Neetel Inside ニートノベル
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十月の旅
アメリカ:議会図書館

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「豊波君、本は好きかしら?」
「本? ……まあ、嫌いではないかな」
「それは好きという事?」
「いや、好きって言う程は読まないけども」
 それっきり、会話のフリーズドライ。俺と四ツ目を乗せたタクシーが、氷河期に突入した。不幸にもそれに巻き込まれたタクシーの運ちゃんは、「HAHAHA」といかにもアメリカ人な声で後部座席を笑った。
 今、俺と四ツ目はユーナイテッステイツオブアメーリカ! ことアメリカの首都ワシントンに来ている。
 この旅が始まって、いや始まる前の日からして、驚きの連続だったのだが、中でも特にビビった物の一つは、四ツ目の語学力だ。
 俺が外人の喋る英語が分からないのは当たり前の事だ。しかしね、日本人である四ツ目が喋る英語が分からないのは一体どういう了見だ。
「○×△□you○××○what□? Do××○○□△one?」
 と、タクシーの運ちゃんが言って、
「×○○□△can△□○○×」
 と、四ツ目が答える。俺の耳には、二人の会話はこんな感じに聞こえている。
 ただし、こと四ツ目の語学力に関して最も戦慄する点は、この有り余る程の英語力を、学校では一切発揮した事がないという所なのだ。俺の記憶が確かならば、英語の授業の時に教科書を読まされる時、四ツ目はこんなに滑らかに英語を喋らなかったし、成績も普通より良いくらいの目立たない位置をキープしていた。
 俺はワシントンの街並みを眺めながら、今まさしく隣に座っている四ツ目の、日本での姿を窓に浮かべる。
 クラスで中心的な人物か、と聞かれれば、そうでもない。かといって、いじめられたり、軽んじられたりしている訳では決してない。孤立しているが、孤独ではないと言ったらいいのだろうか。とにかく俺の小中学校の記憶の中ではいないタイプだ。別のクラスにも、「四ツ目のような生徒」はいない。これには担任も同意してくれるだろう。
 特別な人間は、そこにいるだけで特別なのだ。
 これは俺の人生で得た最も役に立たない教訓の一つ。


 一方で、運ちゃんと四ツ目との超実戦的ハイレベル英会話に参加できない点を除けば、俺の心は期待で満たされていた。
 アメリカ、自由の国。開放的で、格好良くて、正義の味方、憧れの国、戦争大好き。
 ジーパン履いてマックに行ってコーラ飲んで育った俺の中のアメリカのイメージは、大体こんな感じ。子供の頃から、金曜ロードショーは大抵いつもハリウッドの映画かジブリだし、日本で大活躍した野球選手はみんなメジャーに行く。
 そんなアメリカの国土を、俺は今確かに踏んでいる。なんとも感慨深いじゃないか。
「随分と浮かれているようね」
 四ツ目また、小さな棘が幾何学模様にビッシリと生えたような言葉で俺の頬を撫でた。でも、もう流石にそれにも慣れたんだ。日本を出発してから五日間、ずっと一緒にいれば嫌でも慣れる。
「ああ、最高だ。アメーリカ万歳だぜ」
「そう、それは良かった」
 四ツ目にしては珍しくしおらしい台詞だ。
「どうして?」
「嫌悪感を持っている人も多いから」
「なんで?」
「あなたはもっと歴史を勉強した方がいいわね」
 脊髄反射で尋ねすぎたな、と反省する。
 別に格好つけたい訳じゃないが、四ツ目の隣にいる時の俺はあまりにもマヌケすぎる。
 だけどそれもいいじゃないか。格好悪い事で何か世間に迷惑をかける訳じゃない。自分で気づいているだけで偉いじゃないか。
「そろそろ聞かせてくれよ。今日はこれからどこに行くんだ?」
 ポジティブスイッチを連打して、気分を切り替えた俺は四ツ目に尋ねた。言葉には期待が詰まっている。アメリカといえば……ラスベガス! グレートキャニオン! ブロードウェイ! ワシントンならホワイトハウスか? とにかく色々な観光地がある。一度行ってみたかった所ばかりだ。
 そんな俺の希望は、次の瞬間四ツ目の振りかぶった一〇tハンマーで粉々に打ち砕かれた。
「図書館よ」


 図書館。図書館っていうとあれですか。本が沢山あるあの……? と聞いたら「それ以外に図書館があるなら教えて欲しいわね」と突かれた。
 なんでわざわざ、アメリカに来てまで図書館なんだろう。多分、観光客が本を借りる事は出来ないだろうし、特に調べたい事がある訳じゃない。
 確かにね、俺は海外旅行なんて初めてだし、旅費やら何やらだって全部四ツ目に任せている。そんな俺の立場からは言えた義理じゃあないかもしれない。それは分かっている。分かっているがが……図書館、そのチョイスは間違ってるんじゃないかい?
「図書館は嫌い?」
 俺は冒頭の質問を思い出す。
 俺があの場面ではっきり答えなかったがゆえに、車内は重苦しい空気に包まれた。同じ失敗はしないのが人の知恵という物だろう。
「正直、嫌いだな。なんというか、地味じゃないか? せっかくアメリカに来たんだから、もっとバーン! ドカーン! みたいな所が良い」
「わがままね。その辺に置いて行こうかしら」
「ごめんなさい。調子に乗りました本当にごめんなさい」
 神がかり的な猛反省を見せつける俺に、四ツ目は「冗談よ」と真顔で言って、タクシーの運ちゃんに料金とチップを払った。
 タクシーから降りて、目の前に現れた建物を見た俺の度肝はスポン、と勢い良く抜けていった。
「ここが、議会図書館」
「えええ!?」
 どっしりとした面構え、歴史を感じさせる佇まい。一見で全容が掴めない程に巨大で、知らなければまず誰も図書館だとは思わないだろう。どう見ても、そこにあるのは『城』だったんだ。
「口が開いてるわ」
 そう指摘して、ずかずかと遠慮なく進む四ツ目の背中を追いながら、つい数十秒前に地味呼ばわりした図書館に心の中で謝罪をした。


「蔵書数は約二八〇〇万冊。他の各種資料も合わせたら、一億点以上あると言われているわね。二〇〇年の歴史を持ち、それでいてウェブ上に存在する資料も一六七テラバイト分収集している。そういえば、今度からTwitterのつぶやきを保存し始めるそうよ」
 Twitter。やった事無いけど聞いた事はある。
「ちなみに、本棚の全長は八五〇キロメートル。大体……東京から札幌くらいの距離かしら。数字だけで言えば、世界で一番の図書館でしょうね」
 俺の口からは、思わず渇いた笑いが零れた。
 東京からまっすぐ札幌に向かって伸びるめちゃくちゃ長い本棚が頭に浮かぶ。……スケールが、でかすぎる。
 しかし俺が驚いたのはそれだけじゃなかった。図書館の内装も感動モノだ。大理石(?)で出来た柱はアーチ状になっていて、やたらと高い天井には美麗な絵が描かれている。日本にあるその辺の美術館よりも芸術的だ。それだけなら、「そこ本当に図書館か?」と疑われそうだが、確かにここは図書館だ。当たり前の事だけど本が沢山あるし、本を読んでいる人も沢山いる。
 これらの本一冊一冊は、全て人の手によって書かれたんだな。そう思うと、なんだか妙に感慨深いものがある。
「この図書館の重さは、人類の歴史その物の重さよ」
 四ツ目は俺に背中を向けたままそう言って、すたすたと何事も無く前を歩いていく。
「ここが、閲覧室」
 案内されたのは、円形の大きな部屋。丸い部屋に沿うように机と椅子が並べられていて、中心には司書さんが座っている。一言で言えば、まさしくそこはファンタジーの世界。
「いつ魔法使いが出てきてもおかしくないな」
「案外、この中にいるかも」いるとしたらお前だ。と心の中で突っ込みを入れる。「何か、読みたい本はある?」
「いや、特に……というか、全部英語で書かれてるんだろ? 読めないって」
 俺がそういうと、四ツ目は反論もせずにまた黙って歩き出した。当然、俺はついていく。
『Asian Reading Room』
 馬鹿な俺にもかろうじて意味は理解できた。


「ここに日本語の本もあるから、読んで待っていて」
「え? 四ツ目は?」
「用事があるの」
 そう言って、四ツ目は俺を置いて行ってしまった。
「やぁだやぁだ! 四ツ目と一緒じゃなきゃいやだぁ!」
 と、駄々をこねる度胸は俺には無かった。しかし先ほどの四ツ目の冗談もあって、置いていかれるかもしれないという不安は生半可な物じゃない。言葉も通じない。金も持っていない。遠い異国の地でひとりぼっち。
 が、俺はもう高校二年生。両手足をぶんぶん振り回しながら寝転がってじたばたしてもキチガイ扱いされるだけで誰も助けてはくれないだろう。
 いたって冷静を取り繕いながら、俺は本棚を眺め始めた。
 Asianと言うだけあって、日本の物だけではない。しかし母数が半端じゃなく大きいので、日本語の本だけでも普通の図書館くらいはあるように見えた。俺はその中から、見覚えのあるタイトルを見つけて思わず独り言を呟いた。
「は、はだしのゲンがある……!」
 学校の図書室で唯一ある漫画といえば? 一〇〇人に聞いたら九七人がこう答えるだろう。「はだしのゲン 作 中沢啓治」
 わざわざ世界最高の図書館まで来て、日本全国の図書室で読めるはだしのゲンを俺は読んだ。読書家の人が聞いたら、怒られそうな贅沢だ。
 だからきっと、そんな俺にバチが当たったんだろう。
「○××□△○○!」
 最初、それは俺に向けられた言葉ではないと思い込んで、俺は黙ってページを捲った。しかしその言葉の主(もちろん外国人)は、俺の肩をバンバンと叩きやがって、初対面とは思えないくらいの親しみで、俺に向けて英語マシンガンを乱射した。
 俺はにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながら、「これ最終的に殺されるんじゃねえか」などと心配しながら、四ツ目様の帰還を待った。すると、俺が英語を出来ない事をようやく察してくれたのか、そいつはゆっくりとした発音で、
「Are You Japanese?」
 と、尋ねてきた。ようやく言葉が理解出来た嬉しさがこみ上げて、俺は何度も「イエス! イエ~ス!」と連呼して、親指を立てた。
 それがどうやらまずかったようで、そいつは元々高かったテンションをMAXまで振り上げて、握手→頬にキス→熱い抱擁という三段コンボを満面の笑顔のまま俺にぶちかました。図書館にあるまじきうるささ。周りの外人も、「なんだなんだ」みたいな顔で注目してきた。
 戦々恐々、汗だくになりながら俺はぐるぐると周囲にぺこぺこと頭を下げた。
 その時、視界に入ったのだ。本棚の影に隠れて、無表情のままこっそりと俺を見つめる四ツ目の姿が。
 俺は四ツ目の下に走った。こんなに人を頼りにしたのは、おそらく出産の時以来だろう。
「な、なんだか良く分からんが、急にあああの人が……」
 四ツ目は本を一冊脇にさして俺に話しかけてきた男に近づいていった。
 そして英語で会話をし始めて、最後に握手だけして、戻ってきた。
「昨日、ノーベル化学賞の発表があって、日本人が受賞したそうよ。それをあなたに教えたかったらしいわね」
 肩の力が一気に抜けていく。
「お、俺関係ねえじゃん……」
「同じ日本人を祝ってあげたかったのでしょう」
 四ツ目はそう言うと、事もなげに落ち着いた様子で席に座り、借りてきた本を読み出した。表紙は黒に五つの突起、異様に分厚く、ページ自体がただの紙ではなく羊皮紙で出来ているようだ。びっしりと字が書かれているが、英語ではない。
「それ……何?」
「グーテンベルグ聖書。世界で初めて印刷された聖書よ」
「世界で初めてって……何年前の品なの?」
「五六〇年前かしら」
「……ちなみに、いくらするの?」
「これみたいに、完全な形で現存する物に値段はつけられないけれど……欠損のある物は『八億円』で取引された事があるわね」
 俺は呆れながら思った。
 そんな本なら、誰だって好きだよ。

       

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Neetsha