Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
どうか雪を彼に

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 ガタンゴトン。
 おれはいま、山の手線に乗っている。
 平日の真昼間、車内に人気はない。ごうごうと暖房が唸っている。
 おれはくたびれた疲労の臭いがこびりついたシートに長く横たわり、窓から差し込む液体のような光を浴びていた。
 乗車賃を払ったら、煙草一箱も買えなくなった。
 やっぱり、麻雀はよくないと思う。
 ついつい馴染みの雀荘で、「進藤さんラス半? もうちょっといいでしょ?」とか言われるとついつい居残ってしまう。
 完全に冷え切った卓で、ひとりが五順リーチツモ裏1を平均して出し始めているというのに、おれは、バカみたいにへらへらしながら金を払い続けた。
 卓を立っても、おれを待つ人はいないし。いきたいところも帰りたい場所もない。
 だから、おれはいま。
 山の手線に、乗っている。






 通路を挟んだ向かいのシートの両端に、二組の母子がいた。
 左端の母は、子どもが土足でシートに登ろうとするたびにその頭を引っぱたいて「アホ!」とか「グズ!」とか言う。
 おまえそれが言いたいだけなんじゃないかと思う。
 やたら歯切れがよくって、なんだか、それを言っている自分の優位と、唯一の見物人であるおれへの恥ずかしさと、普段出せないすっきりした言葉と、そういったものに酔っていそうな気配がする。
 子どもはぶたれるたびにゴメンナサイゴメンナサイと過剰に反応する。
 しかし、それはたぶん彼らにとっては儀礼的なものであるのだろう、すぐに回復してまたシートに登ろうとする。
 グズ! ゴメンナサイゴメンナサイ。繰り返し。
 母が、罵倒することに酔っているのを子ども心に悟って、わざとやっているのかもしれない。
 いや、ただ単に、母の手に握られた最近流行りの新興宗教の聖典を読み聞かせられるのにウンザリしただけかも。
 母親はおれと目が合うと、さっと逸らした。
 屈辱と、その屈辱を噛み締めているような不気味な表情をして。
 おれは吐き気を覚えて顔をそむけた。







 右端に座っていた母親は、ロボットだった。
 最近じゃ珍しくもない。
 共働きの両親に代わって子どもの世話をするロボットだ。
 機械が子どもを育てることに対する反対はいまもなお根強く、発禁処分にしようと画策する連中がヒステリーデモを起こして行進しているのを雀荘の窓から見物したことがある。
 無機質な顔――ガキの頃に見た『スターウォーズ』のC3POそっくり――の目がチカチカ瞬いて、三、四歳の幼児をあやしている。
 子どもは手の中の仮面ライダー人形でロボットの胸のあたりをケリつけさせてはキャッキャと笑っている。
 窓から降り注ぐ光の雨を受けて、ロボットの身体はきらきらしていた。
 子どもが指をしゃぶりながら、こらえきれずに次から次へとあふれ出す笑顔で、ロボットの乳母にまとわりつく。
 ロボットの乳母は、冷たい手で、子どもの頭を撫でる。
 おれは、泣きたくなった。
 なんてひどいものを見せるんだろう。
 こんな風に、人に嫌気がさしているときに、こんなものをおれに見せるなんて。
 愛が欲しい。誰でもいい、なんでもいい。
 あの二人の子どもの顔を見てみろ!
 溢れる光を湛えた顔と、それを見る心のやつれた顔!
 死ね!
 誰でもいい、なんでもいい、いますぐあの宗教かぶれの母親を殺してしまえ!
 愛とはなんだ? 愛するってなんだ?
 それは、たぶん、機械でいいのだ。
 自分を受け入れてくれるものだ。
 だったら生きているものに、血のつながりに、なんの価値があるのだ?
 やめてくれ! おれの前で、そんな顔をしないでくれ!
 求めては裏切られるゴキブリの愛を持つこのおれの前で……そんな顔を……するな……
 どうしてだ? おれとおまえに、なんの違いがあるというのだ?
 おれは愛したい。愛されたい。裏切りたくない。裏切られたくない。
 ここまで揃えているこのおれが、なぜ、愛に触れられないのだ?
 いったいおれとおまえになんの違いがあるというのだ?
 おれは死ぬべきなのか?
 それとも、この心を捨て去ればいいというのか?
 どうしろというのだ? おれがおれであることが、なぜこんなにも愛から遠ざかる結果につながるのだ?
 愛などないのか?
 じゃあ、この、おれの、まえ、で、そんな顔をするな!
 やめてくれ! やめてくれ!



 おれは、ゴキブリだ。嫌われるのが、当たり前なのだ。
 そして、おれはおれを愛するものが嫌いだ。
 ゴキブリを好きになるやつにロクなやつがいると思うか?
 糞喰らえだ。
 愛とはなんだ。あの顔はなんだ?
 いますぐあの顔を消せばラクになれるのか。
 助けて欲しい。
 いまの、おれに、言えることはただのそれだけ。
 愛してみたいし、愛されてみたい。









 肩を叩かれて目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。
 視界いっぱいに、向かいに座っていた宗教かぶれの母親の顔があった。
「あの……」
「なんですか?」
 おれはいささか強い語調だったと思う。
「終点ですよ」
「え――ああ、どうも」
 見ると、ロボットと子どもが、駅への階段を降りていくところだった。おれを振り返りもせずに。
「すいません」
「いえいえ」
 人間の母親はくしゃくしゃの笑顔で首を振った。
 そんな顔もできるのか、と思った。母親の手を、しきりに罵られていた子どもがしっかりと握っている。
 子どもは無表情におれを見上げていた。
 母親は言った。
「ところで、あなた、神にご興味は?」
「…………」
「いま、わたしたちは来る2043年の滅亡予告を回避するための集会を」
「ないです」
 おれは泣きたくなるのをこらえて、電車を降りた。
 追いすがってくる母親の腕を乱暴に振り払うと、もう追ってはこなかった。







 ずきずきと頭が痛く、見上げれば雨雲が立ち込めている。
 滝のような雨を降らせてほしいと祈った。
 おれの、この身と心を清めてほしいと願った。
 けれど雨雲はゴロゴロと唸るだけで、雨も雷も落としてはくれない。
 綺麗な雪など、期待するべくもなく。









<顎ノート>

顎のプチSFシリーズ。




新都的には、愛をコメントに置き換えてもいいかもね。
でも、ほんとに辛いよなぁ、愛されないって。
そんな人たちと、なにより、このおれ自身のためにできることってないんだろうか……。




小ネタ。
進藤は天ノ雀で出てきた進藤の息子。
マジックテープ財布に諭吉を詰め込んだナイスガイの息子ですが、気概は息子には受け継がれなかった模様。

       

表紙

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