Neetel Inside ニートノベル
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わが地獄(仮)
シン・ウルトラマンを見て思ったこと(考察)

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 最近、余命10年を見て涙ぐんだ。小松菜奈かわいいなあ、菅田将暉ずるいなあ、と思いながらカップルで見に来た女の子の前の席でウルウルした。そもそもそれほど最近じゃなかった。春先ぐらいだった。
 で、ウルトラマンも見に行って、友達と見に行く約束を破って一人で見た。そのあと知らぬ顔をして一緒に見て「よかった~!」とかしれっとほざいてた。もう三十路なのに子供みたいな嘘をつくのが好きでたまらない。
 なので、ウルトラマンを結局2回見たんだけども、面白かったから感想書いて、新都社でチヤホヤしてもらお~と思って無事に一ヶ月くらい忘れていた。もう感想のネタも忘れかけてる。
 でもいい映画だったから感想を書いてみようと思う。


 もともと俺はウルトラマンを見たことがない。好きでもない。庵野がやるって言ったから見た。あとシン・ゴジラ面白かったから見た。
 ウルトラマンもかなりシン・ゴジラと比較されているようだけども、俺は個人的にはウルトラマンのほうが好きだった。
「面白かった」なら確かにシン・ゴジラなんだけど、なんとなくウルトラマンは見終わったあとに「いいなあ」って思った。
 で、俺はいったい何に「いいなあ」って思ったのかな~ってしばらく考えてた。
 もう歳で、あんまり物事に対して「いいなあ」と思わなくなってきてたんだけども。

 全体的な印象としては素材の味を大事にしてる映画だな、と思った。あとで調べたらベースのウルトラマンからかなりネタを引っ張ってきてたみたいで、オリジナルというよりはリブートに近い構成らしかった。
 「ウルトラマンってこういうものだよ」というわかりやすい教材の一面もあって、知らずに見た俺にもありがたかった。
 ザラブ星人はあきらかに元エピソードありそうだなあ、と思ったけど、メフィラスとか、ゾーフィとかも元ネタがあってうまく調理してあったらしい。
 そういった細かいエピソードをひとくさりに繋げて、連作短編集のような出来栄えになっていて、集中力の続かない俺でも楽しめた。
 ただ連作短編集は話がぶつ切りになってるぶん、テーマを強く連続させないと話がとっ散らかっちゃうんだけど、ウルトラマンはきちんとそういったところも配慮されてたと思う。
 そんで、俺がよかったな、と思ったところも、その連続したテーマの中の一つだったんだと思う。

 ウルトラマンは神ではない。
 これは作中でも言われてる。
 でも俺はわりと早くにそう描写したいんだろうな、と思った。
 なんか最初にたくさん雑魚怪獣が来るんだけど、ウルトラマンは二匹目(原子力貯蔵施設を襲ったドリル)のときにもうちょっと苦戦してた。まだデビュー戦2回目である。もうちょっと無双描写してもいいところを、怪獣のしっぽにブロー食らってちょっとよろめいてた。
 俺はその時に、ああウルトラマンを無敵の神様に描きたくないんだろうな、と思った。
 だからその時点で、「この話は神様じゃない人の話ですよ」というのを飲み込んだ。もっと遡れば、地球にやってきたときに事故って神永さんを死なせちゃった時点で神様ではない。神様だとしたらうっかり屋さんである。
 じゃあ神様じゃないんだったらウルトラマンって何?って話である。
 そこが、この映画のテーマであり受け取り方が分かれるところなんじゃないかなあと思う。

 別のネットのレビューでは「人間を推し活してるオタク」なんて意見があったけど、俺の見方もそれに近い。あとは「殺しちゃった蜂のために蜂の巣を守り始めた変なやつ」とか。
 俺自身は、「ウルトラマンって、すげーわがままなやつ」だと思った。そんでその考え方がストンと自分の中で納得した。ああ、俺はわがままなやつが見るのが好きなんだなと。
 考えてみる。
 そもそもウルトラマンは正義の味方じゃない(少なくとも、そう描かれてはいない)。神様として表現もされていないし、基本的には怪獣たちを暴力で追い払っている。
 話が通じない最初の雑魚怪獣たちはまぁしゃーないものとする。
「人間って死ぬべきクズどもじゃね」と言って他の惑星の迷惑にならないように掃除してくれようとしたザラブは殺害した。
「人間って放っておくとトラブルの種になるから、多少は私的に利用もするけど、俺がしっかり管理するよ」と言ってきてくれたメフィラスには居酒屋で決別を宣言し、これまた武力で応戦した。
「人間は確実に害悪になるから、もう滅ぼす。おまえもう光の星に戻ってこい」とわざわざ来てくれた身内のゾーフィにも反逆しゼットンを壊そうとする。

 俺がここで思ったのは、そもそも人間に守る価値がある、というのはリピア=ウルトラマンの勝手な主張だということ。
 作中では一切、そのウルトラマンの主張を補完するエピソードがない。神永さんが子供守って死んだところくらいである。
 そしてウルトラマンは一度として、自分の主張を外星人や身内のゾーフィに対して説得していない。主張しているだけである。
 俺はもうこれは「ウルトラマンには対話する気がない。なぜならどういう結論に達しても、自分の意見を押し通すつもりだから」と受け取った。
 そう見えたし、実際そうだったと思う。
 それって完全にウルトラマンのわがままだよね、という話である。
 そしてそれはウルトラマンの行動原理が「感情」である、ということに繋がる。

 思い返してみる。
 ザラブ、メフィラス、ゾーフィはウルトラマンを説得している。常にそこには自分がなぜそう思うか、理屈をつけている。
 ザラブは「危険な生命体だから」と。
 メフィラスは「管理すべきだから」と。
 ゾーフィは「滅ぼすべきだから」と。
 そこには筋が通っていて、三者とも感情的にはなっていない。
 さらに掘り返すと最初に襲ってきた怪獣も人間の自然破壊で起動したものなので、感情で暴走したのではなく、どちらかというと理性的な「仕組み」で襲ってきた存在である。
 つまりこの話は、常にウルトラマンに「おまえがやってることって感情的で無意味なことだよ」と敵対者が言い続けている話なのである。
 ウルトラマンだけが、相手の理屈=理性に対して感情をもって、しかも実力行使で反逆している。
 よくよく考えると、スゲー自分勝手なプロットなのである。
 そしてそれこそが、俺が「ピン」ときた部分なんじゃないかな、と思う。

 個人的な話だけども。
 俺はどうしても、昔から「理屈」で生きるのが嫌で、ずっとそれに噛みついて生きてきたら困窮してしまった。それでも、やっぱり理屈で生きるのは気に入らない。
 でも仕方ないから理屈とか理性に表面上はしたがって生きているんだけど、いつもそれにどこかでイライラしている。
 その「イライラ」は、囚人が牢獄に対して抱くもやのように俺の中でくすぶっていて、そんな時に「理屈や理性で行動を曲げない」ウルトラマンを見たことが、一種のガス抜きというか、囚人仲間が脱獄したと聞いた時みたいな「わくわく」に繋がったんじゃないかと思う。

「マジかよそうか、あいつやっちまったのか……バカなことしやがって……でも、いいなあ」

 というわけである。
 ウルトラマンの行動は最後まで、理性と連携していない。
 なんとかゼットンを倒してゾーフィに「もうおうち帰るよ。じゃないと死ぬよ」と言われたのに「俺は死んでいい。あいつらを守りたい」とほざき始める。
 これでウルトラマンが人類を見捨てて母星に帰れば、それは貴族の戯れの冒険譚に過ぎない。ひとなつの冒険である。
 でもウルトラマンは「死ぬ」というもっとも自害的行為に踏み切った。
 それは「正義」でも「自己犠牲」でもなく、俺みたいなやつからすると、

「たとえ死ぬとしても、自分の考えを曲げたくない」

 という行為に見えた。もちろん人類が好きだ、というのが根底にあるにしても。
「おまえ死ぬよ」って言ってるのに行動をやめないというのは、一切の説得が通じないということである。
 ほかにどんな説得も存在しないのである。ウルトラマンの「人間がよくわかんねぇけど好きっぽい」っていうのは、それだけ強い熱量なのである。
 俺はそれにグッと来てしまった。
 べつに大した理由もなく、「自分がこう思ったから」そう生きる、というのは、やっぱりいいなぁと思う。
 シン・ゴジラのほうが、映画としてはよっぽどよくできている。人間だって活躍している。
 それでも俺は見直すなら、ウルトラマンだなと思う。
 それはどうしようもなくわがままな俺にとって、どうしようもなくわがままなウルトラマンは、間違いなく俺を勇気づけてくれるヒーローだからだ。
 そんなヒーローがいてもいいじゃん、と思う。


 感想としてはそんなところなんだけど、見終わったあとに飲み屋で友達と反省会をしたときに「人間が全然活躍してない。結局、神様のウルトラマン頼みかよ!」という意見が出た。
 俺は他人の意見は尊重するので、特に反論はしなかったんだけど(そのせいで話が盛り上がらないともいう)、これには個人的には違う意見がある。

 というのも、俺は「人間の頑張り」という要素に関しては滝くんが全部やったんじゃねと思っている。
 滝くんは最初から人間の叡智を脳みそに詰め込んでて頭いい発言を繰り返すんだけども、連作短編集の中で自信を失い、やがて「ウルトラマンに頼むしかないじゃん。あとは任せたから」と職場を放棄してしまう。
 けれどもあとで戻ってきて、ウルトラマンからもらったヒントを元にゼットンを倒す攻略法を見つける。
「攻略法を見つけただけかよ!」という意見もわかるけれども、そもそも一兆度の火球を撃ってくる天体制圧用兵器ゼットンに核爆弾までしか持ってない(しかもそれじゃ全然威力が足りない)人類が単独撃破は作劇上むずかしいわけで……というのは作り手からの意見。尺が足りないのはしゃーない。国が悪い。
 でも、それを踏まえた上でも俺はウルトラマンは「人間の頑張り」をよく描写していると思う。
 なぜかっていうと、滝くんが戻ってきたからである。
 滝くんは職場放棄したあと、ストロングゼロ片手に職場に戻ってきて、まだゼットン攻略法を探して残業してるねーちゃんに「まだやってんのかよww」と煽るんだけども、俺はここ、このシーンが一番好きだったかもしれない。
 なぜかっていうと、滝くんが戻ってきたからである(二度目)。

 メフィラスの嫌がらせによって、人類は知恵では外星人には勝てないと思い知らされ、ゼットンは一兆度の火球を準備してるし、滝くんにとって現実と立ち向かうことは相当なストレスだったはずである。それこそストロングゼロに頼り、まだ頑張ってる仲間を煽って挑発しないと心が保てないほどの。
 作家でいえば、エタって投げた原稿と向き合わされるようなものである。それって相当ストレスである(実体験)。
 どうせうまくいかない、やっても意味がない、誰が褒めてくれるわけでもない、ストロングゼロ飲んで他人を煽ってたほうがどう考えてもラク。
 だから滝くんは、ストロングゼロ飲んで、5chを荒らしててもよかったのである。
 それでも現場に戻ってきた。
 それって、滝くんが諦めきれなかったからだと思うんだよね。
 まだなんとかしたい、エタっちゃったっけど、完結させたい。
 ぜんぜんうまくいく保証なんかないのに、それでも嫌な現実を思い出させる場所に滝くんは戻ってきた。
 それってすごいことだと思うんだよね。
 そして、製作者側も、それを「人間の頑張り」として表現しているからこそ、
 ウルトラマンが残したUSBメモリは手渡しじゃなくて、滝くんの机に置かれていた。
 ウルトラマンが押し付けたわけじゃなく、滝くんが自分の足で戻ってくるとウルトラマンは信じて、USBを残していった。
 だから、俺は滝くんが戻ってきただけで、人間は頑張ったんだと思う。
 たしかに生物学者の女は使えねーし班長にいたってはタバコふかして電話してるだけのゴミなんだけど、まぁあいつらは舞台装置みたいなもんなのでしゃーない。ベジータの会話役のためにナッパが考案されたようなもん。
 俺としては人間とウルトラマンの関係を対比させるなら、人間サイドは長澤まさみと滝くんを足して2で割ったキャラ一人で済むと思うんだけど、そのへんは長くなるので割愛します。


 いまようやく、スマホのメモに残していた「書くことメモ」が全部精算されて消去されました。
 ちょっと時間があいちゃったけど、だいたい思ったことはこんな感じ。
 ウルトラマンというよりかは、「ものすごく自分勝手な感情を実力行使で貫いたやつの話」って感じで、俺はとても好きでした。
 シン・仮面ライダーも楽しみ。浜辺美波かわええんじゃ^~~~

 ではまた。


       

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Neetsha