Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
カラカラ音

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 大きい買い物をしたのに、誰にも自慢ができない。社会人になってからの悲しみといえばそれくらいで、あとはただずらずらと寂しいだけの日々が続いている。べつに仕事はつらくない。俺にしては恵まれた環境で働けている。昼夜逆転して四時間以上は起きていられなかった俺が始発で会社にいっているんだから、世の中ほんとうになにがあるかわからない。電通の子は死ぬことなんてなかったと思うが、しかし本人には死ぬ理由があったわけで、その決断に似たべつの意思を俺がどうこう言えるわけでもない。ただ鏡を見て「そんなにかわいくて若くて東大出てるんだから、お前なんかまだマシなほうだよ」と幻聴でも聞こえたら、じゃあ今より苦しい状況しかないなら死のうという結論に至るのは自然なことだ。なにもかもぶち壊して逃げられるのは、最初から何も持っていないやつだけだ。積んできたものが取り返しがつかなければつかないほど、崩すことなく人は死ぬ。
 俺は死んでない。いまのところ二十八で、もうすぐ三十路だが、会社が傾いたときに窓のそばでぼんやりしてなければ放り出されることもたぶんない。思ったよりも有能なんじゃないかと天狗になったりもしている(全部上司がケツ持ってくれてるだけだとわかってはいる)。時々誰かと会話しているときに泣きたくなって頬は引きつるし、「小説書いてたくせに全然おもしろい話しねぇな」と思われてもいるし、実際そうだし、話のオチなんて考えながら会話なんかできないし、仕事してるときに話しかけられたら廊下の突き当りにぶち当たるまで前後不覚に陥りながら会話をたどるし、相変わらず俺はとてもダメだ。全然なんにも治ってないのに、それを周りにフォローされて当然みたいな顔をしながら生きている。まだそれが可愛げや人徳まで昇華されてはいないし、いずれこれがそうなるという甘すぎる展望も頭蓋骨のなかに置き去りにしてある。
 あんなに仕事人間にはなりたくないと思っていたのに、俺は仕事人間になりつつある。仕事を完璧にこなせば評価という報酬が与えられると空っぽの胸の中で思い込み、功を焦って興奮したりミスったりしている。仕事をしていると自分が空っぽだということを思い出す。空っぽだから仕事ができるのだ。いまの世の中の上に顔を出せば見晴らしのいいゴミ溜めになっているのはそういう理屈なのだ。ほんとうに人間の心を持っていたら仕事なんてまじめにやったりしない。ほんとうにまじめにやったら電通の子みたいに死んでしまう。人間はもともと労働するより強盗しているほうに性根が合っているのだから、ちゃんと労働を強盗まで昇華して隠蔽しないとダメだ。そうすれば搾取する側になれる。千円で千円の仕事を買っていたら誰も幸せにならない。いつだって金を出す側が損するようにしなければならない。八百円の仕事を千円で請け負うからやりたくもないことをやるのだ。千円で千円の仕事が買えると思っているやつは馬鹿だ。みんな死んだほうがいい。
 仕事のしすぎで、最近なにを見ても心が素通りしていく。テレビで何かやっているのを見てもそれをどう受け取ればいいのかを忘れた。何も感じないのだから、インプットに対して心が反応しない。完全に電源が切れていて、慌てて反応らしいものを探しては見繕いもせずにポンポン放り出す。だから誰とも会話が噛み合わなくなって、今日は友達との約束をすっぽかしてスタバで本を読んでいた。実に嫌な気分がした。それが友達に嘘をついてまで自分の時間を取ろうとしたせいか、それともそこまでやっても心が動かずに死んだままになっていることに対してか。放っておいたら勝手に死んだわけで、俺としては心にもっと空気を読めといいたい。もっと強く豊かで生き生きとしていればいいのに心はいつも勝手に死ぬ。まるで俺の使い方が悪いみたいな顔をして。確かにそうかもしれないが、しかしそんな顔をして死体になっているやつにガタガタ言われるのも筋違いだ。自分ならちゃんとやれると思うのならばまずやってみせればいい。それができないから死んだりするんだ。
 音楽を聞いてもいつの間にかリピートしているし、誰の話も脳味噌からだらだらと漏れていく。必死にかき集めて耳のなかに押し込み直すが、そうしたときにはもう聞いた話が腐っていてどうにもならない。会話というのは鮮度が命で、ちょっとでも間ができるとアウト。理不尽で不自然な沈黙に晒された相手は苦笑しながら反感を味わい始める。ちょっと待て、それってどういうこと? おれにはぜんぜんわかんない。バラッバラの会話の破片を集めてジグソーパズル。できあがった絵はあちこち途切れているが、時間がないんだからしょうがない、間に合わせの応急処置で木工ボンドを塗りたくる。満面の笑顔でこれはちゃんとした絵ですと嘘八百を並べる。心がいつも嘘に傾く。都合のいい嘘さえつければ、相手が騙されてくれる馬鹿でいてくれれば、最初から偽物の絵を持ってきて、それをどかんと置いて一件落着させちまう。それが俺にとってわずかにできうる可能性のある意思疎通。俺は空っぽなんだから、最初からどう頑張ったって心が通じ合ったりしない。負の感情がちょっと目を離した隙に底抜けて、もうダダ漏れになっちまってる。俺はそこから怒涛になって流れ落ちる俺の感情になるはずだったものを見下ろすしかない。それを見る俺自身がほんの少しだけ寂しい気がする。
 誰もかれもがこんなはずじゃなかったと思っている。失った何かを自分にだけわかる星みたいに見上げてる。もうそこまで煮詰まっちまったら一回全部ぶち壊しちまった方がいい。全部駄目にしちまった方が気持ちのいい風が吹くかもしれない。
 涙が出そうで出ないし、アマゾンで使った四万円もつらい。金があっても使い道はなく、とはいえ口座見れば毎月きっかり二万で引き落とされていく四十まで続く奨学金もうっかり死ぬにはいい理由だ。わくわくするものはみんな過ぎ去って、あとには苛立ちと焦燥ばかり。さんざんレベルを上げて物理で殴って倒したラスボスの向こうには今よりちょっとマシな世界とか失って初めてわかった平凡な毎日のありがたみとかがあるという説はどこにいったのかいったい何回世界を救えばペルソナは気が済むのか。数年に一度も集合無意識が死にたがってる世界なんてグーパンで殺してやったほうがいいんじゃないのか。いつまで『今日』にすがりついて答えを先延ばしにすれば気が済むのか俺自身にもさっぱりだ。べつにアトラスは悪くない。それでも俺はもう今日なんてほしくない、仲間との絆なんてまっぴらだ。エルピープルの名前の由来はエルドラド・ピープルの略なんかじゃなくて「LPガスみたいに交換できる燃料」としてのエルピーなんじゃないのかと現場で思いついても話す相手もいなければ褒めてくれる相手もいない、信じてくれるやつもどこにもいない。俺の言うことをなんでも無条件で信じてくれるやつが欲しいのに、もしそんなやつがいたら、俺は絶対にそんなの信じられない。満たされることもなく、膝ばかり痛い。久々に動かした指が突っ張ったように鈍い。正しさなんてどうだっていい、俺が言えばゴーなんだぐらいに思っていなけりゃなんにもできないのに、今の俺は腑抜けている。仕事のためにまじめにインフルエンザの予防接種を受けて扁桃腺に薬を塗ってもらったりしている。誰かに認めて欲しいのに、認められたりしたら勝負にならない。いつだって切れかけの精神を誤魔化して使っている。いまさら取り戻せないものを取り返すまで納得しないと決めているのに、そんなに都合のいい日が来たりはしない。俺は空転する歯車だ。カラカラ音だけ鳴り響く。

       

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