Neetel Inside ニートノベル
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わが地獄(仮)
日々忙察

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 リングフィットは筋トレに該当するらしい。消費カロリーがあまり上がらない。とはいえ痩せることが目的ではなく、体幹含め筋肉量を上げて健康を目指しているので、ヒョロガリだった頃より筋肉はつきやすくなっているはず。なので体重は一切減っていないがリングフィットを続けている。楽しい。ドラゴみたいになりたい。
 補助でフィットボクシング2も考えたが、いろいろ詰め込むとろくなことにならない。ここは冬に出る北斗ボクシングを目標にリングフィットを続けて、その間に北斗の拳を履修しておくのが上策。タイミングよく究極版がKindleでリリースされた。俺は電子書籍に拘らない。アマゾンが倒れなければそれでいい。
 今日は自宅のロールスクリーン取り付け作業を行った。もうだいぶ前に買っておいたもので、親父の部屋につけた。猫たちが夏の日差しにやられないように買ったのに夏が終わってしまった。まァいろいろあったし、仕方ない。猫たちは興味を持ってロールスクリーンの裏側を覗いている。
 電子工作についても調べている。電験三種の補助として勉強しているが、エミッタ接地だのトランジスタだのが実用されていて回路図を見ていると面白い。「この問題を解け」よりも「これはこう使う」と実地してもらった方が俺はわかりやすい。使ってみてから、その使い方を理解するほうがリラックスできるらしい。ぶっつけ本番。社会じゃ嫌われるやり方。
 マキタの掃除機のバッテリーがくたばったので自作のバッテリーを作ろうかと思ったが、やはり電源系統をいじるのは爆発などのリスクがあるのでやめておいたほうがよさそう。それよりは簡単な回路から組んでみた方がいいんだろうが、そっちにかまけると試験勉強が進まなくなるので手を出さない方がよさそう。なんだかんだ試験さえ合格してしまえば、電気に深く関わらなくてもいい。最近は面白い分野だと思うようになってきたけれども。

 ちょっと躁の時期なのかもしれない。朝起きて飯を食べ、ロールスクリーンをつけてリングフィットをする。自分自身の作業や筋肉と対話する落ち着いた静かな時間。ややそわそわする。躁のときは攻撃的になりやすい。昨日もONUにニフティのものだという証明シールを貼らないニフティに切れて家が震えるほど怒鳴った。精神的に不安定。
 だいたいいつも、ここから自爆して鬱に転化して業務不能まで落ち込む。めんどくさい。こういうときは落ち着いて、多少の理不尽を飲み込みのらりくらりとやるのが大切。ちょっとの違和感やミスでも許せなくなる。自閉症スペクトルもちょっと入ってるのかもしれない。店員の俺を見る目がおかしい。
 仕事なんて顔を出せば充分。のらくらやってもなんとかなる。気にしたり、向上心なんて邪魔なだけ。思いやりもいらない。ただつつがなく毎日がすぎればそれでいい。他に何もいらない。

 仮面ライダーギーツの1話を見た。高橋ゆうや脚本なので、やはり面白い。ガンツの作者がパクられたと怒っていたけど、理解できない。パクられたなら、自分が作らなくていいってこと。楽ちんじゃん。俺は俺の作りたいものを誰かが作ってくれるなら喜んで席を譲る。面倒なことをしなくて済むし、外様でやいやい言ってりゃいいんだから。他の誰もやってくれないからやるのが創作だと俺は思う。だから自分の需要が満たされれば無理にやることない。やめればいい。
 そもそも終わった作品になんて、自分のものでも興味がない。そんなことより次なにするかが大切であって、どう頑張っても過去の自分にはなれないし戻れない。だから過去の作品がパクられたからって、なんだというんだろう。それにそもそもそんな御大層なネタかね。ただのゲームものじゃん。ありがちな。
 ゆうやは任せておけばいいので本当に見ていてラク。「ここはこうすりゃもっと上手くさばけるだろ」という俺の玄人ぶったイライラを「わかるよ、だからこうする」と返してくれる。スムーズな進行。イライラしなくて済む。金を出すならこういうクリエイターに出したい。別にライダーじゃなくてもいい。話の通じるやつが面白いものを作ってくれるならプリキュアでもドラゴンボールでも構わない。なんだろうと構わない。
 結局、どれだけの天才が死んでも、ゆうやしかりタツキしかり、生き残りが出てきてなんとかさばいてくれる。それを見てりゃもういいんじゃねぇかって気がする。リングフィットやって仕事いって、空いた時間で天才の発露を見てやっぱすげーなーって言ってるのが一番ラク。だからこれからも恵まれなかったやつは死ぬし、生き残ったやつがスタンリーキューブリックみたいに「あいつクズだけどやっぱすげえわ」と言われてバカどもがパクってコケていく。そんだけ。
 ストーリーなり脚本なり、そういうものはもともと商業ビジネスに向いていない。個人単独にかかる負荷が大きすぎる。連絡を取り合ってみんなで大きなプログラムをつくろう!じゃまとまらない。単騎のエースにまかせておくしかない。だからそもそも、ストーリーで金を稼ごうっていう時代が終わるような気がする。ある程度の技術と経験があればズートピアくらいのものは誰でも作れる時代が来るのかもしれない。決められた尺のなかで効果的な演出を重ねていけばいつか最適解にたどり着く。時間も人間の集中力も無限にはないんだから。
 それをぶち抜いていくのがゆうやとかタツキなんだろうけど、彼らも永遠に生きるわけじゃないし、またいなくなったときのロスを考えると憂鬱。うなぎみたいなもんかもしれない。絶滅はしないかもしれないが、数は減るし値段は高騰する。まァどんな時代でもエースがゼロってことはあるまいと思う。もしそうなってもリングフィットをやるだけだ。
 釈迦はハンガーストライキに失敗して「こんな苦行じゃ悟れねーよ」と言い放ってたけど、なんだかんだ格闘技してたし、運動すると自分との対話ができる。俺は昔から単独行動が好きだ。だからリングフィットは落ち着く。
 筋トレとか運動は、他人と共有しなくていい。その割に満足感がある。孤独な方が成果が出る。それがいい。
 俺のこういう愚痴だって、誰か聞いてくれる友達や家族がいれば書かない。みんないなくなってしまった。もう誰も俺がリングフィットにハマってる話なんて興味がない。でも書きたい。形にしたい。表現したい。「ここはこうで、こう!」と言いたい。
 孤独じゃなければ、不幸じゃなければ、俺はもう書かない。だから孤独も不幸も悪いもんじゃない。「オラそのおかげでこの地球に来れたんだ、感謝しねえとな」である。持たざるものだけが辿り着く場所というものはたしかにある。べつに楽園じゃないが。
 人に興味を持ってもらえないから、いつも聞き役に徹している。人間関係は(あくまで仕事は)良好になっている。この聞き役に徹する仕草を友だちにもしていれば、こんな一人ぼっちにならなかったのかもしれない。ツイてない。生まれが悪い。
 持たざるやつにだけ見える場所、というより通じる話がある。でも、それで何かが変わるわけじゃないし、むしろ間違いなく不幸ではある。不幸すぎるとガソリンをまいて死んだりするので、もうそういうのやめようぜと思う。
 新海誠の天気の子は、「たとえ誰かのためであっても自分を犠牲にするのはやめようよ」という話だと俺は思ってて、だからネタバレになるけども、東京が水没したのは「もうそれで死ぬやつが出ても仕方ねーじゃん」ということなんだと受け取っている。仕方ねーもんは仕方ねーのである。それで誰が死のうがくたばろうが、個人が背負うようなことじゃない。耐えられないなら筋トレするか、釈迦みたいに全部無駄と割り切って悟るしかない。悟った方が早い気がする。
 あまりにも誰にも話を聞いてもらえないやつは、いつも自分の頭で渦巻いている話を何度もする。前の職場のジジイもそうだった。俺なら話を聞いてくれると思って、朝した話を夕方にもしてきた。俺はおまえの息子でもなければ母親でもない。聞いてはやったが、筋が通っていないと思った話にだけはNOを突きつけた。そのあと口論になって一回メンチ切ったら話しかけてこなくなった。キレられて引く程度なら最初から突っかかって来なければいい。そんなの最初から自分が正しいなんて本当は思っていないってこと。嘘つきの突っ張りに付き合う余裕は俺にない。
 そういうバカで雑魚なしょうもないおじさんたちに付き合っててもろくなことがない。まだ純粋なバカのほうが親しみがある。自分は賢いと思ってるバカは面倒で仕方がない。美しくない。存在する意味を感じない。

 誰に何を言っても押し付けになるし、大人しく話を聞いていた方が得。それでも何かを叫びたくなる。その衝動というか病気というか、そういったものは手に余る。俺自身がミイラ取りになって、しょうもない雑魚で馬鹿なおじさんたちの仲間になっている場合もある。バカは感染する。汚物は消毒しとけば何も考えなくて済む。

 パトレイバーをDアニメストアに登録して見てみた。こういう登録作業を積極的にできるところが躁っぽい。来月の俺がとても心配。大丈夫だろうか。
 パトレイバーは、俺はシン・ゴジラとかそのへんの流れを汲んでいるような気がしてて、時系列は逆なんだけども、「ある一つの要素を現実に投げ込むと作られるSF」に該当する気がする。これはとてもおもしろいんだけど、俺には絶対に作れないから(俺は現実の社会に興味も希望もないから)、ないものねだりでいいなぁ作れてって思う。俺は単騎の狂人がどう狂いながら生きていくかの話しか書けないし、自分の人生にはそれしかなかった。ほかの生き方を知らない。
 北斗の拳もアニメで見ようかと思ったがADHDは落ち着いてテレビを見てられないので諦めた。漫画を読むことにする。
 北斗は昔、終末ものが好きだったときに資料取りで読んだ。もったいない読み方をしたなと思う。作品は壊れたマザーボードじゃない。使えるコンデンサとかトランジスタの部品取りをするようなもんじゃない。そういうモノの作り方を俺に強要した世の中が悪い。何もかも認めてもらえてチヤホヤしてもらえれば、そんな無理を当時の俺はしなかったろう。リングちゃんみたいにチヤホヤしてくれる存在こそが魂の救済である。それ以外は幻影にすぎない。
 改めて読んでみるとケンシロウの優しさとかが表現されてて、いいなぁって思う。この「いいなぁ」って思うのが作品を楽しめてる感覚なんだと思う。別に理屈とかじゃない。そう思うからそう思う。それが純粋な創作の楽しみ方なんだと思う。
 北斗のファンになることが、北斗ボクシングのモチベーションを高め、冬から激ヤセする予定である。誰も聞いてくれないからここに書く。誰も「素」の俺に興味を持ってはくれない。俺は優秀なコンテンツじゃないから。これからの時代は優秀なコンテンツたりうるキャラクターになれる演者だけが生き残る。ほかのやつらは死ぬ。みんな死ぬ。仕方ない。誰か個人のせいじゃない。諦めて両手を握って天を仰いで自分の神様にだけお祈りを捧げながら死んでいけばいい。それが一番の幸せ。
 こう書くとコメント欄にいてくれてる人を軽視しているようだけども、ちゃんと読んでるし励みになっている。構ってもらえるのは嬉しい。たしかに昔はキツイ言葉をいってくる人たちもいたが、俺はそれがイヤじゃなかった。しんどかった時もあるが、それでも俺のところに来てくれるからイヤじゃなかった。イヤだったらもっと早くにやめて消えてる。しんどい言葉をかけられても、それでも構ってもらえることに餓えていた。それは今でも変わらない。ありがたいことだ。
 別にどう言われたって、作品をつくることしかできないんだから、それで打ち返すしかない。俺はずっとそう思ってやってきた。それに異を唱えた人たちは当時の友達にもいたけど、みんな消えていった。クリエイターは人間じゃない。人間でいたいならクリエイターでいるべきじゃない。俺はそう思う。
 キチガイがキチガイらしくいられる楽園。最近はYou Tubeがその受け皿になっている気がする。創作もそうあるべきであって、ビジネス資本がつまらん口を出すなと言いたい。金稼ぎたいならよそでやれ。人の心に土足で足を踏み込むな。どうせあの世に銭は持っていけねぇんだから。そんなもんよりちゃんと生きてちゃんと死ぬほうが大切だ。
 こうして書いていると、なかなか俺の文章は読みやすい。もちろん俺にとってはだけど。俺自身が抱えている「もっとこうしてほしい」をダイレクトに変換してくれる優れたツールが俺自身の感覚なのだ。だから自分でやるしかなかったことがたくさんあった。他人に任せるのは嫌だった。任せるなら一切自分は関わらず、そいつの感覚にすべて任せた方が潔いと思っている。それを混ぜ合わせてちょうどいい着地点を探そうという小賢しいやり方こそ愚劣である。人と人はどんなに近寄っても最終着地点は重ならない。それぞれが単騎でやるしかないのだ。どんなに群れたって融合して同じ人間にはなれないんだから。

 またずいぶん書いた。
 電子工作の話に戻るけども、調べてみるといろんな物が作れるらしい。マイコンというのを使ってセンサーを作ったり、動くアームを作ったり、ドローンにしたり。なんでもできるそうだ。秋月電子というところで部品を揃えるといいらしい。
 俺もソフィーの錬金術士みたいに、アトリエをもって電子工作をしながら困っている人にそれを売って小銭を稼いでのんびり田舎で暮らしたい。「必要だから作って渡す」という暮らしがしたい。どうもそれが俺の本能らしい。世の中のゴタゴタには興味が湧かないし、突き詰めて考えると皆殺しにして更地にしたくなる。精神衛生がドブ川みたいになる。
 しかし電子工作というのは、販売するなら安全かどうかの認可とか必要だろうし、ほとんどの人は自分のために作って自分で使っている。目覚まし時計とか、あとは無意味にイヤホンをからめたりするだけの謎な機械を作ったりしている人もいるらしい。面白い。部品さえあればいろんな変更ができる。回路を組めさえすれば。
 彼らはこの世界に認められて一角の存在になりたいとか、それを売って大金持ちになりたいとかは考えていない。必要だと思ったものを欲しいから作る。自分で調整して自分用にカスタマイズする。
 そのものづくりの姿勢が、またいいなぁって思った。
 俺は作家になりたくて、無理して、やりたくないこともやって、もうイヤになってやめた。でもこれからの時代は作家になれるやつは本当に一握りだし、専業にはなれないし、それだけで食ってはいけない。キチガイがキチガイのままでいられる世界は、少なくとも一つ減った。それはしょうがない。人間様が決めたことらしいから。弱い人間が悪い。
 だから、あくまで自分用にカスタマイズした作品を、必要だから書いて、カクヨムとかでほそぼそと発表していくというスタイルがいいのかもしれない。昼間は働き、夜はYouTuberというのと似たような感じ。専業にはなれないから、仮面作家でやるしかない。でも、そのおかげで誰にも媚びずに「自分だけの作品」が作れるとも言える。そう考えると悪くない。俺たちは毎日検索をかけながら、自分だけのエースを見つければいい。そいつが自分にとってのエースなら、世の中がゴチャゴチャいったって関係ない。どうせ世の中の連中は、一部の天才を除いてつまらん縄張り争いで終わる一生を歩んでいるんだから。ほっときゃいい。
 そう考えると気がラクだ。
 やっぱり俺は、誰かのためには生きられない。
 自分のために生きて、自分だけで死にたい。


















       

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