わが地獄(仮)
過ぎ行く電車など、いまは
通り過ぎていく電車を見送る。今日は仕事がない。この仕事のいいところは平日に休みがあることだ。世の中の流れにほんのすこしだけまだ逆らえる。忙しそうに歩いていくサラリーマン(どんな業種なんだろう?)を眺めながら、その暮らしや感情に思いを馳せる。だがそれも最近ではよく分からない。
むかしはもっといろんなことがわかった。手に取るようだった。わかり過ぎて、おれには目を開けていることすら辛かった。そんな気持ちもいまではない。
悔しいと感じることがなくなった。置いて行かれているという焦りも消えた。いまのおれにあるのは仕事だけだ。ほかのみんなみたいな楽しみも悩みもおれにはない。しいて言えばした覚えもない借金があるくらいか。それだけだ。
ボクサーをやめてから、おれには試合のない日だけが残った。あれほど恐ろしかった試合がもうない、それは恐ろしいほどの安心をおれにくれた。おれが望んでいたのはこういう暮らしなのだと、グローブとトランクスのない部屋に戻るたびに思った。ジムへと続くPASMOの定期を解約して、自分がどれほどそこへ行きたがっていなかったのか悟った。そこまでして戦う意味とは? おれには分からなかった。もうなにも分からなかった。
ベンチに座って、コーヒーを飲む。ひとりなのはいまでも変わらない。ただすこしだけ静かな時間が流れるようになっただけ。相手のパンチの予感に泣きだしたくなるような気持ちがなくなっただけ。
おれは弱かったのだろうか? ならなぜ勝てたのだろう。分からない。ラッキーパンチだったと言われれば、いまのおれには言い返すことも、それに見合った気持ちもない。ただただ激戦の疲れがあるだけだ。
息を繋ごうとすることほど苦しいことはない。リングのなかでボディを打たれ、あと一瞬、たった少しでいい呼吸をさせてくれと願うことほど惨めなことはない。息苦しくあえぎ、次の一呼吸のためだけにおざなりなパンチを繰り出しクリンチで逃げる。次第に判定のことが頭をよぎり不利な点数はこちらだと分かっていながら終戦処理をし始める。そんな試合になんの意味がある。そんなおれになんの価値がある。
おれは呼吸を忘れたかった。
息継ぎなんてしなくていいカラダが欲しかった。
だがもう無理だ、おれはこのまま死ぬだろう。なにもできず、なにも為せず。誰からも忘れ去られ、世の中の片隅に消えていく。気の利いたバラードすら流れない。奇跡や逆転が到来し反逆に打って出ることもない。おれはもういない。おれだったものはどこかへ消えた。あれほどおれを苦しめた熱情がどこにもいない。あとには空っぽの身体だけが残った。息継ぎが苦手なままの不器用な肉体だけが。おれはコーヒー缶の残りを飲み干し、ベンチから立ち上がった。もうすぐ電車が来るだろう。おれはそれに乗らない。