Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
ちゅばるっちゅっちゅどーん!

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「ちゅばるっちゅっちゅっちゅどーん!」
 とんでもない音で俺は目が覚めた。いったい何が? 何が起こったら「ちゅばるっちゅっちゅっちゅどーん」なんて音がするんだろう? 音の出所がまったくわからない。いったい何が起こったのか――
 俺はベッドから降りてクラクラする頭を振った。畜生、昨夜の寝酒のせいでまだ気分が悪い。いったいどうしてこの世には酒なんてものがあるんだろう? だいたい酔ってどうするというんだ? ただ酔えばいいのか? ただ酔う、なんて、寂しいこと、俺にはできない。したくない。
 部屋から出る。
「ちゅばるっちゅっちゅちゅどーん!」
 またあの音だ。いい加減イヤになる。どこの馬鹿だ。隣の家のガキがまたバイクでもふかしているのだろうか。所詮は親から買ってもらったバイクを乗り回して偉ぶっているガキ。反吐が出る。そして、ひょっとしたら話してみればそれなりにいいやつかもしれない隣のガキをそんな風にしか思えない自分自身にも反吐が出る。
「ちゅばるっちゅっちゅちゅどーん!」
 ああわかってる、いまいくよ。俺は階段を駆け下りた。降りる途中で段差に小指をしたたかに打ち付けて「ボキリ」とイヤな音がした。折れてはいないだろうが、もう柔軟体操する必要はないくらい稼動範囲は温まった。いてえ。
「くそっ」俺は拳を握って壁に叩きつけた。うちのオヤジが75歳になるまでローンを払うこのマイ・ホームには俺の拳でそこかしこに穴が空いている。畜生、俺だって壁を殴りたくなんてないんだ。ただ朝の四時に「ちゅばるっちゅっちゅっちゅどーん」なんて音がしなければ、そして俺は悪気なんか少しもないのに俺の小指が段差に引っかかったりしなければ、俺だって壁を殴ったりはしないのだ。ああ、だがこの世には俺が壁を殴る理由が多すぎる。誰かが幸せでも壁を殴る気にはならない、でも、俺に悪気がないのに降りかかってくる理不尽だけは許せない。それだけは何人殺しても許せない。
 玄関から飛び出る。
「ちゅばるっちゅっちゅっちゅどーん!」
 世界が燃えていた。
 ぼおおおおおおおおお
 ぱちぱちぱち
 苦悶の叫びのような、それでいて喝采の拍手のような燃え盛る都市の光景に俺は呆然とした。まるきりガキの頃に絵本の中で見た「せかいのおわり」だった。そうだ、世界はこうして終わるのだ。俺はそう習って育ってきた。バブルがはじけ、世紀末で、九九年の七月に世界は終わるとそそのかされ、終わらず、貿易センタービルにジェット機が突っ込み、不況が止まらず、年金が消え、リーマンショックで就職氷河期のアタマに「大」がつき、今日もどこかで大地震が起きている。俺たちが何をした? 教えて欲しい。俺たちが何をした? 俺たちは遊んだ帰りに人数分のタクシーなんて呼んだことはない。海外旅行にもいかないし、ボーナスだってもらったことなんかない。俺たちが何をした? そしてお前らは何をした?
 俺たちを振り回すだけ振り回して、
 挙句引き渡すのが「せかいのおわり」か――

 俺はその場にぺたんとしりもちをついた。天を仰いで、真っ赤なその色合いの中に血を見る。
 せめて分かってもらうくらいはいいだろう。そう、それが必要だ。「理解」が必要なのだ。嘘でもいい、俺たちがこの「せかいのおわり」を前にして欲しいもの、それは「理解」だ。分かって欲しい。認めてほしい。俺たちが苦しんでいたということを。俺たちが本当は少しも恵まれていなかったのだということを。俺たちが、これほどモノに溢れかえって世界にいながら少しも愛も情けも得られなかったのだということを。
 こんなにモノが溢れているのに、
 最後にやってくるのは「せかいのおわり」――

 苦しかった人生がようやく終わる。
 そう思うとラクなのだ。それは本当だ。ああ、ようやく終わる。俺を縛っていたものが。無理やり押し付けられ、銃口を突きつけられて「手放すな」と脅された俺の「人生」がようやく終わる。痛みや苦悩という弾丸をチラつかされて生きていく、それがこの世のありていだ。ああ何もかもがくそったれだ。どいつもこいつも。どいつもこいつも。
 そして俺も――

 数え切れない悲鳴の中で、俺は目を閉じる。
 最低最悪の自己憐憫こそ、まさしく、せかいがおわる、そのときの、こころという悪魔が鳴らすトロンボーンというわけだ。
 くそったれめ。



       

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