くからでも震えているのが分かった。ロープは長く、ピンと張っていて、その存在感は希薄だ。
 やがて豚は決心したようにロープの上を歩き出した。よたよたと、あるいはもたもたと、時折怪しく揺らいだり、止まったまま一歩も進まなくなったりしながらも、どうにか渡りきった。私は思わず拍手をした。しかし豚は笑顔を見せなかった。
 その後も、火の輪くぐりや空中ブランコ。一輪車の曲芸乗りにナイフのジャグリングと続いた。全て同じ豚が演じ、それは危なっかしくも見事な物で、拍手に値する物だったが、見れば見る程楽しくなくなっていった。豚は辛そうにそれら一つ一つをこなしていくのだ。まるで強制されているように。
 それに、私は気になっていた。サーカスの団長は肉屋。肉屋の商売は肉を売る事だ。
「長らく演じてまいりましたこのサーカスも、次で最後のショーとなります」
 舞台の袖から出てきたのは肉屋。両手に大きな包丁を持っている。それを見て、逃亡を始めた豚は舞台を飛び出して、私達の車に乗り込んできた。
 私は反射的に豚を両手で抱える形になった。肉屋が近くに寄ってきて、わざとらしく首を傾げ尋ねる。
「おやおや、これでは最後のショーが始められませんねえ。お客さん、どうしますか? 今すぐその豚を返していただけますか? それとも、その豚を買っていただけますか?」
 私は豚の顔を見る。両目に涙を溜めて、懇願するその様子のなんと哀れな事か。
「……買ってもいいですか?」
 困り果て、戦争屋に問う。戦争屋は首を横に振って、
「お前さん自身が決める事だ。対価を払うのもお前さんだからな」
 とだけ言った。私は考えた。醜い豚は不細工な笑顔で私に媚びへつらう。
「やっぱり……いりません」
 私は残酷を口ずさんだのだろうか。
「そうですか! では、最後のショーへと参りましょう」
 肉屋が強引に豚を私から奪い、舞台へと戻った。その時、戦争屋が呟くように言った。
「よし、逃げるぞ」
 猛スピードで車が発進した。小さくぐるりと回り、今来た道を戻る。
 背後では肉屋の悲鳴がした。バックミラーには、豚が肉屋をたいらげる様が小さく映った。


 旅の終わりは唐突に訪れた。満月の夜だ。いや、ずっと満月だった気もする。
 私の目の前には光の壁。縦横に広がる、眩しいくらいの終焉。
 一歩足を踏み出せば、二度と戻ってはこれない予感がする。この世界は、ここで終わっている。
「ここで終わりだな」
 戦争屋は車のエンジンを止め、車から降りて、光の壁を見上げた。その表情は妙に清々しく、私が抱いた感情は不安定な寂しさだった。
「結局、戦争は一つも売れなかったですね」
 私は精一杯の強がりを言う。戦争屋は口角を吊り上げて、
「お前さんの仕事も見つからなかったな」
 私は顔を伏せて笑う。ちゃんと笑えていないから。
「でもそれもいいさ。お前さんはどこまでいってもお前さんだったって事だ。仕事やら、役割なんて必要ない。俺達とは違うんだ」
「……どういう意味ですか?」
 戦争屋は光の壁にそっと触れた。肉体が、柔らかいクッキーのようにぼろぼろと崩れていく。
「この旅は、お前さんが生まれる為の旅だった。ここからお前さんの本当の人生が始まるんだ。最初に名前をつけただろう? この旅は、十月の旅だって。知ってるか? 人間が生まれるには大体十ヶ月かかるんだ」
 私は零れ落ちる戦争屋の体を拾う。とめどもなく流れてくる真透明の涙に、無音の叫びが混ざる。
「お前さんはこのだだっ広い宇宙で一人なんだ。どこに行ったってお前さんと同じ人間はいない。だから何々屋なんて名乗る必要は無いのさ」
「だめ……やめて……一人にしないで」
 私は言う。絞るように、紡ぐように、もう半分になってしまった戦争屋の身体にすがって、願いを込めて抱きしめる。
「一人じゃないさ。なんて、そんなきれいごとは言うつもりはないぜ? お前さんは一人だ。ずっと一人だ。だけどそれは価値のある孤独だ」
 嗚咽が止まらない。雑音が聞こえる。汚い光が私を蝕んで、この場所から引き剥がそうとする。
「そうだ。どうしても一人が耐えられないのなら、炎を探すんだ。お前さんを照らして、お前さんを映す熱い炎をな。時には身を焦がす事もあるだろうが、温もりは確かだろう。お前さんを必要とする炎に出会えるといいな」
 私は、あの暖炉を思い出した。質問を繰り返す炎。いつしか消えてしまった、懐かしいあの揺らめき。
「それじゃ、お別れだ。またな……志穂……」
 戦争屋は最後に私の名を呼んで、私の前から消えた。
 やがてどこからか産声が聞こえた。私の心は深い所にゆっくりと沈んでいった。

       

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Neetsha